逃げ場がなくなった
神父様は型のようなものは教えてくれなかったが、基礎技術はみっちりと仕込まれたし、時には魔物のことや戦いの哲学? のようなことを教えられた。
その中で何度か聞いたのが、抜刀という技術の重要性だ。
「え? 剣を鞘から抜くだけですよね?」
「もしお互いの剣が届く状態で戦闘態勢に入った場合、その剣を鞘から抜くだけの速度に大きな差があればどうなると思いますか」
「遅い方が斬られます」
俺の疑問に神父様はすぐに例をだして聞き返してくる。
うん。分かりやすいな。
要は剣を抜く速度が攻撃の初速に関わるという事か。
「そしてこれは不意をつかれた場合でも重要なことです。予期せぬ攻撃に対して少しでも早く対応する。まあ状況によっては応戦などせずさっさと退いた方がいいでしょうが」
「神父様結構あっさり逃げる時は逃げろって言いますよね」
「この場合の退くというのは距離をとって態勢と整えるということです。でもまあ逃げられるなら逃げた方がいいですし、しかしそうもいかない事もあるでしょう。逃げ場がなかったり、後ろに護衛対象がいたりと退くに退けない場面は存在します」
そう言うと、神父様は左手に携えていた剣の柄を右手でポンと軽く叩いて見せる。
「余程腕に差がない限り、戦いなど不意をつかれた時点で負けも同然です。しかし、ならば、腕があれば多少の不利はひっくり返せます。というわけで今日はみっちり抜刀の練習をしましょう」
「げぇ!?」
それつまらないのにすっごいきついやつじゃん。
だがまあ。神父様の教え方が上手いのか、途中からなめらかに剣を抜けるのが楽しくなり、その日の訓練は充実したものだった。
そうやって、俺は地味な訓練を繰り返し剣の扱いというものを覚えていったのだ。
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「だあっ!?」
水面から飛び出してきた何か。
それが引きずり込まれた男ではないと分かった時には、俺はほとんど無意識に左手で鞘を固定し、右手で剣を抜き放っていた。
「ぎぃいい!」
そして抜いた勢いのままに正面の何か目がけて振り上げる。
すると逆袈裟に斬り裂かれたそれは、金属がこすれるみたいな悲鳴をあげてその場に崩れ落ちた。
同時に広がるのは血の臭いと、魚が腐ったみたいな不快な臭い。
先ほどから漂い始めた汚泥のような臭いと合わせて、折角食った夕飯を戻しそうなほど気分が悪くなる。
「……少年。水辺から離れろ」
「お、おう」
咄嗟に応戦こそできたもののまだ頭が働いてなかったのか、カムナに言われてようやく水辺は危ないと認識して後退る。
同時に、距離をとることで自分が切り捨てたものの姿の全体像が嫌でも目に入った。
「何だこれ……? 人間……じゃないよな?」
体を半ば二つに割られ転がっていたのは、人型ではあるけれど、全身が苔みたいな緑色の体毛で覆われた異形だった。
多分魔物なんだろうが……こんなもん神父様のところにある図鑑でも見たことないぞ。
「フーハン……だろうか。恐らくだけどね」
「フーハン?」
「凶悪な水霊の類だよ。民間伝承でも特徴がバラバラだから、水辺に潜む魔物の総称ではないかとも言われてるけどね」
「何でそんなもんが街中に居るんだよ」
そう言いながら川になった道の方を見れば、パシャリと何かが跳ねる音がした。
もしかしなくてもまだ居るなコレは。
だがいつの間にか日が完全に落ちた今では水の中はろくに見えないし、見ようと思って近付いたら引きずり込まれるだろう。
しかし凶悪な水霊ね。
おっさんが首をネジみたいに回された、悪意しか見えない殺され方をしたのも納得だ。
多分そのフーハンとやらの目的は捕食の類ではなく、単に人間を殺したいだけなんだろう。
先ほど引きずり込まれた男も既に死んでるに違いない。
「フーハンは特徴の一つとして光を嫌うというものがある。夜になったから出て来たのか……。明け方と夕方という日がある内だけ水を流していた。……まさか元々居たのか?」
「ええ……。なら夕方はやめるだろ。うっかり延長したらヤバいじゃん」
「今正にうっかり延長してるわけだけど」
「いやそりゃそうだけど」
うっかりで死人出てるぞオイ。
というかコレ急いで知らせないとヤバくないか。
「少年。水の中でやつらと戦えるかい?」
「無茶言うなよ。さっきのはあっちが勝手に間合いに入ってきたから斬れたんだし」
一々水の中から飛び出して来てくれるなら斬り放題だろうが、水の中に潜んだままなら斬れないし、足でもとられたらあっさり終わるだろう。
それに前も神父様が言っていた通り、剣術というものは基本腰から下の攻撃というのは想定してない。
というか想定してても対処し辛いんだよ足元からの攻撃というのは。
正道無視した剣士はそこを考えてむしろ足元とか狙ってくるらしいが。
「おまえこそあの音楽の魔法はどうなんだ?」
「水の中の相手に効くとは思えないね」
ああ。やっぱアレ物理的に聞こえてないと効果無いのか。
無差別のようでいて結構制限あるのかね。
「しかしさっきから動揺誘うみたいにパシャパシャパシャパシャと。これ絶対数匹そこらじゃないだろ」
「ある程度戦えたとしても、下手に踏み込めば数で押される……か」
先ほどから話している間にも、道の方から何度も水が跳ねる音が聞こえてくる。
時にはいくつも同時に。
中どうなってんだろうなあ。
こんな苔まみれの人型が何匹も泳いでんのか。
「水がある限り逃げ道はなし。とりあえず中の人間に知らせよう。パニックにならないといいけどね」
「えー。信じるかこんなこと」
「証拠があるんだから嫌でも信じるだろうさ」
そう言っておっさんの死体とフーハンの死体を交互に見るカムナ。
確かにこれ見たら嫌でも信じるわ。
「しかし意外に冷静だね少年。腕の割には過保護に育てられたようだから、もう少し動揺するかと思っていたのだけど」
「あー。流石にそこまで世間知らずじゃねえよ」
そう。知ってはいたんだよ。
俺の村では滅多になかったけど、世の中では魔物がそこらの獣より多くて、国が軍をあげて間引きにかかり、それでもなお人に被害が出てるって。
だからこうやって人が魔物に殺されることも多いんだって、神父様によく聞かされた。
「……」
そう知ってはいたんだ。
だけどもしかすれば俺は助けられたんじゃないかって。
いやそんなことを思うのはおこがましくて、それどころか油断すれば俺もああなっていたかもしれなくて。
「……そういうのは終わってから考えろ。ですよね神父様」
そんな後悔と恐怖に蓋をして、俺はカムナの後に続いて酒場へと戻った。
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ちょっとメタな説明
※フーハン。あるいはフーア
スコットランドなどに伝わる水に関連する妖精や精霊の総称。
フーアは憎悪を意味し、フーハンはその複数形。
フーハンの民間伝承は多いが、その特徴などは多岐に渡り、必ずしも水に関連する存在ではないという説もある。
作中に出て来たものはフーアの中でもピアレイと呼ばれる存在であり、水辺に潜み通りがかりの旅人に襲いかかるとされる。
またその名は「毛深いもの」を意味し全身が毛むくじゃらであるとされるが、下半身が獣とされる場合もある。




