何か流されてきた
旅は順調に進んだ。
進んだのだが。
今現在ちょっとした問題が起きている。
「……腹減った」
きゅるると自分でも驚くくらい可愛らしく鳴いた腹を、無駄だと分かっていても多少はマシになるのではないかと撫でてみる。
当然そんなもので腹の虫の癇癪がおさまるはずもなく、またしてもぎゅるると今度は少し機嫌が悪そうな音が鳴る。
大変だ。俺の腹がお怒りだ。
「カムナー」
「そんな情けない声を出しても、食事はこの先にある川についてからだよ」
前を歩く少女の名を呼んでは見たが、その対応はそっけない。
しかしただ呆れているわけでもないらしく、一度顔だけ振り向くと、人差し指を立てて出来の悪い生徒を叱るみたいに話し始める。
「いいかい。今私たちの手元にある主な食料は、豆と干物に塩漬け肉だ。この中で何が一番手間がかかるかと言えば塩漬け肉。塩っ辛くて大量の水で処理しないと食べられたものじゃない」
「知ってる」
何せ干物と同じ感覚で齧ってみたら、あまりのしょっぱさに勢いよく水を飲む羽目になったし。
「そしてもうすぐその大量の水が手に入る川につくんだ。なら私たちにとって最善の行動が何かは分かるね?」
「そりゃ分かるけど」
要は食べるのにも手間がかかる塩漬け肉を、この機会に優先的に消費したいんだろう。
それは分かる。
分かるけどそれで減った腹が満たされるわけでもない。
「……はあ」
「何だむぐぅ!?」
ため息をついたと思ったら、突然振り返り何かを俺の口につっこんでくるカムナ。
思わず噛みついた口内に、塩とハーブの風味が広がる。
「それでも齧ってるといい。よく噛めば口寂しさも紛れるだろう」
「むぐ」
改めて見てみれば、つっこまれたのはカラカラに乾いて固い干し肉。
噛めば噛むほど肉の味が唾液と混じりながら口の中に広がり美味い。
「おお。サンキューカムナ」
「今回だけだよ」
そういうカムナだが、何かまた同じことがあったら同じことやりそうな気がする。
いい性格をした女だと思ってたが、案外いい奴なのかもしれない。
そう思う時点で俺もチョロいんだろうけど。
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・
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その後は特に問題なくカムナの言う川に辿り着いた。
時折こちらを窺うようにハルピュイアが飛んでくるものの、それらはカムナの吟詠魔術によって追い払えるし俺の出る幕はない。
途中レパートリーが尽きたのか、カムナがいきなり「私は王様になりたいんだ。異教徒どもを根絶やしだ」とか歌い出したのはビビったが。
何そのヤバい歌。街中で歌ったら反逆罪でしょっぴかれないの。
「貴族というのは芸に対しては案外と大らかだよ。宮廷道化師なんて、おどけたふりして芸の範疇だという建前を崩さなければ、王に対して風刺や批判をすることも許されるくらいだしね。まあもちろんやりすぎれば首が飛ぶけれど」
「へえー」
そう言いながら水を張った鍋を置くと、手刀で首を切るふりをするカムナ。
多分その首が飛ぶって物理的な意味なんだろうなあ。
「それにさっきの歌なら私が歌う分には自虐ととられるよ。何せこの大陸で異教徒と言えば私たちのことだからね」
「え? そうなのか?」
この大陸では一般的に、神父様も所属する教会の奉る女神を信仰しているらしい。
らしいというか、それ以外に信仰されてる神様とか知らないんだが。居たのか異教徒。
「私たちみたいな黒髪黒目の黒の民は太陽神を信仰しているんだ。この大陸では他には見ないけど、北大陸では一般的な信仰らしいよ」
「え? じゃあ神父様は?」
「その辺りは私たちの間でも評価が分かれてるね。太陽神を捨てて女神教会に擦り寄ったと。でも私たちの扱いがマシになったのも神父のおかげだと感謝してる人間も多い。何せこの大陸では打ち捨てられた棄民も同然だからね」
そういやヴィオラも、神父様みたいな黒い人たちは本来北大陸の人間だと言ってたな。
じゃあこの大陸では自分たちの国というものもないんだろうか。
カムナが吟遊詩人なんてやってるのも、もしかしてそこが理由か。
「そんなに扱いが悪いなら、何で北大陸に戻らないんだ?」
「そりゃ無謀だからさ。北大陸との間にももう一つ丸々大陸があるんだよ。それでも見たこともない故郷を目指して旅立った同胞はいるけれど、ちゃんと辿り着けた人間なんてどれだけいるのやら」
なるほど。山一つに帰郷を阻まれて右往左往してる俺からすれば、無謀どころか自殺行為としか思えない距離がありそうだ。
それでも知らない大陸を旅するなんて面白そうだけどなあ。
「そう思うのは少年が若いからだろう」
「おまえ俺と歳大差ないのに何でそんなに精神老けてるの?」
「女性の歳について言及するとはいい度胸だ。罰として水を汲んできてくれ。差し水の分を忘れていた」
「はいよ」
予備の小さな鍋を渡され、川の方へと足を運ぶ。
それにしても川の周りなせいか、ちらほらとだが草が生えてるのを見かけるようになってきたな。
もう少し行けば荒野ではなくなるのだろうか。
そう思いながら周囲を見渡していたのだが。
「……は?」
なんかどんぶらこどんぶらこと川の上流から流れて来た。
いや流れて来たというか流されてきたというか、恐らく成人男性と思われるガタイの良さそうな男が、水面に顔をつけた状態で流されてる。
ちょっと気泡が出てくから死体ではないっぽい。
でもこのままなら死ぬのは確実なわけで。
「ちょ!? カムナ! カムナー!?」
慌てて川の中に飛び込みその体をひっ掴まえたが、俺より体でかいし足場は不安定だしでそのまま一緒に流されそうになる。
そのため情けないがカムナに救助要請。
死ぬよりはマシだ。
「どうした少ね……。良い子だから元の場所に返してきなさい」
「鬼かおまえ!?」
しかし俺の声を聞いてやってきたカムナはこの対応である。
元の場所って川にリリースしろってか。死ぬだろ間違いなく。
「まあ次の街も近いしリリースするならそこでも構わないが」
「おまえどんだけ捨てたいの」
そうして何とかやる気のないカムナに手伝ってもらい、男を川から引き揚げられた。
ちょっとこの女に俺の安否委ねても大丈夫かなと不安になった。




