着の身着のまま旅に出られるわけがない
町や村に近ければ何とかなる。
そう思っていた時点で俺は世間知らずだったのだと思い知らされた。
「……金がない」
見知らぬ街。人通りもまばらな広場の噴水の縁に座り、俺は財布代わりの革袋の中に入った数枚の銅貨を数えながらどうしたものかと考えていた。
そう。銅貨が数枚しかない。
これがどれくらいヤバいかというと、宿をとろうと思ったら安宿でも銅貨10枚はいくし、食事も一食で銅貨2枚はする。
寝床どころか明日の食事も怪しいぞ。どうしてこうなった。
いや俺も最初は喜んだんだよ。
あの地獄とやらから神父様に飛ばされて、最初に目に入ったのは城壁に囲まれた大きな街。
生憎と俺が唯一知っている街のシュヴァーンではなかったが、それでも人里離れた場所に飛ばされるよりはマシだと思った。
しかし俺は知らなかった。
街で生きていくのには金が要るのだと。
村だと大体が自給自足だったからなあ。
かといって同じように野草だの獣だのとろうにも、周りは禿げ山ばっかりだし、そうなると当然動物もいない。
なら後は働くしかないのだが。
「雇ってくれるとこがないんだよなあ」
何せ俺は村以外での生活を知らない子供だ。
特殊技能なんてないし、商売のやり方も分からない。
幸い雑貨屋をやってる婆ちゃんに気に入られて店番や力仕事を引き受けてお駄賃はもらえているが、本当にガキの小遣い程度の額だ。
何とか生きてはいけるが、ここを出ていくための旅費すら貯まらない。
「旅費が貯まってもどこ行けばいいのか分かんねえし」
というか現在位置が分からない。
人に聞いてもまともに答えないか、答えてくれても街の外の地理なんてさっぱり知らないときた。
辛うじて分かったのはこの街の名前はアセロで、この国は内戦中だということ。
ついでに内戦中らしいのにこの街には戦の影がないので、国の中心からは離れていると思われる。
つまり下手な方向に行ったら戦に巻き込まれる。
「どうすりゃいいんだよ」
金がない。情報も集まらない。
せめて俺が生きてることだけでも村のみんなに伝えたいが、そんな手段もない。
というか俺死んだと思われてないだろうな。
どうしよう。いざ帰った時に俺の葬式とかやってたら。
そうやってどうしたもんかと悩んでいると、同じ噴水の少し離れた縁に誰かが腰かけ、何やら不思議な動きをしているのが見える。
「……吟遊詩人?」
その人はどうやら手に持った洋ナシみたいな形の弦楽器の調律をしていたらしく、確かめるように「ジャンジャン」と軽い音を何度かならす。
それを見ていた俺に気付いたのか、吟遊詩人がこちらへと向き直り、長い黒髪に隠れていた顔が目に入る。
「え?」
黒かった。
髪だけじゃない。誰かさんを彷彿とさせる黒い肌に、夜の闇のような瞳。
でも神父様じゃない。
あの人もたまに男か女か分からなくなる中性的な人だが、目の前の吟遊詩人は間違いなく女だ。
顔立ちにはまだ幼さも残っていて、歳は俺とそう変わらないように見える。
呆気に取られている俺を見て少女は何を思ったのか、ふっと息をつくように笑うと視線を戻し「ジャジャン」と一際大きく手元の弦楽器をかき鳴らした。
「さあ、これより語るは赤き王国に伝わる物語。かの白騎士が赤の王女に仕えることとなるまでの、王国の落日と始まりの物語!」
予想はしていたが何か始まった。
弦を擦ったようによく伸びて通る少女の声に引き寄せられ、通りがかった人たちが足を止め、人影もまばらだった広場に群衆が生まれ始める。
「ええ……」
結果。近くに座っていた俺も群衆に囲まれ逃げ損ねる。
まあいいか。特等席みたいなもんだし。
それに白騎士に赤の王国。
つまりは俺の国の物語じゃん。
何か情報が得られるかもしれない。
そう思い俺は吟遊詩人の少女が唄い始めた物語に耳を傾けた。
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その歌はどこかで聞いたことがあるもので、要約するとよくある英雄譚だった。
かつて賢王と称えられた王が居た。
しかし王は晩年狂王と化し、自ら頼みとし特例で平民から騎士の身分に取り立てた、自身の腹心とも言える白騎士を罷免し追放してしまう。
しばし表舞台から姿を消す白騎士。
彼が再び姿を現わせたのは戦場。
王女が狂王を正さんと兵を挙げたのに呼応するように参上し、単身王の待つ城へと乗り込んでいく。
義のためにかつての主へ剣を向ける白騎士。
しかし王は狂ってなどいなかった。
元凶であり王を操っていたのは魔王。
姿を現した魔王はその圧倒的な力で白騎士を翻弄するが、白騎士は仲間である黒き神官の助力により何とか魔王を撃退することに成功する。
しかしそれは始まりでしかなかった。
戦いの余波で崩れ落ちる城の中で白騎士は魔王打倒を決意する。
これこそが赤き王国全土を巻き込んだ継承戦争の終わりであり、大陸全土を巻き込む魔王との戦い――同盟戦争の始まりである。
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「さて、此度はこれにてお仕舞いとしましょう。ご清聴ありがとうございました」
「もう終わりか!」
「これからがいいところじゃねえか!」
「はいはい。続きが気になるのなら、明日も唄うかもしれないからまた来ておくれ」
群衆の中からガラの悪い男の文句の声が響くが、吟遊詩人は慣れているのか笑顔でそう返すとさっさと楽器を片付け始めてしまう。
そうなるとここに居ても仕方ないと、群衆たちもおひねりを投げて案外と大人しく去っていく。
「……今の話シュヴァーンだよな?」
一方俺は気になることがありそこから動けなかった。
魔王に襲われて崩れ落ちた城。
ロイスさんに説明されたシュヴァーンの廃城に合致する。
この吟遊詩人はシュヴァーンの場所を知っているのだろうか。
いや物語として知ってるだけだろうし、そこまでは知らないか?
しかし吟遊詩人なら様々な場所を旅しているはず。
そこらの町人に聞くよりはよっぽど有益な情報を持っているかもしれない。
そう思い俺が話す機会を伺っているのに気付いたのか、不意に吟遊詩人が振り返り、何やら笑みを浮かべて口を開く。
「そこの坊や。おひねりを拾うのを手伝ってくれないか」
「誰が坊やだ」
楽器入れらしき箱がおひねり入れの代わりらしいが、群衆の投げたそれはあらぬ方向にも飛び、あたり一帯に散らばっている。
それを拾うのを手伝ってくれないかと、俺を坊や呼びする吟遊詩人だが、アンタ俺とそう歳変わらないだろ。
そんな俺の言葉に吟遊詩人は呆れたように肩をすくめると、何が面白いのかニヤニヤと笑いながら歌うように言葉を紡ぎ出してくる。
「しかし私はこの通り一応は一人前の身でね。君はまだ未成年のように見えるが」
「いやそりゃそうだけど」
一人前。
つまりは十五歳以上なんだろうこの吟遊詩人の少女は。
でもやっぱりせいぜい十六前後だろ見た目からして。
「手伝ってくれるなら駄賃ははずむよ坊や」
「任せろ!」
色々言い訳して子ども扱いは気に食わないと主張していたが、お金をくれるというのでここは素直に手伝っておく。
プライド?
プライドじゃ飯は食えないって神父様が言ってた。
「うん。こちらは銅貨が58枚と。坊やはどれくらい拾ってくれたかな」
「坊やじゃねえ。43枚あったぞ。全部で101枚って、吟遊詩人って結構儲かるんだな」
「……」
自分の所持金と比べみじめな思いをしながら、片手では持つのが難しいほどの量の銅貨を渡すと、何故か一瞬動きを止める吟遊詩人。
なんだよ。
数ごまかしてくすねたりはしてないぞ。
「ふむ。今の宿が銅貨で12枚だから10日は泊まれるかな」
「いや無理だろ。8日泊ったら宿代96で残り5枚になるだろ」
「……へえ」
「はい?」
なんだそのガバガバ計算と思いながら訂正したら、吟遊詩人の笑みが先ほどまでとは違うものへと変わっていく。
何というか、面白いおもちゃを見つけた子供のそれみたいな。
「ちょっとお話を聞かせてもらえるかな坊や。そこらで食事でもしながらね」
「何で!?」
俺に確認しているようで有無を言わせる気がねえ。
吟遊詩人のくせに万力みたいな力で俺の腕を掴んで離す気配がない。
「いや……まあ願ったりかなったりか?」
俺も聞きたいことがあったし丁度いいのか。
そう考えなおしながら、俺は吟遊詩人の少女に引きずられるように酒場に連れ込まれた。