9 共闘
幸いにも俺は周囲の木々や、その根などで頭や体を打たずに済んだ。
そして、自分がひっくり返っていると理解した俺は、慌てて周囲を確認する。
いた。
見れば胸から短い槍を生やしたウサギが、ふらつきながらも、たって俺を観察していた。
俺の攻撃で、槍がウサギの胸を貫通したのだろうか。
俺は身を起こそうと体を捻る。
何か硬いものが触れた感触があった。
見れば、それは少し短くなって穂先を失った槍だった。
貫通したのではなく、槍が深くつきこまれる前に、処理されたようだ。
おそらくは、首の動きで耳を振り回し、その力で胸に刺さった槍を切り落としたのだろう。そして、その直後に俺に向かって何かの攻撃を仕掛けてきたと思われる。
ウサギは俺を睨みながら、胸に生えた槍を前足で引き抜いた。
「マジか、器用なやつだな」
そして、再び小さく跳ね、体を小刻みに揺らす。
左右の足の前後を素早く入れ替えて、構えも瞬時に左右入れ替わる。
時折、ウサギの膝が跳ねる。
その動きは、まるで何かの格闘術かのようだ。
左目と胸の傷から血を流し、それがウサギの白い体毛を赤く染めていくが、それでもウサギは、飛び跳ね体をゆすり俺を威嚇する。
「耳だけでもとんでもねえのに、格闘技までやるとは、おっそろしいウサギだな。やっぱり魔物なのか」
ウサギが俺に向かって、走りこんでくるが、先程までの動きに比べれば、大した速度ではない。
攻撃は耳か、それとも……。
ウサギの顔が俺の目前に迫る。
耳を除いたウサギの身長は、それほど高くない。なのにウサギの顔が高所にあるという事は、ウサギが俺のすぐ前で飛び上がっていたという事。
耳攻撃?
とっさに頭を下げた俺の顔面に白いものが迫る。
「しま、ぶべらっ」
ウサギの飛び膝蹴りが、俺の顔面に突き刺さり、俺は吹き飛ばされて再び転がされた。
痛い、痛い、痛い、顔面が猛烈に痛い。
その上、鼻が潰れたのか、うまく呼吸できない。
口のなかも切れたらしく、血の味が広がっていく。
「ぶべっ、ひょがぁぁ、あぁあぶ」
俺は口の中に広がる液体を吐き捨て、口から荒く息を吸い込んだ。
そして、どうにか身を捩り、ウサギを探す。
涙で、ぼやけた視界の中、何かが動く。
はっきり確認できなかったが、それでも体は無意識に動いた。
とっさの行動という奴だろう。
俺は迫る物体に向かって、石斧を薙いだ
だが素人の攻撃が、そう都合よくあたるわけもなく、俺は石斧を空振りして転び、ウサギらしき白い影も視界から消えた。
そして、俺の腹を衝撃が襲う。
「ぐあ」
靴の様な硬さはないが、それでも強烈な蹴りが俺の腹にあたり、俺は三度吹き飛ばされた。
鼻がつぶれたせいで、呼吸がままならない。
裸で転がされたせいで、身体中に切り傷ができ痛みがはしる。
満身創痍。
俺は身動きすらできなくなり、自分の死を予感した。
だが、そこでウサギの攻撃が止まった。
ウサギは俺が動けないと判断したのか、俺に構わず先程の野菜を食べ始めた。
俺は唖然としながら、その様子を眺める。
…………。
まさか餌が盗られると思って攻撃された?
理由はわからないが、ウサギの注意がそれたので、俺は急いで包帯を巻く。
鼻と口を包帯で巻くと、多少呼吸が楽になった。
結局ウサギは、腹が減っていただけなのだろうか?
観察していた俺の前で、急にウサギが立ち上がり耳を広げた。
何というか、その姿から物凄い怒りが伝わってくる。
すんません。包帯巻きましたけど、ほんの少し回復しただけです。
もう戦えないので、見逃してください。
あ~短い異世界生活だった。
そんな風に考えていた俺だったが、しかし、ウサギの顔は俺に向けられてはいなかった。
ウサギが見つめる先は、暗い森の先。
やがて森の中から、嫌な気配が伝わってきた。
おかしいなあ、俺には霊感なんてなかったはずなのに、ウサギの怒りとか嫌な気配とか、見えないものが感じられるなんて、俺は異世界で新型人類に目覚めたのかな。
そうやって、俺とウサギが凝視する中、森の中から裸の人間が現れた。
いや、人間といっても体の各パーツの数が同じなので、そう見えただけで人ではない生き物だろう。その生き物は、足に比べて手が長く体形的には、人というより猿に近いだろうか。
だが、目は蛇か魚の様に眼球が丸見えになっているし、見る限りその体には体毛らしきものが見当たらず、灰色の体を晒していた。
ちなみに股間には、何もぶら下がっていないように見える。
俺は理解した。
おそらくは、この異様な生物が魔物だ。
魔物は口元からよだれを垂れ流しながら、ゆっくりと近づいてくる。
それに対して、ウサギが全身の毛を逆立てて身構える。
ウサギが動物か魔物か、未だ判断つかないが、この魔物は間違いなく、俺にとってもウサギにとっても敵のようだ。
俺はゆっくり身を起こすが、動き回ることは無理そうだ。
俺は弓を取り出して、いつでも射られるよう心掛ける。
まだ魔物に向かって構えはしない。
だって、敵対行動とみなされて襲われたら、確実にやられるから。
それに、幸いにもウサギが戦う気のようだから、上手くすれば共倒れしてくれるかもしれないし、隙をついて魔物を射ることができるかもしれない。
希望的観測ってやつだとはわかっているけど、ウサギが頑張ってくれれば、望みがあると思う。
ウサギが俺を見る。
ウサギが俺の様子に何を思ったかわからないが、特に俺を警戒するわけでもなく、すぐに視線を魔物へと戻す。
そして、例の小刻みに体を動かす動作で、臨戦態勢に入って魔物と対峙する。
「うさ!」
ウサギは一声上げて駆けだし、魔物との距離を一気に詰めて肉薄する。
対して、魔物もまた距離をつめる。
魔物の長い腕が振るわれ、ウサギを薙ぎ払おうとするが、ウサギは跳躍してそれをかわすと、魔物の顔面目掛けて連続踏みつけキックを放つ。
ダダダダダダダ
ウサギが魔物を踏みつける音が、連続して響く。
顔面上で高速の蹴りを繰り出しているようだが、あまりの速さにウサギの足の残像が何本も見えた。
それを見た俺は思わず『漫画かよ!』と叫びかけて、慌てて言葉を飲み込む。
いけないいけない、無駄に声をあげて、魔物のタゲを取ってしまったら大変だ。
悲しいけど俺、戦力外なのよね。
情けないが、今はウサギに頑張ってもらって、俺がタゲを取ることなく、魔物の隙をついて、あわよくば仕留めたい。
だが、負傷して血を流し過ぎたのか、次第にウサギの動きが悪くなっていく。
長引くと、ウサギがやられて、俺が一人であの魔物と戦うことになりかねない。
俺は、石を手に握る。
「ウサギ」
小声で一声かけて、俺は昨夜仕掛けた落とし穴の一つに向けて、石を放る。
ウサギがピクリと耳を動かして、俺の方に視線を向けてきた気がした。
魔物の方は特に反応を示さない。
俺を脅威とは見ていないのだろう。
実にありがたい。
周囲には、既に作動済みの落とし穴があるので、それを理解することができれば、ウサギは俺の意図に気が付いてくれるだろう。
ウサギ相手に何をやっているのかと、思わなくもないが、しかし、俺の思惑を理解できる程度には、あのウサギが賢い気がしたのだ。
幸いにして、ウサギは俺の思惑通り、徐々に戦いの場を移しながら、俺の仕掛けた落とし穴へと近づいてきた。
魔物がウサギに攻撃を仕掛る。
ウサギはそれを避けようとするが、よろけてしまい魔物の一撃を受ける。
魔物の攻撃を受けたウサギは、一旦下がって距離を取るように移動する。
その先には落とし穴。
魔物が追撃をかけるようにウサギに迫り、ウサギが慌てて逃げにかかるが、この動きはフェイクだ。
ウサギは落とし穴を飛び越え、そこで再び身構える。
魔物は構わず突っ込んでくる。
かかった。
そう思った瞬間、魔物は長い腕で地面を突き、落とし穴どころかウサギすら飛び越えると、向き直って背後からウサギに襲いかかる。
が。
ズボチャン
そんな音を立てて魔物の片足が、俺の掘った小さな穴、つまりは水たまりにはまった。
片足が完全に穴にはまった魔物は、勢い余って倒れこみ体を地面に打ち付ける。
それでも、慌てて顔をあげてウサギを確認しようとした。
ここだ!
俺は、弾かれたように弓を構えて、魔物に向けて矢を射た。
「ギャアアアアアア」
それは、狙い違わず魔物の大きな眼球を貫き、魔物の叫び声を森に響かせた。
魔物が俺を睨みつける。
眼球を射抜いた俺へと、強い怒りと殺意が向けられてくるが、それは、ウサギへ注意が疎かになった瞬間であり、決定的な隙となった。
ザシュン
直後そんな音を立てて、ウサギの耳が魔物の首を跳ね飛ばした。
「た、助かった」
俺の漏らしたつぶやきを、ウサギの耳が拾い、ウサギが俺へと顔を向けるが、その雰囲気は穏やかなものに感じられた。
俺は野菜の缶詰を取り出すと、ゆっくりとした動作で木の器に野菜を盛り、ウサギへと向き直る。
ウサギへの警戒もあるが、それ以上に体がふらつくので、ゆっくりと移動する。
「助かった。食ってくれ」
もしウサギが逃げていれば、俺はどうすることもできずに、あの魔物によって殺された。
成り行きとは言え、ウサギのおかげで生き延びたようなものだから、礼の気持ちを込めて野菜を提供させてもらった。
そして俺は、小屋へと入り寝台に倒れこんだ。
それから、どれほど経ったのだろう。
俺が寝ていると、何者かに肩を叩かれた気がした。
本来この異世界で、俺を起こす存在など居ないのだが、連日の戦闘で疲弊した寝起きの俺は、本当に思考力がなかったのだろう。
寝ぼけた俺の目前に、突き出されたそれを見て、俺は缶詰めを取り出し乗せた。
おそらく『ああ、餌がないのか』と思ったのだろう。
昔飼っていた猫も、寝ていると良く起こしに来たので、その時と同じ反応をしたのかもしれない。
そうして、木の器に缶詰をのせ、そして再び意識を手放した。
「…………ん~? ………………あれ、何か変なことがあったような?」
眠りから覚めた俺は、何か妙な引っ掛かりを覚えて、寝る前の事を思い出し考える。
酷く衝撃的で、濃い体験だったけど異常な事は…いや、異常といえば全てが異常だけど、そうではなく…。
考えこむ俺の目に、粗末な木製家具と白と赤黒の二色の塊がうつる。
「う、ウサギ!何故俺の寝台で寝ている?!」
よくよくあたりを見渡せば、俺は床で寝ころび寝台はウサギに占領されていた。
「……うさ?」
「うさじゃねえ、ウサギ、何でここにいる?」
ウサギはしばし俺を見つめ、首をかしげる。
あ、こいつも寝ぼけているな。
「…! うさ」
そして、ウサギは何かに気が付いたように叫び、自分の前に木の器をおいて、寝台をタシタシ叩く。
木の皿には、缶詰がのっていた。
未開封のまま…だけど、ちょっと缶に歯形が付いて、汁が浮いていた。
そして、ウサギは缶のパッケージを俺に見せ、タシタシ缶詰を叩く。
その缶には、非常に肉肉しい絵が描かれていた。
「あ~すまん。寝ぼけていたから確認しなかった。わかった、違うのを出すから許せ」
そして俺は別の器を用意して、野菜を盛りつけてウサギに出してやる。
肉は…もったいないから食うか。
ウサギが齧った缶だというのはちょっと気になるけど、捨てられるほど余裕はないからな。
「つーか、お前よく食べるな。燃費悪すぎじゃないか?」
確かに草食動物には凄く食うやつもいるが、この調子で食われたら俺の飯が無くなる。
というか、俺は何でこいつにそこまでしているのだろうか?
でも何故か食わせることに、抵抗を感じないのだよな。
命の恩人補正か?
マルス大陸生物図鑑:ボールドエイプ
かつて混沌の種から生まれたとされる邪なモノの一種。
強靭な指と爪を持ち、人や動物を引き裂くのが趣味という魔物。
雄のみ存在するが、通常は生殖器を体内に収容している。
体毛はなく、体色は灰色をしており、一見瞼がなく眼球が露出して居るように見えるが、これは露出して居るのではなく、透明な膜に覆われているからで、地球の地上生物では、蛇の瞼が最も近いだろう。
それなりに知能は高いが、野生動物にはない加虐趣味を持つため、食欲に関係なく生物を見れば襲わずにはいられないという、非常に危険な魔物。
なお、肉は食用に適さない。