8 油断
開けて翌朝早朝。
全身が臭い。
昨夜返り血やら汚物やらを、浴びた服のまま寝てしまったのだから、そりゃそうだよな。
とは言え、着の身着のままこの異世界に来てしまった俺は、替えの服など持っていないし、川などの水辺の場所も知らないので、汚れて臭い服を洗うこともできずにいる。
「ま、上着とズボンは脱いでおくか。着ていたからといって、防御力は大差ないし」
クラフトで服を作ることもできるが、例によって素材がないので作れない。
あるいは、新しく新鮮なゾンビが居たら、捕縛して服をはぎ取れないだろうか。
戦国時代などは、合戦の後死体を晒したままになった雑兵などは、近くに住む農民が埋葬し、その報酬として衣類をはぎ取っていったという。
俺も、それを真似れば服を手に入れられるわけだ。
代わりに何か大事なものを失う気もするが、それもある意味等価交換だろう。
「さて、朝露集めだが……こう汚いと…仕方がないか」
俺はシャツと下着を脱いで、それぞれ足の膝下に巻く。
ふっ、BPを背負ったトランクスに謎の足布という変態が、完成しました。
「……何かを得るには何かを失う必要がある、生きていくには妥協も必要だ」
俺は、そうつぶやいて、草むらを歩いてまわる。
朝露に濡れた草から水分が染みこみ、足に巻いた服にしみこんでいく。
「結構重くなってきたから、そろそろいいかな?」
俺はシャツと下着を足から外して、シャツで両足をぬぐい、そのまま体と腕を拭く。
朝露に濡れたシャツで、体についた汚れを拭きとり、さらに下着でぬぐう。
汚くはない、そのまま放置するよりは汚くないさ。
そしてついでにパンツにも朝露を吸わせて、揉んで絞って近くの木に干した。
そうして体を清めた?後、改めて両足にタオルっぽい布を巻いて、草むらを歩き回る。
「結局タオルは使うことになったか。まあそれでも水は必要だからな」
俺はBPを背負い脛布を巻いた姿で、周囲の草むらの中を歩き回り、再び水を集めて戻る。
両足から外した布は、シャツよりも多くの水分を蓄えているようだ。
俺はそれを昨日作った浄水器の上に持っていくが。
「あ、折角だから浄水器に入れる前に、鍋で沸騰させてからの方がいいかな。その方が浄水器も汚れないし」
雑菌や虫の卵など付着していれば、浄水器が汚れの温床になってしまうので、俺は水を沸騰させ手から浄水器に入れることにした。
「えーと、クラフト 木の器」
丸太で木製の器を作る。
平らな皿ではなく、ふちが少し立ち上がっているので、汁物でも入れられそうだ。
「昨夜手に入れた缶詰めのうち、適当なのをこれに移して、この空き缶で鍋を作ろう。何にしようかな」
過日の戦いで加熱されていたものは既に食べ終わり、その缶が浄水器になった。そのため、湯を沸かすための鍋は、新たに缶を用意する必要がある。そして、今から開ける缶は健太郎との戦いののちに新たに得た分だ。
「肉が続いたから、野菜系があればいいんだけど、そんなのあるかな」
俺は缶詰めのラベルを確認しながら、二つの缶を選んだ。
絵の見た目は、片方が緑色の棒で、もう片方は黄色い奴で表面が、ぼこぼこしている。
「俺の想像では瓜系ピクルスとベビーコーンだと思うんだよな」
俺は缶を開ける。
どういう訳かフルオープン蓋なので缶切りは、いらない。
「さて、少しだけ味見してみるか」
先ずは緑色の野菜から。
コリ ボリボリボリ
「うん、ほぼキュウリだねこれは。でも酢漬けではなく、ただの水煮だ。程よい水分が体に染みるねえ。あ、そうか。酢だと缶が痛みやすいから水煮なのかな」
そして黄色い方はというと。
「うんおいしい。見た目はベビーコーンだけど、味は茹でたアスパラガスだ。マヨが欲しくなるなあ」
どちらも野菜で、味も混ざるようなものではないから、一つの皿に盛っておこう。
「そして、クラフト 鍋」
ペカーっと空き缶が光って、吊り下げ式の小さな鍋ができた。
俺は鍋の上で布を絞った。
ぴちゃ ぴちゃ ぴちゃ
布から透明な水がしたたり落ちる。
「おお、結構きれいな水なんじゃねえのこれ。これなら沸騰させればそのまま飲めるか?」
俺は続けて草むらを歩きまわり、鍋に注いでいく。
そして何度目かに戻ると。
かたかた ぺちゃぺちゃ ボリボリボリ
俺が作業していたところから、物音が聞こえてきた。
浮かれていた俺の頭が一気に冷える。
ゾンビかそれとも魔物か。
普通の動物だったら飯にできるだろうか。
俺は物音を立てないように静かに近づく。
木陰からそっと覗き見ると、何やら白い生き物がいる。
あの場所は……あ、俺がさっき野菜を盛った皿を置いた場所か。
失敗した。
直ぐにBPに入れておけばよかった。
けど、野菜を食べているって事は動物か?
白い動物ってなんだろう?
あれは毛の色か?
犬や猫にも白いのが居るしなあ。
大きさは、中型犬位か?
せめて尻と背中ではなく、頭が見えていれば違ったのだろうけど、俺の位置から見ると、ただの白い小山でしかない。
俺は白い生き物を観察するうちに、徐々に前のめりになっていった。
そして。
ペキ
俺の体重に耐えられなかった枝が、足の下で折れる音がした。
白い生き物がぴくりと震える。
そしてその生き物が立ち上がり、こちらに顔を向ける。
モグモグと租借する口と、真っ赤な瞳が印象的な生き物だ。
目立つケガも汚れもない体の状態からして、たぶん死体ではないと思う。
そして。
「うさ!」
一声鳴いて、謎の生き物が襲い掛かってきた。
「うおいちょっと待て、話せばわかる」
俺は転がるようにして白い生き物をかわす。
ビシン。
奇妙な音が聞こえてそちらを見れば、白い生き物がぶつかったと思われる木の幹が、ざっくりと削れていた。
そして再び、白い生き物が俺へと向かってくる。
だが、白い生き物の動きが、微妙におかしい。
おかしいといっても、怪我をしてどこかを庇っているとかではなく、俺へ真っすぐ向かってくるように見えて、実際は横をかすめるような動きだ。
そして、俺は見た。
白い生き物の頭部から垂れた体毛が、いきなり動き出して、まるで飛行機の翼のように水平に広がる。
俺は再び転がって、白い生き物の突撃を避ける。
そして翼のようになった体毛が、細い木をスッパリと切り倒した。
「な、一体どうなっているんだよ、それ……は、耳か!」
立ち上がったその生物は、体長1メートルと少しだが、先ほどの何かが水平から垂直に、頭頂部の方へと立ち上がっていくと、ようやくその正体が知れた。
「うっさぁぁぁぁぁぁ」
おかしな鳴き声をあげてはいるが、その生物は……ウサギだった。
耳が立った状態の身長は俺と大差ない。
勿論、耳の先までの高さだ。
それはともかく、こいつは魔物か動物か、どっちだ?
ウサギの魔物って角ウサギとかじゃないのか。
あ、ともかく=兎も角=角兎って、今思いついた。
って、そんな現実逃避している場合じゃねえ。
「スロット1 石斧」
俺は呼び出した石斧を軽く振り回してから構えて、ウサギと向き合う。
金属バットは、昨夜放り出したままだったので、手元にない。
ウサギは赤い目をぎらつかせて、俺を睨みながら機会をうかがっているが、突如現れた石斧の存在を警戒して、先ほどのようには動けなくなったようだ。
俺は両手で石斧を持って、胸元で構えて半身になるように、ゆっくりと上体を右にひねっていく。
右手が左手と体で隠れるほどになったとき、俺は右手をそっと斧から離し、ゆっくりと左手の斧を左に動かしていく。
そして、ウサギは石斧を警戒するあまり、石斧の動きにつられた。
左手を追うように、ゆっくりとウサギの顔が動いていくのを見て、俺はウサギが斧に気を取られたと捉え攻撃に移る。
「スロット2 石」
小さくつぶやき、右手に石の感触を感じた瞬間、俺は右手の石をウサギに向かって投げつけた。
「うさ!」
俺の投げつけた石は、石斧に気を取られていたウサギの顔面へと命中した。
ウサギの左目付近にある体毛が、赤く染まり始める。ウサギは前足で顔を庇うようにして、あとずさる。
「くっくっく、オートエイムは弓だけではなく、投石でも効果があるのだよ」
素のコントロールと、肩の強さでは絶対に無理っぽいので、ゲーム補正のおかげだな。
俺は左手の石斧を前に突き出して、素早くウサギに駆けよる。
石斧はウサギにその存在がわかりやすく、攻撃されたときに盾代わりになるように、斜め横にして構えている。
いわゆるガードの体勢だ。
そして右手は、軽く肘を曲げて腰の横あたりに、構えている。
例えるなら、ズボンの尻ポケットの財布を取り出すちょっと前の感じか。
ウサギは石斧と俺の右手の、両方を警戒しているらしく、小刻みに首を動かしている。
だが、走りながら石を投げられるような姿勢ではないので、俺には初めから石を投げるつもりはない。
「うさ」
ウサギが両前足をあげて構える。
お前はクマじゃねえだろ、立ち上がったままどうやって戦うんだ?
ウサギは負傷しているくせに、逃げずにその場で俺と戦うようだ。
俺は石斧を構えて、ウサギに接近する。
ウサギは、何やらリズムを取りながら、その場で小さく跳ね始めた。
なんだその動きは?
俺は訝しく思いながらも、ウサギへの攻撃をするため大きく右手を後ろに引いて。
「スロット5 石の槍」
石の槍とは木製の槍の穂先に尖った石を付けたもので、棒(大)×2 玉石×1 紐×1で作成できる。
長さは180cmといったところで、集団戦で槍臥間を形成するために生まれたパイクなどの長槍と違って取り回しのしやすい長さになっているし、投げ槍として使うこともできる物だ。
近寄ったといっても、石斧の間合いにはまだ遠い。
俺の右手の位置も、先ほど石を投げた時とは違う。
だからウサギも、俺からの攻撃はまだないと思っていただろう。
その油断が命取り。
俺は、呼び出した槍を握り、思い切り右手を前に突き出した。
捉えた。
右手に柔らかく、しかし弾力のあるものを貫いた感触が伝わり、俺は攻撃が当たった事を確信する。
そして、より深く刺し貫くべく、槍を握る右手にぐっと力を籠めて、全力で前へと踏み込む。
だが、そこで急に俺の体が前のめりに、泳いでたたらを踏む。
何故?
そんな疑問を感じる間もなく、俺の左肩に衝撃が走り、俺はあおむけにひっくり返った。