6 報告
不意にかけられた少女からの呼びかけに対し、ドズルは声のした方へとすぐさま向き直る。
すると、王城の通路をワンピース姿の少女が、手を振りながら駆けてくるのが見えた。
「おお、エレナよ。じいちゃんの留守中、よい子にしておったか」
ドズルは満面の笑顔で孫娘に声を返す。
「もう、おじいさまったら、私はもう子供じゃありません」
「そうかそうか、それはすまなかったな。だがあのように駆けていては、淑女失格じゃ。それに、もし転んで怪我して傷が残ってしまったらと思うと、じいちゃんは心配で夜も眠れなくなってしまうぞ」
兵士上がりで団長職まで務めたドズルは、厳つい顔立ちに厳しい表情という、なんとも武人然とした雰囲気を漂わせているのだが、こうして孫に相対する姿はごく普通の孫バカ爺さんである。
最初こそ周囲も戸惑ったが、今では町中で周知の事実と化しているため、もしこの場に城のメイドが居たとしても、驚きはしないだろう。
「おじいさまは心配し過ぎです。私もお姉さまのように、剣術のお稽古を始めれば、怪我ぐらいします」
「それは……リーゼが少々おてんば過ぎるだけじゃ。別にエレナまで剣を習う必要はない」
「え~」
エレナは不満の声をあげた。
「そうむくれるな。わしは陛下への報告をせねばならんから、もう行かねばならん。この話はまた後にしよう」
「う~またそんなこと言って、誤魔化しているのでしょう?」
「う、そ、そんなことはないぞ」
実のところ、リーゼが剣術の稽古をしているのは、王族の務めとして最低でも一世代に一人は、武に長けた者が必要という使命感が理由だ。本当にリーゼがおてんばだから、という訳ではない。
彼女たちの父である王太子も、現王の子供の中で唯一の生き残りであり、武に長けた者ほど国のために殉じていく一族なのだ。
だが、ドズルは幼いエレナにその話をできず、困ったときの必殺技『この話はまた後で』を発動してしまった。しかもそれでエレナの機嫌を損ねてしまうという、孫バカ爺としては、痛恨のミスをしてしまったようだ。
エレナと別れたドズルは国王の執務室を目指す。
他国の者ならともかく、この国の王が見知った相手と会う場合、謁見の間などという物は使わない。
執務室に併設された執事の部屋へ、ドズルが声をかければ執事長が国王に伺いを立て、許可が下りれば即執務室に通される。謁見というより面会に近い扱いだろう。
「失礼いたします」
執事に促されて執務室へと向かったドズルは、軽く入室のあいさつをして、特に構えることもなく執務室へと入って、国王の前でひざまずく。
「ああ、構わん。長旅で疲れているだろう、余計な挨拶はいいから椅子に座れ」
国王はそう言って、室内にあるソファーを示し、自身も執務机を離れてドズルに示したソファーの対面の席へと座る。
国王の席は、若干装飾が豪華ではあるが、基本的にはドズルの座る物と同じものだ。
「それで、どうだった」
「はい。先ず町とアブドそれぞれに近い町や村で噂を集めました。それぞれ少なからず隊商が出入りしていましたので、それらが見た話しという形で伝わっておりましたのは、町とアブド、双方共にゾンビの徘徊する魔窟と化しているとの事です」
「ふむ、直接現地を見た者からは、話を聞けなかったのか」
「それは残念ながら。アブドへ向かった隊商の生き残りが伝えたという話では、城門は崩れ、無数のゾンビが徘徊していたそうです。それを見た隊商は、即座に引き返して離れた場所から観察したそうですが、夜になってもアブドの方角に、明かりが見える事はなかったそうです」
「なるほど、生存者がいれば防衛のための火は必須か。無論薪を切らしているから、ということが無いとは言えんが、その状態で長く防衛するのは不可能。滅びていると考えて良いだろうな。だがそうなると、わが国では手に余るな」
「はい。アブドの人口の一割でもゾンビ化して徘徊していれば、手が出せるような状態ではありません」
「もう一つの小さな町はどうだ?そちらはアブドの侵攻で人口が減っていたはずだし、町を捨てた生き残りも少なくはないはずだ」
「そちらは町に住んでいた者から話を聞けました。侵攻を受けた事で働き手の多くを失い、町の修復もままならず、生存者の多くが町を捨てたそうですから、残った住民は多くないでしょう。ですが、町の防壁も壊れているそうですから、修繕を行いながらの防衛は少々厳しいかと」
「確かにそれは厳しいな……だが、わが国の現状では10年持たん。言っても詮無い事だが、アブドが余計なことをせねば、今頃は新たな開拓地の一つや二つ作れたというのに、まったく忌々しい」
この世界は主神ニースが創ったとされているが、主神ニースの天地創造に際して、邪なる神の一柱が、世界に混沌の種を蒔いたと伝えられている。
世界に蒔かれた混沌の種は、異界より邪なるものを引き寄せ、それが魔物やゾンビを生み出した。
しかし、主神ニースはこの混沌の種を逆に利用して、世界を救う新たな力を呼び寄せた。
それは世界を救う使命を受けた使徒であり、一般には勇者や英雄と呼ばれる存在だ。
そしてこの世界は、不定期に現れる勇者や英雄が切り取った地に、町を築き人類の生存圏を広げてきたのだ。
アブドが欲に駆られて、余計なことをしなければという思いは決して間違っていなかった。
「大森林近くでも勇者様の消息は分かりませんでした。いったいどこへ行かれてしまったのか」
「ああ、その事だが……勇者様は亡くなられたそうだ」
国王は苦虫をかみつぶしたような顔で、その言葉を告げた。
「なんと!神の啓示があったのですか」
神が実在する世界である。
当然、神への信仰も厚く、一部の神職者は夢などを通じて神から教えを授かることがある。それは啓示あるいは預言といわれ、神から人類への指導であると信じられている。
「そうだ、お前たちが旅立って間もなく、マリカ神官殿から預言の知らせがあった」
ここでいう預言とは、20xx年に地震があるという予言ではなく、キリスト教などと同様に神の言葉を預かり、人々に伝えるという預言者からの預言である。
だが、この世界には、いわゆる法皇や教皇に相当する者はおらず、教会組織すらも存在しない。
教会組織を作って、一般人への布教をしようにも、経典や神の教えを書いた書物は存在せず、真実神の神託を記した書であったとしても、その内容はその時々の話になり、それを書物にしても聖書のような訓示となる部分が少なすぎて意味がない。言葉を変えて編集しようものなら、神の信頼を失い預言が得られなくなるし、組織運営や自身の地位向上に血道をあげても同様だ。そしてそういう人物が神の信を得ていない事が容易く知れてしまうため、利を求めての宗教活動は成り立たない。その上、真に救済のための組織であっても、組織の肥大化によって善からぬ者が混じれば、その時点で組織自体が神に見放されるため、神職者はほぼ個人活動で、自らの責任においてのみ説法や啓示を行うのだ。
神を祭り敬う為のお社は存在するし、そこを管理する者は居るが、それは教会組織として運営されているのではなく、その地の統治者や民が管理運営している。
マリカ神官は、いわゆる”教会の偉い神官様“ではなく、その預言者としての信仰心を、ドーントロス王が保証するという意味で、官位を譲渡して神官の肩書を名乗らせている。
預言者として、適時助言をもらう相手であり、ドーントロスの住民ではあるが王の臣下という訳ではないマリカ神官は、客分という扱いに近い。
なお、神の存在が明確であるため、神の言葉を騙るような者はまず居ない。
受け取り方で、神の意図を外れた解釈をしそうな者には、啓示がなされることが無いため誤った情報が伝わることも少ない。
「まさか、勇者様が亡くなられていたとは……」
それから少しの間、二人は無言で考える。
そして国王が、口を開いた。
「2年後だ、2年後に戴冠式を行う。そして、我が兵と移民を率いて町の奪還に向かう。それまでに我か息子に何かあればリーゼにここを任せて、我と息子の生きていた方が、町の奪還に向かう。二人とも病死でもない限り、それで大丈夫だろう」
病死以外の理由で二人とも死ぬとすれば、この国の存亡にかかわる戦いがあったと思われる。そのような事態であれば、移民をする必要はないと国王は考えたのだ。
「2年後ですか、では自分も体が訛らぬよう、その時まで鍛錬を続けましょう」
「うむ。頼むぞ」
二人は互いにうなずきあった。
「陛下」
その時、話が一段落したと判断した執事が、国王へと声をかけた」
「何だ?」
国王が問いかける。
話は止まっていたが、来客中に普通に執事が声をかけてきた事に、国王は僅かに訝しむような表情をした。
「実はリーゼ様がこちらへ来ていまして、何かお話があると」
執事は王の表情の変化を気に留める様子もなく、リーゼの来訪を告げた。
普通なら王の私事なので、客人の前で話すことではないが、今いる客人もまたリーゼの祖父である。
執事は気にする様子もなく、国王へリーゼの来訪を告げたのだった。
その頃、森のとある場所では。
「死ぬな」
「…は?」
青年が間抜けな声をあげていた。