4 旅立
そして俺は壁で囲んだ空間で残った丸太に腰かけて、夜を明かすことにする。
今のところ敵性の存在は見ていないが、日が沈めばどうなるかわからないので、初日は徹夜するつもりだ。
先程作成した石斧と弓は、それぞれスロットに設定して、俺の思考で呼び出せるようにしてあるし、罠も設置した。
今の俺にできる最大限の準備で、この異世界の夜に挑むことができたと思う。
やがて周囲は闇に包まれ、空には星が瞬き大きな月がのぼる。
俺は眠気と戦いつつ、周囲の物音に気を配る。
それからしばらくは、特に変化はなかったが、やはり初めての状況に俺の精神も疲労していたのかもしれない。
「街の明かりがないから夜空がきれいだ。月もあんなに輝いて……あれ?」
いつしか、ぼ~と夜空を眺めていた俺がそれに気が付いたのは、空を見上げてどれほどたっていたのだろうか」
「月の色……が赤い?」
最初は地球と大差ないように思えた月が、今はうっすら赤みを帯びていた。
「あ~なんかヤバイ気がするぞ。これ、ゾンビとか化け物とかが大量発生とか活性化とかする、そういう時間帯になったんじゃないの?」
一応想定の範囲内というか、状況の変化を待ち受けていたわけだけど、いざそうなると心の準備が……。
だが俺の動揺などお構いなしにそれは聞こえてきた。
ァァー ヴァァァー
「やっぱりゾンビがいるんか!くそ、来るなら来やがれ!」
わかっちゃいたけど、ゾンビになんて出会いたくなかったぜ。
やがて、俺がこもる囲みの前に、これぞゾンビという感じの奴が一体って、こいつ健太郎じゃないか。
「なんだよ、本当に迷い出てきたのかよ。だったら俺が引導渡してやるぜ」
幸い、健太郎はまだ俺の居場所までは、特定できていない様子。
今のうちに先制攻撃で、ダメージを稼ぐ!
弓を引き絞り、健太郎ゾンビの頭に向けて放つ。
ひょ~ん トン
矢は健太郎の頭の横、頭二つ分ずれて飛んで、そこそこ離れた地面に突き立った。
「……」
やべえ、当たる気がしない。
「……め、メニュー、オプション、環境設定……あった!オートエイム、オン」
視界と重なるGUIに+印が現れる。
「これいいな」
弓を構えると+印が視界の中央にあらわれるが、弓の動きに合わせて+印も動く。それも直線ではなく、矢の軌道を考慮したものらしい。ほぼ真上に弓を向けた時、斜め前方3mの地面に+印が移動したのだ。
「微妙に方向が違うけど、これは風の影響にも対応しているのかな」
少しずるいような気もするが、これなら当てられるかもしれない。
再び弓を弾いて、健太郎を狙う。
「あたれ!」
ひょ~ん グサッ
当たった!
放たれた矢は、健太郎の頭に当たっている。
だが、中心を外しているためか、棒の矢の威力が低いためか、ヘッドショット一発で倒すとはいかなかったようだ。
「もう一発」
再度放った矢は健太郎ゾンビを目指して飛んでいき、そして。
カツン
偶然間に入った鎧を着た人?に弾かれて、あらぬ方向へと飛んで行った。
鎧が俺の方を向く。鎧は金属ではなさそうだが、ただの木の棒でしかない棒の矢では、よほど角度が良くなければ鎧には刺さらないだろう。
そんな矢が何故ゾンビの頭に刺さるかといえば、ゲームがそういう仕様だったからだろう。
丸太を楽々担げる事と同じく、矛盾はあってもそういうものなのだ。
俺が鎧を凝視していると、鎧も俺に気が付いたようで。
カタカタカタ
何やら音を鳴らしながら、俺の方へと向かってきた。
あ、こいつ頭が既に骸骨だ。
「は、ハロー」
自分の緊張をほぐすべく、あえて挨拶してみる。
カタカタカタ
カタカタカタ
先程にもまして激しくカタカタ……あ、顎の音かこれ。歯丈夫なんだねって、そんな事考えている場合じゃないな。
奴の顎のカタカタで、健太郎ゾンビも俺に気が付いてしまったようだ。
もしかして、カタカタで仲間に声をかけていたのか?
俺の推測を裏づけるように、鎧骸骨と健太郎ゾンビに続いて、遠い闇の中に何かがうごめいているように見える。
あれは人ではなさそうだが、いったい何だろう。
「なんにせよ、集まる前に叩けるものは叩く」
俺は、手近な丸太を担ぐと鎧骸骨に向かってぶん投げた。
丸太は回転しながら飛んで、鎧骸骨に命中した。
丸太を当てられた鎧骸骨は、二・三回転がって消えた。
「よっしゃ、先ずは一匹!」
丸太投げ攻撃は、ゲームではできなかった動作なのだけど、先ほど防壁作りで丸太を投げられたので試してみたが、思いの外うまくいったようだ。
健太郎ゾンビは、鎧骸骨が倒されたことに動揺するそぶりもなく、一歩また一歩と俺に接近してくる。
「動きはとろいな。せいぜい歩き始めの幼児程度か」
健太郎ゾンビは、よたよたしながら歩いてくる。
「他の影は……あ、あれは動物のゾンビか。四つ足の分安定しているのか少し早いぞ」
先程までは、うごめく影のようにしか見えなかったが、今は焚火の光に照らされて先頭集団の姿を確認できた。
俺は健太郎ゾンビに狙いをつけるが、流石に動いていられると、頭を狙うのが難しい。
仕方なしに体に向かって矢を放つ。
よろけて倒れはしたものの、健太郎ゾンビは未だもぞもぞと動いていた。
だが、これで少し時間が稼げた。
俺は動物ゾンビを見据えながら、ゆっくりと後退する。
俺の後ろには、櫓の有る空間へとつながる扉がある。
俺は、接近が早すぎる動物に矢を射かけながら、その扉に向かって下がっていく。
そして、十分引き付けてから、扉を引いて奥へと駆け込む。
動物ゾンビが、俺を追って扉のある場所へ殺到するが、押戸ではなく引き戸のため、当然ながら動物ゾンビは扉を開けられない。
「お前らは殺到するだけで、引く事を知らないからな。押戸なら押し開けることもできるだろうが、引き戸では開けられまい」
動物ゾンビは想定外だったが、腐れゾンビどもに、扉を開ける知恵はないと踏んで、引き戸を設置しておいたのだ。
「とはいえ、いつまでも扉がもつわけじゃないからな。一気に片付けさせてもらうぜ」
俺は落とし戸を作動して出口を塞ぎ、用意しておいたトラップを発動させる。
「てめえらここで火葬してやる。さあ燃え尽きろ、着火着火着火着火……」
俺が仕込んでおいた大量の焚火が次々に燃え出すと、その場に集まったゾンビどもを焼いていく。
ゾンビはもだえるように、でたらめに動き回るが、一度燃え移った炎は簡単には消えない。
だって、そういうものだからな。
俺は櫓に上り、焚火を逃れたゾンビに矢を射かけていく。
「あ、あ~~~~失敗した。もったいない事したな」
火に巻かれて死んだ?ゾンビ共は、ゲームの仕様に沿ってその場で消滅するが、その際に何らかのアイテムを残す。
いわゆるドロップアイテムというやつだ。
BPに入っていた缶詰やチョコレートバーなども、ゾンビがドロップするアイテムで、つまりどういう事かというと、今まさに目の前で貴重なドロップアイテムが、焚火の炎で燃えていたのだ。
「缶詰は爆発しなければ食えるかな?でも一度加熱したらすぐ食べ切った方がいいよな。できれば焚火のない端っこで死んでくれると良いな」
加熱したコ〇ビーフは脂肪分が解けるから、加熱前とは違うものになるだろうし、チョコレートバーは解けてドロドロになった上に、包装が燃えるからまず食えないな。
そうやって燃える動物ゾンビを眺めていると、囲みの外側で動きがあった。
健太郎ゾンビが防壁に攻撃を始めたのだ。
「他にゾンビはいない様だし、そろそろ奴にとどめを刺すか」
俺は櫓を降りて、裏口から外に出ると、健太郎ゾンビと対峙する。
「健太郎、正直言ってお前に恨みはあるが、いつまでもその姿を晒しているのも、不憫だからな。特別に俺が介錯してやるよ」
まあ、介錯といっても既に死んでいるけどな。
俺は石斧を肩に担ぐようにして走り出す。
そして大きく振りかぶってから、健太郎ゾンビに向かって全力で振り下ろす。
健太郎ゾンビは俺の渾身の一撃を受け……なかった。
「な?!」
石斧が当たる直前、それまでの動作が嘘のような俊敏な動きで、健太郎ゾンビは飛び下がり、石斧を空振りして体制を崩した俺めがけて再度跳躍する。
健太郎ゾンビの左手に、俺の右肩が掴まれた。
「あぐ!」
肩に激痛が走り、俺はうめき声を漏らす。
視線を向ければ健太郎の骨指が、俺の肩に食い込んでいた。
さらに、健太郎ゾンビが俺の首筋に食らいつこうとしてくる。
俺は、肩の痛みに耐えながら、石斧の柄で健太郎ゾンビの噛みつきを防ぐ。
畜生、ゾンビってやつはどうしてこう、人を食おうとするんだ?
昔の映画でゾンビは生者の脳みそを食うと、ちょっとだけ腐れた体の痛みが引くっていうのがあったけど、本当にそんな感じなのか?
健太郎ゾンビの右手が、俺の左腕に迫る。
斧を持つ手を封じるつもりか?
俺は体を左右に振って、掴まれまいとする。
俺の目前には、健太郎の腐れ顔がある。
至近距離で見せられた腐れ顔は、とても直視に耐えられるようなものではないが、その時俺はようやく違和感に気が付いた。
今、俺がいる場所は防壁の囲みの外側で、つまりは焚火の明かりが届かぬ闇の世界だったはずだ。
「臭えんだよ、いい加減に放しやがれ、このくそ野郎!」
俺は、力を振り絞り健太郎ゾンビを振りほどき、空に向かって視線を走らせる。
そこには赤い月が、まるで太陽のように輝いていた。
「はは。そうか、これが急なパワーアップの原因か」
ちくしょう、お前ら尻尾の生えた宇宙人か!こんなのどうすればいいんだよ。
石斧を両手で握りしめて、前に突き出す。
剣道の構えに似ているかもしれないが、俺はただ目の前のゾンビとの間に何か挟みたかっただけだ。
掴まれた右肩はズキズキと痛み、右手は満足に動かせない。
両手で構えているけど、実のところ右手はただ添えているだけだ。
次の攻撃が着たら、受け止めるのは無理だろう。
全力で避けたとして、その後どうしようか。
視界の隅にある月はどんどん輝きを増していく。
「くそう、どうにもならない。ここまでか」
俺が絶望を感じた時。
突然月の光が弾けて消えた。
「え!」
突然の暗闇に、俺の目は何も見えなくなった。
今襲われれば、避けることもできずにやられる。
とっさに俺はしゃがんで、石斧で頭をかばうようにして、その時を待った。
やがて、どさりと何かが倒れるような音が聞こえたが、攻撃は来なかった。
それでもそのままの姿勢で攻撃に怯えながら、しばらくの時を過ごした。
目が暗闇に慣れてきた時、ようやく俺は先ほどの音の正体に気が付いた。
目の前に健太郎ゾンビが倒れていた。
それは、最初に木陰で見た時のように、ただの死体に見えた。
「そうか、月が赤くなるとゾンビが動き出して、光量が増すと動きが変わる。そして月が戻ればゾンビも死体に戻る……いや、これはただの死体か?ドーピングが切れて、一時的に死体に戻っているだけじゃないか?」
こいつ昼間も死体のように見えて、その実動いていたようだからな。油断できないよな。
俺は痛む肩をこらえて石斧を振りかぶり、健太郎ゾンビの頭部へと全力で振り下ろした。
「なるほど、この森の外には健太郎がいたという町(ゾンビ多数)があって、その先にはまだ人のいる町や村があるのか」
石斧で殴った後、健太郎ゾンビは消えて、そこに地図が残った。
羊皮紙のようだったそれは、BPに入れるとGUIと同化して、視界の片隅に地図として表示された。
さらに地図へと意識を集中すれば、GUIに大きく表示され、望めば元の羊皮紙に描かれた地図として手に取ることができた。
昨夜の怪我は包帯を巻くことで、だいぶ痛みが引いて楽になった。
包帯は回復ポーションのような役割のアイテムだが、即効性はなく徐々に回復していくというものだ。
例えるなら、せんずと治療カプセルの違いかな。
それでも自然回復とは雲泥の差だし、包帯が機能してさえすれば、どんなに負傷していても死ぬことはない。ただし、怪我の程度によっては、治療途中で包帯が効果を無くして消滅するので、その時は直ぐに巻き直さないと、怪我が再度悪化する可能性があるから楽観はできない。
「いつまでもここに居られないし、町を目指して移動してみるか」
昨夜の戦利品である缶詰を食べながら、俺は地図を見て今後の方針を考える。
健太郎が体験したようなトラブルは勘弁してほしいが、幸い俺の能力は見た目地味だからな。戦闘力だって一般人と大差ないか本職の兵士に劣る程度だろうし、クラフトしている所を見られなければ、トラブルもないだろう。
待ち受けるは地獄か、血沸き肉躍る冒険か。
「なんにせよ、とりあえずまあ、異世界とやらを旅してみますかね」
俺は地図を頼りに、まだ見ぬ世界へと歩き出したのだった。
防衛拠点のイメージはこのような感じ。
壁壁壁壁壁壁壁
戸櫓戸火火火落
壁壁壁壁壁壁壁
最後までお読みいただきありがとうございました。