5.分からせた話
「……ねぇ、どういうこと? 恩? ライアス、彼らに何かしたの?」
別れてから時間差で聞こえてきた男子生徒達の叫びに困惑しながら、リディアはライアスに尋ねた。確かにライアスは威圧感をもって彼らに接していたが、怯えようが異常なレベルだったのが気になっていた。
「ああ、彼ら三人は昨年分からせたうちの一部ですので、そのせいでしょうね。リディア様が庇ってくださらなかったら、ボコボコにされると思ったのでしょう。正解ですが。特に、さっき自分ですっ転んだくせにいちゃもんをつけてきたブルーノ・ダウナー侯爵令息には、ちょっとおまけしましたし」
「……? 分からせる……?」
ライアスの回答に、きょとんと首を傾げるリディア。
可愛い子がやると余計に可愛いなぁ~と思いながら、ライアスはさらに説明する。
「昨年、二年飛び級で入学したわたくしは、選民意識の高い貴族の令息達から相当な反感を買ってしまって、暫く嫌がらせを受けていました。わたくしはナイトレイ男爵家の養子(という設定)ですので、元平民のうえ養子に入ったところで所詮は男爵家が何様だと、彼らの格好の的だったのです」
昨年の入学式も新入生代表として挨拶したライアスの顔の良さにやられて、初見から好意を持つ生徒が大多数を占めたが、選民意識が高い貴族を筆頭にライアスを面白く思わない者も多かった。ほとんどの生徒にとってライアスは身分が低い。その存在が成績も顔も良いのだ。それはもう相当に気に食わなかったらしい。
また、入試時の剣の実技も学年一だったのだが、他の生徒との実力差がありすぎて早々に教師がライアスに合格を言い渡したので、実際に彼の剣を見た生徒が極々少数だったのも反感に拍車をかけた。騎士科の生徒にとって、ライアスが顔だけでちやほやされているように見えたようだ。
「ふふっ、去年の話なのにもう懐かしい。高位貴族の令息達は大勢で囲んできて『下民のくせに』とか『調子に乗るな』とか噛みついて来ましたね。先生の連絡事項の内容をねじ曲げて伝えられたり、教科書などの私物を壊されそうになったりもあった気がします。貴族とは思えない稚拙さで何度笑いそうになったか分かりませんね」
全員ライアスより格上の家柄の令息達である。親の権力を使えばもっとどうにかできそうなものを、平民レベルの嫌がらせなので拍子抜けした。確かに前々世や前世だったら虐めだと感じて辛かっただろうが、超弩級の絶望を経たライアスにとっては屁でも無かった。
「騎士科の生徒は、騎士科の中で孤立させようとしたり、実技の授業中に妨害したりしてきたので、これ幸いと剣でメタメタにぶちのめしてからは比較的すぐ大人しくなって楽でした。やっぱり剣というのは一番手っ取り早い相互理解……」
「ちょ、待って!」
脳筋理論へ走り始めたライアスに、リディアがストップをかける。
「ねぇ、その話、わたくし全然知らないわよ!?」
「え? え、えぇ」
「もう! 何故キョトンとしているの! あーちゃんは何でいつも自分のことに関してはそうなの!? わたくしの大切な親友が虐めにあって怒らないわけないでしょう!?」
ライアスにはもう終わった話、むしろ笑い話にカテゴライズしていたので、特に思うところなく経緯を説明していたのだが、リディアにとっては違ったようだ。
それにしても『大切な親友』か……
怒ってくれているリディアには悪いが、ライアスは嬉しくて思わず口がニヤニヤと緩みそうになる。お互いかけがえのない存在だと認識していても、口に出されるとやっぱり嬉しい。
「下位貴族の令息だからと虐めるなんて低俗だわ! 昔のわたくしみたいで腹の立つ……! ……ねぇライアス。虐めてきた生徒の顔は覚えている? うっすらとでもいいわ。探し出して……」
「ストップストップ!!」
リディアが不穏になってきたので、今度はライアスが慌てて止める。
「リディア様。もう終わっています。終わった話ですから、怒りを収めてください。……話を続けても?」
「……」
「リディア様?」
「自分の友達を侮辱されて黙ってるほど薄情な人間じゃないつもりよ、わたくし……」
むぅ、とむくれるリディアが可愛い。あー可愛い。
「んんっ。わたくしを思ってくださるのは大変嬉しいですが、本当にご心配なく」
「……分かったわ……」
後で調べさせましょ、とリディアが呟いたのは聞こえなかったことにして、ライアスは話を再開した。
「えー……その、程度があまりに低かったのでずーっと放っておいたのですが、あるときルーファス殿下より、『リディの専属騎士を目指すのに舐められたままでいるつもり?』と発破を掛けられまして」
「え? ルーファス様に?」
「ええ」
実はライアスとルーファスは、四年前のワイバーン襲来以来ずっと友達として交流がある。
攻略対象であるルーファスとの間にフラグが立たないよう、ファウストに彼の記憶を消してもらうことも考えたが、髪と瞳の色を現在のライアスと同じ黒と緑であったと記憶をすり替えるだけに留めた。
記憶の改竄は脳に負担がかかる。ましてや消すとなれば相当な負荷となり、下手をすれば精神や身体にも影響する。日が浅いとはいえ友達になったルーファスにそこまでの仕打ちをしたくなかったのと、リディアの専属騎士になるにあたって、むしろライアスとしてなら積極的に関わるべきと思ったのだ。
ただ、ルーファスの中では、当時の男装していたアリス=ナイトレイ家の養子という等式が出来ており、ライアスが実はアリス・ナイトレイ男爵令嬢であるとは知らない。秘密にしていることに罪悪感はあるが、女性騎士としての展望が見込めない現状があるため、隠し通すつもりだ。
「確かにルーファス殿下のおっしゃる通りだと納得したわたくしは、彼らを分からせることにした次第です」
前置きが長くなってしまったが、ここからがリディアからの質問への回答だ。
「勉学面では試験で学年一位を取り続け、武芸面では武闘大会で三冠を取る。目に見える圧倒的な実績を上げることで、彼らにわたくしの実力を認めさせました。それでもダウナー侯爵令息を初めとした武闘大会はまぐれだと言う往生際が悪い面々には、ナイトレイ領の"怪我知らずの森"に招待させていただきましたところ、今では誰よりもよく分かってくださいました」
ナイトレイ領のほぼ半分を占める森林――通称"怪我知らずの森"は、名前だけを聞いて「危険が無く生き物が穏やかに暮らす森」と勘違いされることが多いが、実態は全くの逆である。
怪我知らずとは、怪我をする間もない――つまり、「一瞬でも気を抜けば死ぬ」という意味である。アリスが剣や魔法を習得するために、アルバートやファウストに扱かれていたあの森だ。有り得ないようなランクの魔物がうじゃうじゃいるし、植物だって状態異常にさせるくらいなら可愛いもの。人食い植物も普通にいる。
この大変物騒な森の管理を任されているのがナイトレイ家だ。当主だけでなく周りを固める者達も武が優れていなければ務まらない土地である。ここが崩れると、王都へ魔物が雪崩れ込むので、ナイトレイ家は国にとって欠かせない存在である。
それを知らなかったのか、知っていて侮っていたのかはどうでも良いが、先ほどビビり倒していたダウナー侯爵令息は、「そんなに喚くならウチに来てみろ」というライアスの挑発にまんまとのって森に乗り込み、自分が一撃で死にそうな攻撃を繰り出す魔物を瞬殺するライアスを目の当たりにし、骨の髄まで彼の強さを体感した一人である。
「わたくしに突っかかってきた皆様は、今では素直にわたくしの言うことを聴いてくれるようになりました」
だから安心してください、とライアスがにこりと笑う。
「――……ッそうなのね、自分でとっくに片を付けていたのね。さすがだわ」
リディアは美少年の笑みに胸を打ち抜かれながら、ホッと息を吐き出した。
「まぁ……今年また新入生が入ってきましたので、今一度示す必要があるかもしれませんが……」
武闘大会の三部門優勝という実績を作っておいたので、昨年よりはましかもしれないが、同じようなのはきっとまた出てくる。
「リディア様の側に侍るのはライアス・ナイトレイ以外有り得ないと周囲に認めさせるべく、これからも精進致します」
「ライアス……」
この身分至上主義社会で、騎士団は唯一実力を重視すると言われるが、いざ飛び込んでみれば正確な情報ではないとライアスは知った。
城を守護する王立騎士団は、高位貴族出身者からなる白騎士団から引き抜かれる。そして、王族の専属騎士は王立騎士団から選出されるというのが定石だったのだ。
平民や下位貴族で構成された黒騎士団に所属しているライアスは、その現実に愕然としたし、途方に暮れた。解決できたと思っていた権力という壁がまた立ち塞がるのかと。
だがそんな中、ライアスがクリストファーと同じく騎士――それもリディアの専属を目指していると知ったルーファスは、実力を確かなものにすればリディアの護衛として推薦するとライアスに約束してくれたのだ。それが今年、現実になったわけである。さすがに難しいと思っていたライアスは、ルーファスの手腕に舌を巻いた。アリスは自分の主をリディア以外に定めるつもりはないが、できうる限りルーファスの力にもなろうとひっそり誓った。
「――それにしても、リディア様。さっきの良かったですよ」
にんまりと笑うライアス。
「さっきの? 良かったって?」
「ええ。ダウナー侯爵令息達及び野次馬共、すっかりリディア様の魅力にやられていたでしょう? わたくしとの対比も相まって、リディア様が女神にでも見えていたことでしょう!」
今やライアスは、敵?と定めた相手には容赦しないと学園中に知れ渡っている。先ほどのように顔を見るだけでビビる生徒や、名前を聞いただけで顔色を変える生徒もいるくらいだ。やられたからやりかえしただけなのだが、ライアスに怯える生徒からは裏で『狂犬』とか『怪物』とか呼ばれてたりする。とてもじゃないが十一歳の少年につけられるあだ名じゃない。
なお、害にならなそうな生徒には、男女問わずフラットな当たり障りの無い態度を取るよう心がけているので、比較的関係は良好だ。
ただ、ライアスの見目の良さに盲目的に堕ちた生徒からつき纏われてえらい目にあったこともあり、必要以上に仲良くならないようにも気をつけている。
自衛と配慮の結果、ライアスは表情をほとんど変えず、感情も抑えるようになってしまった。そんなわけでライアスは必然的に友達が少ない。フレデリックは一学年上で科も違うのであまり一緒にいられず、結構寂しい。
「ライアスが悪く思われるのは嫌なのだけど……」
「悪くというか怯えられていますね」
「たしかに、そうね。嫌悪ではなく畏怖といった方が正しいかしら?」
「今は単純な恐怖の方が強そうですが……いずれはそうなりたいですね。まぁ、兎にも角にもリディア様を王太子妃として認める人間が増えたので結果オーライです!」
自分の主の印象が向上してウキウキのライアス。
リディアはどこまでも主ファーストなライアスに苦笑しつつも、着実に周囲に己の価値を認めさせている彼を誇らしく思った。
さて、無事授業に間に合ったライアス達だったが、少ししてすぐ授業が中断する事態となった。
いつもはほとんど無表情で他人とは距離を取っているライアスが、珍しく上機嫌のまま薬草学の授業に臨んだうえに惜しみ無く愛想を振り撒いたためである。
被弾した生徒が男女問わず尊死し、また担架が大活躍。被弾を何とか避けた生徒達はライアスを見ないようにしながらせっせと医務室へ運び出す。
「……ナイトレイ君……あのね、キラキラは控えようって先生言ったよね。こうなるからね。去年散々やって懲りたよね?」
薬草学担当のアガタは、ライアスを直視しないよう薄目で彼を叱る。彼女は昨年ライアスを初めて見たとき天使が舞い降りたと衝撃を受け、気づいたら医務室で寝ていた一人である。
人と接する態度としてどうかと思うし何とも格好がつかないのだが、本人曰くどう頑張っても無理だったらしい。ライアス本人にも断って了承を得ている。
「はい……」
りっちゃんが側にいるせいでちょっと気が抜けてたかな。
「……ごめんなさい。良いことがあって浮かれていました……」
「「「「「う゛っっっ!!!!」」」」」
薄目では全く対抗できなかったアガタが胸を押さえて崩れ落ち、残った生徒達にもクリティカルヒット。
肩を落とすしょんぼりライアスの破壊力は凄かった。
少し口調が子どもっぽくなってしまっていたのもいけなかった。
普段とのあまりのギャップに可愛さが振り切れていた。
もう、何て言うか、色々と、アウトであった。
あちこちに尊死体ができ、ライアスとリディア以外立つ者がいなくなった教室はまるで世紀末。
「……あーちゃん。塩梅というものを覚えましょう。ね?」
「う、うん……」
ライアスは至極真面目な顔をした親友に約束させられたのだった。




