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4.曲がり角にて



「リディア様。次は薬草学Ⅰです」


ライアスはてきぱきと身支度を整えながらリディアに声をかけた。リディアの護衛(仮)であるライアスは、彼女の受ける授業は当然全て頭に入っている。


「ここから教室が遠いので早めに出ましょう」

「ええ、そうね」


リディアが今日受ける薬草学は温室で行われる。女子の足だとそこそこ距離があって大変なのだ。せかせかと歩くのは美しくないので、余裕をもって移動しなければならない。


「ところで、あーちゃ、じゃなくて、コホンッ……ライアス自身の授業はどうしてるの? 薬草学Ⅰはもう修了しているのでしょ?」

「リディア様が王太子殿下とご一緒される授業の間、わたくしは自分の科目を受講しております。上手く調整しておりますので、ご安心ください」

「……そう」


ライアスかルーファスのどちらかが、必ずリディアと被るようカリキュラムが組まれている。一学年のうちは男女で受ける授業の差があまりないのも良かった。


「まだご自分にだけ護衛がつくことに気が引けているのですか?」

「そりゃね!? 逆に気にしないでいられる!?」


周りに生徒がいないことで、取り繕っていた公爵令嬢の仮面が思わず取れる。


「リディア様、口調、口調」

「はあ~。ルーファス様ったらいつの間にこんな過保護になってしまったの?」


リディアが幼少期のルーファスからの変わりように遠い目をするが、ライアスから言わせてみれば明白である。


「四年前にワイバーンの毒から王太子殿下をわたくし達が助けたときからでしょう。あのあと、魔力枯渇でリディア様が一週間目を覚まさなくなったじゃないですか」


あの日、アリス達と別れたリディアは、帰路につく馬車の中で魔力渇望により気を失い、その後昏睡状態に陥った。

アリスもアリスで五日ほど寝込んだ。目覚めてから身体を引き摺ってでも自分が治療しに行くと言うアリスを家族総出で止め、ナイトレイ家お抱えの老医師ハーマンを向かわせることで何とかアリスを宥めた。

ハーマンとハズラック公爵家の治癒士による懸命な治療で、リディアは一命を取り留めたのである。


「そうね、あれがきっかけだったかも」

「魔力が枯渇するほど尽力した相手ですよ。評価が良い方に変わるのも当然では? 率直に申し上げてあの頃のリディア様からは考えられない献身でしたし余計に。加えて、魔力同調での治療ということで魔法の実力にも一目置かれましたよね」

「あーちゃんあっての治療なのに?」

「二人でではありますが、ある程度の経験を積んでいたわたくしに合わせられたリディア様は、本当に素晴らしい才覚の持ち主です。そこは胸を張ってください」

「あーちゃんに言われると自信になるわね……うん。ありがとう」


照れたように笑うリディア。


「一回の手柄で評価が覆るほど世間は甘くありません。しかし、リディア様は王太子殿下を救った後もそれまでの自分を反省して、王子妃へ相応しい人間に成るべく努力し続けています。そんなリディア様だからこそ、王太子殿下も学園内で護衛をつけようと決心なされたのでしょう」

「……そう、ね。それはそうなのだけど……ね」


最初の話に立ち返る。リディアはルーファスに大切にされて嬉しいが、申し訳ないという気持ちの方がまだ勝っているようだ。

前例も無いので余計にそう思うのだろうが、それならば作ってしまえばいいのだ(ルーファス談)。アリス(ライアス)も全面的に同意見である。しかも対抗馬のやり口はかなり過激だし露骨だ。過保護なくらいがちょうどいい。


「リディア様、このあたりは曲がり角が多いのでお気をつけを。僭越ながらわたくしが前を歩かせていただきま、っと」


ライアスがそう言ったそばから、誰かが勢い良く飛び出してきた。ライアスはリディアを庇いながら苦もなくサッと避けたが、相手方はずてーん!と派手に転倒した。


「ブルーノ様!」

「大丈夫ですか!?」


転んだ生徒と一緒に走っていたらしい男子生徒二人が手を貸している。


「……ぐっ、うぐぐ、おまっ、おまえ! ぶつかっておいて謝罪もないのかっ!?」


転んだ生徒は、床にぶつけて赤くなった顔を手で覆いながら怒鳴り出す。勝手に転んだくせに随分と偉そうだ。


「そうだぞ貴様っ! この方をどなただと心得るッ!? ……っひ!?」

「この方は侯爵令息の……ひょぇっ!?」


転んだ生徒の文句に続こうとした二人は、ライアスの顔を認識するなり奇声を上げて顔を青くした。


「ぶつかっていませんので謝罪はしません。むしろ走っていた先輩方に過失がありますよね?」

「なんだと!? ……ぅえっ!? ななななっナイトレイ……!?」


冷えた目で正論を吐くライアスに言い返そうと顔を上げた男子生徒だったが、ライアスの顔を見るなりギョッと目を剥いた。

さっきまでの勢いはどこへやら、もう二人と同じく顔色を悪くする。どぱっと大量の冷や汗を流し、カタカタと全身が震え出している。


「廊下は余程のことがない限り走らない。常識ですよね、先輩方?」


ライアスは真顔で男子生徒に尋ねた。


「はっ、はははははひっ」

「そうでスっ!」

「……!!」


男子生徒達は歯が鳴って噛み合わない口を懸命に動かして返事をした。一人はガクガクと首を縦に振った。


「それに……」


ライアスが横にずれ、庇っていたリディアを男子生徒達に見せる。


「「「はっ、はっ、ハズラック公爵令嬢!?」」」


男子生徒達はリディアの姿を確認すると、顔色の悪さを悪化させた。

リディアはライアスの影から出て、やっと視認できた彼らの顔色の悪さに驚く。声色から彼らが随分と萎縮しているのは分かっていたが、ここまで酷い顔色だとは思わなかった。


「下手をすればリディア様に怪我を負わせるところだったのです。……肝に命じてください」


廊下を走ること自体はマナーとしてどうなんだ、くらいかもしれない。だが、ぶつかりそうになった相手はライアスが主のリディアである。王太子殿下の婚約者にして公爵令嬢たるリディア・ハズラックだ。


わたしがいるから絶対にないけど、万が一りっちゃんが怪我でもしたら殴るだけじゃ済まないよ。ねぇ分かってんの?


本気を出すとリディアまで怖がらせてしまうので、少しばかりの殺気を滲ませる。


「はいぃぃぃぃっ!!」

「も、申し訳ありっ、ありませんでしたぁぁぁ!!」

「もう、もうしばせんんん!!」


たまらず泣き出した男子生徒達は、腰を直角に折って謝罪する。下手をすれば土下座をし始めそうである。

いつの間にかギャラリーが出来ている。好奇の目を隠さない生徒達にライアスが凍てつく視線を投げると、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。


おっと、やり過ぎた。散らそうと思ったのに。

……ん? いや待て。ちょうどいいや。このまま見てもらおう。


ライアスがリディアを見ると、男子生徒達の態度にドン引きしていた。

ライアスはごくごく当たり前な注意事項しか口にしていないというのに、こうも怯えるとは何事かといったところだろう。すぐにでも訊きたそうなリディアをライアスはスルーするが、「あとで訊かせてちょうだいね」と溜息をつかれてしまった。


リディアは笑みを浮かべると、男子生徒達に優しい声色で声を掛けた。


「わたくしはライアスのおかげで何ともありませんでしたから、大丈夫ですよ」

「……! あ、あぁ。そんな」

「ハズラック公爵令嬢、なんて、なんとお優しい……!!」

「はぁ……お噂どおりの……!」


まるで天啓を受けたかのように、男子生徒達は感極まった。リディアの柔らかく可愛らしい声が、心に、身体に、染み渡っていく。

ライアスの威圧(本人的には結構抑えてた)を正面から受け、十歳は老け込むほどビビり散らしていた男子生徒達に――途轍もなく効いた。

野次馬したばかりにライアスの絶対零度に当てられ、身が竦んで動けずにいたギャラリーにも――めちゃくちゃ効いた。


「もう顔を上げてくださいませ。次はお気を付けてくだされば大丈夫ですから。それより、皆様お怪我はございませんか?」


リディアは身体を直角に折り曲げたままの男子生徒達を気遣う。


「う……あ……な、なひです……」

「あぅ、ひゃい」

「だい、大丈夫でござ、ございます……」


リディアに促され顔を上げた男子生徒達は、真っ青だった顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。

絶世の美少女がこちらを覗き込んでいたからだ。

くりっと大きい吊り目、スッと通った小ぶりな鼻、ぷっくりと瑞々しい唇、可愛らしく編み込まれたオレンジブロンドの髪。小柄で華奢な女性らしい体つき。

一見、少しキツくも見える風貌だが、心配そうに下げられた彼女の眉と表情からは慈愛が滲み出ている――ように男子生徒達は見えた。


「あら? 皆様お顔が赤いですわ。医務室まで付き添いましょうか?」

「ぅあ……その、あああ、その……だっ、大丈夫れす!」

「……あ、ありがとうございます……平気です……」

「お、お気遣い、感謝します……!」


男子生徒達はまるで聖女だか女神だかと対面したかのような心地だった。

見ていただけのギャラリーも彼らと同じ感情を抱いた。


学園は誰もが平等に学ぶことを謳っているだけで、身分の差が無くなるわけではない。相応の態度と礼儀は学園外と変わらず求められる。

ゆえに、公爵令嬢に侯爵令息が怪我をさせた、もしくはさせそうになったという事態になった場合、お咎め無しとはいかないし、目上の方から確実に目をつけられ、将来に影響を及ぼす可能性もある。

だが、リディアは彼らを許すだけでなく、怪我の有無を尋ね、医務室に付き添うかとまで気遣った。


リディアを王太子妃として認める評判がある一方、未だに幼少期のリディアをあげつらい、王太子に相応しくないと言い張る噂もある。

が、完全にただの妬みと反対勢力のデマだと彼らは確信した。

こんなに寛大で美しい女性がいるだろうか。いやいない。

皆の心が一つになった。


ぽーっとリディアに見惚れて、ライアスのときとは違う意味で動かなくなった男子生徒達やギャラリーを横目に、ライアスは「これらはもう問題無さそうです。早く行きましょう。授業に遅れてしまいます」とリディアを促した。


「――大丈夫なら良いのですが、無理はなさらないようにしてくださいね。では、ごきげんよう」


リディアは呆けたままの男子生徒達を取り残すことに少し抵抗があるようだったが、ライアスの言葉に頷いて別れの挨拶をした。


男子生徒達は二人の背中が見えなくなるほど離れてやっと意識を取り戻し、叫んだ。


「「「ごきげんよう、ハズラック公爵令嬢!! このご恩は一生忘れません!!」」」


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