3.王子妃リディアの護衛…候補
「お初にお目にかかります、リディア・ハズラック公爵令嬢。私はライアス・ナイトレイと申します」
ライアスは微笑を浮かべ、部屋に入ってきたリディアに恭しく挨拶した。
本来、目下の者から挨拶をするのはマナー違反だが、サプライズをしたいと言う王子ルーファスに頼まれたので仕方がない。国王陛下も黙認してくれている。
挨拶されたリディアはというと、表情はほとんど変えていないものの、僅かに見開いた目で相当驚いているのがライアスには分かった。
うん、まぁ驚くよね。唐突も唐突だもんね。
入学式の直後、なんとライアスは登城していた。
一介の(というには謙遜が過ぎるかもしれないが)男爵令息である身ながら、とある命を受けてルーファスに呼び出されていたからだ。
ここには今、国王陛下、ルーファス、リディア、ライアスの四人しかいない(護衛や侍女はいる)が、小規模ながら王族のツートップが集まる重要な場であることが分かる。
「ふふふっ、リディ可愛い。びっくりした?」
驚きと緊張が走るリディアの様子を見て、くすくすと悪戯っ子のように笑うルーファス。
婚約者を愛称で呼び、ナチュラルに可愛いと言うあたり、随分と二人の距離は縮まったようである。アリスが最後に剣聖杯で会ったときの彼らの関係性からは、信じられないくらいの進歩だ。
リディアとルーファスの仲の良さは近頃よく聞いていたが、実際に目にすると感動も一入である。アリスはリディアの努力を想像し、内心で大号泣した。
「…………え、ええ。青天の霹靂でしたので」
フリーズが解けたリディアがルーファスに答え、気を取り直してライアスに向き合う。
「ナイトレイ様のご活躍は聞き及んでおります。わたくしはリディア・ハズラック。よろしくお願いしますね」
「ハズラック公爵令嬢のお耳に入っているとは、光栄の限りでございます」
剣聖杯の後、アリスとリディアは手紙のやり取りを開始した。
公爵家と男爵家の令嬢が懇意であるというのは目立つため、かつてアリスの髪を切ってしまったお詫びという、回りくどい名目を掲げての交流だ。実際はアリスの使い魔でしょっちゅうやり取りをすることが可能だったが、万が一にも誰かに手紙を見られても、一応交流があるからだと思わせられる。
そんなわけで、アリス達はこの数年会うことこそ叶わなかったものの、お互いの近況は大体知っているのだ。
「うふふ、謙遜なさらなくても」
リディアはすっかり貴族然とした態度で対応してくる。
アリスもキャシー達のスパルタ教育により、貴族らしく振る舞うのは結構慣れたつもりだったが、親友相手となると何だかとてもむずむずする。
「いえそんな。ハズラック公爵令嬢こそ、王子妃の鏡でありましょう。ご高名はかねがね聞き及んでおります」
世間では、ここ最近のリディアの評判は鰻登りだ。前はリディアの改心に猜疑的だった人達も、評価を改めているとも聞く。ルーファスの婚約者争奪戦を勝ち取っただけある。
アリスも評判に違わない成果を出し続けるリディアには、尊敬の念が絶えない。自然と心からの笑顔が浮かぶ。
「……あらまぁ、嬉しいですわ……」
ライアスの笑顔を見たリディアが、ほんのりと頬を染める。
ポーカーフェイスを維持出来ないくらいには破壊力があったらしい。
「……リディってばライアスばっか見て、そんなに彼の顔が好き?」
おや、とアリスは思う。先ほどのルーファスのからかうような口調はそのままだが何だか……
「……とても整った顔立ちだとは思います」
こらこら、りっちゃん。目が泳いでるぞ。否定もしてないし。
たしかにライアスは父上に似て、我ながらすっごいイケメンだとは思うけども。
「ふふ、確かにライアスは格好いいよね」
穏やかに同意するルーファスはルーファスで、笑顔のままなのに少し黒さが入っているようにアリスは見えた。もしそうなら嬉しい発見だ。リディアの手紙や世間の評判だけでは、この親密さは分からなかった。
「さて、ライアスを呼んだのはね、リディの護衛候補に任命したからなんだ」
ルーファスがサクッと本題に入った。
「…………ごえい??」
寝耳に水ですわと思い切り顔に書いてあるリディア。
それもそうなのだ。学園は絶対に安全であるというアピールもあって、学園内では王族であるルーファスにさえ護衛はついていないのである。当然、婚約者であるリディアに対してもしかりだ。
リディアがそっと国王陛下を伺うが、首を横に振られている。どうやらこの場はルーファスに一任するつもりらしい。
リディアは国王陛下からの説明はすぐに諦めたようで、代わりにルーファスに尋ねた。
「わたくしの護衛……候補とは、どういうことでしょうか? 学園では護衛は置けないはずですが?」
「うん、そうなのだけどね」
困惑でいっぱいのリディアの手をさり気なく取り、ルーファスが微笑む。おうおう、見せつけてくれるじゃないか。
「リディが正式に僕の婚約者になってから、色々と物騒でしょう?」
「そうですね……」
ルーファスの言葉に遠い目をするリディア。彼女は熾烈な婚約者争いを潜り抜けたはいいが、諦めていない対抗馬の家からしょっちゅう妨害が入っている。最近一番過激だったのは暗殺未遂だ。
「学園には護衛を置けないし、すっっっごく心配なんだ。僕も常日頃リディの側にいられるわけじゃないから、いざというときに守れない。陛下に直訴してはみたんだけどね。状況を鑑みてリディに護衛をつけてくれないかと。……却下されてしまった」
悔しそうなルーファスに、リディアはそっと微笑む。
「ルーファス様。そのお心遣いだけでわたくし、とても嬉しいですわ」
「リディ……」
いちゃいちゃしている二人に、アリスは嬉しさと若干のいたたまれなさを感じるが、国王陛下達は見慣れた光景らしい。平然としている。
「だからね、同じ生徒なら良いだろうって話にもっていったんだ」
「……え?」
「名案でしょ?」
リディアの両手を握ったままのルーファスは、相変わらず天使のよう。完成度の高すぎる美貌に、リディアは頬が紅潮している。
かくいうアリスも至近距離で食らって「うっわぁ! 美形!」と脳内ではしゃぐ。美人は三日で飽きるって言った奴、それ本当に美人だったのか? と問い質したくなるが、それは置いといて。
「ルーファス様。同じ生徒なら、とは……?」
いまいち話を飲み込めないリディアは、ルーファスに詳細を求めた。
「そのままの意味だよ。ライアスは騎士団に所属しているけれど、生徒のうちは見習いと決められているからね。つまり、騎士見習いなら正式な護衛としての扱いにならないと言うことだよ。そうすれば、今までの慣例に抵触しないでしょう?」
そういうの知ってます。屁理屈って言うんですよね?
そもそも護衛という存在を置かないのが慣例なんですよね?
つまり、見習いとか正規の騎士とか関係ないですよね?
そんなツッコミをする人間はいなかった。
唯一できそうな国王陛下は渋い顔をして黙っている。どうやらすでにルーファスに丸め込まれた後らしい。
「あくまで騎士見習いのライアスだけど、正式な騎士に匹敵する能力がある。人柄なども一通り調査を入れた結果だから、安心して欲しいな」
「ルーファス様……」
リディアはルーファスが自分のためを思ってくれているのは素直に嬉しいが、表面に出して良いのかためらっているようだ。さもありなん。
ルーファスには慣例どおり護衛がいないのに、彼を差し置いて婚約者であるリディアだけに実質的な護衛がつくのだ。複雑な心境にもなる。
「それに、ライアスにとってもメリットはあるよ。いずれ正式な騎士になるにあたって護衛としての経験を積めるから。あくまでライアスの……生徒の成長を促すための一環とゴリ押……丁寧に説得したんだ」
「ルーファス様……」
ゴリ押しって言いましたね! 最終的に力業だね!
そしてさらっとダシにされたライアスはというと、リディアを守れるならオールオッケーである。ルーファスの案に完全に乗っかるつもりだ。リディアの騎士になることを目標とはしていたが、まさか王子のお墨付きで護衛できるとは思っていなかった。
だが、やはりリディアそう簡単には頷けないようで、案の定意を決したように口を開いた。
「ルーファス様。わたくしのことをそこまで心配してくださるのは嬉しいですわ。しかし
「決定事項だからね。陛下達も学園長も黙らせ……しっかりと納得してくれたし、何よりライアスも快く頷いてくれたんだ」
ルーファスは天使の笑みのまま、リディアの意見をぶった切るように言葉を重ねた。
「そ、そうなんですの……」
リディアはルーファスの視線を盗んで、ちらりとライアスを見る。
ライアスはそんな彼女に微笑みを返す。
『何を言っても駄目ってことですわね?』
『そゆこと。これに関しちゃルーファス様、相当頑なだったらしいからね。陛下が梅干し食べたみたいな顔して黙ってるのがいい証拠だよ。絶対にひっくり返らないよ』
『そう、そうね……そうみたいね……ふふ、ルーファス様を差し置いて婚約者であるわたくしにだけ護衛がつくなんて、何様なのかしらね~……』
目線で会話し、リディアが遠い目をしているが、何事も諦めが肝心である。
「……リディア嬢。色々思うところはあるじゃろうが、ルーファスの言うとおり、ライアスをそなたにつけることは決定だ。……そなたが心穏やかに学園生活を送れることを祈っているよ」
あっ、陛下喋った。
「…………過分なご配慮をありがとうございます」
リディアは見事なカーテシーをしながら、礼を返した。
かくして、本日をもってアリス・ナイトレイは、第二王子の婚約者リディア・ハズラック公爵令嬢の護衛“候補”となった。
アリスは、活躍すれば王族の目に留まり、リディアの専属騎士になるきっかけとなると踏んで、昨年の武闘大会で誰の目で見ても明らかな功績を残した。
が、ルーファスがこんなにもリディアを想っていなければ、慣習を覆すまではしなかっただろう。
アリスとリディア、双方の努力で実った結果だ。
唯一、アリスとリディアが学園内で接触することで、前世のように乙女ゲームのシナリオが動き出すのではという懸念があったが、今のところ予兆は無い。少なくとも、入学式で起こるはずだったヒロインと王子の初めて出会うベタなイベントは崩壊しているし、身体に不調はなく、精神も問題ない。
ルーファスの性格もゲームとはかなり、いや、相当違う。
婚約者であるリディアのために自分の親と学園の長を黙らせるような人間でも、天使の微笑みの中に黒さが混じるタイプの人間でもなかったはすだ。
確実に、ゲームから現実は遠ざかっている。
「ライアス、リディを頼んだよ」
「御意」
アリスは騎士の礼をもって、ルーファスに応えた。




