2.入学式(Side リディア)
貴族として貴族らしい振る舞いを。
貴族の家門に生まれたならば、誰しもが幼い頃から叩き込まれる常識であり、マナーである。
まぁそれが出来るかどうかは個人差があるが、少なくとも王子妃であるリディア・ハズラック公爵令嬢は完璧でなければならなかった。
「――新入生の皆様、この度はご入学おめでとうございます。在校生一同、心より歓迎申し上げます」
だから、壇上を見上げて呆けるなんていうのは、以ての外なわけである。辛うじて表情こそ繕ってはいるが、しかと見られれば呆気にとられているのが分かるだろう。
ただ、救いというのか何というのか、茫然としているのはリディアのみならず、新入生全員であった。
時折、リディアの後ろでバターンと何か大きいものが落ちた?音や、誰かが走り回る音がして、「担架持ってこい!」「やっぱりこうなったか」「リハーサル何回もして良かったですね~」という言葉も聞こえてくる。
会ってなかったとはいえ、彼の噂は聞いていたから覚悟はしていたわ……
でも、でもこんなっ……こんなイケメンだなんて聞いてませんわ!?
リディアは叫び出したい衝動を必死に堪え、ぷるぷるする口元を何とか固定する。ドレスのときと違って扇子を持てないのが、これほど大変なのは久しぶりだ。
壇上で在校生代表として挨拶しているのは、ライアス・ナイトレイ男爵令息。
昨年、二年飛び級の天才として、入学前から話題になっていた騎士科所属の新二年生だ。
「――学園長が仰っていたとおり、ここでは貴族・平民の身分の差無く学びの場が設けられています――……」
濡れ羽色とわざわざ表現したくなるような、艶やかでさらさらとした黒髪。若葉を思わせる瑞々しく鮮やかなグリーンの瞳。その美しい色彩に負けない、整った顔立ちとスタイルの良さは非凡も非凡だ。
リディアが事前に聞いていた「見る者すべてを魅了する」という噂には頷くしかない。少年としか言いようのない年齢であるのに、ここまで整っているのが信じられない。
そのうえ、声も少年特有の幼さと高さはあるものの、口調が落ち着いていて聞きやすく、耳障りが良い。元乙女ゲームオタクのリディアとしては、イケボというステータスは好みの点でかなり比重を置く。将来が楽しみすぎてうっかりすると涎が出そうである。
「……もう駄目」
「ベケット侯爵令嬢、大丈夫ですか!? どなたか来てくださいませっ!」
リディアの右隣に座っていたベケット侯爵令嬢が、胸を押さえて気絶した。リディアは慌てて容態を確かめるが、命に別状はなさそうだ。何なら頬を上気させ幸せそうな顔をしている。
そして助けを求めてすぐに、妙に手慣れた手つきの教師や生徒がさっさと彼女を運んでいく。先ほどから聞こえる何かが落ちた音の正体は、ライアスの美貌にあてられた生徒が倒れた音だったのだ。
リディアがそろりと後方に首を向けると、ある者は鼻血を大量に噴き出し、ある者は感涙に噎いで過呼吸を起こし、ある者は神に祈りを捧げたまま気を失っている。なんだコレ。ここは地獄か?
「あーちゃん、あなたやり過ぎじゃないかしら……?」
リディアは思わず小声で呟いていた。
さすが乙女ゲームのヒロイン。彼女の男性化した姿は、まさしく攻略対象に勝るとも劣らない超絶美形であった。
リディアも、攻略対象である王子ルーファスや騎士(現在は見習い)のクリストファーと長年の付き合いがあるために免疫がついているだけで、そうでなかったら尊死していた可能性大である。いや、間違いなくしていた。
「――色眼鏡で相手を見ることをせず、互いに切磋琢磨していきましょう。そして――……」
しかも、ライアスが生徒会長を押しのけて在校生代表の座に着いているのは、昨年の武闘大会で「剣術部門」「魔術部門」「混合部門」の三部門の優勝を総なめしたためだと聞いている。ハイスペック過ぎてヤバイ。
四年前、アリスは王子妃(予定)となるリディアに相応しい騎士となるべく、研鑽を積むと言ってくれたが、予想を遙かに超えた成果である。
リディアも、周囲からの好感度がマイナス百以下の状態から、努力を重ねに重ねに重ね、ついに半年前、ルーファスの正式な婚約者となるまでに認められた。
密かに王妃教育も進められており、日々血反吐を吐く思いで取り組んでいる。孤児院を訪問したり、下町に出掛けて国民の暮らしを自分の目で確かめたりと、国民との交流も深めてきた。
が、果たしてアリスに釣り合うほどの人間になれているのか……と、リディアは若干の引け目を感じてしまう。
「――以上をもちまして、歓迎の挨拶とさせていただきます。在校生代表ライアス・ナイトレイ」
ライアスの祝辞が終わった途端、生き残った生徒からの割れんばかりの拍手が送られた。ここは劇場か何かか? ぶっちゃけ祝辞の内容は、去年のをコピペしてちょっとアレンジしたくらいのものであったが、話し手によって評価は大いに左右されるのものだと明白に証明された。
続く新入生代表の宣誓は、第二王子でリディアの婚約者であるルーファス・オールブライトが務める。ただ王子だからというわけではなく、入学試験で主席の実力ゆえに選ばれたのだ。
「――本日は私達のために、このような素晴らしい式を開いていただき、新入生を代表して心より御礼申し上げます」
壇上で答辞を読み上げるルーファスは、ライアスと真っ向から張り合える超絶美形だ。
王族は総じて美男美女が多いが、ルーファスはさすが攻略対象というべきか、その中でも群を抜いている。煌めく美しい金髪に、蒼穹を嵌め込んだかのような澄んだ瞳をしており、王子と聞いて真っ先に思い浮かべる風貌そのままで期待を裏切らない。
はぁ……ルーファス様かっこいい。
ねぇ皆様、あの方、わたくしの婚約者なんですよ!!
大声で自慢して回りたい衝動を、リディアはぐっと耐える。ああ、自分の推しが尊すぎてツライ。
勿論、ルーファスの良さは美貌だけではない。
学業も剣術も魔法も何一つ妥協せずに直向きに取り組み、国民にとって良い王とは何か、王族とはどうあるべきかを常々考えている。
王子、しかもいずれ王太子になるのだから当然、と周囲は思うのだろうが、一番近くでルーファスの血の滲む努力を見てきたリディアは、それがどれだけ辛く苦しいことかよく理解している。
乙女ゲームのシナリオがどう転んでいくかまだ予測できないが、ルーファスを心から支えたいと思うくらいには惚れ込んでいた。
「――人間として未熟である私達ですが、この学園で大いに学び、成長していきたいと――……」
ルーファス様で未熟だったら、同級生はみな卵ですわねぇ。仕方のないことですけれど。わたくしもあーちゃんやルーファス様に肩を並べられるように、今後も頑張らなくては。
……はぁ~。それにしても、ルーファス様ったら新品の制服がビックリするほどお似合いですわ。素敵ですわぁ……
初々しさはあるものの、新入生にありがちな着られている感はまるでない。絵画のように様になっていて、きゅんとリディアの胸が高鳴る。
幼い頃は美少女のようだったルーファスは、"かっこ可愛い"という絶妙なバランスを持つ美少年へと変貌していた。眼福である。
王子であるルーファスは、入学前から貴族間では幅広く顔を知られているためか、ぶっ倒れる生徒は比較的抑えられて――いや、またバターンと倒れる音がしたので、そうでもないかもしれない。別方向からも聞こえた。そして、リディアの左隣にいたヒーズマン伯爵令嬢もダウンし……すかさず運ばれていく。両隣が空席になった。
「――以上をもちまして、新入生代表の挨拶とさせていただきます。新入生代表ルーファス・オールブライト」
ルーファスが答辞を終えると、ライアスのときと同じようにスタンディングオベーションが巻き起こった。だからここはどこの劇場だ。誰かが悪乗りして「アンコール!」とか言っている。
日本の乙女ゲームが元になったからか、保護者代表だの来賓だのからも祝辞が述べられ、かなり日本風な内容で入学式は進行していった。
前々世の女子高生時代が思い出され、リディアは懐かしい気持ちが湧くのと同時に、前世の凄惨な記憶も蘇る。
身体が震え出した。
暗くて重たい影が全身に覆い被さり、身動きが取れなくなる錯覚に陥る。
――リディア・ハズラック。
リディアは自身に問いかけ、閉じそうになる意識を無理やりこじ開ける。
未来の王太子妃にして、かの騎士の主となる者よ。
しっかりしなさい。足掻くと誓ったでしょう?
ぶちぶちと手掴みで影を引き千切り、追い払う。
そう、これは武者震いよ。シナリオが何だっていうの?
はっ! 戦ってやるわよ。最後まで!!
他でもないアリスへ誓ったあの思いを、リディアはここで再び胸に刻むのだった。
こうして、多数の尊死犠牲者を出しながらも、教師と在校生の見事な立ち回りにより、リディア達の入学式は恙なく進行し、閉式となった。
……なお、のちにこの入学式は"金色天使と漆黒天使の聖なる祝福"とかいう中二も真っ青な通称で呼ばれ、学園の伝説として語り継がれることになる。
あの入学式に参加し正気を保っていた生徒達に当時をインタビュー「壇上だけは確かに祝福だった」「それな」「会場全体にタイトルをつけるなら"鮮血の船出"」「シンプルに"地獄絵図"」「俺、何人医務室運んだか覚えてない」「途中でベッド足りなくなったわよね…」




