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46.誓い



「――前世、なぁ……」

「うん」


アリスは、異空間で(クラリス)に話したように、前々世、前世、今世のこれまでを全て話した。


「……信じられないよね」


苦笑しながらアリスが言うが、フレデリックは意外な答えを返した。


「んー……普通はそうなんだろうな。驚きもしたし。だけど、何つーか、むしろしっくり来たって感じだな」

「えっ、しっくり……?」


しっくり来ちゃうの?? 柔軟性ありすぎじゃない??


「うん。気づいてなかっただろうけど、アズってずっと誰かを探してるみたいだったからな」

「えっ」


初めて聞く言葉に、アリスは目を丸くする。


「おれといても、誰といてもな。特に初対面の相手はじっと見る癖があるし」

「そんなにあからさま!?」

「いや? よく見てるおれだから気づく程度だとは思うぜ」

「そ、そう……ならまあ。……でも気をつけよ……」


会う人会う人に嫌な思いをさせていたかもしれないと、アリスは反省した。


「信じられたのは大きく二つで、一つはついさっきの一連の流れだ。ルーの治療のときから急に、公爵令嬢相手におれやチビ達相手みたいに普通に喋り出して、ハズラック公爵令嬢も気心知れた感じて返してたよな。そのときはルーが心配で気にする暇なかったけど、落ち着いて思い返したら変だなって。二人が知り合いなのは知ってたけど」

「仲が良さそうなのが変だった? 公爵家と男爵家の身分差があるから?」

「違う違う。普通はそれもあるんだろうけどそこじゃない」


じゃあ何――と言おうとしたアリスの代わりに、リディアが答えた。


「例のお茶会よね」

「……えっと? お茶会ってりっちゃんと今世で初めて会ったときの?」


数年前に開催されたハズラック公爵家主催のお茶会。リディアが魔力を暴走させてアリスに飛び火し、怪我はなかったものの、男の子でもそこまで短くねーだろというくらい髪が短くなった例の騒動である。

この出来事は当然のようにフレデリックにも話していた。というか、髪が短くなっていたアリスを見たフレデリックから物凄い勢いで事情を聞かれた。


「あのときは記憶が戻ってなかったとはいえ、人としてどうかしていたわ。あーちゃん、こんなに時間がたってしまったけれど、本当にごめんなさい。反省しています」

「や、ちょ、りっちゃん頭上げてっ!」


深々と頭を下げてくるリディアに、ぎょっとしたアリスが慌てて彼女の肩に手を置いて止めさせる。それでも尚、リディアは顔を上げない。

当時、公爵家からは謝罪したが、リディア個人からは何もしなかった。記憶を取り戻したリディアにとっては、己の過失がいかに大きいか理解しているし、猛省している。


「結果として髪を切っただけとみえるかもしれないけれど、危うく怪我をさせるところだったし、この国で女性の髪というのは掛け替えの無いもの。文字通り女性の命と言ってもいいわ。それをあんなに短くさせてしまって……許されないことだわ。身分が逆なら謝罪だけで済まなかったはずよ」


この国では女性の髪が短いのは有り得ない事態なのだ。皆、最低でも必ず鎖骨より下まで伸ばしており、この価値観は平民も貴族も変わりない。短いのは赤ん坊か伸ばす途中の子どもくらいだが、当時のアリスの年齢であの髪の長さというのは、まさに有り得ない事態だった。アリスはあのとき初めてフレデリックの狼狽した姿を見た。本気で心配された。


「いや……怪我もしてないし、ベリーショート初めてでちょっと浮かれたくらいだし、もう普通に伸びてきてるし、気にしてないよ。でも、謝罪は受け取っておくね」


困ったように笑うアリスの頬を、フレデリックがもちもちと摘まむ。


「はぁー。ったく、身分が上だからって正直、許せるような出来事じゃない。なのに、アズは信じられないくらいかっなーりあーっさり許してるから、アズの器がでかいのか途轍もないアホなのか真面目に悩んだぜ」

「ちょ、酷い」


そんなこと思ってたんかい!


「――だけど、これがアズの話を信じられた理由のもう一つだよ。髪が短いことが普通の世界で生きたことがあって、かつずっと前からの親友だからアレを許せたのかってな」

「……そっか」


信じてくれたことが嬉しい反面、フレデリックの目が少し鋭くなっていて、アリスは冷や汗をかく。当時を思い出したらしいアルバートとキャシーからも怒りの空気を感じるし、イーサンも怪訝な顔つきだ。


あれやだ何か嫌な雰囲気……どうしようりっちゃんの株が急降下してる。ルーファス様救助の快挙が打ち消されそうになってる。付き合いの浅い剣聖まで怖いよ顔が。よ、よし。こんなときは他国出身の師匠ヘルプアス! ……お……? 嘘でしょ? 機嫌悪い? 


「ひゃぇ……わ、わたくし、学園入学前にもうバッドエンド確定ね? そういうことよね? 自業自得過ぎる……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


周囲からの怒気に我慢できなくなったリディアが、涙目でアリスに抱きついた。この面子の怒気はヤバイ。大人でも泣く。普通に泣く。何ならチビるし失神する。


「りっちゃん、大丈夫。大丈夫だよー」


ん゛んんっ。かわっ。可愛いっ……!!


アリスは叫びそうになった言葉をぐっと飲み込んだ。

いつもは強気に見えるリディアの吊り気味の大きな瞳が涙でうるうる潤み、恐怖で眉が下がっている。本気でびびっているところ不謹慎だが、さすが乙女ゲームヒロインのライバル。美少女の涙目めちゃくちゃ可愛い。


「ひっ。あーちゃ、見て。なな、ない、ナイトレイ男爵の怒気が……いえ、殺気がヤバイの。視線だけで人を殺せそうなのっ」

「あれはちょっと意地悪したいみたいだよ。ごめんね親馬鹿で。もう本気では怒ってないよ。さっき真摯に謝ってくれたし、すでにわたしが許してるしね」


あ~うわ~。か~わいい~。はぁぁ可愛いぃぃ~。


ぷるぷると子兎のように震えだしたリディアを安心させるため、アリスは抱き締める力を強めつつ彼女の可愛さに口元をヒクヒクさせていた。


ゲームのリディアは嫌いというか、どうしようも無い子だなという印象で、ビジュアルも別に可愛いと思ったことが無かったが、中身が親友だとこうも違うのかと思い知る。純粋な顔面偏差値の高さと小動物的な可愛さを兼ねるなんて、原作よりもよっぽどヒロインと対等だ。

平均より少し小さめのリディアは、平均より高いアリスの腕の中に丁度良く収まる。これも可愛さポイントを上乗せしている。これまでリディアは性格に難がありすぎて嫌厭されていたが、中身が伴ったら相当モテるだろう。


「本当? あれ、あの、あの殺気って抑え気味なの? あれが? あれが?」

「ほんとほんと。りっちゃんは貴族のご令嬢だからねぇ。嫌みとか値踏みとかそういうのは分かるだろうけど、殺気の度合いは正確に分からないよね。でもあれは大丈夫だよ~」


リディアが先ほど視線だけで人を殺せそうだと言ったが、おそらくアルバートには実際に出来る。


「逆になぜ同じ貴族令嬢のあーちゃんは分かるの……あっ! その、わたくしのため……よね」

「……りっちゃん?」


ピンと来たリディアがそのあとに見せた表情に、アリスは少し声を低くする。


「もっ、もう言わない! 騎士を止めろとは言わないわ!」

「ふーん? ならいいけどねぇ?」

「あ、あーちゃんも怖いわよ!? ヒロインのそんな顔見たことないっ!」

「だってわたしはわたしだもん?」


必死なリディアが可愛くて、アリスは少し意地悪そうな顔をして笑ってみせる。


「う゛……ッ! ッ!!」


(見た目)美少年から繰り出された笑みは、リディアにクリティカルヒット。あまりの尊さにリディアは心臓付近をぎゅっと押さえた。胸がいっぱいで呼吸がっ。呼吸がッ。と一頻り悶絶する様子は、前々世の女子高生時代を思い出す。


「それはそうなのだけど~~~! 『花君』のヒロインは健気な良い子タイプだったから戸惑ってるのよっ!」

「……それはごめんね? 中身がわたしで残念でしたぁ」

「うぐっ……!!」


ちょっと拗ねたように言うアリスに、またもやリディアは胸を貫かれる。隣にいるフレデリックは、リディアの様子に驚きとも困惑とも取れる何とも微妙な顔をしている。うん。どう見ても公爵令嬢じゃない。分かるぞその気持ち。


「はぁはぁヤバイわ萌え殺す気なの何なのどうなってるの。ヒロインはぶっちゃけ攻略対象を押しのけて最推しだったけれど健気すぎてもどかしい思いをしたこともあるのよね。今のだって『ヒロイン』なら悲しそうな感じでごめんねって言ってたはず。でもそれはさすがにそこまで申し訳なさそうにされると罪悪感通り越してちょっと苛立つというか何というか。それを……! あんなっあんな可愛らしい顔で拗ねられたらもうもうもう! 元々ヒロインのビジュアルは好きだったけれどその比じゃない! どうしようこれ最推しの中の人がわたくしの親友ってえっちょっと待ってそれってもしかしなくても最高オブ最高では??」

「りっちゃーん、戻って来てー」


アリスは怒濤の早口で萌え語りを始めたリディアを止める。

仕切り直すように軽く咳をして、リディアを見つめた。


「えーっと、とにかくね、騎士を目指すのは止めないから」

「……………………えぇ」


さっきまでのオタク的な勢いはどこへいったのやら、途端にリディアは真顔になって、全く納得してない感満載の回答を絞り出した。アルバート達の怒気も忘れられるほどに、また不安と恐怖が彼女に戻ってきたようである。

また振り出しに戻ってしまったのかと顔を引き攣らせるアリス。だが、良い言葉が見つからない。


「ハズラック公爵令嬢の不安も分かりますが、アズの言う通り何もかもがその乙女ゲーム?の通りに進んでるわけではないのでしょう?」


沈み始めた空気に切り込んでくれたのは、フレデリックだった。


「でしたら、そうならないように手を尽くすしかないと思いますが」

「……それは、そうだけれど」


憂慮が拭えずに俯いているリディアを見たフレデリックは、片眉を跳ね上げてガラリと表情と口調を変えた。


「それともあれか? アズのために頑張ることを()()放棄しようっていうのか?」

「!!」


リディアはフレデリックの言葉に大きく肩を振わせる。思わず顔を上げると、バチッと音が鳴りそうなほどの強さで彼と視線が交わった。


「……あなた」


今日初めてあったリディアにも、フレデリックの頭の回転の速さが分かった。アリスから身の上話を一通り聞き終えたとは言え、彼はリディアに効くであろう箇所を的確に攻めてきた。

前世、リディアがアリスだけは確実に助けようと、自分が助かる道を模索しなかったことを言っているのだ。


「……平民が随分な口を効きますのね?」


リディアはもう平民を見下しているわけではない。だが身分差が無くなったわけでもないので、公爵令嬢に対する平民の態度としては、フレデリックは罰せられても文句は言えない。

しかし、この少年は分かった上での態度なのだろう。そう思いつつリディアはあえて威圧的に睨んだ――が、フレデリックはまったく怯まず言い返してきた。


「そうだな。だけど俺はアズの親友としての立場で言ってんの。……アンタは違うのか? なぁ?」


婉曲もせず真っ直ぐ挑発してくるフレデリックの意図をリディアは理解した。

真っ向から喧嘩を売られているのだ。


二人とも幸せになりたいというアリスの想いに応えないのか? 

また逃げるのか? 

親友ってのは嘘か? 

おまえの友情はその程度か? 


――そう、問われているのだ。


ならばその喧嘩は買うしかない。

アリスとの友情を嘘呼ばわりされるなどたまったものではない。


「ふふふ。そうですわね。わたくしはあーちゃんの一番の親友ですから。……昔も、今も」


今世の好き勝手に生きてきたリディア・ハズラック公爵令嬢とは違う、淑女然とした微笑み。

そして宣言する。


「わたくしリディア・ハズラックについた悪評を払拭し、アリス・ナイトレイの主として、王子妃として、誰からも認められる立派な令嬢になることをここに誓いましょう」


リディアの恐怖は消えていない。

けれど、フレデリックの言うとおり、何もやらずに後悔するような真似は、愚か以外の何物でも無い。


「――なりふり構わず、死に物狂いでやってやるわよ……!!」


アリス(ヒロイン)リディア(悪役令嬢)のハッピーエンドを望むなら、大好きな親友が自分の幸せを望むなら、それに応える努力をしなければ。

リディアに覚悟が生まれた瞬間だった。


「フレデリック、ありがとう。また堂々巡りになるところだった」


アリスが感謝の気持ちを込めてフレデリックに言うと、「おれは発破掛けただけだし、実際にできるかどうかはお手並み拝見ってやつだよ」と大したことはしてないと笑って返す。


十分、大したことなんだけどな。


アリスはつくづく人に恵まれたと実感する。

フレデリックだけじゃない。ここまでずっと見守ってくれているアルバート、キャシー、ファウスト、イーサンの大人組。特に親馬鹿のアルバートとキャシーは、きっとリディアをちゃんとは許せていないし、口を挟みたかっただろう。それでも、アリスの意志を、リディアの意志を、見守ってくれた。


アリスは感謝の意を込めて一人一人に視線を合わせたあと、リディアに向き直る。


さて、リディアは変わってみせると言ってくれた。

改めて、アリスも決意する。

大切な親友が、大切な家族が、大切な人達が幸せになれる未来のために。


「リディア・ハズラック公爵令嬢」

「……はい」


アリスは片膝をつき、右腕をクロスさせるように胸に置いた。

真っ直ぐにリディアを見据え、万感の思いを込める。


「わたくしアリス・ナイトレイは、リディア・ハズラック様の騎士になるべく研鑽を積んで参ります。騎士となった暁には、正式な誓いを立てさせていただきたい」

「……ええ」


複雑な思いを抱えながらも、しっかりとリディアが頷く。

頷いてくれた。


リディアの答えに満足したアリスが口角を上げる。

そして、親友としてまた誓う。


「――待っててね、りっちゃん。必ずあなたの騎士になる」


そう不敵に笑うアリスは、まさしくヒロイン……いや、ヒーローのようだった。


第一章完結です。 

ここまでお読みくださった方々、本当に感謝しています!

次回からは学園編もしくは番外編を予定しています。

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