45.想うがこそ
その場にいた面々はアリスの流した涙を見て衝撃を受けていた。
初対面のイーサンはともかく、アリスは滅多なことでは泣かないことを皆よく知っていたからだ。
マナーも、剣も、魔法も、どんなに厳しく指導されようとも、涙ぐみそうになるとぐっと堪える強い少女だった。
前々世から付き合いのあるリディアでさえも、親友の涙など見た記憶が無かった。
「あーちゃん……ごめん……なさい」
そんな親友を泣かせている事実に、リディアは胃が冷たくなる。
「――ねぇ、それは何?」
何回目かのごめんなさいを言うリディアに、アリスは苦しげに尋ねた。
「それは何なの?」
「……え?」
問われている意味が分からず、リディアは戸惑う。
「その謝罪は何の謝罪? ちゃんと分かってくれたの? 二人とも幸せになる道を掴み取ろうって言ってるんだよ、わたし」
謝罪など求めていない。
そんなものはいいから、勝手にいなくならないで欲しい。
一人で背負い込まないで欲しい。
「……でも、でもまた強制力があるかもしれないでしょう? そうなったらいくら頑張ったって意味がないじゃないっ!」
くしゃりと顔を歪ませて、リディアが心境を吐露した。
ドクリとアリスの心臓が跳ねる。
それは、アリスがずっと考えないように、無理矢理頭から追い出していたことだった。
「…………でも、」
じわりと這い寄る恐怖に呑まれないよう、アリスは奥歯に力を込めた。
「前世では動ける時間もあった。今回も……」
「無かったら?」
意趣返しのように、リディアがアリスを遮った。
「ゲームのシナリオが始まるとき――学園に入学した途端、強制力が働いたら? そのままずっとだったら? またわたくしはあーちゃんを虐めなければならないの? 傷つけなければならないの?」
「ッ今回は違うかもしれないでしょ? 今日だってシナリオが少し変わったし、騎士になればヒロインの役柄は取り消されるかもしれない! そうなれば敵対せずに側にいられる!」
「騎士になったって強制力で無かったことにされるかもしれないじゃないっ!」
二人は泣きながら喧嘩する。
言い合いながら、相手の言い分に一理あることは分かっていた。
「そもそも騎士自体が危ない仕事でしょう!? シナリオ云々の前に何かあったらどうするのよ!? それだったらやっぱり……!」
「まだ一人だけ犠牲になろうとしてるの!? いい加減にして!!」
前世を繰り返すまいと運命に逆らおうとするアリスと、前世と同じ未来に怯え再び一人犠牲になろうとするリディア。
互いを思うあまり、収拾がつかなくなっている。
ごちゃごちゃになった感情が、じくじくとアリスの胸に渦巻いて痛い。
リディアの言う未来を思い浮かべてしまい、知らず知らずのうちに身体が震える。
アリスは無様に震える手を止めようと、もう片方の手できつく覆うが、止まってくれない。
脳裏をチラつく真っ赤な飛沫。
視界が狭まる。
闇が侵食する。
何も見えない――
「――アズ」
ふわりと、アリスの手の上に温かなものが置かれた。
一回り大きい、少年の手。
「…………ふれっど?」
「うん。俺だよ」
フレデリックはそう言うと、温度を分け与えるようにアリスの冷え切った両手を包み込む。
爪が食い込むほど固く握られているアリスの手をゆっくり解いてやると、彼女の手は強く握りすぎて白くなっていた。
「ほら、こっち向け」
アリスが言われるままに彼の方向を向くと、目元をぽんぽんと優しく拭かれる。
決壊したダムのように止めどなく流れる涙は、あっという間にハンカチを湿らせた。
「あーあ、目が腫れてるぜ。酷ぇ顔だなー」
「……ふれっど」
「ん」
「……ふれっど」
「おう」
名前を呼ぶだけのアリスに、フレデリックは優しい声で応えてくれた。
「……ありがとう」
「アズは我慢しすぎなとこあるからなー。ちゃんと発散しとけ」
「うん……」
フレデリックの包容力はアリスに安心感をもたらし、心が満たされたアリスの涙は徐々に止まってきた。
凪いできたアリスの心が分かったのか、フレデリックは「落ち着いてきたな」と微笑む。
――あーーー……好きな笑顔だ。
一見飄々としているフレデリックは、その実ナイトレイ領の子ども達の中心なだけあって、面倒見の良い兄貴肌だ。それがここぞとばかりに遺憾なく発揮されている。
――……あんなに怖かったのに、もう、安心してる……
アリスの心臓がきゅうと締め付けられ、ぽろりと涙が一粒落ちる。
「おっと。止まったと思ったけど……アズ、実は結構泣き虫だったのか?」
フレデリックはクスッと笑うと、またハンカチで拭いてくれる。笑顔も声も手つきも、何もかもが優しい。
今世でできたもう一人の親友。
病弱で友達がおらず、前世の辛い記憶を思い出したばかりのアリスを、皆の輪の中に連れて行ってくれたひと。
「いいんだぜ? 年相応に泣いたらいいよ」
「……フレッドと三歳しか違わない……!」
「はははっ。文句言う元気が出てきたな」
ぽんぽんと宥めるように背を叩かれると、思考を覆っていた闇がすっきりと晴れていく。
フレデリックの言葉に甘えて、アリスはぐりぐりと彼の胸に頭を押しつけると、小さく息を吐いた。
「…………聞いてくれる? わたしと、りっちゃんに何があったのか……」




