44.怒り
今年も一年、読んでくださりありがとうございました。
コロナが猛威をふるっていますが、皆様お身体に気をつけて良いお年を!
「ちょっ、ちょっと待ったぁ!」
こうして、少女アリスは騎士への第一歩を踏み出したのでした――という空気をぶち破ったのは、リディア・ハズラック公爵令嬢ことアリスの前々世からの親友りっちゃんであった。
皆の注目がリディアに集まる。アリスも結婚式の最中に乗り込んでくる乱入者みたいな台詞だなぁなんて暢気に思いながら彼女に目を向ける。
「待ってちょうだい! あーちゃん、ねぇ、あなたね、まさかと思うけど、騎士になりたいのってわたくしのためじゃないでしょうね……?」
リディアが顔を引き攣らせながら、アリスに尋ねた。
あっこれ止めさせようとしてんなと感づいたアリスは、ふんと鼻を鳴らしてふんぞり返る。
「そうだよ? 何か問題でも?」
「もっ、問題だらけよ!? あーちゃんの人生を棒に振らせて平気なわけないじゃないっ!」
そう訴える親友にアリスはムッとする。
りっちゃんをハッピーエンドに導く役割が、人生を棒に振ることになると思ってんの? こーのすっとこどっこいが!
「はん! りっちゃんの言うことなんて聞かないもんね!! 前回、りっちゃんの言うこと聞いて起きた結末、怒ってるんだからね!?」
アリスは前世のことで自分の無力さを責めない日は無かったが、リディアにまた会えたことで芽生えた気持ちもある。
怒りだ。
「りっちゃんが、嘘をついてまでわたしを助けたいと思ってくれてたのは分かるよ。だけどね!? 自由に動ける時間もあったじゃん。りっちゃんだけ犠牲にならずに済む道もあったかもしれないでしょう!?」
「……それは……」
リディアがうろうろと目を泳がせる。図星だったのだろう。シナリオ外の時間帯は、キャラクターの役割から解放され、自分の意志で動くことが出来た。アリスの言うとおり、二人が助かる可能性が無かったわけじゃない。けれどリディアは、"確実に親友は助かること"の方が大切だった。
前世で生きたゲームのシナリオは「ハッピーエンドでは必ず悪役令嬢が処刑され、バッドエンドでは必ずヒロインが死ぬ」というクソみたいな二極。
だが逆に、両方をハッピーエンドへ導くのは不可能に近くとも、片方だけが助かるのはゲームを知り尽くしていた前世のリディアにとって朝飯前だったのだ。
「で、でもね、わたくしはやっぱり……」
「あのねぇ」
アリスは強い口調で遮った。
黙ってれば同じ事を繰り返すつもりだ、この親友は。
「勿論こっちだって不幸になるつもりはないんだよ。奇しくも今日、シナリオにヒビを入れたしね。――……二度と親友を目の前で死なせてたまるかっての!」
「!」
怒りと悲しみがごっちゃになったようなアリスの叫びに、ハッと息を呑むリディア。アリスもしまったという顔をする。
アリスは今、「目の前で」と言った。その意味が分からないリディアではない。
「あーちゃん、まさか、あの日、処刑場に……」
青ざめるリディアに、今更繕えないと悟ったアリスは観念したように頷く。
「いた」
「そんな……」
リディアは絶句して、よろよろと馬車のドア枠にしがみついた。
座っていても倒れてしまいそうなほど顔色が悪い。
「りっちゃん、ごめん、余計なこと言った」
アリスは彼女の過剰な自己犠牲精神を改めて欲しかっただけで、詰るつもりはこれっぽっちも無かった。だが、この様子ではどう見ても罪悪感を抱かせてしまっている。
「――あーちゃん。ごめん。ごめんなさい……」
案の定、リディアは涙をボロボロと零しながら懺悔を始めた。
親友の首が落とされた場面を見てしまった前世のアリスの心情を想像してしまったようだ。
「あーちゃ、あー……ちゃ……ん」
「りっちゃん、泣かないで」
「ごめ、ごめんなさ、だって、だって……きっと、あーちゃんずっと……! わたくしは、やっと、今日思い出し、た、けれどっ……」
あー……そこまで気づいちゃったのか。
どうやらリディアは、これまでの成り行きを見て、アリスが前々世からの記憶をかなり前から取り戻していたことを察したらしい。
アリスが前世のリディアを救えなかったと責めていたことも、罪悪感を抱えて生きてきたことも分かってしまったようで、リディアは親友を苦しめた自分を責めている。
「落ち着いて呼吸して。りっちゃん、大丈夫だよ。責めるみたいな言い方になっちゃったかな。ごめんね」
アリスは安心させるように、ドア枠を掴んで何とか倒れずにいるリディアを抱き締める。
「ちがっ、あーちゃんは悪くない……!」
リディアが震える手で抱き締め返してくる。とても弱々しい力だった。
彼女は何とか泣き止もうとしているようで、ふっふっと呼吸を整えようと努力している。
アリスとリディアはしばらく抱き締め合った。
前々世からの記憶が自然と蘇ってくる。
毎日りっちゃんはあくびしながら学校に来るんだけど、当然のように乙女ゲームで徹夜したせいで。わたしがまたやったのって苦笑すると、あーちゃんだって夜通し漫画読んでたんでしょクマできてるよって返されて。
授業中、苦手な科目がある日に限って日直だからって先生に指名されて焦って。どうにも口調がのんびりな先生の授業では眠くて眠くてたまらず寝ちゃって。あとでりっちゃんにノート見せてもらおうと思ったらりっちゃんも寝てて。
放課後は部活をやってヘトヘトになったところを、お疲れさまぁと余裕な表情で文化部のりっちゃんが先に帰るんだけど、文化祭付近は冊子出すからって殺気立ってるりっちゃんに今度はわたしがお疲れさまぁって言って。
休みはカラオケとか買い物とかもするけど、家でゴロゴロだらだらしながら過ごす方が好きで。お互いの家に行くくせに各々ゲームして漫画読んで。でもそれが全然嫌じゃなくて心地よくて。
りっちゃんは、乙女ゲームをゴリ押ししてゴリ押ししてゴリ押しして最終的にやるまでゴリ押しする強引さがあるかと思えば、わたしがちょっと風邪引いただけで涙目でめちゃくちゃ心配するような泣き虫で優しい子で。
そんな親友が大好きで、これからもずっと友達でいたいと思っていた。
それが――次の生では、乙女ゲームの世界に放り込まれ、強制的にヒロインと悪役令嬢の関係になった。
親友だったのに、相容れない存在としてあの世界に生きた。
自分の意志で動けない恐怖。怒り。苦しみ。悲しみ。
りっちゃんはヒロインであるわたしを悪役令嬢として虐めなければならなかった。
わたしは攻略対象と結ばれるヒロインとして、りっちゃんを悪役にしなければならなかった。
意志に反して親友を傷つけて。追い込んで。
――その結末が、親友だけ犠牲になった、あの日。
もう二度とあんなことがあってたまるか。
親友にだけ背負わせてたまるか。
絶対に、阻止してやる。
リディアの引き攣ったような泣き声が落ち着いてくる。
突如、彼女の抱き締める手に力が籠もった。
「あ、あーちゃん、あの、」
「なるからね」
怖ず怖ずと顔を上げて声を発したリディアを、アリスは食い気味に遮る。脊髄反射の速さだった。
長年、彼女の親友をやってきている身だ。何を言わんとしているのか、アリスには手に取るように分かる。
本当にこの子は馬鹿だと、いい加減にして欲しいとアリスは思った。
「騎士になるよ、わたしは」
「えっ」
リディアは面食らった顔をしていた。やはり、アリスの予想は当たっていたようだ。
「止めたって無駄。もう決めたの。今までの剣聖とのやり取り、見てたでしょ?」
「……ッ何でよお……騎士なんて……」
アリスの絶対に曲げないという意志を見せつけられたリディアは、眉尻を下げて再び泣き出した。
騎士なんて、の真意は聞かなくても分かる。記憶が戻る前のリディアが言っていたような野蛮な職業という理由でも、アリスが女だからという性的差別が理由でも無い。
親友に騎士という危険な職業に就いて欲しくない、ただそれだけを思って口にした言葉。
「あーちゃんはヒロインとしてハッピーエンドを目指せば、バッドエンドになんかならないのに! 嫌よ、わたくしの悪評を知らないの? 悪役令嬢に……わたくしなんかに仕えて、あーちゃんまで一緒にバッドエンドになったら……」
嗚咽し出すリディアに、アリスは怒気を含んで言い返す。
「りっちゃん。わたしなんかって次言ったら怒るよ?」
「ヒッ」
アリスの声があまりにも冷たくて、リディアは思わず身体を竦めた。
「何でわたしなんか、って発想になるのか訳わかんない。りっちゃんが前世で――もう絶対やって欲しくないけど――自分を犠牲にしてまでわたしを助けてくれたように、わたしもりっちゃんに幸せになって欲しいって思ってるの、どうして分からないの!? ねぇ! もしかして、親友だって思ってるのわたしだけ!?」
「!? ななっ、なんでそうなるんですの!?」
本当に意味が分からないと驚いているリディアに、アリスは苛立ちを募らせた。
「そうでしょ!? わたしがりっちゃんのことどれだけ大切な友達だと思ってるか、ちっとも分かってないんでしょ! 前々世からの付き合いなのに! しかも、『ヒロインとしてハッピーエンドを目指せ』だって!? ねぇ、わたしはさすがにこのゲームは覚えてるんだよ? リディアはどのルートでも破滅エンドだったよね? 前世のことがあったわたしに、また親友を見殺しにさせる気なのっ!?」
アリスは感情のままに怒鳴り散らした。胸が痛い。凄く痛い。親友を失う恐怖と苦しみが綯い交ぜになって襲ってくる。目も何だか熱くて、叫びすぎて喉も痛い。二度とあんな思いはしたくないのに、当の本人がそれを勧めてくる。どうしてどうしてどうして。
「りっちゃん、わたしが自分だけヒロインとして幸せになって、親友は悪役令嬢だから仕方ないよねって済ますと思ってるの? ずっとずっと一緒にいて大好きな親友を踏み台にするような真似をして、幸せを感じられるような人間だと思ってるの……っ!?」
押し寄せる感情の波が苦しくて、アリスは胸を掻きむしる。
「あ、あーちゃん」
アリスは顔を顰めながら、声の主を見た。
アリスの剣幕に硬直していたはずのリディアは、唖然としながらもこちらを穴が空くほど見つめている。
「あーちゃ、ごめ、なさ、泣かせるつもりじゃ、なかったの」
「……え? ……これ」
何かが頬から垂れてきた。温かくてしょっぱい水だ。
片手でその水を拭ったアリスは、ぼうっと濡れた手を眺めた。拭ったのにまだポタポタ落ちてくる。
アリスはそれが涙だと気づくのに時間がかかった。
そういえば、リディアに泣かせてごめんと謝られたのだった。これがそれか。
上手く回らない頭で、遅ればせながら状況を把握した。




