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43.決意



いくら父親が剣聖をも唸らせる剣の使い手だとしても、いくら母親が世代にいるかいないかの聖魔法の使い手だとしても、あくまでアリスは一介の男爵令嬢。ひとの価値観を百八十度変える実力も実績も何もない。


ならば、こっちが沿ってやろうじゃないか。その価値観に。


「……男でしたら、ですか。ええ勿論です。つい先ほど言ったことは嘘ではありません。それほどあなたの可能性は楽しみなのです」


イーサンは、アリスを怯えさせてはいないようだと漸く分かってきたようだが、質問の意図が掴みきれず慎重な姿勢で彼女を窺う。


「そうですか」


イーサンの答えを聞いたアリスは、言質は取ったとばかりに、それはそれは嬉しそうに目を細めた。


「なら、わたしは男になります」


にっこりと微笑むアリス。史上最高の可愛さと言って良いほどの美少女っぷりだ。乙女ゲーの主人公として恥じない完璧な笑顔。

であるのに、隠す気の無い威圧とギラつく瞳は、ヒロインと呼ぶには悪役すぎた。


「…………………………は?」


たっぷり数秒置いて、イーサンが口に出せたのはその一言。

彼だけではない。ずっと見守っていたフレデリック、リディア、キャシーも、煽ったアルバートでさえ意表を突かれた顔で固まっている。


「あーーーー! もう我慢できねぇわ! お嬢、最高っすね!?」


空気を動かしたのは、何と姿を消していたはずのファウストだった。ヒィヒィと苦しそうに涙まで流して笑っている。


「やっとおでましですか、先生」

「あっお嬢冷たい。しょうがないじゃないっすか~。俺がここにいんの色々まずいんすよ?」


あまりにも軽薄にヘラヘラと笑うので主張の信憑性が薄れるが、隣国出身の彼がこの場にいるのが良くないのは間違いないのだろう。多分。


「つーか、お嬢のSOS聞きつけて、王都に張られた結界ぶち破ってまで転移魔法で駆けつけた俺の努力を褒めて欲しいっす!」

「えっ……! 王都の結界をぶち破った?」


説明しよう!

“王都の結界”とは、国の防衛システムの一つであり、選りすぐりの上級魔導師によって張られた防御魔法のこと。何重にも張り巡らされた強固なこの結界は、許可を受けていない人間や魔物に反応して弾く仕組みになっているぞ!


「そうっすよ~。アルさんを先にお嬢のとこ行かせて、それの後片付けを色々やってたんすよ。バレないように。穴開けた結界の修復したりとか、人の記憶いじったりとか」

「そんなことまで……セルヴァ先生、本当にありがとうございました。おかげで友達を助けられました」

「いいえ~。間に合って良かったっすわ! まぁまぁ骨が折れたっすけど、お嬢が助けを求めるくらいですからね。よっぽどヤバイんだと思って」

「先生……!」

「頼りになるでしょ?」

「はい!」


生徒のピンチに全力を尽くした教師という、とても心温まるストーリーのはずだが、内容の一部がちょっと、割と、かなり物騒である。

アリスはアリスでファウストの物騒な部分を全く気にせず、何ならちょっと感動して目尻に涙を浮かべているし、さすがはアルバートの娘にしてファウストの弟子、間違いなくコイツもヤバい人種になるとイーサンは思った。


「アリス様、それよりもさっきのはどういうことですか? 男になるとは」


ファウストに突っ込みたい箇所は山ほどあるが、一端それは置いておくことにしたイーサンが話を戻した。


「あれを覚える気ィっすよね?」

「はい。学園の入学前……いや、騎士団の入団前には物にしたいです。騎士団の入団はたしか十歳から資格がありましたよね」

「うっわ。あと二年じゃねーっすか!」

「お待ちください。全く話についていけません。どういうことです?」


イーサンは自分の立場に驕る性分では決してないが、こんなにも“剣聖”を置き去りにして話を進める人間は久しぶりだった。腹が立つというより新鮮に感じた。が、今はそういう話じゃなくて。


「お嬢がS()S()()()()()()()()”を習得する気ってハナシっすよ、剣聖サマ」

「そういう話です」


アリスとファウストが、なんで分かんないの? みたいなテンションでやっとイーサンの質問に答えた。当然ファウストは彼の反応を面白がってあえてやっている。アリスはテンションが振り切れてて剣聖への態度がちょっとアレなのに気づいてない。


「……は?」

「イーサンは間抜け顔大会でもやってるのか? 傑作だな」


再び思考が止まって呆けた顔をしたイーサンを見て、アルバートが笑う。


「アルバート様は自分の娘が意味不明なことを言っているのに、何故そんなに落ち着いているんです!?」

「驚いたさ勿論。ただまぁ何となく突拍子も無いことを言う予感はしていた。アリスはクラリスに似て発想が柔軟だし、頑固なところは俺に似ている」


さすが俺達の子と言わんばかりのアルバートに、イーサンは自分の味方がいないことを悟る。


「いやいや……だからって……駄目だ。聞いても何が何だか……SS級ですって? 正気か?」

「それは俺も同感っすわ! エグいっすよね~。SS級なんて魔導師でも習得できるか分かんねぇのに! ぎゃははははっ! やっべぇお嬢、惚れていい?」

「遠慮します」

「あーあ。フラれちゃったっす~。しくしく」

「しばくぞファウスト」

「ちょ、アルさん。冗談だから、じょーだん。ぐえっ、首っ! 首締まっでるがらぁ!」


娘に関しては途端に狭量になるアルバートが、瞬時に移動してファウストの首を締め上げた。毎度の光景なので、アリスは慌てることなくどうどうと父を宥める。


「父上、離してあげてください」

「しかし……」

「“変身術”を教わる人がいなくなるのは困ります」

「……アリスがそう言うなら……」


アルバートは渋々といったように、手を放した。


「剣聖」

「……なんでしょうか」


この流れで自分に話しかけられると思っていなかったイーサン。多少動揺したが、目の前のアリスを見てスッと表情を引き締めた。


「フレッド、ありがとね」

「おう」


アリスはずっと身体を支えてくれていたフレデリックに礼を言って離れる。凜と胸を張って立ち、剣聖の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「途方も無い馬鹿げた話と思われるかもしれませんが、わたしの言ったことはどれも本気です。わたしは女ですが騎士になりたいのです。女であることが妨げになるのならば、男になるのも辞さない。SS級だろうが何だろうが必ず物にしてみせます」


アリスの底知れぬ覚悟を宿した目。

燃え盛る炎というよりも、グツグツと煮えたぎるマグマのような、今にも噴火しそうな莫大な力を秘めたそれ。


「……!」


イーサンは常識に捉われた己の思考が割れる音がした。

ようやく理解できたのだ。

彼女が本気で騎士になりたいと望んでいることを。


「――分かった」


イーサンは凪いだ目で口にした。


「あなたが“変身術”を引っ提げて騎士団のドアを叩くことを、楽しみにしています」

「……剣聖!!」


アリスの目に、やっと純粋な光が戻った。


「騎士になるという、あなたの本気を私に見せつけに来てくださいね」

「はい! 必ず!!」


こくこくと首を上下に振るアリス。興奮で頬が赤い。

スタート地点に立つどころか、スタート地点に立つことを許された程度の進歩だったが、女の身であるアリスには途轍もなく大きな一歩だ。


「あぁ、そうだ。将来が楽しみとは言いましたが、騎士としての見込みが無いと判断すれば即座に追い出しますから、悪しからず」

「それは当然です! 要は中身は女だからと優遇なんてせず、男性と同等に扱ってくださるということですよね!」

「ええ」


そう言ってのけるアリスにイーサンは苦笑した。厳しいイーサンの言葉に全く怯まないどころか、男女で平等の扱いをすることに喜んですらいる。普通の貴族の少女なら、男性と同等に扱くと言われたら失神するほどの恐怖だろう。


「セルヴァ先生! そういうことなので“変身術”を習得します! ご鞭撻のほどお願いできますよね!?」


アリスはぐるんっと身体を回すと、ファウストに勢い良く問いかける。


「おまかせあーれ! 愛弟子のために一肌脱ぐっすよ! んじゃ、これからは師匠と呼んでくださいね!」

「やったぁ! よろしくお願いします! セルヴァせん……師匠!!」


元より肯定を期待して尋ねたアリスだったが、その通りに返してくれた師に心が沸き立つ。


「でもねぇお嬢?」


水を差すように、ニタリと笑うファウスト。悪い顔だ。


「今までの十倍厳しくしてやっから覚悟しろ?」

「じゅっ!?」


ギョッと目を剥くアリス。これまでの十倍の指導とくれば、どれだけ地獄を見ることになるか。


「ふふ……はははっ! 望むところです!!」


アリスは受けて立つとばかりに、不適な笑みを見せる。SS級魔法を二年で使えるようにするのだから、十倍どころか百倍でもやり遂げてやると意気込んだ。


「――そして、父上。わたしは騎士になります。ですので申し訳ありませんが、跡継ぎはどこからか探してください」


アリスは父に向き直ると、深々と頭を下げた。

この国は一人っ子でも女は嫁ぐのが常識だが、アルバートが娘を領主として据えるのに躊躇いのない人柄だということを知っている。自分がこんなことを言い出さなければ、領主の仕事を覚えさせ、ナイトレイ家を継がせるつもりだっただろうことは想像に難くない。


「……アリス」


アルバートにとって、アリスは自慢の娘だ。

勤勉で礼儀正しく、我儘など言ったこともない。恵まれた環境や容姿に決して驕らず、平民の子達と野山を駆け巡って遊ぶほど親密な関係を築いている。

幼気な少女にしては物分かりが良すぎて、アルバートを始めキャシーら使用人が気を揉むのは日常茶飯事。もっと子どもらしく身勝手になってもいいのにと、何度願ったことか。


「好きにしなさい。ただし、投げ出すことは許さないよ?」


そんな娘が選んだ道。

アルバートにとって、応援しないという選択肢は無かった。


「はいっ!! 父上の誇りに思ってもらえるような、立派な騎士になります!」


アリスはありったけの覚悟を込めて、そう誓った。


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