39.救うのは誰?(前半Side アリス 後半Side リディア)
一閃の光が走り、一陣の風が吹く。
「せっかく血が飛び散らないようにしたのに、おまえのせいで台無しじゃないか」
「これでも随分抑えられたと思いましたが、あなたの斬り口を見たら反論できませんね……」
アリスが戦場に到着する直前、その二人は彗星のごとく現れた。
「……父上!? と、……剣聖!?」
よく見知った顔と、つい最近見た顔。
タイプの異なるイケオジ(というにはまだ若い)二人が、驚きの声を上げたアリスに視線を向ける。
「ライアス! 無事かい!? 遅くなってすまなかった!」
アルバートはアリスを軽々と抱き上げ、額にキスをする。ファウストに向けて放った使い魔は、アルバートにも連絡してくれたようだ。
「無事……(とも言いづらいけど)無事です!」
いや、それよりもですよ、父上。
アリスは地面に落ちているそれをドン引きしながら見る。白騎士団を追い詰めた変異種ワイバーンは、三つに輪切りになっていた。皮膚が硬いことでも有名なワイバーンがだ。しかもほとんど血が出ていない。伝聞なら絶対に信じられない状態だが、正真正銘、目の前にその状態で転がっている。百聞は一見しかずとはよく言ったものだ。
そしてこれを作り出したのは、さっきからアリスを抱き上げてここぞとばかりにキスをするアルバートと、黒い騎士服に身を包む騎士――先ほどの剣聖杯で三期目の剣聖を務めることが決まったその人だった。
「……あなたが子煩悩っていうのは本当だったのか。変わるものですね」
アルバートの溺愛っぷりに目を丸くしている剣聖。
「この可愛さを前にならない方がおかしいだろう? 愛する妻が残してくれた宝物だ。おまえも子どもができたら分かるさ」
そう言ってまたアリスにキスをするアルバートに、「そうですか」と剣聖は苦笑いした。
「あ、あの、父上達はお知り合いなのですか? あと、そろそろ降ろしてください」
今のアリスは、格好と背丈的に十歳くらいの男の子である。そのくらいの息子に父親がちゅっちゅちゅっちゅする状況がさすがに恥ずかしくなってきたアリスは、彼らの会話から気になったことを訊いた。
「ちゅっ。そうだよ。何だかんだ仕事で関わることが多くてね」
アルバートは名残惜しそうにもう一度キスをし、ついでに頬ずりもしてから娘を降ろす。いつもよりスキンシップが激しい。アリスはかなり心配させてしまったのだなと申し訳なく思いつつ、あっさり肯定された事実に目を見張る。
ってかマジで? 剣聖と知り合いなの?
しかも態度的に父上の方が上っぽいのは、気のせいかな? ん?
「イーサン。さっさと治療しないとそいつら死ぬぞ」
「簡単な応急措置なら部下がすでにしていますよ。ただ、この人数じゃ人手が足りない。治癒士は、まだ別の場所に必要で来られません」
剣聖が「もう少し早く来られれば」と悔いているのに対して、アルバートがさらりと言う。
「ファウストがもうじき来るから頼んでみたらいい」
「は!? あの人も来ているのですか!?」
「まぁ間に合うんじゃないか? 防御魔法で毒の回りが多少は遅れてるみたいだしな」
さっきから父上、なんだか騎士団の扱いぞんざいだな。助けようとはしてるけど……って、わたしがここに来たのはっ。
「フレッドどこ!? っ馬車か!」
アリスは屋根部分が損傷している馬車に駆け寄る。ドアを開けようとすると鍵が掛かっていたので、何の躊躇いも無く持っていた土剣でバキャッと壊した。
「三人とも無事!?」
魔力を感じた通り、別れた三人がそこにいた。
「ライ! ルーが!」
フレデリックの泣き出しそうな声に、アリスがルーへと視線を向ける。
なっ! これっ……!
「治癒士はまだですか!? 男の子が重体です!」
事態を瞬時に把握したアリスが、騎士達に向かって叫ぶ。
「何だと? 見せてくれ……ッ殿下……!?」
馬車の座席に横たわるルーを見て、剣聖がぐっと眉を顰める。
ルーの肌は紫色の斑点で覆われ、呼吸が止まっていた。脈はあるが、この段階まで毒が回ると応急措置程度では足りない。一刻も早く回復魔法を施さなければ危険だ。
「る、ルー様は助かるのよね……?」
一緒に馬車に乗っていたリディアが、真っ青な顔をして剣聖の腕を掴んだ。
「ルー様を助けてっ。死なせないでっ! お願い!」
「あなたは……ハズラック公爵家の……?」
カタカタ震えながら剣聖に必死に縋るリディア。「お願いよ。お願いします!」と頭を下げながら乞う彼女からは、心からルーを救って欲しいのだと伝わってくる。
騎士達は、噂で散々聞いていた我儘で自己中心的なイメージとはかけ離れた少女に衝撃を受けた。中でも何度かリディアを実際に見たことがある騎士は、余計に信じられなかった。頭を下げるなんて有り得な過ぎて、非常事態なのに脳がフリーズしている。
今回みたいな状況ならば、誰が周りにいようと、それこそ王族がいようとも、自分をいち早く安全な場所に連れて行けと命令する。それほど傲慢な少女であったはずなのだ。リディア・ハズラック公爵令嬢は。
騎士達があまりの衝撃に唖然としている間、アリスは何か方法が無いか考えていた。ファウストがもうじき来るとアルバートが言ったが、もう一分でも無駄にできないほど切羽詰まっている。
わたしがやるしかない……?
この場で回復魔法を使えるものはアリスのみだ。魔力がほぼ空なので文字通り命懸けになる。避けたいが、四の五の言っていられない。
「アリス」
「!」
アルバートが小声で娘の本名を呼んだ。その声色にはどこか諫めるような響きがある。
「絶対に、使ってはいけないよ」
アルバートにはアリスの考えていることが筒抜けらしい。アリスが回復魔法を使えることは勿論、魔力が底を突く寸前であることも分かっている。そこで上級魔法を使えばどうなるか、考えるまでも無いのだ。
「……でも! 彼は王子で……!」
「ファウストが来るまで待ちなさい」
ピシャリと言い切るアルバートには、全く譲る気が無いようだ。貴族としては全くもってあるまじきことだが、王族より娘の命を優先させるという意志がとんでもなく固い。アリスが制止を無視したら、気絶させてでも止めるかもしれない。それは困る。何もできなくなってしまう。
だからって、他に方法なんて――
「わたくしにできることなら何でもするわ……!」
……あ。
アリスは泣きじゃくりながら訴えるリディアを見て、数年前のお茶会を思い出した。あの時、リディアは庭一面に様々な種類の花を咲かせていた。
そう、リディアは土属性適性者であり、植物魔法――上級魔法を使えるほどの魔力量とセンスの持ち主だった。
回復魔法は土属性の上級魔法だ。
なら、わたしがサポートすればリディア様でも回復魔法が使えるんじゃ……?
「リディア様、ならばあなたが殿下を救うのです」
僅かな可能性が見えたアリスは、気づけばそう口にしていた。
*****
「リディア様は植物魔法が使えるそうですね。それならば、回復魔法を使える可能性があります。わたしがお手伝いします」
突拍子もない方法を言い出した平民の少年ライ。それを聞いたリディアはカッと頭に血が上り、馬車を降りて噛みつかんばかりに言い返す。
「何を言ってるのよ!? 回復魔法が使えるなら、とっくにルー様を助けているわ! 確かにわたくしは植物魔法を使えるけれど、回復魔法とは全く別物でしょ!? こんなときにふざけないでよ!」
治療魔法がどれだけ難しいか分かっていないの?
これだから魔力の乏しい平民は!!
ライの無茶ぶりにリディアは苛立った。いくら植物魔法と回復魔法が同じ土属性といっても、まるで異なる魔法であり、ましてや上級魔法なのだ。しっかり鍛錬しなければ習得なんぞできるはずもない。この土壇場でやれとは土台無理な話である。
「それでもやるしかありません、リディア様」
平民の少年は憤る貴族の少女に少しも怯まず、尚も言い募る。その威圧に、リディアはぐっと喉の奥が締まった。
「土属性適性者であり、上級魔法を使えるほどの魔力量を持っている者。つまり回復魔法を使える可能性があるのは、この場であなただけなのです」
ライの口ぶりや目を見て彼が本気なのだと気づいたリディアは、喉元まで出ていた反論を止めた。そして、ライがワイバーンの一撃を防ぐほどの防御魔法が使える実力者だったことを思い出す。
「……で、でも……わたくし、本当に回復魔法なんてどうすれば使えるのか分からないわ!」
リディアはライの言うことに耳を貸す気にはなったが、どうしたって無茶な方法には変わりないと思われた。生気の無いルーファスを見てまた取り乱しそうになる。
「本当は、わたし自ら回復魔法で殿下をお救いしたいのですが、あいにく魔力がほぼ空の状態なのです。ですから、補助をさせていただきたく」
「えっ。あなた回復魔法まで使えるの!?」
何なの、この平民。回復魔法が使えるなんてどうなってるの。
……でも彼の言うとおり、魔力はほとんどないようね。生活魔法も使えないくらいの量よ。よく倒れないわね。
「って……補助?」
「はい。わたしが補助致します」
「わたくしの魔法に対して補助魔法を使うということ? 補助魔法はその名の通りあくまで補助。軸となる魔法があって初めて成立するもの。わたくしは回復魔法が使えないと言っているのに、それは意味ないじゃない」
「はい。しかし、リディア様とわたしの魔力を同調させれば、可能性が見えます」
ライの提案に、ハッと息を飲むリディア。
“魔力同調”とは、魔力を混ぜ合わせた同士を一つの状態にすることだ。そうすれば、リディアの魔力をアリスが動かすなんてことも可能になる。逆もまたしかり。
リディアは納得すると同時に途方に暮れた顔をする。ライの方法は理論上は可能。だが、そう簡単な話では無い。
「回復魔法が使えるのが事実なら、あなたは土属性適性者なんでしょう。つまりわたくしと同じね。でも、いくら属性が同じでも、出会ったばかりのわたくし達が魔力を合わせるのは至難の業よ。他の属性同士よりマシというだけ。それに、合わなくて万が一暴走したら……ルー様を救うどころじゃ……」
弱気になって項垂れるリディアの両手を、ライの手が掬うように握る。
その感触に驚いて顔を上げたリディアと、ライの視線がかち合った。
「…………りっちゃん」
「えっ」
目を見開くリディア。
「りっちゃんとならできる。わたしを信じてほしい」
ぎゅっと手に力を込めるライ。
「……あ、」
リディアは、繋がれた手から、泣きたくなるような温かさを感じた。
ぶわり、と胸が熱くなる。
知っている。
この眼差しを。
この微笑みを。
心地良いこの感覚を。
『ねぇりっちゃん、宿題やった? 問五の問題めっちゃ難しくなかった? って、あっはははは! これ○○先生? めっちゃ似てる……ぷぷ。ガチの写実を教科書に描くなよ。何分かかったの』
『でね! でね! ここで主人公がビシッと新技を成功させるわけよ! もう果てしなくかっこい……ちょっと、聞いてる? こら聞け! この前りっちゃんの乙女ゲー語り三時間も聴いてあげたじゃんっ』
『あ~もぉまた謝るぅ。虐めてんのりっちゃんの意志じゃないの分かってるって何回も言ってるでしょ~?? 今度謝ったらマジックペンでおでこに“肉”って書きまーす』
ずっと、ずっと昔から。
「――そうね」
リディアの柔らかな小さい手で、豆だらけの手を握り返す。
「やろう、あーちゃん」




