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36.継承



アリスが首を傾げた体勢のまま、パチパチと瞬きする。

何を言われたのか分からなかった。


「……え? 受け、継ぐ……? 聖属性を……? え? え? 母……ママ、は、聖属性適性者……?」


歴史上八人しか確認されていない聖属性適性者の一人が、ママだった? それに、聖属性を()()()()って何だ。魔力の属性は親から遺伝するものだけど、任意で選び取って遺伝させられるものじゃない。聖属性の遺伝経路は謎に包まれていたけど、まさか聖属性の遺伝は任意で行えるってこと?


疑問が渦巻いたが、理由はこの際どうでもよかった。


だって、クラリスは聖属性を受け継ぐかと聞いたのだ。つまり、アリスが聖魔法を使う手立てがあるということ。そんなもの、一択である。


アリスは叫んだ。


「聖属性を受け継がせてください! クリスを、友達を助けたいんです!!」


アリスは意識を失う直前に見ていたクリスの姿を思い浮かべ、クラリスに縋りつく。


幽鬼ような真っ青な顔。止まらない血。冷たくなっていく体温。


穏やかな母との時間はたまらなく惜しいが、ここがあの世じゃないのなら、すぐにでも戻って助けたい。手遅れになる前に。


「あ、アリス。落ち着いて」

「こうしている間にもクリスが危ないの! 強力な呪いだった。呪いが古すぎて反転の術式が組めないし、セルヴァ先生に使い魔を飛ばしたけどどうなるか分からない。クリスが死んでしまったら、わたしは! また、わたしは……っ」


脳裏に蘇るのは、前世の親友の最期。否応なしに、クリスと重なる。


「アリス。ここは異空間だから時は進まないわ。現世にいるクリス君の刻も進んでいないのよ」

「わたしが戻ったら進んじゃうんだよね!? お願い、早く聖属性をください。早く、早く、早く! 聖属性が欲しいの!!」


アリスは半狂乱になりながらクラリスに縋る。

一方、クラリスは娘の凄まじい剣幕に戸惑っていた。友達の危機に必死になるのは分かるが、絶望に呑まれそうな顔で切実に訴える光景は異様に見えた。


「アリス。お願いよ。落ち着いてちょうだい」


クラリスは、腕に手形が付くほどの握力で握りしめてくるアリスの背を撫でて、何とか宥めようと試みるが、彼女は遂に過呼吸まで起こしてしまった。クラリスはギョッとしたが、すぐに浅くゆっくりと息を吐くことを繰り返させた。


異常としか言いようのないアリスの様子に、クラリスは彼女の()()に関わることかと感づく。こんな状態になるほどのトラウマを抱えているのかもしれない、と。

しかし、クラリスもはいどうぞと聖属性を譲り渡す気はない。アリスにとってクリスという子がどれほど大切なのか分からないが、クラリスにとって一番大切なのはアリスなのだ。


聖属性にはリスクがある。

それをきちんと理解させなければ渡せない。

そのためにこの空間を創ったのだ。


「ひゅー……、ゲホッ、……取り乱して、ごめんなさい。これも……」


呼吸が戻ってきたアリスは、自分の手形がついた母の腕をさすり、謝る。剣で鍛えられた握力は、母の腕を真っ赤にするには十分すぎる強さを持っていたようだ。確実に青痣になるレベルである。


「いいのよ。落ち着いた?」

「はい」


アリスは申し訳なさそうに、こくりと頷いた。


取り乱している場合ではない。

やっと頭が冷えてきた。

今、クリスを救えるか救えないかの瀬戸際。

だからママはわたしを呼んでくれたのだ。


「……聖属性を受け継ぐ覚悟はあるかと、母上は言いましたね。“覚悟”とは何ですか……?」


何とかアリスは心を持ち直した。

クラリスはそんな娘の姿を見て、彼女自身も覚悟を決める。


「……聖魔法はね、アリス。()()()寿()()()()()()()()()()()()()なのよ」


……命を? 魔力ではなく?


「正確には、寿命が残っている限り、魔力が枯渇した状態でも聖魔法を使用し続けることができてしまうの。そして、聖魔法は他者にしか使えない。自らを癒すことはできないわ」

「……それ、は」


はっ、とアリスは閃く。

やはりゲームのヒロイン(アリス)の魔力量が普通であったというのは、自分の記憶違いでは無かったのだ。魔力量が並みであるにも関わらず、上級魔法にあたる治療魔法を連発できたのは、光魔法や土魔法ではなく、寿命さえ残っていれば使えてしまう聖魔法だったから。


自らの寿命さえも削り、他者だけを救う力。自己犠牲の塊だ。ヒロインの能力としてはこれ以上なく健気で慈愛に満ちたものに見えるが、一人の人間としての未来を見据えたときに、どう考えても明るくない。


寿命を削る設定なんている? ヒロインなんだからその辺はチートでいいじゃん。

そういや、ゲームのラストって攻略対象とくっつくとこまでしかやらないけど、まさか聖魔法の使いすぎで先が無いから……? 


ゲームの製作者はヒロインを幸せにする気がなかったのかと穿った見方をしてしまうが、幸い現実のヒロイン(自分)の魔力量は黒判定。上級魔法を使えるだけの魔力量を保持しているし、鍛えればもっと容量を増やせるはず。これは大きな、大きな違いだ。


「魔力切れを起こしても使えてしまうということは、裏を返せば、魔力さえ十分にあれば寿命を削らずに聖魔法を使えるということ?」

「……ええ」


クラリスは肯定した。

それはつまり、やりすぎなければ普通の属性と変わらないということ。自分に使えないのは別に気にならないアリスにとって、まさかのローリスクハイリターンだ。

予想より遥かに良い答えに、アリスは聖魔法を受け継ぐと決めた。クラリスが深刻な顔をして「覚悟はあるか」と訊くので相当のリスクを想定したが、蓋を開ければ何てことないなぁなんて拍子抜けさえしていた。


「ママ? もしかして、他にも何かあるの?」


小躍りでもしそうなアリスだったが、クラリスが歯痒そうな顔をしているのに気づき、尋ねた。


「……いいえ。アリスの言う通りよ。アリスの魔力量は黒みたいだから、聖魔法を使ってもそう簡単には寿命まで削ることはないでしょう……でも」


この場に来れること自体が不安なのだ、とクラリスは言った。


「最初に言ったでしょう。ここは、あなたが誰かを命を懸けて助けようとしたときのために創ったって。逆に言えば、そんな状況にならなければここに来れないはずだった。なのに、あなたは来た」

「ええと、つまり……?」


あまりピンと来ないアリス。母は何をそんなに懸念しているのだろうか。


「つまり、あなたは自分の命を省みずに他人を助けられる子だということ。そういう子は、また同じことを繰り返す。たとえ聖魔法を使うのに十分な魔力量を持っていて、加減を忘れなければ命を削ることはないと理解していても。きっとまた、自分のことを省みず、誰かを助ける」

「あ……」


アリスは口を噤んだ。身に覚えがあったのだ。今回だけでなく、前々世も同じ事をしたと。


「家族を残して早くに死んだわたしが、娘のあなたにしてあげられる特別なことなんて聖魔法を継がせる(こんなこと)しか思いつかなかったから、もしもアリスに命を懸けるほどの大切な人ができたときに力になりたいと思って、この空間を創ったわ。でも本当は、ずっとここに来なければいいと思っていた。だってわたしの一番はアリスなの。他人のために命を懸けて欲しくなかった」


クラリスに頬を撫でられながら、やっとアリスは理解した。母の言わんとしていることが見えてきた。


「ママは、本当は継がせたくないのね?」

「…………ええ」


娘のわたしを愛してくれているママにとって、自分の身を削る聖魔法は継承させたいものじゃないんだ。わたしもきっと、大切な人に渡すとなったら躊躇う。いや、絶対に渡さないかもしれない。……ママもきっと同じ気持ちなのに、わたしのためにこの場所を創ってくれたんだね。


――でも、わたしはクリスを助けたい。そして、親友を。


複雑な表情でアリスの頬を撫で続けるクラリスに、アリスは自分の過去を話すことにした。


「……ママ、あのね。わたしの話、聞いてくれる?」


アリスは前世のこと、前々世のこと、そして親友のこと……と、順を追って話していく。今世が、乙女ゲームというジャンルのゲームのうちの一本に酷似しており、自分がその登場人物になっているらしいこと、前世と同じ結末になるのではないかと不安で、何とかしたいと足掻いていることも全て話した。


親友のことになると、どうしても目頭が熱くなり、喉が引き攣って上手く話せないこともあったが、その度にクラリスは優しい眼差しで包むように「無理に話さなくても良いのよ」と言ってくれた。

それでも話し続けたのは、アルバートやフレデリックにも話したことのない自分の過去を、本当はずっと誰かに聞いて欲しかったからだとアリスは気づいた。


「アリス。話してくれてありがとう」


妄想力が豊かなおかしい娘判定されることも想定していたのに、クラリスは真実だと信じてくれた。あまりにもすんなり受け入れてくれたので、思わず「ただのよくできた物語だと思わないの?」と訊くと、


「ふふ。わたしも日本人だったのよ」


衝撃の答えが返ってきた。


「……えっ、……日本人!? ママも!? ぐっ、ッえ、ゲホゲホッ!」


アリスは鼻水をずびすびと啜りながら驚く。驚きすぎて噎せるアリスを、どこからか出したハンカチでクラリスが拭いてやる。


「先代はイタリア人だったらしいの。ここは地球人との相性が良い世界なのかもしれないわね。なぜ、そうなのかは分からないけれど……」


クラリスは想像よりも過酷な最期を迎えていた娘に胸を痛めていた。目の前で親友が処刑されるなど、平和な世界で生きてきた少女に耐えられる経験ではない。

同時に娘がこれほどまでに取り乱し、聖魔法を欲した理由が分かり、クラリスは甘やかすようにぎゅっと抱きしめる。

むしろよくぞ、今世で気をやらずに生きてきてくれたと、娘の強さと支えたアルバート達に尊敬と感謝の念が沸く。


「よく、頑張ったわね。今回はアルバートもお屋敷の皆も、ファウストも、あなたを愛して味方でいてくれる人間がたくさんいるわ。大丈夫、大丈夫よ。今度は絶対、前世(まえ)と同じことになんかならないわ」


春の陽だまりのような、温かい何かがアリスの心に溶け込んでくる。それが母からの愛だと分かるのは、短くとも波乱万丈な人生を歩んだ賜物なのだろうか。


「…………うん」


胸がいっぱいなアリスは、くぐもった声で一言だけ絞り出した。




――さぁ、時間だ。


アリスは直感で、もうここが長く持たないことが分かった。母が創り上げてくれた貴重な時間を思って、また胸が温かくなる。


「――……継ぎます、わたし」


アリスはクラリスの腕から抜け出し、正座をして彼女に向き合う。


「聖魔法を、継承していただけますか?」


膝の上で両手を揃え、ピシリと背筋を伸ばし、ひたと母の……クラリス・ナイトレイの目を見据える。


「わたしを愛してくれる人達を悲しませるような使い方は、絶対にしません」


アリスの決意は、目に、声に、強く宿ってクラリスに届く。


「…………幸せにならなきゃ、怒るわよ?」


クラリスの涙を湛えた瞳は、まるで宝石のように美しい。どこまでも母は娘のことを一番に考えていた。


「はい。親友のことも、自分のことも、諦めたりしません」


今世こそ、運命を変えてやる。


「……見守ってて。ママ」


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