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34.運命の歯車は回る



予想していた衝撃がいつまで経っても来ない。


アリスが恐る恐る目を開くと、誰かが覆い被さるように彼女を護っていた。


「……なんで……」


目に飛び込んできたのは、逃がしたはずのクリスだった。


「おまえの防御魔法があったからな。臆面なく飛び込めたぞ?」

「そ、そんなこと聞いてるんじゃな、うわっ」


クリスは同じくらいの身長のアリスを軽々と抱えると、襲ってきた盗賊の男から距離を取る。


「怪我はないようだな」

「う、うん」

「しかし魔力切れ寸前だろう? まったく、無茶をする……選手交替だ。ここで待っていろ」


アリスをその場に優しく下ろしたクリスは、彼女の使っていた剣もどきを「少し借りるぞ」と手に取り、返事を待たずに男に向かって行った。


「またガキかよ!?」

「あぁ、またガキだ」

「なめやがって……っ!」


アリスの作った粗雑な鈍器は、剣を得意とするクリスにはさぞかし使いづらいだろうに、彼は器用に使いこなし、男を追い詰めていく。


男の隙を突いたクリスは、相手の剣を遠くへ弾き飛ばした。


「くそ! 折角、折角ずっと狙ってたお宝が手に入ったってのに! 何だってんだよぉ!」


男は額に青筋を浮かべて怒り狂い、懐から二本の短剣を取り出した。


「死ね死ね死ねっ!」


火事場の馬鹿力と言うべきか、あろうことか男の一撃一撃が長剣のときよりも重くなる。疲労困憊のはずなのに、伊達にこれまで盗賊として生き抜いてきたわけではないようだ。


「ッ!」


手数の多さに、受け切れなかった一撃がクリスの腕を切り裂く。


「クリスッ!」

「かすり傷だ問題ないっ!」


アリスに即答すると、クリスは集中力を増した。

足に身体強化魔法を纏うと、目にも止まらぬ速さで一気に敵の真下に入り込む。


「は、速」

「終わりだ」



*****



「すごいな。治癒魔法まで使えるのか」

「うん、まぁね」


アリスはクリスの腕を魔法で治療中だ。

身体強化魔法も認識阻害魔法も防御魔法も晒した今となっては、上級光属性魔法である治療魔法を出し惜しみして、クリスの怪我が悪化させる方があり得ないと結論づけた。


とりあえず光と無属性しかバレなくて良かった。まぁ、口止めはしとかなきゃだけどね。


「それにしても、クリスは無茶するなぁもう」


やれやれと首を振るアリス。

彼は掠り傷だと言ったが、手当てしてみるとだいぶ深いのが分かる。応急処置で巻いたハンカチはとっくに血で染まり、血止めの意味を成していない。


「いや、おまえな……」


クリスは呆れた表情だ。

言葉にせずとも、「騎士がいたとはいえ、侍女?と二人で十数人いる盗賊の中に残ったくせに。おまえだけには言われたくないんだが?」という彼の声がありありと聞こえてくる。

アリスは自分で放った盛大なブーメランとクリスのジトッとした視線をひょいと躱し、何食わぬ顔で治療を続ける。


キャシーは伸びている盗賊達をロープで縛り上げて、一ヶ所にまとめている最中だ。いや、まとめるだけに留まらず、上手く積み重ねて、キャンプファイヤーの木組みみたいにしている。何をやっているのか。よっぽど腹に据えかねたのか。


あのさ、火とかつけたりしないでね? フリじゃないよ?


騎士の二人はすでにアリスが治療して、馬車乗り場のベンチに寝かせてある。気絶していたので、彼らには治療魔法が使えることはバレずに済んだ。


――それにしても、おかしい。


クリスの血が全然止まらないのだ。そこそこ深いとは言え、いつもならとっくに完治させられる程度の、光魔法で十分事足りるはずの傷のはずだ。

アリスは魔力量を間違えているのかと疑ったが、これ以上はむしろ過剰な注入になると経験則で分かった。

毒でもない。その見分けがつくくらいには鍛えてもらっている。念のため未知の毒の可能性を鑑みて土魔法も試したが、効果は無し。


これ以上、何がある?


原因の特定に難航するアリスが、何気なく地面に転がっているそれらに目をやる。盗賊が持っていた二本の短剣だ。


――まさか。


アリスは、片方の短剣を手に取る。

一見、どこにでもある普通の短剣。けれど、嫌な魔力が短剣にまとわりついている。


「アリス様? それは……?」


積み終わったキャシーは、一仕事終えたとばかりにパンパンと手と叩き、短剣を睨みつけているアリスに問いかけた。


「……呪いの術式が彫られてる」


この世界での“呪い”とは、魔力だけではなく、掛けた側の命をも削って紡がれる闇魔法を指す。

魔力のみを媒体としないため、厳密には魔法とは一線を画すものだが、そんなことは今どうでもいい。


「えぇ!? 呪い!? か、解呪は出来ないのですか?」


闇属性魔法を相殺出来るのは、光属性魔法だ。アリスには光属性の適性があり、解呪の知識もある。

しかし、


「……反転の術式を組みたいんだけど、相当古い文字で紡がれた術式だから、読めないの……ぜん、ぜん、わから、ない……」


この短剣に彫られている術式は、全く見たことのないものだった。短剣が纏う魔力から、途轍もなく強力な呪いだということしかアリスには分からない。


「セルヴァ様に連絡を入れましょう。何か分かるかもしれません」

「……そういえば、使い魔いたんだったね」


アリスとキャシーが一時的に離れる際の見守り用に借りた、ファウストの使い魔。気兼ねなく剣聖杯を楽しめるように姿を消していたが、気配はずっと感じていた。


「先生に、伝えてね」


使い魔に頼むアリスの表情は固いままだ。ファウストならば何か知っているかもしれないが、王都からナイトレイ領の距離を鑑みると、使い魔を使っても時間が足りないのは明白だった。


手をこまねいていると、ぐらりと傾くクリスの身体。


「ッ、クリス! しっかりして!」


クリスの顔色が急激に悪くなっていく。

呪いが、簡単に彼の命を蝕む。


「クリス! 駄目。だめだめだめっ! 死んじゃいやだっ」


アリスは底を突きかけている魔力を躊躇い無く注ぎ込んだ。


「アリス様っ! それ以上はアリス様も危険です! お止めくださいっ! アリス様!!」


魔力が空になるというのは、命に関わる。

キャシーが強引に止めさせようとするが、アリスには聞こえない。



反転の術式無しで、解呪出来る方法は、ある。


聖魔法だ。


聖魔法ならば、術式も詠唱も関係なく、問答無用で解呪出来る。


それほどに圧倒的で、希少な、奇跡の属性。



()()()()()()()()()、持っていたはずの属性。



どうして……? 

なんなの? なんでこうなるのっ……!


アリスはガタガタと震え、顔を真っ青にしながら、光や土属性魔法で治療を続けた。

クリスの傷が塞がらない原因が呪いだと判明した今、この行為が無駄なのは分かっている。

それでも続けた。認めたくなくて。



前はヒロインそのものだったから親友を死なせて。


今度はヒロインと違うから友達を死なせる。


わたしは、


わたしは、一体何なんだろう。



「クリス。死なないで。お願い。クリス、クリス」



あぁ、お願いだから。


ねぇ。


これ以上、わたしに友達を見殺しにさせないでよ……っ!!



「……クリス…………死な、ないで……」




――とうとう魔力が尽きたアリスは、糸が切れるように意識を失った。


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