33.VS窃盗団
それはあまりに唐突すぎた。
アリスはルーの護衛から噴き出した生温い液体を、微動だにもできずに浴びる。
護衛自身も何が起きたのか分からなかったのか、胸に咲く鮮血を他人事のように眺めている。
少しして、彼は喉からせり上がってきた血をごぽりと吐くと、そのままぐしゃりと膝から崩れ落ち、絶命した。
「きゃあぁぁぁ!!」
「うわぁぁ!? 何だ!? 何が起こったんだ!」
馬車乗り場にいた人々から悲鳴が上がる。
「げぇひゃはははっ! マジで便利だなこの魔導具! この距離まで気づかれねぇとは思わなかったぜ!」
汚らしい笑いと共に、血塗れの剣を持った男が突如姿を現した。
護衛の死はこの男がもたらしたのだと、眼鏡についた赤い筋の隙間からその男の姿を捉えたアリスは、頭の奥でぼんやり認識した。
「ふっざけんなてめぇ。なに堂々と出て行ってんだよ!?」
「まぁまぁ。俺も試し斬りしてぇし、静かには進められなかったって!」
「おっ。この娘可愛いじゃねぇか。売る前に楽しもうぜ」
「抜け駆けすんな! 俺だってその娘狙ってたのに!」
同時に、十数人の男が馬車乗り場のあちこちに出現する。
人々は混乱した。間違いなく、その男共がいた場所は今の今まで誰もいなかったのだ。
その信じられない光景は、人々が抱いた人の死という“恐怖”を、まるで手品を見たときにような純粋な“驚き”へと上塗りしてしまった。危機感が薄まった彼らの悲鳴はピタリと止み、逃げようと走り出した足を止めた者もいる。
「何者だ!?」
「くそっ。何故こんなに近くにいたのに……」
騎士の二人がルー達を背に庇いながら剣を構える。
「お? 知りたいか? 良~いモン見つけたんだよなぁ。これが……」
「てめぇはっ! その口を閉じやがれ! 馬鹿正直にネタばらしすんじゃねぇっ! つぅか、仕事しろ仕事ォ!」
「女と子どもは商品になるから殺すなよぉ~」
その言葉を皮切りに、男共は人々を襲い始めた。方々から再び悲鳴が上がり、赤い飛沫が舞う。
悲鳴を聞いてやっと意識がはっきりしたアリスは、護衛を殺した男の脇をすり抜けてリディアを抱き締める。
彼女の護衛はすでに別の男共に命を奪われ、気絶させられた侍女は馬車に運び込まれていた。
「ん? ボウズ。この嬢ちゃんのコレかよ。チビのくせにいっちょまえに護ろうとしてんのか! かっこいいねぇ!」
「ええ。なので、見逃してくれませんか?」
アリスは横目でキャシーがフレデリックに付いているのを確認しながら、護衛を殺した男にそう答えるも、心臓は恐怖で破裂しそうなくらいバクバクと鳴っていた。
リディアはあまりの出来事に理解が追いつかないらしく、放心状態でアリスの腕に大人しく収まっている。
「それはできねぇ相談だな? だが、俺はすんごく優しいからなぁ。おまえら一緒に連れて行ってやるぜ!」
「痛ッ」
男は下卑た笑いを浮かべながらアリスの鬘を乱暴に掴んだ。その拍子に鬘を止めるヘアピンが髪を巻き込みながらブチブチと取れ、鬘までも完全に取れてしまった。
「は? 鬘……? って、へぇ! 珍しい髪の色だなぁオイ! 高く売れそうだ!」
目の色を変えた男がアリスを捕まえようと手を伸ばしてくる。アリスは身体強化魔法を纏うと、リディアを抱えて数メートル離れたキャシーの元へひとっ飛びした。
「キャシー。この人数、いけそう?」
アリスが意味をなさなくなった残りのヘアピンを取りながら、キャシーに尋ねる。ついでに拭いても赤く曇ったままの眼鏡も外した。もう、正体がどうとかフラグがどうとか言って、視界不良のままこの場を切り抜けられるほど甘い状況ではなかった。
「……ライアス様とフレデリック様、そしてそのご令嬢をお守りするくらいならば、ギリギリいけます。ですが、あちらの少年達までは手が回りません」
「一箇所に固まったら?」
「彼らには騎士がついてますし、窃盗団を捕縛中の他の騎士がいるはずです」
「この男共……さっき言ってた窃盗団の残党だと思うけど、強いよね。捕まってる方は囮なんじゃないの? 正直、あの騎士二人だけじゃ待ってる間にやられる。でしょう?」
「……善処致します」
キャシーは袖に隠し持っていたナイフを二本取り出し、ノーモーションで躊躇いなく男共の心臓に向かって投げ打った。
「ぐあっ!?」
「うぉっ!?」
一本は命中し、一本は躱される。
キャシーはその隙に倒れた護衛の剣を拝借し、躱した男に斬りかかった。
「アズ。どうすんの? おれ、完全に足手纏いだけど」
フレデリックは顔を真っ青にさせて、歯をカチカチ鳴らしながらも、アリスに問うた。剣聖杯のような試合ではなく、実際の生死が関わった斬り合いなど、商人の息子である彼が慣れているわけもない。よく気絶せずにもっている。
「防御魔法をフレッドとリディア様にかけるから、ここにいて動かないで。怖いと思うけど、動かれると護りづらいの。今からルーとクリスも何とかここに連れてくるから、待っていてくれる?」
「わ、分かった」
アリスとて、人同士の斬り合いの最中にいるのは初めての経験だ。口調こそいつもの調子を保とうと見栄を張っているが、足はガクガクしている。アルバートが側にいて行う魔物討伐とは、まるで違う。
それでも二人を護れるのは、今は自分しかいない、やるしかないと自らを奮い立たせた。
アリスは、フレデリックとリディアに防御魔法を何重にも重ね掛けし、自身には認識阻害魔法をかけるとルーとクリスの元へ走った。
「おいおいおい! 騎士サマこんなもんかぁ!?」
「くっ!」
数だけでなくかなり腕の立つ窃盗団に、護りながら戦う騎士二人は苦戦しており、何とか持ち堪えている状態だ。
「ルー、クリス、こっちに来て!」
戦闘中の彼らに気づかれることなくルーとクリスの前にしゃがみ込んだアリスは、騎士の邪魔にならないよう下手に動かずじっとしていた二人の肩に手を置く。これで認識阻害魔法が二人だけには解けたはずだ。
「驚かせてごめん。でも急がないと。……ルー? クリス?」
「……?」
「……??」
突然目の前に現れた(ように見える)アリスに驚いたのか、二人は口をぽかんと開けて彼女を凝視した。
鬘と眼鏡を外したアリスは、もはや“平民の垢抜けない少年”の要素がどこにもなく、ルーとクリスの知る友人とは到底結びつかなかったのだ。
二人に見つめられた少年は、まさしく美少年と呼ぶに相応しい風貌だった。肩の長さで揺れる美しく艶やかなピンクの髪に、遊色効果を持つ宝石のような瞳。絶妙なバランスが取れた顔のパーツ。
そんなアリス本来の姿に、二人は状況も忘れて見入っている。
あ。これ、わたしだって分かってないな。でも時間が無いからとりあえず移動しないと。
身体強化魔法を纏ったアリスは、二人を軽々と俵担ぎした。走らせるよりこちらの方が速いと判断したのだ。
「えっ。嘘。どうしてっ?」
「おい! 下ろせ!」
「うるさいっ。死にたくなかったら黙ってて!」
担ぎ上げられて我に返った二人が暴れるが、非常時で余裕のないアリスは少々キツめに言い返すと、ダ、ダンッと二回地面を蹴ってフレデリックのところに戻った。
「フレッド達は他の騎士がいるところまで逃げて」
キャシーがすでに六人ほど地面に沈め、予想よりも健闘した騎士二人もそれぞれ二人ずつ倒していた。敵が減った今なら、皆を逃がしやすい。
「おれは加勢してくる」
アリスはルーとクリスを肩から下ろし、フレデリック達と同じように防御魔法を施すと、戦闘に加わるべく身を翻した。
「待て。おれも行く」
彼女の腕を掴んで止めたのはクリスだった。掴む手が僅かに震えているが、瞳には強い意志が宿っている。
「……ここに剣はないよ。どうやって戦うの?」
「それは……」
アリスはあえて突き放すように冷たく言い放つ。剣の有無を指摘したが、剣があろうと他の武器があろうとクリスを戦闘に参加させる気はなかった。
折れたはずの“クリスとルーの負傷”というフラグを、再び立てる馬鹿な真似は絶対にしたくなかったのだ。
「助けはいらない。早く逃げて」
アリスは彼の手を振り払って、キャシーを援護すべく地面を蹴った。
「おい!? ……くそっ」
クリスは悔しげにしながらも、戦えない三人を避難させる方が先決だと不満を飲み込んだ。
「キャシー伏せて!」
土魔法で創成した剣で、キャシーの背後に迫っていた男を殴り飛ばす。即席の土剣は切れ味が無く、メイスのような殴打系の武器になってしまったが、贅沢は言っていられない。
「助かりました。ライアス様」
キャシーが大剣を振り回す大男の一撃を躱し、無防備になった鳩尾に剣の柄頭を捻り込む。大男はぐりんと白目をむいて、その巨体を地に伏した。
「ううん。攻撃魔法が使えたら、もっと役に立てたんだけど」
森で攻撃魔法を鍛えてきたアリスは、範囲の広い魔法を得意としていて、針に糸を通すような細かい調整はまだ苦手だった。ここは人が密集しすぎて、関係のない人間まで巻き込んでしまう恐れがある。
その代わりに、アリスは視界に入った一般市民に手当たり次第防御魔法をかけていた。安全なところまで連れて行きたいが、どうしたって身体が足りない。
「ライアス様。無理はいけません。魔力が枯渇したら、ライアス様が倒れてしまいます!」
窃盗団の斬撃に何度も耐えられる強度を何十発も連発していると、膨大なアリスの魔力でさえ急速に減っていく。
「……まだ、平気」
アリスとて馬鹿ではない。ここで倒れてしまったら、迷惑をかけるどころかキャシー諸共殺される可能性が高まるのは分っている。アリスは自分の魔力量を見極めながら、救える範囲だけでも救いたいと、市民に防御魔法をかけ続けていた。
「絶対に無茶は駄目ですからね!?」
放っておくという選択肢がアリスの性格上無理だと理解していたキャシーは、残った盗賊は全て自分が斬り伏せるとばかりに、強く剣の柄を握り締めた。
残った盗賊はあと三人。ところが、すでに倒していた男共よりも格段に腕が立ち、キャシーを以てしてもなかなか倒せない。騎士の二人は市民を庇って負傷してしまっていた。
でも……亡くなった人以外は逃げられた。魔法を攻撃に回せる!
依然として数は不利でも、アリスの攻撃魔法とキャシーの力を合わせれば、形勢はこちらに傾くと確信していた。
キャシーも同じ思いだったようで、相手と打ち合いながらも一瞬こちらに視線を向けて頷くのが見えた。アリスのやろうとしていることが伝わっているのが分かる。
魔力を練り上げたアリスが攻撃を繰り出そうとしたとき――それを感知した彼女は、動揺で狙いがズレた。
……は? ……なんで?
なんでこんな近くにいるの?
「ライアス様!?」
「クソガキ! てめぇだな! ずっと面倒くせぇ真似しやがったのはァ!」
キャシーがアリスの様子がおかしいことに気づくと同時に、賊に魔法の出所がアリスだとバレた。
市民に傷一つ付けられないことに業を煮やしていた男の一人が、唾を撒き散らして憎々し気に突進して来る。
避けようと片足に重心を乗せたアリスは、魔力の大幅な減少でふらついた身体を支えきれず、転倒してしまった。
目前に、目を血走らせた男が迫る。
「うっ、くっ」
咄嗟にかけようとした防御魔法も、足を捻った痛みで上手く発動できない。
「死ね!!」
あぁ――斬られる。
アリスは死を覚悟し、目を閉じた。