30.近づいてきたのは②
とにもかくにも再認識したのは、このままではやはりリディアの側に付くなどまた夢の夢だということだけ。
彼女に認められるためには、“地位”がいる。
騎士として名を立てるくらいの存在になればきっと……希望でしかないが、自分にとっては他の何よりも可能性が高いはずだと、アリスは密やかに奮起する。
まぁ騎士になるには、実力や地位うんぬんの前に、初歩中の初歩にして最大の難関がアリスには待ち構えているわけだが。
「じゃあ、ルー、クリス、おれ達は帰るぜ」
フレデリックはリディアに視線を注いでいるアリスを見て、一瞬物言いたげな表情を作っていたが、すぐに愛想の良い笑顔に変えてルーとクリスにひらりと手を振った。
「そっか……せめて出口まで送らせて」
「ルー様」
ルーの申し出を護衛が諫めるが、「これくらい許してよ本当はこのあと四人で店を回って食事にだって行きたかったんだすごーーーく譲歩してるの分かる?それに見送る時間くらいはあるでしょう?」と息継ぎなしで捲し立てる。
可愛いのに有無を言わさないにっこり笑顔を浮かべるルーに、護衛は「本当に、出口までですよ」と溜息を吐きながら許可した。
「もうっ、何なんですの……」
どうやらリディアもついてくるらしい。よっぽどルーファスのことが好きなのか、それとも王太子妃の地位を得るために彼に取り入っておきたいのか判断できないが、原作の彼女なら絶対について来なかったであろうことを考えると、アリスの胸に広がった苦さが多少和らぐ気がした。
「……? 騒がしいね」
「何かあったんかな?」
アリスとフレデリックが先に平民が使う出入口から外に出ると、目の前にある大通りに何やら人集りができているのが見えた。
試合も終わったのに何故だろうと思っていると、巡回中らしき騎士がルーの護衛の元へやって来た。隠す必要のある情報ではないようで、普通の声で話す彼によると、どうにも酔っ払い同士の喧嘩が周りを巻き込んで数十人単位の乱闘騒ぎなっており、巡回していた騎士達で止めている最中なのだという。
「というわけですので、こちらから出るのはご遠慮ください。間もなく取り抑えられるでしょうが、万が一があっては困りますので」
「ああ。ルー様、もういいですね?」
これ以上の譲歩はしないぞという護衛の態度に、ルーは分かってるよと肩をすくめた。
アリスとフレデリックは、名残惜しそうなルーとクリスと握手を交わす。「君達に会えて良かった。また会いたい」と言う二人に、「きょ、恐縮です」と至近距離の美形攻撃に晒されて敬語に戻るアリスと、「おれも楽しかったぜ!」と爽やかに笑うフレデリックは正反対で面白い。
アリスは抱きついて来そうな勢いのルーをやんわりと躱すと、彼は「友愛のハグ、駄目なの?」とうるうると涙を張った大きな目で見つめてくる。彼の方が年上だが、身長はアリスの方が高い。自然と上目遣いになったルーはもはや可愛いの権化である。
なんっだこの天使!? と、アリスの心の天秤が『抱き締め返す』に一気に傾きそうになるが、背後からギンギンの殺気を飛ばしてくるリディアの存在が彼女を踏み留まらせた。ルーは残念そうに口を尖らせていた。その顔もすこぶる可愛かった。
クリスは騎士を目指す同志としてアリスを相当気に入ったらしく、どこに住んでいるのか、王都にはよく来るのかと、また会うことを約束させようとぐいぐい来る。アリスはこれ以上関わっちゃ駄目だと必死にさり気なく線引きをしようとするが、推しにここまで好意的に接されて絆されるなという方が厳しい。何とか住んでいる場所はごまかしたが、次会ったときは手合わせするという約束はしっかり結ばされた。
すでにクリスと挨拶を済ませたフレデリックはというと、さりげなくルーに対してブラッドレイ商会を売り込んでいた。ルーの正体に気づいていない体を貫いてフランクな姿勢を崩さず、かつ不敬にならない絶妙の加減で。
しばらく話し込んで、感触の良さに満足したフレデリックだったが、ルーの不意打ちを避けられずに思いっきりハグされ、目を白黒させた。ルーはフレデリックは捕まえてやったとばかりに満足気である。
その様子を見たリディアがキィーッとハンカチを噛み、ほんとにやるんだそれと突っ込みたくなるような悔しがり方をしていたが、アリスもフレデリックもそれぞれ拘束されていて残念ながら見逃した。目撃していたら二人で吹き出していたかもしれないので、むしろ問題ないが。
護衛の人顔に出してないけどイライラしてるんだろうなと、アリスが心配になるくらいには別れの挨拶で時間を食っている。
キャシーとも合流したいしこっちから上手く離れないと駄目かなぁとアリスが考えていると、遠くで魔力の塊が王都へ近づいてくる気配を察知した。
魔物……?
それは王都の外れよりもさらに距離がある地点にいるものの、かなり速いスピードで真っ直ぐに向かってくる。いずれは間違いなくここにやって来るだろう。
形、大きさ、速さ、魔力量から考えて……
――ワイバーン!?
前世から魔法が得意なアリスだったが、父や師と共にナイトレイ領内にある森で様々な魔物を狩る訓練を経て、魔力感知にも磨きがかかっていた。森で出会ったことのある魔物ならば、『魔物の何か』ではなく『何の魔物か』を感知できるほどだ。まず魔力探知でも常人には難しいのだが、アルバートとファウストに囲まれて育ったアリスはその事実を知らない。
まずい。この護衛の人に知らせるべき?
でも言っても信じてもらえないよね、どうしよう……
ワイバーンは二メートルから四メートルほどの体躯を持ち、蝙蝠の羽が生えた蜥蜴のような風貌をしている魔物だ。
上級種であるAランクに位置しており、騎士が部隊で相手取らなければ厳しい相手だ。Sランクのドラゴンのように、鱗こそ生えていないものの、代わりに硬い皮膚に包まれており、上手く薄いところを狙わないと刃は通らない。
しかし、最も注意すべきは奴らの持つ毒だ。即死はしないが対象を死に至らしめるには十分な強さを持っており、解毒が間に合っても遅ければ遅いほど後遺症のリスクが高まっていく。場合によってはドラゴンよりも厄介な存在である。
今日は玲瓏祭。
いつも賑わっている王都だが、それ以上にたくさんの人々が集まっている。
「この魔力……まさか、ワイバーンか? なぜ王都に……!?」
「なっ、ワイバーンですか!?」
アリスから少し遅れて、驚愕の表情を浮かべながら護衛もワイバーンの存在に気づいた。身のこなしを見るに、彼は魔導師ではなく騎士であるはずだが、魔力探知にも優れているようだ。報告に来た騎士の方は感知できなかったようで、護衛の言葉を聞いて初めて衝撃を受けた顔をする。
あ……さすが王族の護衛。良かった……
アリスは自分が伝える必要がなくなったことが分かり肩に入っていた力を抜いたが、抜いた途端にとある記憶が脳裏をよぎって顔を強ばらせた。
「すぐに乱闘騒ぎを収め、暴れた奴らは巡回組で連行しろ。他の半分は市民の誘導、もう半分は討伐隊として直行。俺はルー様を送り届けてから合流する」
護衛は驚きこそすれ、すぐさまルーを背に庇うと、冷静な態度で矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「……一応、黒騎士団の連中にも連絡を入れておけ。奴らの出番など無いがな」
指示を受けた騎士は「はっ!」と短く鋭い返事をすると、乱闘騒ぎを起こした者達を連行すべく走り去った。
「ライ。大丈夫だよ。彼らは優秀だから。ワイバーンなんてあっという間に倒してくれる」
アリスの顔色が悪いのに気づいたルーが、安心させようと彼女の背を優しく撫でる。
「そう、ですね……」
「うん。大丈夫だからね」
ルーはすっかり敬語に戻ってしまったアリスに不満を覚えていたが、口うるさく言うのは止した。ワイバーンなどという大物に遭遇する場面は、平民が普通に暮らしていればまず無い。元々こちらを貴族と気づいていて相応の態度を取ろうとしていた彼のことだから、不安になって素が出てしまうのも致し方ないとルーは考えた。
――ワイバーンの襲来って、まさか。
一方、アリスの脳裏には、あるイベントが浮かび上がっていた。




