29.近づいて来たのは①
「何でここにいるのかな? ぼくは君が剣聖杯に興味があるなんて思わなかったよ」
ルーはアリス達に向けていた友好的で可愛らしい笑顔を完全に消し去り、現れた少女に底冷えするような声で尋ねた。
彼女はアリスが前々世の親友りっちゃんだと確信しているハズラック公爵家のご令嬢であるが、相変わらず彼女の記憶は戻っていないようだ。一瞬たりともこちらを向いてくれない。
この時点でルーファスってこんなにリディアのこと嫌ってるの? 天使のごとき可愛さでこちらを落としてきた美少年どこ行った?
いや、美少年なことには変わりないんだけど、そう、端的に怖い。二桁いってない少年が出す冷気じゃないんですけど。これが王族クオリティかおっかない。
ルーの態度は決して好意的とは言えないのが明らかだったが、リディアは気づいてないのか気にも留めていないだけなのか、こてんと見た目だけは可愛らしく首をかしげると、対照的に満面の笑みで答えた。
「ええ。血を流す野蛮な戦いなんて恐ろしいですし、見たくなんかないですわ。でも今日は、ルーさまの側にいたいから頑張ったのですわよ!」
リディアは枝垂れかかるようにルーに抱きつく。女を前面に押し出した態度は、とてもアリスと一つしか変わらない少女とは思えないほど板についていた。
「野蛮だと……?」
「っ、抑えてクリス。リディア嬢、撤回して」
ルーがするりとリディアから抜け出し、クリスの前に腕を出して止める。
あっ、あー。分かった。察した。
アリスは彼らの短いやり取りで、ルーとクリスがわざわざ一般席を選択した経緯を悟った。
今日だけでなく、リディアが日常的に彼らの神経を逆撫でしている場面もありありと浮かんでくる。でなかったらルーとクリスがここまで嫌悪感を露わにしないだろう。
何を……何をやってるんだりっちゃん……
「撤回? なぜですの? 本当のことしか言っていませんわ。試合の間中わたくしの側にいてくださらず、やっと見つけたらそんなに怖い顔をして怒るなんて酷いです!」
「本当のことだって? 君は国を護るために身を賭してくれる彼らを何だと思って……」
「しかもなぜこんな庶民がひしめく粗末で汚い席で観ているんですの? ルーさまにはふさわしくありませんわ! わたくし、陛下たちと王族専用観覧席でルーさまが戻られるのをずっと待ってましたのよ?」
あっ、ちょ、ルーファス様の言葉遮ってるッ!
ふーけーい! 不敬だよりっちゃん!?
やっばいなぁこれ。リディア様、二年半で性格の悪さ悪化してない……?
原作よりマシだと思ったのは気のせいだったの……?
「おまえがいるとルーが落ち着いて観戦できないから、一般席に行くしかなかったんだ!」
「まぁっ、おまえですって!? 公爵令嬢のわたくしになんて口を!」
「ふん。そもそも王族でないおまえがあの観覧席に無理やり入り込んで、厚かましいにもほどがある」
「わたくしはルーさまの婚約者でしてよ? 未来の王太子妃なのですから当然許されますわ」
「まだ候補だろうが……」
リディアへの嫌悪感を丸っきり隠さないどころか、伯爵家であるクリストファーが公爵家の彼女に思いっきり突っかかっている。
良いのかこれとアリスは彼女の周りにいる侍女やら護衛やらをチラ見するが、日常茶飯事なのか誰も咎めない。もっかい言う。いいのかこれ。
しばらく高貴なるお子様達の口論をただただ眺めるアリスとフレデリック。リディアが登場したときは商業用スマイルで取り繕っていたフレデリックだったが、もう「超帰りてぇ」という顔を全く隠さなくなった。パイプ繋ぎに余念が無い彼も、厄介事に巻き込まれるのはご免被りたいのだ。
「何よりも許し難いのは、こんなっ、こんな貧相な庶民と一緒にいることでしてよ!?」
怒りの矛先がこちらに向いてきた。
身体は鍛えてるし、服も上等ではないけど身分相応の身嗜みで小綺麗だと思うんだけどなぁ。やっぱこのヅラと眼鏡はナイよね。……って、そういうこっちゃないかこの子は。
身分至上主義のリディアには、見た目どうこうではなく、貴族でないただの平民というだけで我慢ならないのだろう。そんなド庶民が第二王子であるルーファスに近づいているだけで虫唾が走るといった具合だろうか。眉間に谷のように深い皺を作っている。物が挟めそうである。
「おれの友達を悪く言うのは止めてもらおうか?」
「それこそ、許し難いよ。リディア嬢」
アリスとフレデリックを侮辱されたことに怒りを露わにするクリスとルーに、リディアは「はぁ? 友達ですって!?」と、信じられないものを見るように口をあんぐり開けている。
まぁ……そうだよね。
あのお茶会のとき、男爵家という曲がりなりにも貴族であったアリスに対してさえ、完全に見下す態度を取られた身としては、リディアとの再会が感動的なものになるとは思っていなかった。
しかし、原作さながらの選民意識が根付いた彼女からの印象は予想よりも悪く、苦い気持ちが広がる。
「ルーさま? ねぇ、何をおっしゃっているの? まさか、わたくしの側よりその庶民の方がいいと!?」
リディアはまだ年端も行かない少女だというのに、面倒臭い女の代表のようなヒステリーを起こした。
「その通りだよ。思ったより飲み込みが早いんだね?」
ルーは頭痛がするのかこめかみを片手で抑えているが、皮肉っぽく彼女に言い返した。
「……ッ! あなた達がルーさまをたぶらかしたのね!!?」
「おい。おまえっ!」
リディアが鬼の形相でアリスとフレデリックを睨みつけ、近くにいる方のアリスに掴みかからんとするのをクリスが止める。
ルーとクリスが、自分達のことを友達だと堂々と言ってくれたのは素直に嬉しいが、代わりにリディアとの溝がグランドキャニオン並に深まってしまったのは間違いなかった。
「ルー様、ご歓談中申し訳ございませんが、そろそろここは閉められるそうです」
収集のつかなくなってきた事態に終止符を打ったのは、意外なことに今まで平民になりきっていたルーファスの護衛だった。どう見てもご歓談中ではない空気の中に、淡々と用件を告げられる彼は優秀なのだろう。
次いで「君達も早く帰りなさい」とアリスとフレデリックに促す声色には「余計なことを言い触らさないように」と釘を刺す響きが確かにあった。
言い触らしませんよ。何をどう言い触らすの。
リディアはまだ文句を言っていたが、ルーとクリスは彼女から解放される安堵でホッと息を吐いている。
アリスはここまで分かりやすい態度は王族と貴族としてどうなのだと思わなくもなかったが、正直このリディアに対する彼らの気持ちに共感してしまう自分がいる。
それでも、決して、彼女を見捨てる気は無いが。
現時点の年齢
アリス、クリス(クリストファー)…八歳
リディア、ルー(ルーファス)…九歳
フレデリック…十一歳




