3.目覚めを待つ人達
アリス:本作主人公。ナイトレイ男爵家の一人娘。
アルバート:アリスの父。ナイトレイ男爵家当主。
クラリス:アリスの母。他界している。
モーリス:ナイトレイ家の執事。
キャシー:ナイトレイ家の侍女。アリスの世話係。
ハーマン:老医師。ナイトレイ家とは長い付き合い。
キャシーの悲鳴を聞いたアルバートと使用人達が、すぐさまアリスの部屋に駆けつけた。ぐったりしているアリスを見て、アルバートは医者を呼ぶようモーリスに指示し、頭は打っていないはずだというキャシーの言葉で、ゆっくりとアリスをベッドへ運んだ。
他の使用人達も心配でたまらない顔をしていたが、アリスの身体に触ってはいけないと、自分の持ち場に戻って行った。
アルバートはゼイゼイと荒い呼吸でうなされるアリスの姿を見て、眉間に皺を寄せた。
クラリスに似てあまり身体が丈夫でないアリスは、食の細さも相まって風邪を引くことが多かった。それでも、ここまで苦しそうな状態になることは今までなかった。
アルバートは娘の小さな手をそっと包み込む。
「先生。アリスは……治るのですよね?」
声が震えないように気をつけたつもりだが、不安に揺れる声色は隠せなかった。
アルバートが子どもの頃から世話になっている老医師ハーマンは、神妙な面持ちで告げる。
「――厳しいことを言うが、これほどの高熱が続くと、この子の体力では持たないじゃろう」
「そ、んな……」
アルバートは愕然として目の前のハーマンを見つめた。
握っているアリスの熱い手とは反対に、自分の手が急速に冷えていくのを感じる。
アリスの体温は四十度まで上がっていた。二、三日の間に多少でも下がれば希望はあるが、そうならないときは覚悟をしておけ、というハーマンの言葉に、いよいよキャシーが青い顔をさらに青くして倒れた。側にいたのにアリス様の異変に気づけなかった、と己を責めていた彼女は限界に達したらしい。
キャシーを宥めていたモーリスが、倒れる直前に受け止めたため床に激突せずに済んだが、彼女の顔色は最悪だ。モーリスが心ここにあらずなアルバートに一声掛けると、虚ろな目をしながらも彼は頷いてくれた。
モーリスは深く頭を下げると、キャシーを抱えて退室した。
三人だけになった部屋で、アルバートが弱々しく呟く。
「アリス……おまえまで私を置いていかないでくれ……」
ハーマンが弱気なアルバートを見たのは、彼の亡き妻クラリスを看取ったとき以来だろうか。ハーマンもこの家とは長いつき合いなので、クラリスとも当然面識があった。
病弱で儚げな印象を与える美人だったが、見た目とは裏腹に芯の強い女性だった。病気がちな自身の身体を悲観することなく、自分にできることはやるのだと率先して動き、アルバートをよく支えていた。
アルバートはそんな彼女に心底惚れていたし、使用人達も彼女を慕っていた。
「アリス……」
最愛のクラリスが残してくれたアリスが、可愛くないわけがない。
それこそ、目の中に入れても痛くないほどだ。
クラリスに似て身体はあまり強くないが、アルバートの言いつけを良く守り、使用人達の働きぶりにいつも感謝するような優しい子に育っていた。
最近は学問や魔法に興味を持ち始め、家庭教師をつけてやるとアルバートが言ったときには、飛び上がって喜んでいた。「いっぱいお勉強をすれば、父上や皆の役に立てますよね!」とはにかむアリスの笑顔はとても眩しく、アルバートや使用人達がどれだけ彼女を誇りに思ったことか。
クラリスに続いてアリスまで失うかもしれないと思うと、アルバートは得も言われぬ恐怖に襲われた。
「アルバート。気をしっかり持つのじゃ。父親がそんなに狼狽えておったら、治るもんも治らんぞ」
「……ッ、そう、ですね……」
そう言ってハーマンなりにアルバートを励ましたが、娘が生死の狭間を彷徨っているときに気丈にしていろというのが簡単なことではないのは分かっていた。ハーマンとて、生まれたときから可愛がっているアリスが辛い目に遭っているのに、熱冷ましの薬を処方する以外為す術がないのを不甲斐無く思う。
「とにかく、よく水分を摂らせ、処方した薬を飲ませることじゃ。アルバート、付き添うのはいいが、適度なところで使用人と交代しなさい。おまえまで倒れたら元も子もないからの」
「……ええ」
俯いたまま返事をするアルバートの肩にポン、と優しく手を置く。
ハーマンにとって、アルバートもまた幼い頃から見ている可愛い子どものようなものなのだ。
「何かあったら、すぐに儂を呼ぶのじゃよ」
ハーマンはアリスの回復を祈りながら、ナイトレイ家を後にした。