28.観戦
「ライも剣を? そうか。おれと同じだな」
アリスが剣を持つと知ったクリスは、人は見た目ではないということを実体験していた。
彼の鳥の巣のようにもじゃもじゃとした斬新な髪型と、虫眼鏡のように分厚いガラスを使った独特な眼鏡の印象が強すぎて、勝手に内気な本の虫なのだろうと思っていたが、よく見れば成長を妨げない程度に引き締まった身体をしている。
「うん。騎士になりたいんだ」
国ではなく、リディアのみに剣を捧げるつもりだが、嘘は言ってない。
「騎士に? 目指す場所も同じか。いつか手合わせしたいな」
クリスの言葉にアリスは笑って頷く。
「そのときはお手柔らかに!」
「ああ。こちらこそ」
クリスは同志と判明した新しい友人の位置を、ただの友人からちょっぴり高い位置付けへと変更した。
ガキィン!
激しくぶつかる金属音が響く。
「やっちまえー! 剣聖をぶっ倒せー!」
「剣聖ーっ! まだまだ後進になんて遅れを取るなよぉ!」
「はぁぁん、素敵ですわ~っ!」
「……んで、どっちが優勢なんだ?」
「分からんが、とにかくすごいことは分かる」
剣聖と挑戦者のあまりに速い攻防に、動きを目で追えない観客が続出していた。時折聞こえてくる実況と解説も、彼らの動きに口が追いつけず四苦八苦している。
それでも観客がここまでの試合とは比べ物にならない盛り上がりを見せるのは、今までの試合が瞬時に終わっていたからだ。
対戦相手を瞬殺してきた剣聖も挑戦者も、凄いは凄いが試合としては大変見ごたえのないものであり、正直なところ観客にとって不満があったのは確かだった。
それが決勝戦で初めて拮抗する強者同士の闘いとなり、かつて無いほど長い闘いとなっている。
観客はやっと、試合を観戦しているという実感が湧いていた。
「うお!? エッジ伯爵令息が剣聖ぶっ飛ばしたぞ!」
「ええっ! なにがどうなって今飛ばされたんだ!?」
比喩でもなんでもなく、“剣撃で人ひとりが吹き飛ぶ”という異様な光景に、観客からどよめきが広がる。
挑戦者が踏み込んだ地面が、足の形にめり込んでいた。
「もしかして、身体強化魔法!?」
挑戦者の力の根源に思い当たったアリス。
剣聖杯では身体強化魔法の使用は許されているのだが、これまでの試合ではまだ誰も使用していなかった――というより、使える者がいなかった。
魔法が日常に溢れている世界ではあるが、戦闘で使える魔法となると全く話は違ってくる。実戦で使えるレベルまで能力を伸ばすとなると、剣と魔法を両立するのは困難を極めるのだ。大概の者がどちらかに特化し、剣士もしくは魔導士の道へと進む。
「あに……エッジ様は魔法も堪能なんだ!」
「すごい! しかも詠唱なしで魔法が使えるなんて……!」
「だろう!」
その中の例外がまさに今、目の前で戦っているわけだ。
アリスが目を丸くして驚くと、クリスは自分のことのように誇らしげに胸を張った。
いやほんとに、詠唱破棄までこなすとはさすがは攻略対象の兄である。下級魔導士でも詠唱破棄での魔法発動は難しい。
「彼はおれの憧れであり目標だ。いつかきっと追いつき、追い越してみせる! そして誰にも恥じない立派な騎士となり、ルーを支えるんだ!」
力強く意気込むクリスは、とてもキラキラしていて眩しい。
推しは子どもの頃から中身もイケメンかよ天は二物を与えすぎだろと、クリスに尊さと僅かな嫉妬を抱きながら、アリスは「クリスはかっこいいねぇ」とその一言だけを発した。
するとクリスは「いや、おれはまだまだだ。志を高く持とうとしているだけで、実力はまだ全然だ。格好良くはないぞ」と、これまた子供らしからぬ格好良いことを言う。
「そういう驕らないところもかっこいいよ。まだ八歳なのにすごいね」
アリスは、自分が本当に八歳だったときこんなに立派な意識を持っていただろうか、と自問しかけるもすぐに止めた。考えるまでもない。
前々世なら小学二年生……うん、今日はりっちゃんと何して遊ぼっかなー、が頭のほとんどを占めてたよね。
ピッカピカの泥団子を作るのが流行って、固めやすい土を探して校庭やいろんな公園の砂場を回ってたら日が暮れちゃって、りっちゃんと一緒にうちのお母さんに拳骨食らった覚えがある。
懐かしい記憶に浸っていると、クリスが不審そうな目でアリスを見ていた。
え? なに。わたし何かやらかした?
「……なぜおれの年齢を知ってるんだ?」
げっ! そういやクリスとルーの年齢聞いてないよね。ヒロインと幼馴染みが同い年っていう、ゲーム知識がついポロッと出ちゃったよ!
「わた……ぼ……おれ、と、同い年くらいかな~って思って?」
一人称でものすごくどもったが、アリスはにへらと笑いながら誤魔化す。
「なんだ当てずっぽうか。でも正解だ。ん? ということは、ライも八歳なのか?」
クリスはあっさり納得したようで、特に追及することはなかった。
「そうだよ。年下だと思った?」
「いや、おれは同年代の平均と比べて背が高い方だから、そのおれと同じくらいの背であるライは、年上なんじゃないかと思っていた」
「ありがたいことに、十歳くらいに見られることが多いかな~」
ふふ。精神年齢は考えちゃだめだぜ。
五歳のときよりも実年齢と精神年齢の差があるように見られなくなってきたからって、落ち込んでなんかいないんだからね!
「なぁ~。今どっちが優勢なの? おれ、速すぎて全く見えないんだけど。実況も解説も観客の声がうるさくて聞こえねーし」
フレデリックが集中しすぎて乾いた眼を瞬きで潤しながら、アリスとクリスに尋ねた。必死に目を凝らしていたが、他の観客と同様「マジですげぇ」ということしか分からない。
「良かった。フレデリックも見えてないんだね? ぼくだけかと思ったよ」
フレデリックの言葉に、ルーは彼らの動きを目で追えないのが自分だけでなかったことにホッと息をつく。
「優勢なのは……」
アリスが答えようと口を開くが、剣聖が挑戦者の攻撃を躱し、喉元に向かって反撃する鋭い突きに見惚れて止まる。
挑戦者が反応し寸でのところで受けるが、いなし切れなかった衝撃が離れた観客席にまでビリビリと波紋する。
多くの観客は、実際に打ち合っていないはずの自らの手が痺れる感覚がして、無意識に手をさすった。
さらに強化魔法のレベルを上げた挑戦者は、剣聖の胴体に向かって薙ぎ払う。強烈な一撃を受け止めた剣聖は、派手に地面に転がった。
「おいおい剣聖しっかりしろよぉ!」
「エッジ様そのままやっちまえ!」
素人目にも分かる挑戦者の人間離れした力に、彼が押しているらしいと感じ取った観客が、野次や歓声を飛ばす。
「クリス! セシ……じゃなくて、エッジ様の勝利も近いんじゃないか!?」
「剣聖相手にすげぇなマジで!」
ルーが興奮した面持ちでクリスの肩を叩き、フレデリックもクリスが応援している挑戦者の方が優勢であることを褒めるが、クリスの表情は曇っていた。
「……クリス?」
「どうした?」
周りの反応と真逆である彼の様子に、ルーとフレデリックの顔が引き締まる。
「……挑戦者はもう疲労困憊だよ。次で決めなきゃ負ける」
口に出したくなさそうなクリスの代わりに、アリスが二人の疑問に答えた。
挑戦者は態度に出さないようにしているようだが、分かる人間には魔力枯渇による疲労が響いているのが見て取れる。対戦相手である剣聖も当然気づいているはずだ。
「えっ!?」
「エッジ伯爵令息が劣勢なのかよ!?」
「……」
ルーとフレデリックが驚愕の表情を浮かべるが、アリスの言葉に反論しないクリスを見て、二人の中ではほぼ確定的な事実なのだと認識する。
「剣聖は派手にぶっ飛ばされてるように見えるけど、受ける直前に自ら後ろへ飛んで、衝撃を上手く和らげてる」
身体強化されたクリスのお兄さんの攻撃を、生身で受けきってるってのが底が見えなくて怖いよね。ふぅ。剣聖ってのはこんなにも遠い存在か。
アリスの解説を肯定するように、剣聖はすぐさま立ち上がり、間髪入れずに挑戦者に斬りかかった。
「見たところ、膂力は魔法無しでもエッジ伯爵令息が勝っていて、短期決戦型。対する剣聖は長期決戦型。彼は自分の得意な型に持ち込もうと最初から画策していたみたいだね」
アリスがそう言い終わるのと同時に、押し負けた挑戦者の手から剣が落ちた。
「ッ、兄上……!!」
クリスが立ち上がって悲鳴に似た声を上げるが、アリスは聞かなかったことにする。ルーもフレデリックも剣士達に釘付けになっていたので、クリスが口を滑らせたことに気づいていないようだ。
剣聖が剣先をぴたりと挑戦者の首筋に当てる。
勝負は着いた。
『勝者は、剣聖だーーー!!』
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
初めてはっきりと聞こえた実況の叫びに続き、観客から怒号のような歓声が巻き起こった。
『剣聖は前半、エッジ様の攻撃を凌ぎながら後半まで体力が持つように立ち回っていて、それが功を奏しましたね。しかし、エッジ伯爵令息もお見事でした。あそこまで剣聖が押されるのは初めてです』
『手に汗握る戦いでした。三期連続の剣聖は史上初の快挙です! エッジ様も有能さを我々に見せつけてくれましたし、いやぁこの国は安泰ですね』
「二人ともすごかったぞーー!」
「やっぱり剣聖は剣聖だなぁ! くーっ、痺れるぜ!」
「若けぇのもよく食らいついたな!」
健闘した二人へ、会場から惜しみない喝采が浴びせられる。
「負けはしたけど、セシルはよくやったよ。落ち込むなクリス」
ルーがクリスに労るように声をかけると、クリスは少し悔しそうな顔をしながらもニッと笑った。
「そんなこと、おれが誰よりも分かっているさ。おれは兄上を誇りに思っている」
「最高だったよ! お手本にしたいところがたくさんあったしね」
「とにかく格好良かったぜ。ライのためにチケット取ったけど、観れて良かった」
気が緩んだのか、とうとうクリスが完全なる身バレをし、セシルと呼び捨てるルーの発言から、彼の身元も絞り込めてしまう状況になったが、アリスは断固としてスルーを貫く。
フレデリックもルーとクリスの正体に薄々勘づきながらも、ただただ素直に称賛の言葉を贈った。
冷めやらぬ会場の熱気と試合の余韻に浸りながら、アリスとクリスが今日のハイライトを列挙して盛り上がり、へぇそういう場面があったのか、辛うじて見えたあれはそういうことかと、フレデリックとルーは耳を傾けて楽しんだ。
試合談議に花を咲かせていた四人は、会場内の観客が大方いなくなっているのに気づいたが、大分縮まった距離感を手放すのが惜しくなり、ルーがこのあと食事でもどうかと言い出した。
アリスはその言葉で我に返る。
いやいやいや、つい成り行きで一緒に試合観戦しちゃったけど、仲良くなったら駄目だから! あっぶな!!
アリスは少しばかり後ろ髪を引かれつつも体良く断ろうとルーに目を向けたのと同時に、彼の背後から既知感のある少女の声がキンッと響いた。
「もうっ。こちらにいらしたのねルーさまっ! 探しましたわよ!」
ちなみに、ライアスの一人称が“おれ”なのは「貴族のお坊ちゃんはともかく、平民がお上品に“ぼく”なんていうかよ」というフレデリックのアドバイス。




