26.剣聖杯
「おぉ。さすが、決勝戦ってだけあって超盛り上がってんなぁ」
「すごいだろうとは思ってたけど、予想以上だよ!」
観客の大きな熱気に包まれた闘技場。決勝戦を前に、観客のボルテージも最高値まで上がっているようだ。
着いたばかりで一戦も観ていないアリスとフレデリックでさえ、彼らの気に煽られて頬が上気する。アリスの体調不良は予想通りすぐ吹き飛んだ。
「“剣聖杯”観に来れるなんて夢みたい!! しかも決勝戦だなんて! フレッドありがとぉぉ!」
お土産にとフレデリックが用意してくれたチケットの正体は、玲瓏祭の目玉である剣聖杯の観戦チケットだった。
「んぐっ。分、かったから、揺ら、すな!」
興奮のあまりフレデリックの肩を掴んで力任せに揺らすアリスを、口を押さえたフレデリックが彼女の頬をぐにっと摘まんで止めさせる。アリスの柔らかい頬がみにょ~んと伸びる。餅のようだ。
「いひゃい」
「痛くしてんの」
アリスはごめんってと謝りながらフレデリックの指を外し、ヒリヒリする頬をさすった。
剣聖杯とは、四年に一回しか開催されない初代国王の時代から続く由緒正しい剣術大会である。
優勝者は剣を持つ者にとって最高の栄誉となる“剣聖”の称号が与えられ、公爵家に匹敵する地位を得る。
「アリスもいつか参加したいと思ってんのか?」
「ん~そうだね。してはみたい、かな」
あくまで腕試しとしてだけどね。
公爵家と同等の地位というのは、親友との身分差を埋める手段としてかなり魅力的ではあるが、“剣聖”という名は軽いものではない。
他国への抑止力として、国民の希望として、身を賭さなければならず、ただ単に「よっしゃあ公爵位ゲットだぜ!」と、得た権力を享受して好き勝手に振る舞えるわけではないのだ。
“剣聖”の名を賜るということは、最高の栄誉であるがゆえに責任も重大なのである。
アリスは国のためではなく、親友のために力の限りを尽くすと決めている。アリスが剣聖杯の観戦を熱望していたのも、“剣聖”の実力がどれほどかを目に焼き付け、指標とするためであって、“剣聖”自体には特に執着も憧れもない。むしろ国に拘束されるだけ厄介なものと言える。いらない。
わたしは、りっちゃんだけの騎士になりたい。
実際は課題ばかりだし、まだ誰にもこの動機を話せてはいないが、アリスは何がなんでも本懐を遂げる気でいる。
必ず、実現してみせる。
「それよりもさ、今回も現“剣聖”が防衛するかな? 二大会連続で優勝した猛者だって聞いたよ。すごいよね、八年間も“剣聖”務めるなんて」
“剣聖”は永久的なものではなく、次回大会が開催される四年の間でも、相応しくないと判断されたら“剣聖”の名を返上しなけらばならないこともある。
「だけど、今回の挑戦者もすげぇ強いって噂だ。全試合、一撃で対戦相手伸したらしいぜ。名前は何だったかな……」
参加者は騎士が中心だが、参加資格は無制限のためあらゆる立場の人間がエントリー可能だ。騎士も貴族も平民も関係ない。それゆえに応募人数も数百人に上ることがザラで、中には副賞の金貨百枚に目が眩んであわよくばと申し込む者もいるが、予選の段階でたった二十名まで絞られるので現実は甘くない。
本選は予選を勝ち抜いた総勢二十名によるトーナメント方式――つまりは一対一のガチンコ勝負となる。そして勝ち上がった一名が前大会の覇者である“剣聖”を相手に、新たなる“剣聖”の名を懸けて勝負を挑むのだ。
「それにしても、よくチケット取れたね?」
“剣聖”を決める本大会は人気が非常に高く、観戦チケットの入手難度も比例して類を見ないほど高い。
今日も決勝戦の開始時刻までまだ時間があるというのに、国内最大の容量を誇る闘技場の座席はすでにほとんどが観客で埋まっている。音だけでも拾いたいと闘技場の外で屯する人々も大勢いるほどの盛況ぶりなので、このまま時間になれば全ての席が埋め尽くされるだろう。
「ん? ……まー、一般席だし、親のコネ使ったし、そんなに大変じゃなかったぜ」
「ふーん?」
フレデリックは大したことはしていないと軽い調子で返すが、彼の叔父にコッソリ教えられたアリスは知っている。親に頼って任せきりにするのではなく、親の力を借りながら四苦八苦してチケットを二枚もぎ取ってくれたことを。
「なんだよ」
「ううん、ありがとねフレッド!」
心からの感謝が込み上げ、自然と満面の笑みになる。
「喜んでもらえて何よりでーす」
アリスにバレていることが分かったのか、フレデリックはそっぽを向きながらひらひらと手を振った。彼の耳が少し赤い。照れているようだ。
大人びている彼の可愛い一面を見て、アリスがニヤニヤとだらしない表情になって笑っていると、
「にやにやすんな、ライ」
フレデリックに不機嫌そうな声で咎められた。彼には見えてなくても気配でバレたらしい。
「してませーん!」
「嘘つけよ……」
アリスは剣聖杯を観に来れたこと自体舞い上がるほど嬉しかったが、彼が自分のために行動してくれたことがこの上なく嬉しかった。
フレデリックもそれがアリスからひしひしと伝わってくるので、それ以上咎めることはせず、やれやれと溜息をつきながら指定の座席に腰を下ろした。
「あー待ちきれない! まだかなぁ?」
アリスが闘技場の中央を覗き込もうと腰を浮かせた拍子に、瓶底眼鏡がずり落ちる。正直とっっっても邪魔だ。
「眼鏡取っちゃダメかな。重いし見辛い。鬘も暑い。すごく蒸れる」
「ぶっちゃけ周りも決勝戦観に来てんだからライのことなんて気にしないと思うけど、何かあったら困るから止めとけ(そして止めなかった俺が怒られるから)」
「はぁい。分かりましたぁお母さん」
「誰がお母さんだ」
フレデリックと軽口を叩きながら、アリスは胸を踊らせて待つ。
一体どんな人物なんだろう。どんな技を使うんだろう。
本選を勝ち上がるだけでもすごいのに、決勝までこぎつけた挑戦者の実力は確かだよね。
当然、それを受ける現“剣聖”は八年も国の防衛線をトップの立場で守って来たんだ。強いに決まってる。
アルバートに剣を稽古をつけてもらってから、アリスが人と打ち合ったことがあるのは彼と屋敷の者達くらいである。余所の人間がどれくらいの強さなのか、彼女には見当がつかなかった。
二年半めちゃくちゃ扱かれて来たし、森に出る魔物くらいなら倒せるようになったけど、父上には全然敵わないんだよなぁ。
未だに何百回も打ち合って、数回当たるか掠るかって感じだし。
稽古中のアルバートは普段の親馬鹿な態度から一変、鬼教官と化した。
アリス本人がそう頼みこんだのだ。自衛だけでなく、他人も護れる剣を身につけたいので、手加減なく鍛えて欲しいと。
アリスの希望通り、アルバートは彼女の手に負えない無茶はさせないが、ギリッギリまで追い詰めてきた。
正直なところ稽古は想像を絶するほど辛く、一度の稽古で身体中が傷と痣だらけになるのは序の口、骨を折ったり、吐いたり、途中で気絶したりすることもあった。
どんなに辛くても絶対に泣き言は言わずに歯を食い縛り、全身全霊で打ち込んだ。
二度とあの最期を繰り返さないという親友への思いが、折れそうになるアリスを奮い立たせたのは違いないが、やっぱり稽古後のアルバートが相変わらずのアルバートなのでアリスは頑張れた。
「可愛いアリス。とても剣筋が良くなっているよ」
「こんなに上達するなんて、私も鼻高々だよ。愛しいアリス」
「今日も良く頑張った……ッッ顔に傷が!? 早く! 早く治療を! ここに座りなさい。すぐに治す。アリスの可愛さが損なわれることはないけれど、嫁に行くとき……行かなくてもいいか。いや、傷は治すけれど」
ときどき不穏な言葉も交じりつつ、アルバートは厳しさの中に愛を持って剣を教えてくれた。
アリスも治療魔法が使えるようになってからは、複雑骨折やどう見ても痕に残りそうな傷は治癒魔法の練習がてら自分で治すようになった。
やり過ぎると本来人間が持つ治癒能力が弱まるので、むやみやたらと治すことは避けたが、治癒魔法はかなり上達した。
段々と座席が埋まっていく中、隣の席だけ相変わらず空いたままだった。
体調でも崩して来れなくなってしまったんだろうかと何気なく通路に目をやると、二人の少年が全速力で走ってくるのが見えた。
空席はもうアリス達の隣しかないので、おそらくここが彼らの目指す場所だろう。他人事ではあるが一安心したアリスは、間に合ってよかったねぇと微笑ましい気持ちになった。
「あっ。やっと思い出した」
フレデリックがすっきりしたぁと晴れやかな表情になる。
「なにを思い出したの?」
「名前。挑戦者の」
「ああ! そういえばさっき言ってたね。何て言うんだっけ。わたし知らないの」
「セシル・エッジ様だ。代々有能な騎士を輩出してるエッジ伯爵家の長男だよ。まだ十代じゃなかったか? すげぇよな~」
……エッジ?
アリスはずり落ちてくる瓶底眼鏡の縁を押さえた状態で固まった。
何だかすごく心当たりのある名前な気がする。
いや待て。まだ決まったわけじゃない。
たとえエッジなんてあんまり聞いたことない苗字だとしても!
「――エッジって?」
「えっ? さすがに知ってるだろ? 騎士団長クレイグ・エッジ様のご子息だよ。二人いるうちの兄の方だ」
「………………」
ッうわぁぁぁーーーー!! ですよねーーーー!?
てことはさ、あれじゃないですか。絶対お兄ちゃん観に弟来ますよね。
攻略対象のクリストファー来ちゃいますよね!?
ああ、もうなんでこんなフラグが立った? シナリオになかったのに! 出会いイベントは学園まで回避したと思ったのに! ……って、いや、あれ?
はたと我に返る。
……自分のせいじゃない?
あー……そうだよ……ヒロインは剣使えなかったもんねぇ。シナリオ通りならこのイベントでフラグ立つわけないよねぇ。
っはぁ、もー馬鹿じゃないの。なんで自分で余計なフラグ立ててんのぉ?
うぅ、ちゃんと調べとけばフレッドの誘いを断っ……いや無理。せっかくフレッドがくれたチケット無駄にするとか無理。だってめちゃめちゃ頑張ってくれたの知ってるもの。
「おっ、そろそろ始まるんじゃね?」
「……へっ? あ、う、うん。そだね」
激しく動揺中のアリスはフレデリックにしどろもどろな返事をしつつ、決勝戦の始まりを見逃すまいという理性が何とか働いた。舞台に目線を戻し、意識を集中させようと息を吐く。
うん、今は余計なことは考えないようにしよう。
こんなに広い闘技場でピンポイントに鉢合わせなんてないって。
それよりも試合だ。技を盗んでぜ~んぶ吸収して、
「ルー! 遅いぞ!」
「君が速すぎるんだよ!」
「最近鍛え始めたおまえに負けてたまるか! ほら、この席だ」
やろうって、思って、るんだから、ね?
「すまない」
席に辿り着いた少年二人の片割れに声を掛けられる。
子どもながらに品の良さが滲み出る声色。顔は見えずとも視界の端に入る質の良い二人の服。おまけにもう一人は貴族のアリスでもそうそうお目にかかれなそうな相当良いもの。
――待て。
待って、待って、待って。
「悪いけど前を通らせてもらえないか?」
「ぼく達の席、君達の隣なんだ」




