24.ライアス少年、王都へ行く
王都へ向かう馬車の中、アリスはソワソワと手元のチケットを眺めては嬉しそうに口を綻ばせる、という仕草を繰り返していた。フレデリックにお土産としてもらった例のチケットである。手に入れることができるとは思っていなかったアリスは、この一ヵ月間浮かれっぱなしだった。
「アズ、楽しみか? ……くっ、ぶふっ!」
フレデリックはそんなアリスの様子に満足しながらも、目の前に座る彼女を見るなり吹き出した。完全にツボに入ってしまっているようで、家を出てからずっとこの調子である。
「楽しみだけど……ねぇ。いい加減慣れてよ」
「いや無理だろ。面白すぎ。どっから見つけてきたんだそのヅラと眼鏡」
笑い過ぎて腹筋が痛ぇと涙を浮かべているフレデリックに、アリスはちょっとした怒りと呆れを含んだ視線を寄越すが、自分の風貌がおかしなことになっている点では反論の余地がなかった。
「鬘って言って!」
「怒るとこそこ?」
というのも、本日のアリスはくりんくりんのパーマがかかったダークブラウンの鬘をかぶり、冗談みたいな瓶底眼鏡を掛けているのだ。おまけに服装はチュニックにベスト、パンツという女の子らしくない――いや、端的に言えば男物の服装をしており、身体の凹凸もない八歳のアリスでは見た目は完全に少年だった。
「安心しろ。どっからどう見ても、ふふっ、“平民の垢抜けない少年”に見えるぜ。ぶっ、くくく」
「……どーも」
平民が着るような生地をわざわざ選んで仕立てたし、フレデリックの評価通りの人物像を目指したので、アリスの変装は大成功と言えば大成功なのだが、こうも笑われ続けるとチケットを獲ってくれた感謝を忘れそうになる。
「しっかし、アルバート様ってかアズんちは皆して過保護じゃねぇ?」
「うん。ほんとにね」
アリスがこんな格好をしているのは、何を隠そうアルバート達の言いつけを守った結果である。
理由は、アリスが可愛過ぎるがゆえの誘拐防止ときた。
恥ずかしい。とても恥ずかしい。過保護でないなら何なのだと言いたい。護衛を数人つける話にもなったが、一介の男爵令嬢がぞろぞろ護衛を引きつれている方が目立つということで取りやめになった。
アリスはフレデリックの言葉に大きく頷いたのだが、キャシーが反論してきた。
「そんなことありません。当然の対応ですよ、フレデリック様!」
アリスの隣に座るキャシーはずいっと身を乗り出すと、拳を握って熱弁をふるい始める。
「アリス様の可憐さは天使と間違われても致し方ないほどです。悪人はおろか、善良な人間ですらグラリと心が傾いてアリス様に手を出してしまうかもしれな
「キャシー、ありがとう。もういい、もういい」
もう止めてー!!
友達の前で身内からベタ褒めされるほど恥ずかしいものはないからぁ!!
アリスは馬車の中で立ち上がりそうな勢いのキャシーの腰を抱き締め、強制的に椅子に縫いつけた。
「念には念を入れませんと!! 分かっていただけましたでしょうか、フレデリック様」
「そうですね。アズは可愛いですもんね」
生暖かい目と雑な棒読みで返事をするフレデリック。
「ええ! そうなのです! しかし、今はライアス様ですので、お間違えのないようお願い致します」
「そうですね。ライアスでした。すみません、キャシーさん」
すっかり慣れた光景なので、フレデリックもいちいちツッコむことはしない。それが逆にアリスの胸を羞恥で抉ってくる。
「愛称はどうするかな。ライアスならアズのままでも良さそうだけど――駄目っぽいな。じゃあ“ライ”な」
フレデリックは、途中でキャシーの“アズ不可”の視線に気づき、ライアスの愛称を“ライ”に決定した。
アリス扮する“平民の垢抜けない少年”こと“ライアス”は、ナイトレイ家唯一の遠~い親戚の子で、他国へ出稼ぎに行っている両親が不在の間預かっている――という設定だ。多少強引な気がするが、ナイトレイ家は領民以外とさほど交流を深めていないので、別段問題もない。
「それでいいよ。茶番につき合ってもらってごめんね」
「おれは面白いからいいけど」
散々笑われて少し腹が立っていたアリスだったが、冷静さを取り戻すと謝罪の気持ちしか湧かなくなる。
「ま、これから行くとこって、アズくらいの女の子だと目立つから丁度いいって」
ニカッと笑う理解力のありすぎる十一歳がとても眩しく、アリスは「ほんとすみません……」と顔を両手で覆った。
*****
「今回も何もなかったですよ。やっぱ俺の勘違いですかね?」
ファウストは、定期的に行っているアリスの魔力鑑定結果を報告しにナイトレイ家に来ていた。客間のソファに腰掛け、アルバートと向き合う。
「そう思いたいが、むしろその可能性は低いだろう。おまえの目が確かなら」
「……あれを見間違えるほど俺の視力はどうかなっちゃいませんよ」
「だろう?」
アルバートがこめかみに指を置き、声色を低くした。何かを回顧するように、目線は遠くを彷徨う。
「そうっすよね。相変わらず本人がいる場じゃいつもと結果変わらないんですから。俺もあん時以来見てないですし」
ファウストがアリスと初めて顔を合わせ魔力鑑定をしたあの日、適性属性鑑定水鏡は見事に火・水・風・土・光・闇への変化を見せ、彼女はファウストと同じ六属性適性者だと判明した。いわゆる聖属性抜きの実質全属性に適性を持つ者であると。
同類など滅多に巡り逢えないファウストは浮き足立ち、アリスと別れるのが自分でも驚くほど名残惜しかったが、アルバートに殴られて渋々帰路に着いた。
ファウストが久しぶりにやりがいのある仕事にありつけたと、アリスの将来に思いを馳せながら属性水鏡を棚に仕舞おうとしたときだった。属性水鏡を包む布の隙間に何かが挟まっているのを見つけた。深紅色をした花びらだ。
ファウストは動かした拍子にひらひらと頬を掠めて舞い降りていく花びらをぼんやりと眺めながら「そういえばお嬢の部屋に花が飾ってあったっけな」と納得させようとするものの、妙な胸騒ぎがする。
慎重に属性水鏡を机に降ろし、微かに震える手で布の結び目を解く。
布を広げた先には――
水面を全て覆うほどの花びらが浮かんでいた。
「間違いなく、六属性以外の反応でした。お嬢の部屋にはたしかに花が活けてありましたけど、あの量はおかしい。説明がつきません」
混乱させるのを避けるため、家の者達にはおろかアリス本人にも明かしていないが、彼女が聖属性適性者である可能性が浮上していた。可能性、というのは、ファウストが花びらでいっぱいになった属性水鏡を見たのは、最初に行った鑑定時だけだからである。
「今のところ、聖属性を使った治療魔法も見たことがないんだな?」
「ないですね。授業中も上級の光魔法や土魔法を使えるようになって喜んでるとこっす。聖魔法じゃないですよ。アルさんは?」
「剣術の稽古でできた傷を治すときに使っているのは光魔法だった。アリスが意図的に隠しているようにも見えないし、本人は自分が聖属性適性者である可能性すら考えていないだろうな」
「そうっすよねぇ」
ファウストはアルバートに同意しながらも、暖炉の上に立て掛けられている家族三人の写真を見つめる。
素質なら、十分すぎる程にありますけどね。
「――ともかく、これからも引き続きアリスをよく見ていてくれ」
「りょーかい。何かあったらすぐに報告しますんで~」
ファウストの緩い返事に、二人の間にあった緊張感がやっと霧散した。
「ところで、今日はお嬢とブラッドレイ商会の次男坊が、王都でデートらしいっすね? よく許可しましたねぇ」
にやにやとからかうファウストに、アルバートは皺になるほど眉を寄せて一気に機嫌を下降させる。あまりの分かりやすさに、ファウストは堪えもせず思いっきりケラケラと笑った。
「デートじゃない。キャシーも一緒だ」
アルバートはアリスがあんなにも大興奮するのは初めて見た。娘が喜ぶ的確な土産を用意したフレデリックに大人げなく嫉妬したほどだ。
「男装させたって聞きましたよ。いくらなんでもお嬢が可愛過ぎるゆえの誘拐防止ってのはどうなんです? 建前っすよね? ……いや、ガチの方か」
アルバートの親馬鹿っぷりを鑑みると、無きにしも非ずと思い直したファウスト。
「お嬢、クラリス様に似てめっちゃくちゃ可愛いですからね。誘拐犯だけじゃなく、坊ちゃんからも遠ざけたいっていう親心っすか。アルさんもお嬢のこととなると心が狭いっすねぇ?」
愛娘が関わると途端に沸点が低くなるアルバートが面白くて煽ってみたのだが、彼の冷え切った目を見て口を噤む。
「必要な処置だ」
アルバートが茶化すファウストを両断し、緊迫した空気が戻って来る。
「おまえは知っているだろう。聖属性適性者の共通点を。そのうちの一つを見た目だけでも潰すためだ」
「……歴代の聖属性適性者は皆、女性ですね」
ファウストは首をすくめながら、長い足を組み直した。
「あいつもそれを知っている。しかも俺の娘だと分かったら無理やり連れて行くかもしれない」
「心配性すぎやしませんかね? 王都がどんだけ広いか分かってます? まず会わないでしょ」
「万が一、ということもある。彼女の二の舞はごめんなんだよ。もう二度と」
アルバートの言葉に、ファウストは顔を強張らせて息を詰めた。
脳裏に浮かぶ、彼女の姿。
「……すみません。それは俺も同じです。そうですね。やりすぎくらいでいい」
アルバートが冷え切った紅茶に手を伸ばし、行儀悪く一気に飲み干す。
「王都なんて行かせたくなかったが、あれほどに喜ぶあの子に駄目だなんて言えるはずもないだろう。これでも随分譲歩したんだ」
「そうでしょうね。もうからかいませんから、その魔力抑えてくださいよ」
アルバートの不機嫌さ全開の感情と共に闇属性の魔力が漏れ出している。ファウストは光魔法で闇属性の魔力を相殺しながら、空気の重たくなった部屋の換気を試みた。他人の前では何を言われようとも平然としているアルバートだが、気を許した相手だと感情が簡単に露わになりやすい。
「何もなければいいが」
「……大丈夫ですって」
アルバートの根底にある不安を知ったファウストは、気の利いた言葉も思いつかず、曖昧に励ますのだった。
タイトルの名づけセンスが切実に欲しいです…




