20.わたしは『ヒロイン』ではない
水晶玉に漂う煙は、煤を纏ったような濃い“黒”色に変化した。
「黒キタぁぁぁぁぁっ!! お嬢やっるぅ!! 黒判定なんて、お嬢の齢じゃ滅多にお目にかかれませんよ!」
目の色を変えて欣喜雀躍しているファウスト。
鼻息が荒い。イケメンが台無しである。
「…………ッ」
対照的に、アリスは歓喜のあまり声にならなかった。
*****
アリスは、今世こそ親友を救うために足掻いてやると決意しながらも、心の片隅にはいつも恐怖が巣食っていた。
自分が『ヒロイン』である限り、何をしてもまた繰り返してしまうのではないか。
親友をまた死に追いやってしまうのではないか、と。
“わたし”を思い出した時点で違う人間だ。
そう納得させようと試みても、
前世だって、前々世を思い出したのに、『ヒロイン』として踊らされたじゃないか。どうせまた同じ結末だ。
自分で自分を嘲る声がする。
しかし――
『ヒロイン』と魔力量が違う。
たったそれだけ。たったそれだけの違い。
だが、アリスにとっては何物にも勝る希望だった。
『ヒロイン』と同じ容姿をしていて、
『ヒロイン』と同じ身分で生まれ、
『ヒロイン』と同じく母を亡くしていても。
アリス・ナイトレイは“わたし”だと証明されたような気がしたのだ。
決められた役割をこなすだけの『ヒロイン』ではない、生身の人間なのだと。
そうしたら、今度こそ、りっちゃんを――
*****
「……お嬢? 大丈夫っすか?」
涙が滲んでいるアリスを、気遣わしげに見ているファウスト。
「……大丈夫です。すみません。黒だなんて思ってもなかったので驚いてしまって!」
アリスは慌てて明るく取り繕うと、ファウストはその回答に大きく頷きながら同意した。
「ですよねぇ! 俺もビックリしましたよぉ。お嬢の将来が楽しみですねぇ!」
ファウストがウキウキと声を弾ませる。
アリスの涙には特に触れず、次はこっちと彼女を急かした。
「属性の方も早く鑑定しましょう! さぁさぁ、お盆に手を添えてください!」
ファウストは、中に入っている水の変化で属性を判別するのだと説明すると、属性ごとの水の変化を紙に書き出した。
火:水が沸騰する。
水:水が渦を巻く。
風:水が跳ねる。
土:水が干上がる。
光:水が光る。
闇:水が濁る。
聖:上記以外。
「無属性は最初に言った通り、適性者としての分類はありません」
「はい」
分かっていますとも、という気持ちでアリスは頷いた。
「属性についての補足ですが、基本的に親から遺伝するってのはもう?」
「はい。一親等の属性が一番遺伝しやすいけれど、隔世遺伝されて一親等とは異なる属性になるケースもあるとも本に書いてありました」
「さすがお嬢ですね。では、聖属性はその限りではないってのは?」
「そう、だった気がします……」
自信なさげにアリスが答える。
聖属性についての項目は他属性よりも極端に少なく、小さいスペースにちょこっと書いてあるだけのことが多いので、読み飛ばしてしまったのかもしれない。
「例えば親や先祖の誰かが聖属性適性者でも、子どもに必ず引き継がれることはなく、逆に家系に聖属性適性者が全くいなくても突然発現することもあります。聖属性はとにかく超希少なので、実例があまりなくて何とも言えない部分も多いっすけどね」
ヒロインも突然発現したタイプだったのかなぁ。
「光と土とは一線を画する治療能力の高さと希少性は、人々にとって畏怖の対象となる。ゆえに、身分がどうであろうと王族……王位継承者に娶られることが多いっすね」
「そうなのですか……え?」
何だか、聞き捨てならないことを聞いたような?
「歴史上では八人の聖属性適性者が確認されてますが、そのうち七人が王族と結婚してます。たしか、平民の聖属性適性者が王族に娶られたこともあったはずっす」
「そ、そうなんですかぁ」
アリスはごくりと生唾を飲みこんだ。
さっき、ヒロインとの相違点を見つけて喜んだばかりだったのに。
ヒロインが男爵令嬢のくせに王子の正妃になれたのは、そのせいだったのか。
もしも、わざと学力を落としたり、芋くさい女の子に変装したりしたとしても、“聖属性”という時点で目を付けられないわけがないんだ。
というか八割以上の確率で王族に嫁ぐの? 笑えない。笑えないよ。
「お嬢、そんな深く考えないで大丈夫っすよ。気ィ抜いてください」
ファウストも、まさかアリスが聖属性だなんて夢にも思っていないだろう。
「よし。じゃあ手を添えてもらえます?」
「っ、はい」
ファウストに返事はしたものの、アリスはお盆に触れるのを躊躇い、ギリギリのところで停止している。彼女は絶賛テンパり中だった。
どど、どっ、どうしよう!?
聖属性って分かったら、すぐに周りに知れ渡るのかな!?
え? え? そうしたら、もしや王子の婚約者候補もありえるの!?
うわぁぁっ! それは絶対に駄目!
りっちゃんには王子と幸せになってもらうんだから!
「お嬢? どうしました?」
「あ、えと。ちょっと心の準備が」
「あはは! 属性鑑定するだけっすよ? 楽しみ過ぎて緊張しちゃいます?」
「そ、そんな感じです~」
ファウストに乾いた笑いを返すアリス。
――いやいや、落ち着け自分。
今までゲーム通りに進まなかった方が多いし、魔力量だって違ったじゃない。
聖属性じゃない可能性もある! ほらほらポジティブシンキングだぜ!
よっしゃ、アリスいきまぁーす!!
アリスは心の中でやけくそ気味に叫ぶと、お盆にペタリと手を添えた。
「う、わっ」
アリスは自分の魔力がお盆の中に吸い取られるのを感じた。
ファウストはやけに真剣な表情をして、黙ったままじっと水を見つめている。
吸い取られた魔力が湛えられた水へと行き渡ると、すぐに水に変化が現れた。
「……これって!」
水がグツグツと沸騰し始めたのを見て、アリスがはしゃいだ声を上げる。
聖属性じゃない!!!
「おっ! お嬢は火属性っすかぁ。珍しいっすねぇ。アルさんは光と闇なのに」
「えっ?」
この人何でそんな重要そうな情報サックリ言うの?
父上が光と闇の二属性持ち? 聖属性に次いで希少なのに?
てか、二属性も適性することってあるものなんですね?
ヒロインの親ハンパないってことで無理やり納得すればいいですかね??
「二つ以上の適性属性を持つこともありえるんですか?」
「ありえるっすよ。滅多にいませんけどねぇ。あ、ちなみに俺は聖属性以外の全属性適性者っすよ」
「ぜ……!? えええっ!?」
「あっははは! お嬢、変な声~!」
聖属性以外全部!? 父上を軽く上回るだと!?
いやほんと、何でこの人家庭教師なんて引き受けてくれたんだろう。
聞けば聞くほどこの人のスペック高さに驚かされるんですけど。
歴代の魔導師団長って皆こうなの? セルヴァ先生だけ?
アリスが混乱していると、水が沸騰したまま渦を巻き始めた上に、水がキラキラと光り出した。
「ええ!?」
「水と光属性の変化っすね。三属性かよテンション上がるぅぅぅ!」
ファウストが興奮している間にも水は更に変化していく。
渦を巻いていた水がどんどん黒く濁り始めたかと思うと、次はリズムを刻むように水が勢いよく飛び跳ね、アリスの手にかかった。
「熱っ……!」
「お嬢っ!」
ファウストはすぐさま魔法で氷を練成すると、アリスの手を冷やした。
「大丈夫っすか」
「はい。すぐに離したので大丈夫です」
ファウストに手当てされながらお盆を見遣ったアリスが、ピシリと固まる。
――まさか。
「お嬢どうしました? ああ、これは……」
お盆に入っていた水は、全て消えていた。
「いやホント、さすがはアルさんとクラリス様の娘っすわ」
ファウストは目を爛々と輝かせている。
「お嬢、あなたは……全属性適性者です。俺とお揃いですね!!」




