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11.今世の世界は



アリスが倒れたことで延期になっていた誕生日パーティは、彼女の快復をもって無事にやり直すことができた。当初の予定通り身内だけで祝うささやかなものだが、父と使用人達の真心が溢れており、アリスの胸はずっと温かさで包まれていた。


淑女たるものお菓子の食べ過ぎは駄目だと言われ、普段はあまり口にできない甘いものも、今日ばかりはお許しが出てお腹いっぱい食べさせてもらった。


世界観としては中世ヨーロッパに近い印象なので、多種多様なお菓子はないと思っていたが違った。そのあたりは都合よくできている世界のようで、料理長が腕を振るってくれたケーキやタルトは前々世で食べていたクオリティ並に高かった。ほっぺたが落ちるってこういうことかと思うほど美味しかったし、なんとチョコレートがあることも判明した。


ただ、チョコレートはかなり高価であり、基本的に王族と上級貴族しか手に入れられない代物だ。男爵位の我が家ではまず出てこないお菓子だが、懇意にしている商人に頼み込んで奮発してくれたようで、前々世からチョコレートが大好きだったアリスは控え目に言って狂喜乱舞した。




――さて、アリスが記憶を取り戻してから一週間経った。


確信したのは、やはりこの世界が前々世で親友から懇願されてプレイした乙女ゲーム『ゼラニウムの花束を君に~恋と魔法のリボンで結んで~』に酷似しているということ。サブタイトルの蛇足感が否めないと当時思っていたが、やっぱりその感想は変わらないなと苦笑する。


記憶が鮮明なうちに書き留めておかなければと、アリスは日記帳を引っ張り出す。

唯一自分でプレイしたことのある乙女ゲームとはいえ、きっと時間と共に記憶は風化してしまうだろうから。


まず、主人公であるヒロイン(自分)のことだ。


【アリス・ナイトレイ】

ナイトレイ男爵家の一人娘。四歳の頃に母クラリスを亡くすが、父アルバートや使用人達の愛情を受けて、他人を思いやれる優しい性格に育つ。

母似の美少女で魔法の才能に溢れており、学園には首席で合格する。かなり珍しい聖属性を持つ。


そう、この世界は前世と同様、魔法が存在するファンタジーな世界だ。

平民から貴族まで日常的に魔法を使っているが、魔力量の多さは貴族が圧倒的に多い傾向がある。魔力量が多い平民を養子にするという話も珍しくないので、当然と言えば当然だろうか。


魔法には属性というものがあり、火・水・風・土の四属性の他に、数の少ない光・闇・無属性、都市伝説扱いの希少な聖属性、と合わせて八属性が存在する。

人には生まれながらにして適正属性を持っており、ゲームの中のアリスはヒロイン力満載の聖属性だった。治癒魔法に特化した属性で、心の優しいヒロインのイメージにぴったり合う。


「魔法の細かい設定はこれ以上覚えてないけど、今度家庭教師が来てくれるし、そのときに教えてもらおう。で、問題は攻略対象だよね。……なんでまた、ヒロインに転生したかなぁ……」


アリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。


再びヒロインという肩書きを着せられたアリス。

プレイしていたときは、“推し”と呼ぶ存在ができたのも覚えているが、攻略する気など起きない。


「…………」


ペンを握っている右手に力が入る。


また、物語が始まった途端に強制力が働いたら――そう思うと身が竦む。


早鐘をつくように高鳴る胸を左手で押さえ、恐怖に飲まれそうになる思考を必死に振り払う。



あんな思いはもう二度としたくない。


だから、変えるために動くんでしょ? 私。


しっかりしろ!



冷や汗を拭いながら、浅くなる呼吸を無理やり深呼吸に変え、何とか自身を落ち着かせる。指先が微かに震えたままだが、アリスは書き出しを再開した。


「……えっと、そう、ストーリーは……」


物語は、ヒロインが乙女ゲームの舞台となる学園に入学したところから始まる。

ゲームの中のアリスは、入学試験首席合格により新入生代表のスピーチを任された美少女として、入学初日から良くも悪くも有名になる。


目をつけられて上級貴族からの嫉妬や虐めを受けながらも、挫けることなく自分という人間を認めてもらおうと努力する姿は好感を持てたし、応援したくなるものがあった。

そんな優秀で健気な彼女に、様々な思惑を持った攻略対象が関わっていくようになって――というがあらすじ。


この乙女ゲームは、とことん甘いハッピーエンド、そこそこ甘いハッピーエンド、バッドエンドが存在する。

前々世で少年漫画を愛読していたアリスは、男女間でも友情で終わるさっぱりとした関係を好んでいて、少女漫画のような恋愛をメインにおいたストーリーは不慣れだった。

そんな彼女に恋愛のハッピーエンドしか用意されていないゲームをやらせるとは、なかなかに容赦ない親友である。


アリスとしては、微糖恋愛エンドでもお腹いっぱいだったのに、甘々恋愛エンドに向かうルートはもう瀕死だった。親友の懇願という名の強制がなければゲームを投げ出していたかもしれない。


学園入学自体を回避できれば一番良かったのたが、残念ながら無理だ。この国の貴族は、最低三年学園に通うことが義務づけられている。希望があれば二年追加で通うことができ、男子はほとんどが五年通い、女子は結婚する割合が高いので半数が残るかどうかといったところ。


基本的に十三歳からの入学が認められているが、推薦があればもっと早い年齢でも可能である。義務といってもきちんと入学試験があり、前世みたいに魔力量だけで入れるほどチョロい学校ではないので、飛び級の入学は簡単ではない。……ゲームの中のアリスは飛び級していたけれども。


「物語が始まるまであと八年か。なるべくそれまでは攻略対象と接触しなくて済むようにしたいけど、そうもいかなかったよなぁ。特に幼馴染みと義兄は」


アリスはカリカリとペンを走らせる。

攻略対象は、王子、幼馴染み、義兄、教師の四人。隠しキャラもいた気がするが、そこまで辿り着かなかったので誰なのか知らない。


一番最初に出会うことになるのは、幼馴染みの【クリストファー・エッジ】

騎士団長の父と騎士団分隊長の歳の離れた兄を持ち、自身も騎士を目指しているアリスと同い年の少年だ。二次元だからこそありえる銀髪にアメジストのような紫の瞳を持つ。


「あれ? でも、もしかして幼馴染みのフラグもう折れてる?」


記憶を呼び起こしてはたと気づく。


彼との出会いは、五歳になるアリスの誕生日パーティーだったはずだ。ゲームの中では身内だけのパーティーと言いつつ、騎士団長がアルバートの親友であり、子ども同士を引き合わせて婚約者にしようという思惑のもと招待されていた。


親の思惑通りに仲良くなった二人は将来結婚しようと口約束するが、町に一緒に遊びに行ったときに遭遇した窃盗団に、クリストファーは手も足も出ずに大怪我を負い、アリスは誘拐されそうになる。寸でのところで騎士団長が駆けつけて事なきを得るが、婚約の話は流れてしまう。


父や兄から手ほどきを受けていたとはいえ、所詮は年端もいかない子どもが大人に勝てるはずもないのだが、クリストファーはアリスを守れなかった不甲斐無さに落ち込むとともに、己の力不足を痛感して腹立たしさを覚える、真面目で負けず嫌いな性格をしていた。


それからクリストファーは、アリスと婚約を結べるよう、彼女を守れる男になれるよう、父や兄のような立派な騎士になるべく研鑽する。

学園で再会した彼は、母似の美人な顔立ちでありながらも、父のような精悍さを併せ持った青年になっていた。

幼い頃からアリスを想い続ける一途さと、鍛えられて引き締まった身体、男らしさのある整った顔立ち。その全てが前世のアリスの好みど真ん中で悶え転げた――そう、前世のアリスの推しは彼だった。


でもそんなイベント起こるどころか、そもそもパーティーに呼んでないね?

いきなりストーリーから外れたなぁ。


アリスはむぅ、と口を尖らせて、眉間をコツコツとペンで叩く。


仮にゲームの強制力がこの世界でも働くとして、物語が始まる学園入学後と考えていいってこと? 始まる前だとしても、会うはずの攻略対象に会わないと話の辻褄が合わなくなると思うけど、どうなんだろう?


悩むアリスに、一縷の光が見える。


「……ここは、前世のようにはならないかもしれない……?」


期待のし過ぎは禁物だが、前世についてずっと考えていたことがある。


前世は、決められた役柄で決められた道筋通りに動く、()()()()()()()()()()()()()のではないか、と。


そう思い至った根拠としては、前世のアリスの記憶が「魔法学校に転入した日からしかない」ことだ。平民として暮らしていた記憶や男爵家に引き取られた記憶は、記憶ではなくて前々世の知識だったと今更ながら気づいた。


親友を失ったあと、アリスは前世の自分がどうなったのか知らない。

『ヒロイン』としての自分はそのまま生き続けたのか、死んだのか。それとも他の誰かが『ヒロイン』を引き継いでいるのか。


少なくとも、“私”があの世界を生き続けた記憶はなかった。


だが、今世は違う。


ここまでアリス・ナイトレイとして生きてきた記憶がしっかりあるのだ。


自分の意思で、自分のやりたいことを今度こそ。


「できる、かな……」


家族のおかげで、潰れそうになった心は持ちこたえている。

でも一人になると、あの記憶が何度も甦る。


濁った底の見えない深い沼に、ずふずぶと沈んで行く。



動けるようになったのに、私は間に合わなかった。


りっちゃんを、見殺しにした。


音がしなくなって、赤しかなくなって――



「アリス様?」


「!」


キャシーの声が、アリスを引き戻した。


「アリス様、お夕食のお時間ですが、大丈夫ですか?」


彼女の声色で、心配そうな顔をして扉の前に立っているのが想像できる。

いつもはすぐに返事をするアリスの反応がないので、気に掛かったらしい。


「……あ……うん、大丈夫だよ」


深い霧のかかったようだった頭が、ゆっくりとクリアになっていく。

持っていたペンはいつの間にか落としていて、ぶらりと垂れた手は微かに震えている。爪まで白くなった手は気味が悪いほど生気がない。


「今行くね」


アリスは頬をバチン! と思いっきり叩いて喝を入れる。



――とりあえず今は、自分にできることをやらないと。


後悔を二度と繰り返さないために。


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