10.目覚め
アリスは泣きながら目を覚ました。
止めどなく溢れてくる涙が、彼女の頬を濡らす。
思い出した人生二周分の記憶は、胸を抉るように刻み込まれ、痛みを伴いながら馴染んだ。
声を上げるでもなく、ただただ静かに涙を流し続ける。
次こそ。
今世こそは。
「絶対に死なせてたまるか」
*****
「……アリス!! ああ、良かった……目が覚めたんだな……!」
アルバートがアリスを優しく抱きしめる。
もともと華奢なアリスだが、今は頬が痩けるほど細くなっており、うっかりすると骨を折ってしまいそうだ。アルバートは随分と衰弱した娘の姿に心が痛んだが、意識を取り戻したことにこれ以上なく安堵していた。
「心配かけてごめんなさい、父上。私はもう大丈夫です」
アリスは父を抱きしめ返したかったが、まだ身体に力が入らず言葉だけで伝える。
父の温もりを感じながら、アリスは彼が目の下に濃いクマを作っているのを見つけた。
随分、心配をかけてしまったみたい……父上、すごくやつれた顔してる。
あ……皆もだ……
アリスが倒れてから、すでに一週間も経過していた。
最悪の事態を覚悟しておくようにと言われていた屋敷の者達は、とてもじゃないが生きた心地がしなかった。アリス様はきっと大丈夫だとお互いに励まし合うものの、クラリスが病死したときを思い出しては閉口していた。
「うぅ、うっ。アリス様……アリス様ぁぁぁ!」
泣き腫らした顔でキャシーが飛びついて来た。
使用人の中でもキャシーの落ち込みようは群を抜いており、どちらかといえばふくよかだった彼女は、アリスが一瞬誰か分からないほど痩せ細っていた。
キャシーの目の前で突然倒れたから、責任を感じさせちゃったかな……
「キャシー。ずっと側にいてくれたんだよね? ありがとう」
「いいえっ。いいえっ! 私は、私は……アリス様の異変に気づけず……っ」
目を真っ赤にしてしゃくり上げるキャシー。
このままだと責任を取って専属侍女から外れると言い出すか、屋敷自体を辞めると言い出しそうだ。
「……アリス様。私は、アリス様に仕える資格がございません。……ですから、あの、私っ……ここをやめ……」
アリスが予想した通りの言葉を紡ぎかけるキャシーに、アリスは先手を打った。
「キャシーのせいなんかじゃないよ。どこにも行かないで! まだ私の側にいて!」
生まれたときから、ずっと面倒を見てもらったのだ。
アルバートが仕事で忙しくて家に帰らないときも、クラリスが床に臥せって何日も顔を見れないときも、彼女のおかげでいつも一人にはならなかった。
「大好きだよ、キャシー」
二人目の母のように、姉のように、アリスは彼女を慕っている。
「……! あっ、アリス様ぁぁぁ!! 私も大好きですぅぅぅ!!」
キャシーはわんわんと大声を上げて再び泣き始めてしまった。
「アリス様……本当に、良かった……」
普段あまり表情が出ない執事のモーリスも、安堵の表情が顕著に浮かんでいる。
他の使用人達も代わる代わるアリスの元へ訪れては、目が覚めて良かったと言ってくれた。
「良かったのぅ……これで儂も一安心じゃて」
老医師ハーマンが微笑ましい光景に口元を緩ませつつ、アリスに調合した飲み薬を手渡した。
「とはいえ治り切ってないからの。この薬を飲みなさい」
「はい、先生」
ハーマンから飲み薬を受け取ったアリスは、コップの中で揺らめく液体の色に顔をしかめる。
……これ、薬なんだよね? 真っ黒なんですけど……
アリスは若干顔を引き攣らせながら、おそるおそるコップに口をつける。
「……うっ!! に、がいっ! げほっ、げほっ!」
「こらこら。吐き出してはいかんぞ」
「う~……にがい~……げほっ」
濃~い青汁でも目じゃないほど苦い薬に、アリスは涙を浮かべて咳き込む。
ドロドロとした液体は、厄介なことにずっと喉に引っ付いていつまでも苦味を持続させる。一口飲むのに多大なる気力を使い、あまりの苦さに二口目を含むのが躊躇われた。
「せ、先生。あまりアリスに無理をさせたくないのですが」
アルバートがアリスの様子を見て、眉を下げる。
「……この親馬鹿が……アリスが完治しなくてもいいなら今すぐ止めさせるがの?」
ハーマンがやれやれと頭を振る。
アリスが可愛いのは分かるが、それとこれとは別問題だ。
「ち、父上……のっ、飲めます……!」
「アリス……」
父上……私が一週間も寝てたから、ここまで過保護に……!
さすがに前は、「頑張って飲みなさい」って言ってたと思うんだけど……!
……うん。すっごく愛されてるなあ……って、うげぇ……やっぱり苦いぃぃぃ!
ぜぇぜぇと息を切らしながら、何とかコップ一杯の激苦薬を飲み終えると、アルバートと使用人達は拍手喝采でアリスを褒め称え始めた。
く、薬を飲んだだけなんだけど……! あ、でも五歳児って薬が飲めたら褒められる年齢? 普通なのかな? ……いや、家族総出で拍手喝采はないよね。
「……これは、うむ。もともとおまえさんのことをすこぶる可愛がっていた者達じゃが……磨きがかかっておるな」
ハーマンは苦笑いをしながらアリスの頭を撫でた。
「アリス……愛されとるのぅ」
ハーマンは目尻に皺をたくさん寄せ、優しい眼差しでアリスに微笑む。
ここまでの愛情はくすぐったくもあるが、アリスも嬉しそうに微笑み返した。
アリスが凄惨な前世の記憶を取り戻しても、心が壊れずに済んだのはひとえに父と使用人達の存在である。
彼らがこれでもか、これでもか! というほどの愛情を、それこそ雨のように注いでくれるおかげで、アリスは「今度こそ親友を助ける」という前向きな気持ちでいられるのだ。
とはいえ、親友が転生しているのかも、していてもどこにいるのかも分からないのだが。
まずはこの身体を完治させて、それから色々考えよう。
自分が再び乙女ゲームのヒロインに転生したことや、これからどう生きるかを。
や、やっと今世に戻ってきました……
シリアスパートは一旦終わりです。