君と私の千秋楽
スポットライトの少し黄ばんだ光が視界いっぱいを染める。脳裏に刷り込むみたいな、悲劇的で劇的なEDのためのメロディーが降り注ぐ。首筋にじわり汗が染みだす。万雷とは言えない、けれども大雨みたい部屋を埋めうくす拍手が跳ね回って響いた。
私たちの最後の舞台は終わった。そう、終わった。終わってしまったのだ。
君と私の千秋楽
「それでさ。倉橋は一体何がしたかったの?」
月でさえも瞬かない薄暗い電球が照らすだけの、例えるならそう暗転中の緞帳裏みたいな――そんな道を奈津希と二人で進んでいた。まだ冷たい風がさらう指先を、こすり温めながら、こちらを振り向かずに尋ねてきた。その直前に何の話題を振るでもなく、かといって何か示唆するところや脈絡があるわけでもない。問いの真意をつかみかねて、率直に聞き返す。
「どういうこと?」
薄暗い視界は彼女の表情を読み取らせてくれない。言葉を求めると彼女はちらりとこちらを見た。
「つまるところ倉橋はさ、あの舞台でいったい何がしたかったの?何を考えて――…。」
言葉を止めてきゅっと口をつぐむ。何かを嚥下したような沈黙のあと、彼女は息を小さくこぼした。
「やっぱりなんでもないや。」
そう言ってふわりと笑った。それは彼女が最後の舞台でやったヒロインの、可憐で嘘つきな笑顔そっくりだった。ここには役者の心を照らし出してくれるスポットライトなんてない。あの時、役の解釈であの笑顔をどんな感情で演じるつもりだ、と言っていただろうか。
「二年間ありがと、じゃあね。」
いつの間にかついていた最寄り駅に、彼女は一人背筋を伸ばして進んでいった。
§§§
時間というのは等しく無条件に過ぎていくもので。終わった舞台の緞帳裏で感傷に浸っていようが、舞台を降り次に進んでいようが勝手に進んでいく。
そして私は終わったはずの舞台で一人滑稽に、はけた役者を待ちぼうける愚者なのだろう。廊下を無感動に眺めながら思考した。高校生最後の演劇の幕が下りたあの日、村瀬奈津希と交わした会話を最後に、部員誰一人とも声を交えていない。所詮部員にとって、あくまで『部活の延長線上の交友関係』だったのだと痛感する。それを寂しいとか哀しいとか――そんなもの言う権利自分になんてない。
つまり、自分たちの物語が、私が勝手に思い描いていたハッピーエンドを迎えることはなかった、というだけ。舞台上は幸せなハッピーエンド、一歩下りればただの他人。それに自分一人が気づけなかったというだけ。
「楽しかったな……」
目を細め過去と記憶に想いを馳せる。いつまでたっても先生の来ない空白の教壇を目の端に捉え、そっと目を閉じた。まどろむように机に体を伏せる。深淵に引きずり込むように眠気がそこから押しあがってきた。
―――
回想。
大会の台本をなんとなく書きたいと思った。まるで欲求不満の子供みたいに膨れ上がったその願望は、たちまち私を飲み込んだ。使われる予定のない台本を使ってくれないかと、ありもしない主人公補正なんてものに期待して、打ち込んでいった。
そう、確か結局悩み込んだ末に書くはずだった子に頼み込んだのだ。その子が頼まれたら断れないことを承知の上で。
『最後の最後で本当に書きたいものが書きあがって、華々しい終結を迎える』なんてドラマチックな展開にありがちだと、なぞって成功する未来を勝手に描いていた。この台本があれば全て願った筋書き通りの後日譚になると信じていた。
完成した台本を見たみんなのリアクションなんて忘れてしまった。ハッキリしているのは、自分の台本は『主人公みたいな』『誰かに影響する何か』でなかったという記憶。
それでも、最後の作品で最後の舞台で必死に作り上げて、総がかりでこった演出とかを考えてみたりして、とにかく全力で取り組んだはずだった。確かにそこに笑顔と、完成した喜びがあったのだ。誰か一人が引っ張ってそれについていくんじゃない、全員で作り上げていく物語だった。最高の物語のはずだった。
だったのだ。
§§§
一度寝てしまったせいか今日の授業はさんざんで、一向に収まる気配のない眠気を引きずりながら駅への道を進んでいた。ほんの少し前の季節までは、奈津希達と歩いていたことを寂寥感と共に思い出す。一人だからだろう、誰もいないことが余計に響いて、例えばそれは部室に一人で物を戻しに行くようなそんな感じの寂しさで、なんだかとっても惨めに思えた。
「あれ、奈津希……」
角を左に一つ曲がると、大通りで信号を待っている奈津希が立っていた。中学から使っているといっていたリュックを紐を伸ばして下げ、部員が上げていたピンクのイヤホンを左耳にだけ差し込み、すらりと起立する彼女。あまりスマホを見なくてまっすぐ前を見つめているいつもと変わらない彼女。
久しぶりに見かけて、急いで声をかけようと足を踏み込む。わずかとはいえ空白の期間の間に積もった話したいことがあふれ出して仕方がない。
部活がなくなって、塾はどうしたのだろうか。彼女はまだ演劇を続けるのだろうか。また遊びに行ったりする約束ができるだろうか?
「村瀬―――(そういえば私は声をかけてもらったことがあっただろうか?)」
名前から先の言葉が口の中に掻き消えた。舞台上でかけるべき台詞を忘れたみたいに、脳だけが急速に回転していく。
いつも声をかけるのはいつも自分からだった。部活に行くときも、絶対に彼女のほうが先に気づくであろう時だって声をかけられたことはなくて、そういえば他の部員にだって声をかけられた記憶はない。少しだけ浮き上がっていた心が嘘みたいに冷えていく。
気づいたらくるりと足先の向きを変えていた。彼女の待っている信号は青に変わっていた。どちらも駅に向かっているはずなのに、大切な仲間だったのに、道を違うなんてなんて滑稽で、なんて愚かなんだろう。それは彼女が再び登場してくることはないということを示していた。
彼女の姿が見えなくなった時私は、とうとう歩みを止めてしまった。彼女の歩んでいった方を振りかえる。ないとわかり切っている退場した役者の再登場を期待するかのように。
「…なつき」
ねぇ奈津希。私がどうしたかったなんて明白だ、敏い君なら絶対わかったはずだった。
確かに私が望んだのは「高校演劇の再興」で「やりごたえのある台本をかき上げること」で「それを認めてもらうこと」なのかもしれない。でもその先に私は確かに、君達と同じ舞台に居続けたいと望んだ、同じ台本の登場人物のように、『一緒にいられる本当の仲間』になりたかったんだ。歪な願いと発露の仕方だけど、最適解にすがったつもりだったんのだ。
ただそれが、君たちがおりたくないと願う舞台になれなかっただけなのだ。たったそれだけのこと。
これで私の下らない回顧録と後日譚は幕引き。さよなら愛しき舞台。大切な貴方達にせめてもの花束を贈る。
終わってしまった物語に花束を添える――
ここまで読んでくださりありがとうございました。
よければコメント、評価お願いいたします!!