かわいそうな兄さん
おや、ななちゃん、こんなところにいたのかい。
どうしたの、またお母さんを怒らせちゃったのかい。昼間っからこんなところに・・・。
え、昨日から?もっと前から?いつからそこにいるの?
そこじゃ真っ暗でかび臭いだろう。もっとお日様の差し込むこっちへおいで。
かび臭いってどんなにおいかって?
それはほら、何て言うか、鼻の奥がむずむずするような何とも言えない嫌あな・・・困ったね、今どきの子供はかび臭いっていうのがわからないんだね。
まあいい、とにかくこっちへおいで。
かわいそうに、すっかり凍えてるじゃないか。
こんな真冬に小さい子供をいつまでもお蔵に入れておくなんて、お父さんもお母さんもちょっとひどすぎやしないかねえ。
ななちゃん、いくつになったの。十?
それじゃあもうそろそろ周りの空気を読むって言うか、気配を察するって言うか、あ、今これしたらいけないな、こんなこと言ったら叱られるな、っていうのをあらかじめわかるようにならなきゃいけないよ。
ななちゃんだってこんなところにしょっちゅう閉じ込められるんじゃ、かなわないだろう。
おじいちゃんはここで何しているのかって?
まあ、ここは昔のものがたくさん置いてあるところだもの、おじいちゃんは時々懐かしくなっていろんなものを覗きに来て、あれこれいじくりまわしてみたり、古い本や何かを手に取って読んでみたりしたいのさ。
なに、おなかがすいてるの?困ったねえ、ここにもし食べ物があったとしても、ネズミにとっくに食べられちゃったさ。
なに、ネズミを見たことがない?そりゃあ良かった。
生きたままあれにかじられたらたまらんよ。ななちゃんはそんな目にあわずに済んで良かった良かった。
昔、おじいちゃんが子供のころは、何か悪さをしてここに閉じ込められるときは何かしら食べるものを持たせてもらったもんだよ。おむすびとか、ミカンとかね。
「かわいそうな兄さんにお供えを持っておいで」って渡されたもんだよ。
もちろん建前は、悪いことした罰なんだから、夜ごはんは抜きで当たり前なんだけど、お腹が空いてかわいそうだからってお母さんが持たせてくれたんだと思うけどね。
かわいそうな兄さんって誰かって?
そうか、ななちゃんのお父さんとお母さんは知らないのか。おじいちゃんのお母さん、ななちゃんにはひいおばあさんに当たる人は、お父さんがまだ赤ちゃんの頃に亡くなったからね、その話は聞いてないんだねえ。
それじゃあ、おじいちゃんがお話してあげよう。この家に代々伝わる昔話さ。
それは、おじいちゃんが生まれるうんと前のことさ。
たぶん、江戸時代とかその辺だと思うけどね、そのころこの家は庄屋さんって呼ばれていて、お侍さんの次ぐらいに偉い家だったのさ。
だから、女中さんって言って、家の中のことをする使用人も何人もいたものさ。
それで、この家の主、今でいうお父さんだね、その人は何だかお殿様みたいに威張っていたみたいだけれども、お母さん以外にも・・・ああ、まだ子供のななちゃんにこんなこと言ってもいいのかな、そのう、つまり、お母さんの次とか、そのまた次ぐらいに仲のいい女の人が、その女中さんの中にいたりしたんだよ。
それで、そのうちの一人の女中さんに赤ちゃんができた。
え、お父さんは誰なのって?それはだから、お殿様みたいに威張っていたその時代のこの家のお父さんさ。
いや、ななちゃんのお父さんにはそんな人はいないはずだよ。
むかしむかし、大昔の話だからね、これは。やれやれ、まいったな。
ふつうはそうして生まれた赤ちゃんはすぐに里子といって、よそにもらわれていったものだが、たまたまその子が生まれた時にはこの家には男の赤ちゃんがいなくてね。
もしこのまま男の子が授からなかったら、跡取りにするしかないってことで、この家で育てられることになったのさ。
だけど、その時のおかみさん、って言ったか、奥様って言ったか知らないけど、まあ、わかりやすく言えばこの家のお母さんに当たる人がね、気の強い人だったみたいで。
女中の子を屋敷で育てるなんて、って言って、その女中と赤ちゃんをこのお蔵に閉じ込めてしまったんだと。
食べ物と飲み物は窓からかごを下ろしてもらえたらしいが、それ以外は何もかもほっておかれて、そのころは病院もなくって、お産は命にかかわる一大事だったのに、産後の面倒も誰にも見てもらえないまま、赤ちゃんと二人きりでお蔵に閉じ込められて、外に出ることは決して許されなかったんだ。
締め切ったお蔵のたった一つのあかりとりの窓から、いつもか細い赤ちゃんの声が聞こえていたそうだよ。
それと、女中さんの叫び声も聞こえてきたらしいよ。
出して、出して、あけてください、お願い、どうか許してください・・・って、ぶ厚いお蔵の戸をどんどん拳で叩く音も聞こえてきたって。
それがいつの間にか、ぷっつりどちらの音も止んでしまって、他の女中さんがこっそり様子を見に行ってみると、すっかり冷たくなった女中さんの横で、やせ細った赤ちゃんがお母さんの胸にしがみつくようにして、もう息がなかったそうだ。
女中さんは産後の肥立ちが悪くて、とうとう病気になって死んでしまっていたんだね。
赤ちゃんもお乳がもらえなくなったら、かわいそうに飢え死にさ。
二人はもちろん本家のお墓になんか入れてもらえないし、その辺にいけられたんじゃないかねえ。
え、いけられたっていうのは、つまり埋められたっていう意味だよ。
ちゃんとしたお墓も作ってもらえなかったっていうことだな。
それから間もなく、先にいた女の子たち、つまり、死んだ赤ちゃんの腹違いのお姉ちゃんにあたる子供達だな、何人かいたらしいけど、次々と亡くなったそうだ。
病気で死んだ子もいれば、川に落ちて死んだ子もいる。
これは不吉だ、と周りの人たちが心配していると、本妻さん、ああ、この家のお母さんに、男の子が生まれた。やれめでたいと思う間もなく、生まれてすぐに死んでしまった。
それからも何人か子供は生まれたが、みんなお誕生日を迎える前に、つまり、一歳になる前にみな死んでしまったそうだ。
さあ、こうなるともう、あの女中さんと赤ちゃんの祟りだってことになって、お坊さんを呼んでお弔いをしてもらったり、おはらいをしてもらったり、あれこれしてみたんだけれども、とうとう本妻さんとの間に生まれた子供は育たなくて、分家から養子をとって・・・。そう、よそから、と言っても親戚のおじさんおばさんのところからね、子供をもらってきて、後継ぎにしたそうだ。
代替わりしてご隠居さん夫婦が亡くなると、かわいそうな女中さんと赤ちゃんの話も立ち消えになったが、ある日、ななちゃんのようにお仕置きでお蔵に閉じ込められた子供が、朝になると消えてしまったことがあった。
お蔵じゅうを探すと、お蔵の太い梁の上でぐったりしていた。あわててお医者を呼んだが、そのまま死んでしまった。
死ぬ前に熱に浮かされながら、その子供がしきりに兄さんごめんなさい、助けて、って言っていたというんだが、その子には兄さんはいなかった。
それからも、お蔵に閉じ込められた子供らが次々と・・・。
おやななちゃん、怖くなったかい?黙り込んじゃって。
ごめんごめん、ちょっと脅かしすぎちゃったかな。
大丈夫、昔、昔の話だからね、これは。
まあ、そんなことが続いて、これはきっとお蔵で死んだかわいそうな赤ちゃんの祟りだろうって、昔のことを知っている人たちが騒ぎ出した。
お蔵をつぶそうかっていう話もあったそうだが、それはそれで困るからね、お蔵の中に小さな仏壇をこしらえて、そこに赤ちゃんの位牌を作って収めたんだ。
ほら、ななちゃんが座っている後ろの壁のあたり、見てごらん。小さな観音開きの扉があるだろう。それが、赤ちゃんをお祀りしているところさ。
そして、それからその家の子供たちがいたずらをしてお蔵に入れられるときは、必ず「かわいそうな兄さん」にお供えの食べ物を持っていくようになったんだよ。
まあ、そのころになると、よっぽどのことがない限り、お蔵に入れられるほどのいたずらをする子供はいなかったようだがね。
何しろ、真っ暗なお蔵に、「これをかわいそうな兄さんにお供えしておいで」ってやられるんだもの、これ以上の罰はないよね。
え、おじいちゃんは何でお蔵に入れられたのかって?そんなに怖い罰なのに?
それは、えーと、ははは・・・。もう忘れちゃったなあ。なんでだったかなあ。
おや、信じられないって顔をしてるね。
ななちゃんの知っているのは、足腰が弱って一人で何にもできない困ったおじいちゃんだろうけど、子供の頃はななちゃんよりもずっとやんちゃでわんぱくで、お父さんやお母さんを手こずらせたものだったよ。
いや、かわいそうな兄さんに会ったことはないよ。
お供えはそのままおじいちゃんが食べちゃったさ。
お蔵で一晩寝て、次の朝には出してもらったよ。
昔の人は、大真面目に祟りとか信じていたんだねえ。
死んでしまった女中さんと赤ちゃんはかわいそうだけど、とっくに成仏しているさ。
天国で幸せに暮らしてるはずさ。そうでなきゃ、かわいそうすぎるだろう。
それより、生きている人間がしたことのほうがよっぽど恐ろしいよ。
考えても御覧、こんなに暗くてかび臭くて、冬なんか寒くて凍えるようなところに、生まれたばかりの赤ちゃんとお産したてのお母さんを閉じ込めておくなんて。それを誰も止めなかったなんて。
おや、ななちゃん。泣いてるのかい。
そんな、ななちゃんが謝ることはないよ。
おじいちゃんのために、泣くことはない。
ななちゃんはまだ小さかったんだもの、お父さんやお母さんを止められるわけないよ。
もう済んだことだ。おじいちゃん、誰のことも恨んでなんかいないよ。
そうとも、おじいちゃん、大人だもの、いたずらなんかしたわけじゃない。
でも・・・、きっと、お父さんやお母さんが困るようなことをしでかしたんだろうなあ。
もしかしたら、少しばかり、ななちゃんのお父さんとお母さんは、大昔の庄屋さん夫婦に似ているところがあるかもしれないね。
ななちゃん、どうした。誰かそこにいるの?
え、かわいそうな兄さんが・・・・?
そうかい。
まだそこにいたのかい。
ずっと、閉じ込められたままで。
二人で何を相談しているのかい。
ここから出たいって?
今さら出てもなあ。
もう、おじいちゃんには行くところはないよ。
ななちゃんだってそうでしょう。
兄さんだって・・・。
そうか。止めないよ。
それでななちゃんと兄さんの気が済むのなら。
不思議だね、兄さんの仏壇、何がそんなに燃えてるのかねえ。
こんなにかび臭いのに、よく燃えること。
火事除けのお蔵のはずが、中から燃えちゃあ方なしだ。
どうだい、ななちゃん、もう寒くないだろう。ぽかぽかするねえ。
あかりとりの窓から炎がぺろんと長い舌を出して、もう少しで母屋に届く。
おや、母屋の屋根に火の粉が飛んだ。
洗濯物にも火が付いた。
おお、ぱちぱちといい音がする。
気分がいいねえ。
おや、ななちゃん、笑ってるね。
兄さんも。
おじいちゃんも笑ってるって?
そうかい。いや、参ったなあ。
もう全部許したつもりだったけど、おじいちゃんもやっぱり、ちょっとは祟りたい気持ちがあったんだねえ。
ああ、二階の窓から炎が上がった。
下に崩れ落ちていくじゃないか。
あんなに立派だったお屋敷が、紙の模型みたいだ。
愉快だねえ。
ははは・・・
ははは・・・
ははは・・・