恨みの鏡
胆試しは好きですか。
遊園地は好きですか。
夜中のミラーハウスに足を踏み入れる勇気はありますか。
鏡は「あなた」を写し出すもの。
けれども、鏡像はあなたを反転して写し出す。
そのことに気付いていましたか?
さっと光の筋が走った。
それは、奇妙に折れ曲がり、そして幾つもの灯影が、いっせいに映し出される。
俺の足はすくんだ。
だいたい、この企劃は気に入らなかったんだ。
夏だから、みんなで胆試しをしようぜ。
ついては、先年閉園された遊園地に入り込んで、指定のアトラクションに入り、そこで写メを撮ってくる。
当然、一番奥まで行った者が勝ち。
あとの飲み会では、勝者が奢ってもらえる。
……ありがちだろ。
どのアトラクションに入るかは、クジ引きで決めた。
そして、俺が引き当てたのがミラーハウスだったんだ。
……ちっ。運が悪いぜ、
企劃したKの奴は、「おまえツイてるじゃん、一番怖いやつが撮れるぜ。メリーゴーラウンドと比べてみろよ、な?」なんて言ってたが。
そりゃメリーゴーラウンドあたりじゃ怖い写真は撮れないよな、奥なんてものもないし。
そのかわり、さっさとすまして帰って来られる。
だけどこの企劃にはもうひとつルールがあって、ギブアップした奴がいたら、飲み代は全部そいつがもつって事なんだ。
正直、みんな飲むからなあ。
万が一そんな事になったら、財布がからっけつになるのは目に見えている。
ただでさえ薄い財布だぜ。
俺はいやな気持ちになりながも、渋々ミラーハウスに足を踏み入れた。
閉園されたところだから、当然灯りはついていない。
だからこそ、LED式の懐中電灯を持って来たんだ。
しかし、場所はミラーハウス。光は反射され、あるいは無数に映し出されて、用を為さない。
俺は目が見えなくなった人のように、目の前に片手をのばし、そろそろと進まなくてはならなかった。
背筋がぞわぞわと泡立つ。
自分の鏡像だとわかっていても、薄暗く映し出される影は、気味が悪いのだ。
一歩一歩進む、といっても、行き止まりだったり、昼間ならあり得ないほどあちこちにぶつかったり。
いい加減なところで写メして戻ろう。
そう思った時には、後の祭りだった。
どうすれば出られるんだ?
来た道筋なんて憶えていない。
ぞっとした。
叫び出したくなった。
本能的に真後ろを向いて数歩進むと、すぐに突き当たりだ。
ここで右だったっけ?
それとも?
その時、ぐい、と腕をつかまれて引っ張られた。
前に。
でも突き当たりだったはず?
そうじゃなかった。
俺の体は、黒々と聳え立つ鏡に沈み込むように、引っ張り込まれた。
どん!
どこかに背中をぶつけられる。
投げつけられたんだ。
相手が何者かはわからなかった。
何しろあたりが暗いし、手から懐中電灯がふっとんで、転がっていった。
自分の姿すら、見えないほど暗くなった。
荒い息づかいだけがわかる。
相手の息が俺にかかりそうだ。
ただ、相手の方が俺よりでかい、それだけはわかった。
後ろの壁(それとも鏡?)に押しつけられ、身動きすらできない。
いきなりまたぐらをつかまれて俺は声をあげた。
タマを握られるとはこのことか。
そしてもう片方の手が俺の胸をつかむ。
……胸、だって?
なんで俺に「胸」が?
Tシャツがまくりあげられて、「胸」が揉まれる。
痛い。
そしてまたぐらも……。
「ひひっ」
いやらしい笑い声が聞こえた。
「なんだよ。もう濡れてるじゃねえか」
なんだってっ?
俺は必死に抵抗した。
胸? 濡れてる?
ばかな。
だけど、俺のまたぐらは痛みを感じるかわりに、熱くなっているだけだ。
やっとまたぐらをまさぐっていた手がはなれたかと思うと、ジーパンのボタンがいじられているのがわかる。
何をするんだ!
俺はさらに抵抗しようとした。
その途端、耳がきーんとなるほど、強く頬をはたかれた。
ボタンが、はずれた。
ジッパーがおろされ、ジーパンそのものがむしり取られるかのように、ひきおろされた。
やめろ、そう言いたいのに、声が出なかった。
相手が男だというのはもうわかってる。
男の手が俺の股に入ってきた。
どういうことだ。どうしてなんだ。
「そこ」は熱く、湿っていた。
弄られるほど、ぬめりとしてくるのが俺にもわかった。
そして、痒いところががまんできないみたいに、異様な欲求が感じられる。
「ほんとは男がほしいんだろ。すぐにぶちこんでやるよ」
いやだ!
俺はパニックに陥っていた。
やめろ!
「やめてっ」
実際に口から出たのはそんな言葉。
どきっとするほど高い声だった。
揉まれている胸がまだ痛い……。
そして、熱くて硬く太いものが俺の中に押し入ってくる。
痛い! 痛い! 痛い!
俺は絶叫した。
駐車場にとめられているボックスカーに、ひとり、またひとりと胆試しの仲間が戻ってくる。
「写メうまくとれた?」
「とれたとれた、いやー苦労したわ」
「うわすげえ、おま、コースターのレールに上ったの?」
「とりあえず最初の山までいって、そこで写メしてきた。フラッシュうまく光んなくてさあ」
「いいなあ、俺なんかあたったのがメリーゴーラウンドだろ。つまんねえったらねえよ」
「それであとは? Mはよ? あいつどこ行ったんだっけ?」
「ミラーハウスじゃなかったっけ」
「あー、そうか、苦労しそうだな」
くくっと企劃したKが嗤った。
その嗤いをかき消すかのように、凄まじい絶叫が響き渡った。
皆、びくっとして、顔を見合わせる。
「なに、あれ。」
「まさか、M?」
「でも女の声じゃなかったか?」
「だな」
「ミラーハウスってそういや、中に入ったもんの声を外に響かせるスピーカーがあるんだよな」
「じゃああれ、ミラーハウスから聞こえてきたってこと?」
「でもMじゃないだろ」
「だよな」
「女の声だったし」
「Mの事だからさあ……」
Kがまた嫌味な嗤いを浮かべた。
「中でみつけた女でもやってんじゃねえの。前にもそういう事あったみたいだし」
「ふうん。あいつそんな武勇伝あったのか」
「聞いた事なかったけどなあ」
あたしは重苦しい体を引きずって、あの遊園地にやってきた。
ここは、何年も前に閉園して、最近では心霊スポットになってるんだって。
そして、色々な噂がある。
あたしもそんな噂のひとつを、ネットの掲示板でみつけた。
ほんとかどうかはわからない。
夜、ミラーハウスに入って、クリアできたら、自分が呪いたい相手にかける呪いが成就するっていうんだけど。
ばからしいと思ったよ。
だけど、そんなかすかな可能性でもいい。
あいつに復讐したい。
あたしをだましたあいつに。
愛してるなんて言って、ほんとはあたしの体がほしかっただけのあいつに。
あたしを陵辱したあいつに。
そのために、あたしは望まぬ子供をみごもった。
そのことを言っても、あいつは完全にあたしを無視した。
憎い、憎い。
堕胎したばかりの重い体をひきずって、あたしはここに来た。
復讐してやる。
あいつを呪ってやる。
ふたつの体がつながりあい、動いている。
ジーパンが足首までおろされた俺の下半身は、膝を顔近くまで押し上げられる、無理な体勢になっていた。
腕は床に押しつけられている。
まくりあげられたTシャツからは、ふたつの乳房がはみだし、ぶるぶると揺れている。
体が引き裂かれるように痛むのに、口から漏れるのは、快感に歪んだ喘ぎ。
「みろよ。おまえだって感じてるんだろ?」
抛り出されたLED懐中電灯の光が、かろうじてミラーハウスの床から少し上までを明るくしている。
無数の鏡が、床に押し倒されている俺を写し出していた。
男の姿までは、光が届いていない。
恥ずかしい格好にされた俺の体は、どう見ても、侵されている女そのものだ。
そんな……。
そんな。
なんで俺が女なんだ。
怖ろしかった。
犯されている「俺」は、左右に果てしなく、そして天井にまで写されているのだ。
ああっああっ。
痛い……。
「もうぐちゃぐちゃじゃねえか。気持ちいいか? ここか?」
なんて嫌らしい声なんだ。
でもどこか、聞き覚えがある。
「ほんとはおまえも、こうしてほしかったんだろ」
だめだ。
もう、つながっている「部分」の事しか考えられない。
痛い……。
でも、この声は誰だ。
俺はほとんど虚ろな目で、いやでも目に入ってくる鏡像を見つめた。
そして、気付いた。
この体は俺じゃない。
嫌らしい言葉を投げてくる男の声、それこそが俺の声じゃないか!
写し出される無数の卑猥な鏡像に囲まれながら、「俺」はふたたび絶叫した。
「誰かMに電話してみろよ」
「いや、さっきからコールしてるんだけど、圏外か電源がオフにされてますっていうアナウンスがあるだけなんだよ」
「LINE打てば?」
「電話が通じなかったら同じだろ?」
その時、再び絶叫が響いてきた。
女の、悲痛な、怨嗟のこもった絶叫が。