第2話 懐かしい景色
「如何にも。我は血と残酷を司りし大悪魔、アルヴァーレである」
片手をズボンのポケットに突っ込みもう一方の手を俺達の方へ伸ばし、手のひらを空に翳しながら胸を張る。
聞き覚えのあった声の主は間違いなくアルヴァーレ本人だった。
だが、妙だ。こいつは刀に封印されていたはず。しかも、虎なのか猫なのかイマイチ見分けのつかないこの姿が悪魔だというのか!?
「大悪魔……確かに、その禍々しい魔波は悪魔と呼ぶに相応しいと思うが……お前がそいつの刀に封印されていた悪魔だというのか?」
「如何にも」
「で、でも……その封印されていた悪魔が何で出てこれたですか!?」
「そ、それだよ! 俺もそれを聞きたかった!」
ニルの質問に俺も乗っかる。
今までは声しか聴く事が出来なかったのに、突然その姿を現すなんて一体何が原因なんだ?
「我と主との間には正式な契約が交わされた。我が名を叫び、力を開放して初めてその契約は交わされる。正式な契約が交わされた事によって、我を抑えていた箍が外れた、という訳だ」
「つ、つまり……俺と正式に契約を交わした事で封印が解かれたって事か?」
「如何にも。封印が解かれた事で実体化出来たという事だ」
実体化出来た理由は分かったけれど、だとしてもいきなりその姿を現した理由が分からない。
封印から解放されたからすぐにでも外に出たかったとか?
いいや……それだったら、あんなギリギリの状況で力を開放する条件を話す事を躊躇ったりなんかしない。
すぐにでもそれを話してさっさと出てくれば良いだけの事。
「その大悪魔が、どうしていきなり出て来たですか?」
そんな俺の疑問をニルが問い掛ける。
アルヴァーレはフンッと鼻で笑いながら意味深な笑みを浮かべると、空に翳していた手のひらを地面へ向けた。
その直後、アルヴァーレの手の中に黒い靄が瞬時に集まり、それは俺と全く同じ形の刀を創り出す。
鞘から抜かれたままの刀を掴み、アルヴァーレは俺に斬りかかってきた。
唐突な攻撃で一瞬困惑したが、すぐさま刀を前で構えアルヴァーレの攻撃を受け止める。
「セイジさん!!」
「クソッ!」
コルトは顔を歪めてそう吐き捨てると、手に持っていたハンドガンをアルヴァーレに向けて銃撃を浴びせた。
「ぐっ!? うわっ!?」
アルヴァーレは競り合う俺を押しのけると、コルトの銃弾を刀で斬りつけ、消し飛ばしてしまう。
そ、そんな、銃弾を刀で叩き消すなんて……どんな力を持ったらそんな事が出来るんだよ。
「う、嘘だろ……だったら」
コルトは懐からもう一つのハンドガンを取り出すと両手に構えて、アルヴァーレへと銃口を向ける。
「バレットインフィス」
コルトがそう唱えたのと同時に二つのハンドガンの銃口が青白く光り、夥しいほどの銃声が鳴り響いた。
ハンドガンから放たれた青白い球が凄まじいスピードでアルヴァーレに襲い掛かるが。
目で追えないほどの恐ろしい速度でアルヴァーレは刀を振るい、次々に銃弾を打ち消していく。
あろうことかアルヴァーレはコルトが放った銃弾の全てを刀で叩き消してしまった。
「馬鹿な!!」
「……気は済んだか?」
まさか全て打ち消されるとは思ってもいなかったんだろう。
コルトは目を見開いて眉を寄せ、アルヴァーレを見つめていた。
たいしてアルヴァーレは全く疲労した様子も見せず涼しい顔でコルトを見つめている。
「我は主の武器であり、主と契約した大悪魔。小娘程度の玉遊びで我を討てるはずがなかろう。案ずるな。何も主を殺そうとしているわけではない。小娘の何の成果もない特訓よりも、我が直々に主を鍛え上げてやろうという事だ」
「何だよそれ。どういう意味だよ?」
そ、そんな理由でいきなり俺に斬りかかったのか!? 何て奴だ! そういうのは斬りかかる前に説明するものだろ!
「我と契約を結んだ以上、我を使いこなしてもらわなければ困るのだ。主も実感したであろう。我の力を行使するには血と残酷が不可欠。能力を僅かに行使した程度ですぐに倒れるようでは話にならないからな」
確かに……あの魔波の斬撃を使っただけでフラフラになっていた訳だし。
力を貸してくれているアルヴァーレ自身が俺を鍛えてくれるのは何よりも力強い事だろう。
「それならそうと説明してくれ。いきなり斬りかかるなよ」
「何を言うか。主であれば瞬時に判断して我の攻撃を受け止めてくれるだろうと、判断したまでだ。受け止められなければ容赦なく斬り捨てていたがな」
「悪魔だな……お前」
「悪魔ではない……大悪魔だ」
そういう細かいところ、別に気にする必要はないだろ。
「でも、どうするですか? その大悪魔さんが直々に特訓すると言っても人目があると危ないですよ?」
話を聞いていたニルが怪訝そうに尋ねる。
ニルの言う通り、アルミィから大分離れているとは言っても人目につかないとは限らない。
アルヴァーレの姿はどこからどう見ても魔物そのもの。コルトのように勘の良い人間に見つかりでもしたら面倒な事になりそうだ。
「案ずるな。我の能力をもってすれば魔波探知を完全に遮断し、人目に触れる事もない」
そう言ってアルヴァーレは地面に刀を突き立てる。
そのまま刀の柄頭に手を添えて片膝を地面に付き、目を閉じる。
しばらくすると、アルヴァーレの体から真っ黒な煙のようなものが立ち込め始めた。
「な、何だ……この魔波は」
「お、重いです……」
コルトもニルも顔を顰めながら額に汗を滲ませている。
俺には何も感じないが、この二人がこんな反応をするって事は相当魔波が高いのだろう。
「セラティルコルタール」
アルヴァーレはそう呟くと柄頭に添えた手に力を込めると刀を地面に押し込んだ。
その直後、刀を中心にバツを描くように暗紫色の光が地面を走り頭上へ伸びると、まるで俺達を箱に閉じ込めるかのように一面暗紫色の結界が張られた。モヤモヤと煙が立ち込めるかのように蠢く結界の壁に触れようとするが、どれだけ手を伸ばしても触れる事が出来ない。
確かにそこに結界の壁が出来上がったのを見たはずなのに、そこにあるべき壁が無かった。
「何だ……結界か?」
「こんなの見た事ないですよ」
コルトもニルもこの結界が何なのか分からないようで不安の色を見せている。
アルヴァーレはいつの間にか地面に突き入れていた刀を鞘に収めており、何食わぬ顔で佇んでいた。
「セラティルコルタール。外部からの魔波探知、その他あらゆる感覚を遮断する結界だ。外部から我々の姿を見る事はおろか魔波探知を駆使しようとも知覚する事は出来ない。それにこの空間は無限に広がっている。周りの景色が嫌というなら変えてやる事も出来るぞ」
「そ、そんな事まで出来るのか!?」
俺の反応を見てアルヴァーレは誇らしげな笑みを浮かべた。
「そうだな。試しに、主の見慣れた景色にするのも良いだろう」
そう言って意味深な笑みを浮かべると、アルヴァーレは指を鳴らす。
すると一瞬で暗紫色の結界が別の景色に切り替わった。
それは見慣れた、というよりもさほど日にちは立っていないのにやけに懐かしい景色で、空気の匂いにさえ感動を覚えるほどだった。
「な……何だここは!?」
「こ、これ……どこの街ですか!? し、知らないものだらけですよ!?」
頭で処理しきれない事が次々に起こり、ニルもコルトも混乱しているようだ。
無理もない。今この空間に映し出されている景色は俺がこの世界に転移してくる前の、俺が住んでいた元の世界。
日本の景色、そのものなのだから。
「主の記憶を頼りに創り出してみたのだが……出来はどうだ?」
「い、嫌……なんかもう、帰ってきた気分と言うか」
どう表現して良いか分からない。
仮にとはいえ、この空気や景色をもう一度味わうのは相当先の話になるだろうと諦めていたから、こんなあっさりと実現してしまうなんて考えてもいなかった。
まさか俺の記憶を読み取ってこんな空間まで創り出すなんて……悪魔の力ってどれほどのものなんだ?
「さて、最初の特訓を行う場所は……あそこだな」
アルヴァーレは顎に手を当てながらもう一方の手でもう一度指を鳴らす。
懐かしい街並みの景色が一瞬で変化し、次に現れた景色もなんとも懐かしいものだった。
俺の住んでいたアパートの一室。俺が借りている部屋だった。
家具もそのままで洗濯物も干したままのようだ。俺の記憶を頼りに創り出したとはいえ再現度は完ぺきだろう。
唖然とする二人はもう驚きの声すら上げる事は無い。
二人の目線の先には小さいながらも点いたままの液晶テレビがあった。疑似的な空間でありながら何故かライフラインは整っているらしい。
……こんな薄い板の中に人がッ!? 何てセリフ言わないよな……。
「さて……主よ。早速だが、特訓を始めるぞ」
低い声で唸るように言うアルヴァーレ。眉を寄せて目を細めて、かなり本気のようだ。
その声に俺は身構える。
こいつは俺の武器であり、力を貸してくれる存在だ。その力を使いこなすために本人が直々に特訓を申し出るなんて……一体どんな特訓をさせるつもりなんだ。
「おい、そこの小娘」
「……ふぁっ!? ボ、ボクですか!?」
ふと、アルヴァーレはテレビを眺めながら放心中のニルに声を掛ける。
やや遅れて反応したニルはビクッと体を震わせながら振り向いた。
「ああ。主の足を掴んでいてくれ」
「え?」
「は?」




