第2章 間幕 盲目の陰謀
魔王国、魔王宮『闇魔宮』最下層。最下無煌宮。
日の光さえ届かない、一切の光さえ通さないこの空間は壁に備え付けられたランタンのみが通路を照らしている。
通路の造りは単純で、煌びやかな装飾もなく豪華な絵画もない。黒塗りの床、窓のない全面白塗りの壁。王宮の一部にしては目を疑うほどの質素な雰囲気だが、これは『彼』の希望であるのだ。
長い通路の先にあるのはただ一つの扉のみ。
重厚な扉の前に立つのは、ポケットに手を突っ込んだままのカノン。
張り付いた笑みを浮かべ、ドアノブに手をかけその扉を顔色一つ変えずに軽々と開け放った。
その部屋にはこの最下無煌宮の全体を余す事なく使い切るほどの花畑が存在し、均等に区分するように対角線上に花畑の間を水路が通っている。音さえ響かないこの宮にとって、水が静かに流れる音は安らぎを与えてくれる。
部屋の中心には全面ガラス張りのドーム型ガゼボがあり、ティーカップ片手に本を読む人物がその中にいた。
中性的な顔立ちで肌は白く、クールで爽やかな印象がある反面どこか底暗い不気味さが漂う。白いカッターシャツに紺色のズボンを身に着け、さらりと流れるように艶やかな黒い髪が揺れる。
「やあ、カノン。物資は頼んでいないのだけれど……君は随分とここが好きみたいだね」
「ええやろ? ここ、ええところやし。暇つぶしや」
カノンはそう言いながら男性の下へ近付き、対面する事なく横を向いて向かい側の椅子に腰かけた。
男性と目を合わせようとせず、ただ周りの景色のみに目を向けているカノンを男性はじっと見つめていた。
「それで? 君は何をしに来たんだい?」
「なんや? さっきも言うたやろ? 暇つぶしや」
「全く、君という奴は……ところで、あの件はどうなったんだい? 君が協力を依頼してきたあれだよ」
「問題あらへんよ」
「そうか。良かったよ。でも、驚いたね。君が僕に協力を依頼してきたことも、あの街に固執している事も」
「別に、あの街に固執している訳やあらへんよ」
そういってカノンは卑しい笑みを浮かべる。
男性は困ったように笑みを浮かべて、しおりを挟み込み静かに本を閉じた。
カノンは真実を語ろうとしない。どこか飄々としていて、ふらふらとどこかへ出かけてはいつの間にか帰ってくるを繰り返している。
常に張り付いた笑みを浮かべて、何をしていたのかと聞かれても「ただの暇つぶしや」と答えるのみ。
何を考えているのか読む事の出来ないその振る舞い方には、この男性と違った不気味さが漂っている。
「にしても、フィオルはんの能力は凄いもんやね」
「ははは。凄いなんて、そんなものじゃないさ。君だって知ってるはずでしょ? 僕は苦労してばかりだよ」
「まあ、そうやね。フィオルはんの能力が通じないのが僕だけやから」
「そうだね。僕の事を覚えていてくれるのは君だけだからね」
寂しさをその裏に隠しながら乾いた笑みを浮かべるフィオル。
彼の能力によってカノン以外の全ての人間は彼の名前も存在も、知っているものはいない。
それは彼が意図して行ったものではない。絶大な力を持つが故の代償であり、彼が存在する理由でもある。
魔王宮という場にいながら彼は地下に閉じこもり、カノン意外とは誰とも会う事なく孤独に浸り静かに生きている。
日用品や食料については、彼の存在を知っているカノンが届けている状態だ。
「まあ、僕は……怠惰やからね」
「さすがだよ。君が王位継承権第1位の座にいるのも分かる気がするね」
「何言うてるの。僕はただの怠惰や。王位とかそないな肩書、僕には必要あらへんよ」
カノンは王位継承権第1位という肩書を振りかざす事は無い。
彼は貪欲でもなければ、傲慢でもない。ただただ怠惰で、ただただ自堕落である。
地位に興味もなければ彼の周りには従者も隊員もいない。
「本当に君という奴は、欲がないんだね。君も何かしらを欲しているものだと思っているけれど」
「何もあらへんよ。僕、物欲も何もあらへんから、こないな王位を貰ろうたところで宝の持ち腐れや。王になる気もあらへんし、ふらふら歩いとった方がええわ」
「それも良いんだけどさ。あんまりクミンちゃんまで巻き込まない方が良いと思うよ。彼女、君の事嫌いでしょ」
「そんな事あらへんよ? あれでも僕は仲ええと思うとるで?」
彼の傍にはいつもクミン・クシャーナがいる。彼女は彼の従者でもないし、隊員でもない。精鋭部隊の7人の隊長の1人であり、王位継承権第7位という実力の持ち主である。
ふらりと宮の外に出る時は常にそんな彼女を言葉巧みに誘い、適当に歩き回って帰ってくるのが彼の日課であるのだ。
クミンはそれを良しとは思っていないものの、彼女の食い意地の強さと貪欲なまでの食に対する思いを利用し、彼女を連れ回している。
今回もそう言った理由でクミンを連れ出し、あの場所へと現れたのだ。
「さて……」
「帰るのかい?」
「ああ。今日は疲れたやからなぁ。宮に戻って寝たいんや」
「そうかい。まあ、欲しい物があったらまた伝える事にするよ」
「しゃあないな。いつでも言ってくれて構へんよ」
カノンは椅子から腰を上げると、振り向くことなく手を挙げて軽く振りながらフィオルの宮を後にした。
また一人となった宮内に微かな風が吹き、花を揺らして香りを纏いながらフィオルの髪を揺らす。
「全く……生きた証さえ残らないってのは、難儀なものだね」
そう呟くフィオルの手に握られているティーカップが徐々に砂となって消えていく。
中に残っていた紅茶も、初めからそれが液体でなかったかのように砂となって消滅した。
「新しいの、また頼んどかなきゃな。さっき言えばよかったよ」
再び寂しさを隠すような乾いた笑みを浮かべて、フィオルは椅子から腰を上げた。
★★★
フィオルの宮を後にして、自分の宮に戻ったカノン。
フィオルの一面花畑の宮とは違って、クッションを敷き詰めた簡易的なベッドがあるのとテーブル、一人分の椅子があるのみで他の家具も何もない。広さも8畳ほどの小さな宮である。もはやそれは宮と呼ぶにはあまりにも小さすぎるのだ。
カノンは簡易的なベッドに寝転がり、軽い鼻歌を歌う。
「思うたよりも、遅い目覚めやったなぁ」
そう呟きながら張り付いた笑みをさらに際立たせ、不気味に微笑むカノン。
「まあ、ええわ。計画にさほど影響はないようやし。その調子やで。その調子で強くなって欲しいものやね。なあ、イレギュラー」
誰に語る訳でもなく独り言を呟くカノン。
だがその言葉は確かに、何者かに向けられたものだ。
魔波を感じる事もなければ、魔力量も魔法適性もない。そのせいで最弱職としての肩書を得、悪魔の力を手にした少年。
そんなイレギュラーな彼に、向けられた言葉であった。




