第37話 仕組まれた計画
「ああっ……ぐっ……ふぅ……おえぇ」
「ニル!! ゔっ!?」
苦悶の表情を浮かべながら嗚咽を漏らし横たわるニル。
額には汗を滲ませ、朦朧としているのか目は焦点が定まっておらす虚ろな状態になっている。
そんな異常な状態のニルに駆け寄ろうとしたその時、パイソンさんはその細身の体ながら異常な怪力で俺を蹴り飛ばした。
人間とは思えない力で蹴り飛ばされて、俺はそのまま岩肌に叩き付けられる。
「そこで大人しくしてなよ。シャドウプリズン」
パイソンさんがそう唱えると、俺の足元から影が網目状に飛び出し俺を包み込んだ。
抜け出そうと体をぶつけるものの、びくともしない。スキルを使おうにもほぼゼロ距離でぶつかる事になるからあまり意味がないはずだ。
クソ……何がどうなっているんだ!?
「ぐあっ!?」
パイソンさんはうつぶせの状態で倒れているニルの身に着けていたローブを引き剥がし、背負っているリュックも奪い取った。そのまま倒れているニルを無視してリュックの中を乱雑に漁るパイソンさん。
「何だよ。無いじゃないか!」
だが目的の物が見つからないのか顔を顰めて苛立ちを露わにするパイソンさんはリュックの中身をひっくり返し、地面に広げ始めた。岩が剥き出しの地面のせいか、クッキーの入っていたビンはいとも簡単に割れて中身があふれ出る。
「チッ……見当たらないな」
それでも見つからないようで頭を抱えて嘆息するパイソンさんは、ふとニルに目を向ける。
そのまま無言でニルに歩み寄ったパイソンさんはニルを蹴り上げて仰向けにし、ぐったりとしているニルの胸元を開けさせ、首に掛けてあったペンダントを器用に引き抜いた。そのペンダントは琥珀のような凹凸のない滑らかな宝石が付いていてそれには紐が通されていた。ここからでは分かりづらいが宝石の中に何かが埋め込まれているようにも感じる。決して貴金属のような高価なものではなく、手作りの物とも思える。
「どう……して?」
虚ろな目を向け、口許から涎を垂らしたニルはピクピクと体を痙攣させながら問う。
無理もない。俺だってこの状況は理解が出来ない。パイソンさんがニルを手に掛けるなんて。
だが、パイソンさんはニルに対して恐ろしいほどにこやかな笑みを浮かべている。
「どのことだい?」
「……」
途端に冷ややかな表情に変わるパイソンさん。その豹変ぶりにニルは言葉を失う。
「ああ。安心して良いよ。君に与えたのは僕がブレンドした特性の毒なんだ。僕の裁量で毒の成分をいくらでも調整できる。僕の能力次第で、一滴の毒で即死させることも出来るし、死なないくらいに苦しめることも出来るって訳さ」
「そんな……」
「君に与えた毒は極力その毒素を抑えたものなんだよ。でも、毒に手心を加えたのは殺しを躊躇ったわけじゃない。君を殺したら大切な商品が台無しになるからね」
「……え?」
パイソンさんの言葉が理解出来ないのか、消えかかりそうな声で呟くニル。
その直後、カタカタという軽い音と共に洞窟の暗がりから竜二体が引く、一台の龍車が現れた。
その席には昨日の夜、ニルを追い回していた男達が乗っている。
「パイソンさん、すんません。お手を煩わせてしまって……」
「別に良いさ。こうして手に入れられるものは手に入れたし」
龍車から降りて来て頭を下げる男達。
だが、そういってパイソンさんは手に持ったペンダントを見せびらかすように手の上で転がしていた。
「どういう……事?」
ニルはいまだに状況の理解が出来ていないようだ。
いいや……多分、認めたくないんだろう。自分が信頼している人が自分を手に掛けているのだから。
「はぁ……本当に君はバカなんだね。僕らを見ても覚えてすらいないなんてさ」
「……え?」
パイソンさんは口角だけ上げて微笑むと、背中に手を伸ばし、内側に隠していた武器を手に取ってニルに見せつけた。
その武器は肉切り包丁のように刀身の幅が太く、刀身から柄までその全てが真っ白だった。
ふとその刀身には俺と同じ何やら文字が刻まれている。
『何だと!? あの男が持っているのは神器だ!』
頭の中で響く、悪魔の声。
まさかあれが神器なのか!? でも、パイソンさんがアレを持っていたとしてニルに何の関係が?
だが、それを見たニルの反応は明らかに動揺していた。信じられないものでも見たかのように目を大きく見開いている。
「やっと気づいたようだね。君の村を襲ったのが、僕達である事に」
「……う、嘘」
パイソンさんはそう言ってより一層残虐的な笑みを浮かべてニルを見下ろした。
悲し気に顔を歪ませるニルはハッと何かに気付いたのか、出せる限りの力を振り振り絞って地面に手を付き上体を反らして頭を上げた。
「で、でも……あの手紙にはセイジさんがボクの村を襲った犯人だって書いていたじゃないですか!」
「あぁ……あれね。嘘だよ」
さも当たり前のようにきっぱりと告げるパイソンさん。
誰かが嘘を吐いてニルを嗾けたとは思っていたけれど、まさかパイソンさん自身が嘘を吐いていたなんて……この人は一体何が目的なんだ?
確かさっき、ニルを商品なんて言っていたような……。
「君があの街に、自分達の村を襲った魔族狩りを探しに来ていた事は知っていたさ。君は街をめぐっては魔族狩りの連中を殺して回ってたんだからね。だからは僕この街で君に出会った時、あえて君に近付いて警戒心を解いたって訳さ。だって君は僕の顔を見ていないんだから。まあ、君を見つけた頃には余計な力を身に着けていたみたいだけど。普通に捕まえるのでは僕らが殺されかねないから、君に近付いて警戒心を解きつつその機会を狙っていたって訳さ。けれど君はかなり警戒心が強かった。それに他の仕事も色々あるからね。それを片付けているうちにこんなに時間がかかってしまったのさ」
「……」
「まあ……そのうちに君は他の子と仲良くなっていたようだけど」
「……ご、ごめんなさいです」
冷ややかな目を向けるパイソンさんにニルは地面に伏したまま謝る。
だが、パイソンさんは急に花が咲いたような笑みをニつに向けた。そのまま伏しているニルの前で屈み込む。
「嫌だなぁ。嫉妬なんてしてないよ。第一、君に好意も興味もないんだし。セイジ君には悪いけど、彼には僕達の計画を達成するための礎になってもらったのさ。ニルちゃんも気付いていたろ? 彼が僕らと同じ魔力を持った武器を持っていた事を。でもね。彼は何の関係もない。君は自分の憎しみのために関係ない人間を殺して満足してたって訳さ」
「そ、そんな……セイジさんは何も関係なかったなんて。嘘……そんな、そんな」
声にならない唸り声をあげながら泣きじゃくるニル。
パイソンさんのためにと、自分の村の人々のためにと自分の腕を汚してまでその仇を討った結果がこんな形で壊されるなんて……ニルは余程悔しいはずだ。いいや、それよりも自分が一番に信頼してるパイソンさんが、本当は自分を捕まえるためだけに自分に近付いたってのがニルにとっては一番つらいはずだ。
「さて、おしゃべりはここまでだね。運び出せ」
「「うっす」」
毒のせいで未だに立ち上がれないニルは両手首に木製の手錠を付けられ、鎖でつながれたニルは2人の男に引きずられ龍車の荷台へと乗せられる。
パイソンさんはそんな二人を眺めた後、ふと俺の方に目を向けた。
そのまま武器の鞘を抜いて、じりじりとにじり寄ってくる。
このままでは本当に俺も殺されてしまう。クソ! どうしたら良いんだよ! ニルが連れて行かれそうになっているのを黙って見過ごせるわけがないだろ! どうにかならないのかよ!
『肉体の再構成完了。即時、元の体へと変更する』
「ぐっ!? な、何だ!?」
そう考えていた矢先、頭の中で悪魔の声が響いたかと思うと俺の体が急に光を放ち始めた。
青白く強い光を放つ俺の体は段々と大きくなっていき、俺を閉じ込めていた影の檻は弾け飛んだ。
その後も急速な成長は治まらず、背中が伸びていく感覚に襲われる。
こ、このタイミングで元に戻るつもりなのか!? でも……戻るとしたら今しかない。このまま戻れなかったら殺されていたところだ。
有無を言わさず俺の体は元の姿に急速に戻って良き、光が消えたと同時に完全に傷を負う前の元の姿に戻った。
「……!? な、何だと!?」
死んだはずの人間が目の前に現れて心底驚いているようで、パイソンさんは酷く動揺して目を丸くしていた。
だが、すぐに切り替えて俺に切りかかろうと武器を振り上げる。
俺は手に握られていた刀を瞬時に前に出して、パイソンさんの攻撃を受け止めた。
全体重を掛けてくるパイソンさんは途轍もない殺気を放った目をしている。
「まさか……魔物に化けていたなんてね。随分と卑怯な武器を持っているじゃないか」
「ああ。俺だって驚いてるよ。あんたが魔族狩りだったなんてな」
得意げに言い返すがかなりギリギリの状態だ。戦力ではパイソンさんの方に軍配が上がる。チート能力なんてアホみたいなもの持っているんだから俺が不利なのは明白だ。クソ……このままじゃ圧し負ける。
「へぇ……じゃあ、今のも全部聞こえてたって訳ね。ダメだなぁ……君はニルちゃんに殺されたって事になっているんだからさっ!」
「ぐっ!?」
競り合いの末、圧し負けた俺の体にパイソンさんの刃が振り下ろされる。
右の鎖骨の下あたりから腹に至るまで縦一文字に切り裂かれた俺は、情けなくその場に膝を付いてしまった。
「はぁ……何だ。同じ転生者なのに全然張り合いがないんだな。つまんないなぁ。殺し甲斐がないじゃないか」
血で濡れた武器を振り回しその血を払い落とすパイソンさんは余裕の表情で俺を見下ろす。
ニルの時の痛みで多少、斬られる痛みには慣れていると思っていたんだけど……こんなの痛くない訳がない。
凄まじく痛い……意識が朦朧としている。何でだ? ニルに斬られた時よりは傷は浅いはずなのに。
「ああ……今、ぼーっとしているでしょ? 僕の武器には特殊な毒を仕込んでいるのさ。さっきまでの半紙を聞いていたのなら、僕がどんな能力を持っているのか理解出来るよね?」
「う……うう」
返事をしようにも意識が朦朧として呻き声しか上げられなかった。
くそ……体が動かない。力が入らない!
「これね、実は……神様から授かった能力なんだよ。その名を――猛毒調合。能力はさっき説明した通りさ。でも、ここからが肝心でね」
「――!?」
そう言ってパイソンさんは卑しい笑みを浮かべながら人差し指を立ててくるりと円を描くように動かす。
すると、さっきまで朦朧としていた意識が嘘のようにクリアになり、間髪入れずに耐えがたい胸の痛みと呼吸困難が俺を襲った。
「あがっ!? うっ……ふぅー、ふぅー、はっ、ぐぅ!!」
胸を押さえて必死に肺に空気を溜め込もうと呼吸する俺の頭をパイソンさんはその足で踏みつける。
「どうだい? 酸素中毒になった気分は」
「酸素……中毒!?」
何だよ……それ。言葉には聞いた事あるけど、一体何でそんな事が!?
「君もバカだねぇ。毒と言っても君が想像しているようなテトロドトキシンとかそういう安易な毒とは違うんだよ。僕が操る毒は人間にとって有害になり得る物、その全てだ。僕の匙加減で、君の体内に埋め込んだ毒を大量の酸素だってできるんだよ。体内に埋め込んだ毒を意のままに変化させ、意のままに殺す出来る訳さ。素晴らしいだろ?」
そんな能力が……あるっていうのか!? そんなの……勝てるわけがないだろ。
毒を埋め込まれたら終わりじゃないか。あとはこいつの匙加減でいくらでも生かされ殺される。
そんなの……対処のしようがない。
「パイソンさん。準備出来ましたぜ」
「ああ。先に言っててくれ。僕はこいつを片付ける」
「ういっす」
ニルを運び出す準備が整った男はそれをパイソンさんに告げに来た。
パイソンさんから指示を受け、男は龍車の席に座り龍車を走らせる。
徐々に洞窟の暗がりへと消えていく、龍車の姿。俺はそれを見送る事しか出来なかった。
「さて、僕は弱っている相手の首を絞めるなんて事は容易く出来てしまう奴なんだ。けど、君は同じ転生者。その好で、僕の授かったもう一つの力を見せてあげるよ」
そう言うとパイソンさんは武器を天高く掲げて太陽に曝す。
頭上に大きく空いた穴。遮る木々もない空は雲一つない晴天で、太陽は爛々と輝いている。
真っ白なその武器が太陽の光に反射して、それはまるで鏡のように眩い光を放っていた。
「眩め――神の姿見」




