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最弱職のイレギュラー  作者: 華藤丸也近
第2章 俺以外の“転生者”
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第36話 奇跡の再会……そして

 そこは紛れもなくニルが働いている店のようだった。

 今日は営業していないのか室内の明かりは点いていない。人の出入りもないようで扉には何かが書かれた木の板が紐で吊るされていた。

 文字は読めないけれど、これは多分あれだ『営業していません』か何か書かれているんだろう。

 ニルはその扉からは入ろうとせず、店の間の通路を通り裏へ回る。裏側にはもう一つ扉があったようで今通ってきた通路を通らなければ裏口からは入ることは出来ないようだ。 


 ニルは荒い息遣いのまま裏口から店へ入る。

 そこは明かりが一切灯っていない真っ暗な通路で正面と同じように地下へ続く階段があった。

 ただ一つ違う事があるとすれば、裏には地下へ続く階段を中心として左右に通路が分かれ、いくつかの部屋が並んでいる事。


 扉の横には一応ランタンが配置されているようだが、もう皆寝静まっているのか明かりは灯っていない。

 ニルは俺を抱きかかえたまま、右側の通路を進む。一番奥の扉の前に辿り着くと片手でドアノブを開けて中へと入った。

 その部屋は日中でも日の光が差さないようで、窓の外はすぐ隣の建物の壁しか見えなかった。多分、どの部屋もこんな感じなのだろう。

 家具も簡単な物ばかりで、化粧台やクローゼット、ベッド、机と椅子、棚が置いてあるのみ。

 ニルを着飾る化粧品や卑猥な衣装の数々が粗雑に並べられており、中でも衣装はしわになるのもお構いなしと言わんばかりに脱ぎ捨てられていた。

 そのせいか部屋には甘ったるい香水の匂いが漂っている。

 今の俺の姿だだから強く感じるのかもしれないけれど。ニルのは悪いが酷い匂いだ。頭が痛くなる。


 ただ、そんな中でもこれだけは大切にと、トレジャーハンターの道具を詰めたいつも背負っているリュックは部屋の隅に丁寧に置かれていた。

 ニルは俺をベッドの上に下ろすと、身に着けていたローブを脱ぎ捨て部屋の明かりを点けた。

 淡い光が部屋を照らす。ニルの顔を見上げると、その顔はかなりやつれた表情をしていて、目の周りは腫れたように真っ赤になっていた。

 パイソンさんの件といい今の状況といい、精神的にもギリギリの状態なのだろう。

 

 ニルは無言のまま再び俺の前に立つと、悲し気ながらどこか空虚な表情をしながら屈んで俺の顔を挟むように掴み、優しく撫でるように揉む。

 こうしてニルと再会できた事は嬉しいけれど、どこか複雑な気分だ。

 今後、ニルはどうするつもりなんだろうか。この街にい続ける事はかなり難しいと思うけれど。


「助けてくれてありがとです……」


 消えかかりそうな声で、それでも無理矢理に笑みを浮かべながらニルは呟いた。

 その空虚な笑みを見るたび、胸が締め付けられるような気分になる。


「お前は……大人しい魔物ですね。他のマガリイノシシとは違う気がするです。誰かのペットだったですか?」


 多分、ニルには俺の声は届かないだろう。

 魔族を相手にするのは初めてだけど、さすがにライムみたいなトンデモ能力は持っていないはずだ。

 だた、こちらがニルの言葉を理解している素振りを見せるわけにはいかない。ここは飼い馴らされた魔物らしく振舞うか。

 まあ、猫とか犬みたいにすればいいと思うが……どうすれば良いんだろう。とりあえず、体擦りつけてみるか?

 俺はニルの手に頬を押し付けるように擦りつけ、精一杯人に馴れている感をアピールした。

 あり得ない事だけど、俺がもし今の姿で戻ってきたと知られたら今度こそ消されてしまう。

 

「えへへ……怖い見た目なのに何だか愛嬌があるですね」


 笑っても空虚な笑みしか零していなかったニルが、ようやく自然な笑みを零す。

 

「お腹、減ってないですか?」


 そう言いながら一度俺の前から離れたニルはリュックからクッキーの入った瓶を取り出した。

 コルトと俺で食べた時から、また焼いて補充したらしい。

 ビンからクッキーを取り出し適当な大きさに割ると、ニルは手のひらを器のようにして砕いたクッキーを載せ俺の口元に差し出した。

 動物って、クッキー食べても大丈夫なのか? 犬用のビスケットとかは見た事があるような気がするけど。

 俺は差し出されたクッキーを恐る恐る口にする。

 不思議と、人間の時に口にした時よりも甘みが強うように感じる。何と言うかこの独特の甘み、どこかで食べた事があるような。


「美味しいですか?」


 ニルは俺の涎でベトベトになった手をタオルで拭きながらそう聞いた。

 やっぱり、ニルの作るクッキーは美味しい。俺もクッキーは作った事があるけど何度も失敗して断念しているから、スイーツ系を作れる人に憧れる。俺が作れるものって言ったらホットケーキとべっこう飴くらいだもんな。

 ニルは再び立ち上がりリュックの中を漁り始めた。中から木で出来た底の浅い器を取り出して、クッキーを1枚1枚適当な大きさに割る。

 それを皿一杯になるまで続けて、俺の前に差し出した。


「こんなものしかないけど、良かったら食べてくださいです」

 

 ニルはそう言って微笑むと俺から離れてベッドに座る。俺は差し出されたクッキーを食べながらニルに目を向けた。

 さっきまでは楽しそうな笑みを浮かべていたものの、俺から離れるとすぐに表情は暗くなって、悲し気に視線を落としていた。

 ふとベッサイドテーブルの方へ目をやると、ニルはそこに置いてあった一枚の紙を手に取って眺め始めた。

 髪を眺めているうちに見る見るうちに目がうるうるとし始めるニル。とうとう目からは涙が流れ出した。


「パイソンさん。どうして……ボクに何も言ってくれなかったですか。あいつが魔族狩りだって教えてくれていればボク自身で仇を討ちに行ったのに……」


 嗚咽を漏らしながら語りかけるように言うニル。

 …………どういうことだろう? パイソンさんは誰が魔族狩りだったのか知っていたって事なのか?


「……そうですよね。パイソンさんはそういう事、絶対言わない人です。ボクがそれを知ってしまったら、きっと怒りに任せて我を忘れていたと思うですから。そうさせないように……何も言わずにそいつに会ったんですよね。…………でも、それでそいつに殺されてしまったら、何も意味がないじゃないですか」


 ニルは手紙を眺め、涙を流しながら慈しむような笑みを浮かべる。

 ……まさかその手紙、俺が魔族だって書かれているって事か? パイソンさんの名前が出るって事はあの手紙はパイソンさんが遺した手紙って事なんだろう。

 パイソンさんがあの日魔族狩りに会って何をしようとしていたかは分からないけれど、殺されたってワードからニルが俺を殺しに来たんだとしたら、パイソンさんが会おうとした魔族狩りが俺だって事になるはずだ。

 でも、俺は魔族狩りではないし、そもそもパイソンさんとは会う約束なんてしていなかった。

 誰かがパイソンさんの遺した手紙を改ざんしたのか? でも……誰が。


「……ボクは果たしたですよ。ボクはあなたの願い通り、そいつを殺して仇を討ったです。これで弔いになるですか?」


 ニルは俺を殺した事を誇らしく語っているようだ。

 無理もないだろう。自分が心から信頼している相手を殺し、なおかつ自分の村を襲った相手を殺したと思っているのだから。

 それを目の前で聞くのもかなりきついけど。

 ニルは涙をぬぐいながら手紙を折り目に沿って丁寧に折ると、リュックの中に入れてベッドに横になった。


「もう……この街にはいられないですね。早朝には出発しないと」


 そう言って寝返りを打ち俺へと目を向ける。

 急に目を向けられて慌てて視線を逸らした俺は、ごまかすようにクッキーに食らいついた。

 そんな様子を見てふっと軽く吹きだすように鼻で笑うニル。


「……どうせなら、この子も一緒に連れていくですかね。一人は……寂しいですから」


 ニルはそう言いながらウトウトとし始めて、そのままゆっくりと寝息を立て始めた。

 今日一日追い回され、怖い思いをして精神的にも肉体的にも疲労が続いていたんだろう。

 だが……どうしたものか。朝早くにはニルはこの街を出る。俺まで連れていかれるってなると、コルトやむっくんに会う事が出来なくなってしまうし……このままお別れって事もあり得るかもしれない。

 だけど、それと同じくらいにニルの事も心配だ。

 ……俺は一体、どうすれば良いんだ?


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 翌朝。考えているうちにいつの間にか眠ってしまっていた俺は、考えつく暇もなく街を出る準備を終えたニルに抱きかかえられ、宿を後にした。

 ローブを見に纏い、フードを深くかぶったニル。早朝という事もあってか、街は静けさに包まれている。

 俺はローブの内側に隠されるような形で抱かれているから、今どこにニルがいるのかも見当もつかない。

 クソ……このままじゃニルと一緒に旅にでるルート確定だけど、今飛び出したらニルにも危害が及ぶし、俺自身も危険な気がする。

 ニルが動き回っているって事は周りに衛兵はいないのかもしれないけれど……このまま様子を見るしかないよな。

 俺は焦る気持ちを抑えながらされるがままにじっとしていた。


「……あれは。う、嘘…………そんな、そんな事って!」


 そう言って声を上げたニルは、唐突に走り出した。

 まるで何かから逃げているように必死に息を切らしながら、走っている。

 だが、ローブに隠れて目の前の光景は分からないけれど後ろから追い駆けてくる音や怒号は聞こえないし、逃げているのとは何か違う気がする。


「待って! 待ってくださいです!」


 息を荒げながら必死に呼び掛けるニルだが、上手く声が出せていないようだ。

 …………誰かを、追いかけている?

 それでも相手との距離は相当あるのか、ニルは走る速度を緩めようとしない。

 呼び掛けられても立ち止まらないって事なのか? だとしたら、相手はニルから逃げているって事か?

 クソ……ローブの外に出してくれればいいんだけど、紐で括ってあるから捲ることも出来ないんだよな。

 そのままニルは数分ほど走り続け、とうとうその足を止めてしまった。

 はぁはぁと息も絶え絶えと言った感じでニルは呼吸を荒げている。

 何だ? 結局逃げられてしまったのか?

 その直後、誰かが目の前に立っているのかクスの擦れるような音が聞こえた。

 ニルのものとは違う……確実に前からその音が聞こえたぞ。誰かいるのか?


「いやぁ……ごめんね。あんまり他の人に見られる訳にはいかないからね。ここなら良いかな」


 優しげな声で呼びかける人物。

 その声に……俺は聞き覚えがあった。


「……そ、そんな。う、嘘」


 その声を聞いたニルは徐々に声に嗚咽が混じり始め、腕を顔の方に持っていこうとしたのか俺を抱きしめていた手を動かした。

 そのせいで俺は、地面へと落されてしまう。

 ローブの裾から顔を覗かせてその人物を確認して……俺は、息を詰まらせた。

 同じく黒いローブに身を包んでいたその人物。だが、フードは被っておらず、目の前のニルを見て優し気な笑みを浮かべていた。

 それはどこからどう見ても、死んだはずのパイソンさんだった。

 ……色々と疑惑はあったけれど、まさか本当に生きていたなんて。

 でも、生きていたなら何でニルの前にすぐに姿を現さなかったんだ?


「パイソン……さん……」

「久しぶりだね。ニルちゃん」


 奇跡の状況に泣きじゃくるニルを抱き寄せ、優しい言葉を投げ掛ける。

 ニルは同じようにパイソンさんの腰に腕を回し、力強く抱きしめていた。


「本当に、パイソンさんなんですか? だ、だって……だってパイソンさんは死んだはずじゃ」

「僕の魔波を腐るほど感じてきたニルちゃんなら分かるはずだよ。大丈夫、僕は死んでいないから」


 ニルはパイソンさんの体に顔を埋め、嗚咽を漏らしながら泣いていた。

 そんなニルの背中を優しく撫でて、パイソンさんはもう一方の手でニルの頭を撫でる。


「パイソンさん……ボクは、ボクは!」

「ごめんね、ニルちゃん。辛い思いをさせて」


 一頻り泣いていたニルは抱きしめていた腕を離し、パイソンさんのローブを両手で掴む。

 何かを訴えかけようとしていたが、それを遮るようにパイソンさんは再び優しい言葉を投げ掛けた。


「でも、どうしても僕にはあの街でやるべきことがあったんだ。とても危険な事だったからニルちゃんには相談できないし、一人で成し遂げるしかなかったんだ。そのためには誰かに詮索されるわけにはいけなかったから、一時的に死を偽装して身を潜めていたんだよ」

「もう……ボクは一人になってしまったと、思ったですよ。でも、生きていてくれていたですね。ボクはそれだけで……」


 パイソンさんは真っ直ぐにニルを見つめてそう説明した。

 じゃあ、俺が殺されたのは……どういう事だ? 何なんだ一体? 何が正しいんだ? 

 だがニルは、そんな疑問すら湧く事がないようで、ただパイソンさんが生きていた事への喜びを胸いっぱいに感じているようだった。

 泣きながらもやすらぎに満ちた表情をしている。

 …………これで、良かったのか? 結局、俺が魔族狩りとしてパイソンさんに疑われていた件も説明されていない。

 俺とあの日会ったって事になっているのだから、必然的にパイソンさんを殺した事になっている。

 ニルはそれを信じて、パイソンさんの仇を討ちに来たのだから。

 何かがおかしい……何かが。でも、それを決定づける根拠が何もない。


「そういえば……この子は?」

「ボクが奴隷商人に捕まりそうになっていた時に助けてくれたです。なんだか寂しくって、一緒に街を出ようかって思って。もう一人ぼっちになるのは嫌なんです。辛くて、悲しくて……ボクが魔族だってあの街に知られてしまって追い回されるようにもなって……もう、死んじゃおうかとも考えたです」


 パイソンさんは俺の存在に気付いたのか、首を傾げてニルに問い掛けた。

 ニルは言葉を紡ぐようにあまりまとまりのない事を言いながらも必死に伝えようとしていた。

 その時初めて、俺はパイソンさんと目が合う。その瞬間、ゾワッと背中に冷気を拭きつけられたような異様な寒気を感じた。

 なんだ……何なんだ一体。魔波……とは違うよな。分からない。何なんだろう。



「そうだったんだね。そこまで追い詰められていたなんて……ニルちゃんを苦しめる結果になってしまって」

「もういいんです。もう……」


 再びパイソンさんに抱き付くニル。パイソンさんはニルを優しく抱き返す。

 再会できた喜びを全身全霊で感じてるニルはとても幸せそうで……それだけは心の底から安心できた。


「もうニルちゃんにはそんな辛い思いはさせない。僕が、僕が終わらせてあげるよ」


 そういってパイソンさんは抱きしめているニルの背中を優しく撫でまわす。


『――まずい、主よ! 今すぐその男を小娘から離せ!!』


 唐突に頭の中で大音量で響く、悪魔の切羽詰まったかのような声。


「……猛毒移植(ギフトグラフト)

「――がっ!?」


 だが、俺がそれに反応する前に、ニルが急にその場に膝をついてそのままドサリと倒れてしまった。

 体をぴくぴくと痙攣させたまま身動きの取れないニルを見下ろすパイソンさんは、今までにない程冷徹な目をニルに向けていた。

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