第15話 憎しみの仇討ち
その後も宿に引き籠っていた俺達だが、夕食とお風呂は欠かすことは出来ないとコルトに言われ、コルトとともに夕食とお風呂を済ませた。
そのまま宿へ戻ってくると、外出する時にはカウンターにいたはずのむっくんの姿はなかった。代わりに、カウンター奥の部屋から何やら物音が聞こえている。
「むっくんがいないけど、奥の部屋にいるのか?」
「あいつが私の忠告を無視してどっかに出かける事なんてありえないから、そうなんじゃないのか?」
た、大した自信だけど……まあ、むっくんもコルトと付き合いが長いみたいな事言ってたし、別におかしい事じゃないか。
「むっくん? 大丈夫ですか?」
「ひゃっ!?」
俺はそれでも心配になって、カウンター奥の部屋の扉をノックしながら、部屋にいるむっくんに声を掛けてみた。
そのすぐ後で、むっくんの軽い悲鳴とともに、ゴトンと重い物でも落としたかのような鈍く大きな音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!? 何かありましたか!?」
「だ、大丈夫よ! ちょっと首の方が折れちゃっただけだから」
「大丈夫じゃないでしょ! それ!」
扉越しにむっくんは、とんでもない事を口にする。
く、首が折れちゃっただけ!? だ、大問題でしょ! というか……首が折れた状態でどうやって話しているんだろ。
「ま、まあ……そうね。これだと修復は出来ないから、一から作り直す必要があるわね」
「えぇ!? むっくんの首って手作りなんですか!?」
「プッ!?」
俺の言葉に後ろにいたコルトが吹き出した。
口を押えて顔を伏せながら肩を震わせて必死に笑いをこらえている。
え? ……何かおかしい事言ったかな?
「……どう解釈したらそんな考えになるのよ」
呆れたようなむっくんの声がしたとともに、部屋からむっくんが出て来た。
むっくんは白く滑らかな手袋を付け、ピンク色でチェック柄のエプロンを身に付けている。
むっくんの首は何事もなかったかのように繋がっていた。
「あれ? 首が……」
「アタシの首が折れるわけがないでしょ? アレよアレ」
むっくんは部屋の奥のテーブルを指差した。
そこには半透明で淡い青色の、何かの動物を模したような物体が置いてあった。
だがそれには頭がなく、首のところで折れてしまっているようだった。
部屋のランプに反射して、キラキラと輝いて見える。
「あれって……ガラス?」
「そうよ。アタシ、ガラス細工作りが趣味なの」
そう言ってむっくんはいぇはの棚の方を指差した。
そこには様々な色や形のガラス細工が飾られている。生き物を模したものもあればガラスのコップも作っているようだ。
「凄い……でも、こんな大掛かりな事、どうやって?」
確かガラス細工って、なんか炉? って言うんだっけ? 中で火を焚いた装置がないとできないんじゃ?
部屋を見る限り……そんなのは無さそうだし、趣味の範囲でそこまで大それた装置まで設置するとは思えないけど。
「ああ、専用の坩堝はこの部屋の奥にあるの。中に永続的に魔力を流し込んで火が消えないように維持しているのよ。一度火が消えてしまうと、溶けたガラスが固まっちゃうからね」
そうか……あれは坩堝って言うのか。
それよりも、そんな設備どうやって準備したんだ!? この宿を見た限りじゃ、そんな設備を設置出来るほどの広さはないと思うんだが。
……まあ、地球の常識が通じない異世界じゃ何を謎に思ったところで無駄なんだろうな……。
「……いやいや、まさかこいつの首が折れただなんて勘違いするなんて思わなかった。久々に笑ったな」
ずっと俺の後ろで笑っていたのか、コルトがようやく言葉を発した。
俺の渾身のボケがかなりお気に召したようで何よりだ……本当、泣きそう。
「さて……私はもう寝るから、お前らもさっさと寝ろよ」
そう言ってコルトは少しだけ口角を上げて微笑むと、自分の部屋へと戻っていった。
まあ、別にやる事ないしな……さっさと寝るに越した事ないか。
「アタシはまだ作業をするつもりだから、シロちゃんは寝た方が良いわよ。それとも、アタシと一緒に寝る?」
むっくんはそう言いながら体をくねらせて、俺を誘うように甘やかな声を上げている。
ま、まあ……別にむっくんが嫌いって訳じゃないんだけど、さすがにそれは……。
「いえ……遠慮しておきます」
「あはは……冗談よ、冗談。それじゃ、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
むっくんは俺に軽く手を振りながら、再び部屋の奥へ戻っていった。
俺も自分の部屋へ戻ると、刀を机の上に置いてベッドに潜り込んだ。
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ね、眠れない……。
ベッドに潜り込んで何時間か経ったが、一向に寝付けなかった。
コルトに再三に渡って忠告されていても、自分と同じ境遇で、しかも唯一の心の支えであった人物を失った悲しみを考えたら、心配だという気持ちを抑える事が出来なかった。
ただ、今の状態でニルに会うのも得策じゃない事は自分でも分かっている。
……何もしてあげられないのが酷く苦しい。
「はぁ……少し、歩こうかな」
俺は机の上に置いた刀を持って宿を出た。
ニルに会いに行くわけじゃないが、ずっと心配に思っていても体を休めることは出来ない。
少し散歩でもして体を疲れさせた方がよく眠れるかもしれないな。
だいぶ遅い時間だったのか、人の気配は全くしなかった。
建物にも光は灯っていないようで、街灯の光だけが街を照らしている状態だった。
「……何か、怖いな」
昼間と打って変わって異常なまでの静けさに包まれる真夜中の街中。
そんな事はないはずなのに誰かに見られているような気がして自然と小走りになってしまう。
幽霊とか、そういうの基本的にダメな人間だからな……むっくんを見て慣れた気でいたけど、やっぱりこういう雰囲気にはちっとも慣れない。
そのまま小走りで進んでいると商業区まで辿り着いた。
ここもやっぱり人気は無い……まあ、普通はそうだよな。
眠れないからって出て来たけれど……大人しくベッドで横になってた方がよかったんじゃないのか?
それに散歩しなくても、外の空気を吸うだけで良かった気もするな。
「何やってんだろうな……俺」
心配事が多すぎて落ち着かなかっただけかもしれない。
まあ、少し歩けたのは気分転換にもなったし大人しく帰ろうか。
俺はそう思って宿へ帰ろうとしたその時、何か甘い匂いが鼻を掠めた。
微かに感じた甘い匂いだったが、それを感じ取った途端その甘い匂いは強く、濃くなっていく。
まるで視界がピンク色に染まったかのように、その匂いに徐々に思考が奪われていく。
……何だろう。この匂い。
どこかで嗅いだことのある匂いだけど……分かんない、でも凄く良い匂いだ。
熱に浮かされたかのように思考が蕩けていく。
自分の置かれている状況も、そこがどこなのかも、自分が何をしているのかもまるで分らなかった。
ただただその匂いを嗅いでいたい……そんな感情だけ俺を支配している。
より一層強くその甘い匂いを感じた時、ふわりと誰かが俺を抱き寄せた。
柔らかな体に包まれ、俺はその感覚に酔いしれる。
……誰、だろう? ダメだ……何も考えられない。このまま、このままずっと包まれていたい。
俺はその人物に身を委ねて目を閉じようとした。
「……!?」
急激に思考がクリアになる。
今までピンク色に染まっていた視界もクリアになって、俺はいつの間にかどこかの森の中にいた。
俺を抱き寄せていた人物はいつの間にか無くなっていた。
「……あれ? 何で俺、こんなところに」
見慣れない森の中。自分がどうやってここまで来たのか見当もつかない。
まさか……さっきの甘い匂いに誘われた?
俺は自分が今いる場所がどこなのか辺りを見回してみたが、見えるのは木々ばかり。
見覚えもない……というか、街の近く森なのかも全然分からない。
どうしようか……コルトに知らせる手段もないし。
そう考えていると、視界の横で何かが動く影が見えた。
俺はその方へ目を向ける。暗くてはっきりと顔は見えなかったけれど、それでも見慣れた姿だったのは間違いなかった。
「……ニル?」
俺がそう声を掛けた直後、ニルは俺に迫って来た。
目前にまで迫って来たニルの目が、憎悪に満ちていた事を知った時はもう遅かった。
「ぐっ!? あ……うぐっ!?」
体を貫く異物感。
お腹のあたりが熱を持ち、内臓を握りつぶされるよな強烈な痛みを伴った。
……嘘だろ!? ニルに刺された!?
「うぶっ!? がはっ!!」
ニルは俺のお腹に刺した武器を引き抜いた後、間髪入れずに俺のお腹を切り裂いた。
凄まじい痛みに意識が朦朧とする。裂かれたお腹からは長い腸が溢れ出ていた。
温かい血が噴き出し、俺の手はぬるぬるとした感覚を帯びている。
俺はとうとう立っていられなくて、その場に倒れ込んだ。
「……どう、して」
俺はニルの姿をした影にそう訴えた。
どうしてもそれが、俺を刺した人物がニルだとは思いたくなかった。
けれど、俺を刺す前に見えた顔はどうしても、ニルのものだと認めざるを得なかった。
「どうして? 妙な事を聞くですね。じゃあ、ボクからも聞いて良いですか?」
ニルは倒れた俺の頭下に座り込み、空虚な目で俺を見つめていた。
背筋が凍るほどの冷たい目。その奥に、確かな憎悪を感じる。
「どうしてセイジさんは、ボクの村を襲ったですか?」
「……は?」
俺はニルの質問の意味が分からなかった。
俺が……ニルの村を襲った? 何でだ? どうしてそうなるんだ?
「セイジさんは、魔族狩りの関係者ですか?」
魔族狩りの関係者? そんな訳、ないだろ。
俺がこの世界に来たのもほんの少し前だって言うのに。
「何……言って――」
「とぼけるのも大概にしろです!」
俺の言葉を遮って、ニルは声を荒げて叫ぶ。
「その武器から感じる禍々しい魔力。そんなものを放っておきながら、ボクに堂々と見せるなんて……分からないとでも思ったですか!」
「ぐっ!? あああ!」
激高するニルは倒れている俺の背中に何かを突き刺した。
お腹を裂かれた痛みに加えて背中の右側を貫く感覚に襲われ、俺は手足をばたつかせる。
それは地面まで突き刺さっているようで、簡単に逃れることは出来なかった。
何でだよ……どういう事なのか、訳が分からねぇよ。
「ボクから故郷を奪い、家族を奪い、生きる意味を奪っただけじゃ飽き足らず、挙句の果てにパイソンさんまで奪ったくせに、何故のうのうと生きているですか!? 何故ボクだけが苦しめられなくちゃいけないですか!?」
何度も何度も俺の背中を刺し刻むニル。
もはや、痛みなんて感じなかった。意識が朦朧としてただただ異物が入ってくる感覚と引き抜かれる感覚に反応するだけになっていた。
何で……何で俺が、パイソンさんを殺したことになってるんだ?
「許せない……絶対に許せない! 村の皆の仇、パイソンさんの仇です」
ニルはそう言い放って、俺の体から異物を引き抜いた。
その直後、俺の体に何かが降りかけられる。粉のような何かの粒のような……顔や脚にも振りかけられた。
「魔物をおびき寄せるための撒き餌です。どうせ死ぬんです。魔物のエサにしてやるです。お前達があの時、村の人々にしたように……最後の最後までもがき苦しんで死ね」
そう言い残して、ニルはその場から立ち去った。
程なくして、辺りの茂みから次々と魔物が現れる。俺の体を取り囲み、いたるところに噛みつき始めた。
肉を食いちぎられる感覚がするたび、痛みもないのに体が反応する。
だめだ……もう、体が動かない。寒い……凄く寒い。
死にたくない……死にたくない。死にたく……ない。
『契や…………甚……修ふ……に移行。完…………まで…………体…………』
頭の中で誰かの声がする。けれど、その声は途切れ途切れでほとんど聞き取れなかった。
その声の直後、俺の意識は途端に途切れてしまった。




