第6話 帰ってきた冒険者
「異世界でラーメンか……味は美味しいんだけど、材料がねぇ……」
味は本当に美味しかった、うん。同じ材料があるとは限らない異世界で、ここまでとんこつラーメンの味を再現できている事は凄いけれど、その材料がオークだなんて。
どうしてもオークの姿形がチラついてまた食べたいとは思えない。
まさか、あのチャーシューや卵もゲテモノを使ってるなんて言わないよな?
お腹壊さないと良いけど。
それはそうと、もしかしてとは思ったけど、やっぱり俺以外にも向こうの世界からここへ来ていて人がいたのか。
あのラーメン屋の店主、自分が授かったチート能力をあんな簡単に投げうつなんて……俺だったら大喜びしてるのに。まあ、その破壊力の度合いにもよるけどさ。
というか……まさか、あの人以外にここへ来ている日本人もチート能力を持っているんじゃないよな?
そんなだったらあまりにも理不尽だぞ。周りはチート能力で無双ドンパチやってんのに、俺は仲間の陰に隠れてチマチマ戦ってる訳だぞ。
第一、俺は自分の能力も何もまだわかっていないっていうのに。装備できるのがこの刀だけっていうのがまた。
あの戦いで偶然発動した力もまだ理解できていない。これじゃ、何のためにこの世界にいるのか分からなくなってくる。
「はぁ……理不尽過ぎて笑える」
食事を終えた俺は適当にぶらぶらと街を散策していた。
別に行く当てなんて何もない。けれど、何となくその足はギルドの方へと向き、何の予定も用事もある訳でもなく、俺はそのままギルドへと向かった。
「あっ! セイジさん!」
ギルドの玄関まで差し掛かったところで、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
振り返ってみると、こちらに向かって手をブンブン振りながら満面の笑みで駆け寄ってくるニルの姿がった。
相変わらず、動きやすい恰好をして大きなリュックを背負っいる。
本当、あんな重そうなものよく背負えるよな。
「おー、おはよー」
「おはよーです、って。もうお昼ですよ?」
「知ってるよ。ところで、ニルは何してるんだ?」
昨日のこの街での一軒があってから、魔族に対しての警戒態勢は一層強まっている。
ニルがもし、それに気付いていなくて街の外に出ようとするなら大変だ。
もしその予定があるのなら、教えておかないといけないな。
「あっ、えっと、ボクは今からギルドの図書館でお勉強しようかと思ってきたですよ? って……ん?」
ニルはそう言いながら何かに気付いたように俺を見て不可解そうな顔をして首を傾げた。
そのまま何やら俺に顔を近付けてすんすんと鼻息を鳴らす。その後、急に顔を勢いよく引いて、険しい表情をしながら鼻を摘まんだ。
「セイジさん、臭いですよ」
「なっ!? そ、それは言わないでくれ」
オークの骨で出汁をとったラーメンを食べたなんて言えるわけがない。
だいたい、この世界の人にオークを食べる習慣なんてあるのか?
オルクスの耳を材料にする事は知っているけど。
「勉強って……もしかして魔法のか?」
「はい。ギルドの図書館には魔法を勉強するための本が置いてあるですから……まあ、どれも基礎的な事しか書かれていないですけど」
「そうか……要は魔導書ってやつなのか。あれだけ魔法が扱えるのに勉強する意味があるのか?」
ニルの魔法適性と魔力量、魔法に対する知識があるならいちいち勉強しなくてもいいのに。
「何言ってるですか。知識は一生の財産ですよ? どれだけ蓄えても無駄なものはないです。知識の多さはその人の人格を作り上げるものですよ」
「まあ……ニルが勉強熱心なのは今に始まった事じゃないけどさ」
ニルは得意げに説明していたが、正直……勉強が苦手な俺としては勉強好きのニルの心境が分からない。
確かに、知識の量が人格を形成するなんて話は聞いた事あるけど、別に勉強に限った事じゃないだろうし。
「むっ……何だかどうでも良さそうな反応ですね」
ニルは口をへの字に曲げて、不満げに俺を睨む。
別日どうでも良いって訳じゃないんだけどなぁ。
「あっ、そうだ。良かったら俺に、読み書きを教えてくれないか?」
「……は?」
俺は何気なくニルに頼んでみる事にした。
ニルは勉強熱心で頭が良いし、多分教えるのも上手いはずだ。
俺もそろそろこの世界の言語を学んでおかないと……最低限読めなきゃいけない文字さえ読めなきゃ生きていける自信がない。
欲を言えば、ひらがなみたいに50音順であれば良いんだけれど……アルファベットみたいのだったらもっとややこしいしな。
ニルは俺の言葉を聞いて口をポカンと開けたまま素っ頓狂な顔をしていた。
その後、不思議なものをみるような目で俺を見て首を傾げる。
「セイジさんは……そんなんでどうやって生きてきたですか?」
「うっ……そ、それは」
ニルの素朴過ぎる問いかけが、俺の心臓にズキリと刺さる。
針とかそんなレベルじゃない、槍で刺されるような感じだ。
そうだよな。普通そんな反応するよな。
ここまで大きく育った自分と同年代くらいの相手が、読み書きすら分からないのに普通に会話してるんだもん。
「まあ、教えるのは別に構わないですよ? 立って教えるのもなんですから、早速図書館へ行くですよ」
「お、おう。ありがとう」
ニルは怪訝そうな表情をしながらも、一応は了承してくれたらしく俺に手招きをしながらギルドの中へと入っていった。
俺もその後ろから、後を追うように付いていく。階段を上がり、二階へ行くと、すぐ右にガラス張りの壁に囲まれた図書館があった。その規模は今初めて見たけれど、図書館というわりには規模が小さい。それに、図書館というよりも書店に近い広さだ。ただ、図書館内部には机やイス、ライトスタンドも設置してあって本を読むスペースも確保されているようだ。
ニルの後を追い、図書館へ入ると、その瞬間から本屋さんの良い匂いがしていた。
受付では司書さんが椅子に座って静かに本を読んでいる。なんだかまったりしてそうな人だな。男だけど。
そういえば、本屋さんのような本の匂いが充満しているスペースにいると、トイレに行きたくなるらしいが……あれは何現象って言ったっけな?
「えっと……そうそう、これこれ」
ニルは慣れたように本を探し、何かの皮で作られたような分厚い本を手にした。
魔導書というだけあってどこか物々しい感じがする。というより、手作り感が凄い。
「えっと……絵本の方は……これが良いですね」
今度は比較的背の低い位置に置いてある小さな本に手を伸ばす。
背表紙を指でなぞりながら本を選んで、その中の一冊を本棚から抜き取った。
「絵本? 何で絵本なんだ?」
「この方が分かりやすいと思うですよ?」
ニルから受け取った絵本の表紙には挿絵が書かれていた。
如何にもな勇者の格好をした男が偉そうに剣を掲げて、佇んでいる。
その左右には複数人の女性を侍らせ、妖精なんか仲間にしていた。
絵を見ているだけで虫唾が奔るな……何だこの天性のモテ男は。
「よくある、勇者が魔王をなんてら……的な胡散臭い絵本ですよ」
「わお、ニルが言うと何か現実味が増してくるな。まあ、俺もこの手の話は気に入らないけれど」
「でも、内容は意外と面白いですから……それを読破するまでがセイジさんの課題です」
「え!? ……ちょ、嘘でしょ!? いきなりハードだな」
「心配しなくても、ちゃんと文字を教えてあげるですよ。ささ、まずは椅子に座るですよ」
ニルに袖を引っ張られ、俺は椅子に座らされる。
俺の隣にニルが座り、椅子を俺の方へ寄せてきた。
「まずは、絵本を開くですよ」
「お、おう……うっわ、やっぱり読めねぇ……」
ニルに言われるがまま絵本を開いてみると、左に挿絵、右に文字が書かれていた。
挿絵の方はどこかの村の風景を描いたものだと分かるが、文字は相変わらず読めない。どれも十字の文字が書かれてはいるが斜線や丸が書かれていたりどこか幾何学的にも感じる。
「ハイドランジアの言語、ラジオス文字は十字架の形をベースとして全71文字が存在するです。つまり、十字をベースとしているですね」
ニルはそう言いながらリュックからメモ用紙と筆ペン、インクボトルを取り出した。
そのまま筆ペンのペン先をインクに浸し、すらすらとなにかをメモ用紙に書いている。
「セイジさんの名前を書くなら……こう書くですね」
そういって差し出されたメモ用紙には……。
なるほど……さっぱりだ。
でも……これがセイジって文字なら、同じ発音の「イ」と「ジ」の共通点としては十字の右下に「Ⅼ」の字がある事だし、サ行の「セ」と「ジ」の共通点は右上の斜線だから……「ジ」のこの斜線から突き出ているこれは濁点っていう事か。
「なんだか……こうしてみると簡単そうだな」
「むっ……そう簡単なものじゃないですよ。次はラジオス文字の基礎言語です」
そういってニルは無邪気な笑みを浮かべて再び何か書きだした。
なんだか、凄く楽しそうに感じるんだけど……なんだかんだ自分が教える立場にあるのが嬉しいんだろうな。
「これが基礎言語になるですよ」
そう言って再びニルはメモ用紙を差し出してきた。
これって……「イ」の文字があるから……「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」って事か。「オ」が一番特徴的だな。これがベースならそこまで難しくないかもな。
「なんか……そう時間を掛けずに絵本を読めそうだな」
「……何だか、こんなに物分かりが良いとつまんないですね」
「いやいや、俺って大体、分かって良そうで全然わかっていないって事あるからな?」
「そ、それは自分で言うものじゃないんじゃ……まあ、次は全種類のラジオス文字を教えるですよ……ん?」
ニルは再びメモ用紙に書こうとするが、その途中で何かに気付いたのか顔を上げて静止していた。
そういえば、さっきから外が騒がしいようだ。叫び声とかそんなマイナスなイメージじゃなく、人々の拍手とか歓声とかそういったプラスな感じの声がする。
「昼間っから何なんだ?」
「……も、もしかして!!」
ニルはそう言って椅子から立ち上がり、勢いよく図書館から飛び出す。
リュックや自分の選んだ本も図書館に置きっ放しにしてニルは階段を駆け下りていた。
「ちょ、ニル!?」
ニルの突然の行動に俺も気になってその後を追った。
階段は埋め尽くす人で通れそうにはなく、二階から一階を覗き込むしかない。
一階の一面を埋め尽くす冒険者やギルド管理人の数々。その中心には動きやすそうな格好をした男性が立っていた。自分より年上にも見えるが、そこまで老けているようには見えない。爽やかそうな見た目、白い肌、ふわっとした髪質、華奢な体躯……草食系というやつだろうか。
「ぱ、パイソンさん! おかえりなさいです!」
人の間を縫ってニルがその男性へと駆け寄る。
男性もニルの姿を見るや否や心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。
ニルの方もこれまでに見た事もないような笑みを零している。目に涙を浮かべるくらいにこの男性と会えた事が嬉しいようだ。
「久しぶり、ニルちゃん。会いたかったよ」
傍まで駆け寄ったニルをナチュラルに抱きしめるパイソンと呼ばれた男性。
もしかするとこの人が、ニルの生きる意味を見つけてくれた人なんだろうか。




