エル商会の会計
「ひゃー、大きな町だなぁ! プリメロの町よりはるかに大きいや!!」
エスタトゥアはゴトゴト揺れるラタジュニアが操る幌馬車から顔を出し、街並みを見て感心していた。
三階建ての綺麗な石造りの家に、整理された大きな石畳の道路。さらに街路樹や街灯が整備されていた。
道行く人も人間はもちろんのこと、まるで仮装行列のように見える亜人たちがごった返していたのである。
ここはフエゴ教団本山、始まりの場所、コミエンソであった。プリメロの町を出て三日後であった。
百年前に箱舟の子孫たちはこの地に町を作り、ここを拠点として多くの村に布教活動を行った。
そして各地の村に同じ村人同士の結婚を禁止する。そうすることで近親相姦をなくしていったのだ。
亜人の場合は特殊だったらしい。彼らは村長の子供同士が結婚し、血が混じりあっていた。
さらに亜人全書という、各種族の性質や血縁、篤志解剖の結果などを記された書物を提出される。
その結果、亜人は人間が過去にキノコ戦争の被害に遭い、人間以外の何かに変貌したいという願望で変化した種族と知ることができた。
例えば黒髪の人間が恐怖で白髪になる話がある。それと似たような話だという。
さて幌馬車は北区と呼ばれる場所へ向かっていた。コミエンソは東西南北と中央区に分かれている。
各地城壁で守られているのだ。中央区は教団本部のある場所で、もっとも警備が厳しい場所だ。
北区は一般信者が暮らす地域だ。ここでは司祭ではなく、大司教が収めている。
そして各特殊技能を持つ司祭も多く住んでいた。
ラタジュニアはある商店街に店を構えているというのだ。
幌馬車はまっすぐにある場所へ向かっていた。
途中でレンガ造りの二階建ての建物がずらりと並んでいるのを見た。
それなりに人が多く、お店が並んでいたのだ。
パン屋にお菓子屋、八百屋に魚屋、仕立て屋に本屋などが並んでいたのだ。
だが店員は若い。全員十代半ばだ。それにお品書きも通常より半分以下の値段である。
もっとも後ろには大人が指示しており、子供だけで経営しているわけではなさそうだ。
労働者風の男たちはパンを頬張り、子供たちは飴を買い、母親におもちゃをねだっていた。
これは自分の村ではありえないことだとエスタトゥアは思った。
ちなみにプリメロの町でも似たようなものであり、北区の規模はそちらに近い。
さらに進むと大きな屋敷が見えた。屋敷といっても二階建てでかなり古い。ある程度改装しているが、どことなくつぎはぎに見えた。
その屋敷は人で賑わっている。そしてその手にはパンを持っていた。
いや、パンに何かが挟まれている。レタスやトマトといった野菜が挟まれていたのだ。
いったい、あの食べ物はなんだろうか? エスタトゥアは首を傾げた。
そして幌馬車を裏に回すと、馬小屋があった。
そこには馬の亜人が数頭いるヤギウマたちの世話をしていたのである。
馬といっても馬面と呼ばれる人間に近い。もちろん体格は通常の人間より大きかった。
平均体温が高いためか、腰巻だけで作業をしている。
馬の亜人はラタジュニアを見つけると、慌てて走り出し、頭を下げたのだ。
「これは旦那様。お帰りなさいませ。クエレブレも元気そうで何よりだ」
「ああ、ひさしぶりだな。二か月ぶりだな」
「ブランコ様が愚痴っていましたよ。店主が行商に行くなど以ての外だと」
「ああ、ひさしぶりに小言を聞かされそうだな」
ラタジュニアは幌馬車を預けると、数人に荷物を運ぶように指示した。
クエレブレも大人しく馬小屋に入っていく。
そしてエスタトゥアを連れて屋敷の中に入る。
「ここはかつて司祭の屋敷だった。新築したのでいらなくなったんだ。
それを俺が格安で購入できたというわけだ」
もちろん格安といっても屋敷が一山いくらで売られるわけがない。
エスタトゥアもそれくらいは勉強している。だがラタジュニアの口調は軽い物であった。
まるで手軽に屋台から軽食を購入するような感覚である。
「ただいま帰ったぞ」
ラタジュニアは二階に昇り、一際大きな扉を開けた。
そこは広い部屋で真ん中に大きな机が置かれていた。そして来客用のソファーとテーブルが備え付けられている。
部屋には蛇の亜人がいた。白い蛇であった。蛇といっても頭部に真っ白で短い髪が生えている。
赤い目に平べったい鼻、赤い口紅を付けた唇。
すらっと長身で、赤いワンピースを着ていた。胸が膨らんでいるので女性だとわかる。
「まあ旦那様。ようやくお戻りになりましたか。まったく一国の主にしてはお尻が軽すぎていけませんね」
どうやら彼女はラタジュニアに雇われているようだ。だが主に対して辛辣な物言いである。
そして言われた本人はまったく気にしていない。おそらくこれが日常的に行われているのだろう。
「ブランコ。ひさしぶりだ。でも俺は行く先々で手紙を出していただろう。
常に位置は教えていたはずだがなぁ」
「教えられても、その場所にいなければ無意味です。まったくうちの店は軌道に乗っているというのに、主が大陸各地で行商に行くなどありえません。
いったい経営というものを……」
ブランコの小言が続くと思われたが、不意に彼女はエスタトゥアに視線を向ける。
そしてまじまじと彼女を見つめたのだ。なんとなく蛇に似た眼付きなので気味が悪い。
さらに顔すれすれに近づいてきたのだった。
「旦那様。この子が例の奴隷ですか?」
ブランコが訊ねた。先ほどラタジュニアは逐一手紙を出しているといった。
なのでエスタトゥアを商業奴隷にしたことも知っていておかしくない。
ブランコはじっとエスタトゥアを見る。そして大きく両腕を広げた。
まるで蛇が獲物に襲いかかる格好に見える。
「きゃ~~~! かわゆ~~~~い!!
こんなかわいい子が私の物になるなんて夢みたい!!」
ブランコはエスタトゥアに抱きついた。そして頬ずりする。
肌がざらざらで、エスタトゥアの柔らかい毛にこすりつけていた。
あまりのギャップにエスタトゥアは戸惑い。ラタジュニアはため息をついた。
「こらこら。こいつはお前のものじゃないぞ。
俺の夢のために必要なんだ」
「夢ですって?」
ブランコははっとなった。夢から覚めたようにしゃっきりしている。
「旦那様。正気ですか? この子をアイドルにするなどと」
「俺は本気だよ。店の金は手に付けない。俺が個人で動かせる資産で教育するから」
「お金の問題ではございません。正直に申し上げますが、まだアイドルという職業は時期不相応かと思われます。
大旦那様はもちろんのこと、フレイア商会のオロ会長や、フレイ商会のアセロ会長すらやる気はないでしょう。
確かに過去にそのような職業はあったでしょうが、今はまだその時ではないと思われます。
正直この子は私のペットとして部屋で飼いたいくらいです」
寒気のするセリフをさらっといわれ、エスタトゥアの背筋が震える。
どうもブランコはアイドルというものに反対しているようだ。
二百年前には存在したらしいが、今のオルデン大陸で成功する確率は限りなく低いという。
「ブランコ。お前は俺の店の会計で、財布のひもはすべてお前が握っていることはわかっている。
はっきり言えば俺の趣味だ。趣味で金を費やすのは不快かもしれない。
だがな、これは夢なんだ。確実に成功するからするのではない。わからないのが好きなんだ。
第一、今の俺の経営戦略とて一昔前だと風車に立ち向かうドン・キホーテみたいなものだった。それと同じだろう」
「同じではありません。そもそもエル商会の成功は過去に限らず、現在でも理に適ったものです。
冒険ではなく、確実に利益を得られ、人材を育てるすばらしいものです。
それに比べてアイドルなんて事業はお金をどぶに捨てるようなものです。
私としては彼女の全身を型に取り、それで特性の石膏像を作りたいくらいです!」
「お前、かなりおかしいぞ!! なんだよ、俺を型に取るなんて!!
悪趣味にもほどがあるだろ!!」
エスタトゥアが叫ぶ。さすがにアブノーマルな趣味を羅列されて我慢がならなかった。
それも自分に矛先が向いているのだから、身の危険を感じずにはいられない。
もっともブランコ本人はケロッとしていた。
「エスタトゥアさん。初めまして。
私はブランコと申します。エル商会の会計を務めているものです。
以後よろしくおねがいいたします」
ブランコは行儀よく頭を下げた。いきなり挨拶をされて戸惑う。
エスタトゥアも釣られて下げる。
「こちらこそ初めまして。エスタトゥア、ともうし、ます。
商業奴隷として買われたけど、一体何をやればいいんだよ?」
一応訓練所では礼儀作法を学んだが、まだぎこちなかった。
商業奴隷になって何をするのかはまだわからない。
とにかく店の仕事をして、週に一度技術訓練を受けるのだけは習っている。
ちなみに技術訓練はきちんと書類を提出しなくてはならない。不正にさぼれば購入者に罰則がくるのである。
「そうですね。今日は来たばかりなので見学してください。
あとは寸法を測りましょう。この商会の制服を着てもらいます。
そう、私があなたを裸にして、直に計ってあげましょう。
ああ、なんてかわいいのかしら。小柄な体にふわふわの毛皮。それでいて見た目でもわかるきゅっといた体つき……」
「おい! 俺はこいつに触れられるのは嫌だ!!
別の奴にしてくれ!!」
ブランコが赤い舌を出し、唇を舐める。エスタトゥアは身の危険を感じた。
「安心しろ。ブランコはかわいいものが好きなんだ。
性的いたずらはしないと思う。たぶん」
「おい! 今なんて言った!?
たぶんだと!? こんなあぶないやつに身体をべたべた触られるのか!!」
「安心しなさい。私は立場を強要する気はないわ。むしろそれは大嫌いよ。
これは個人的な趣味なの。ましてや身体の関係なんてもってのほかだわ。
私はかわいい子を撫でたいだけなの。そう撫でたいだけ。
では、旦那様。部屋を出てくださいな。さっそくこの子を素っ裸にして愛でるので」
「素っ裸にする必要はあるのかよ! それに愛でるだと!!
おい、助けてくれ!!」
しかしラタジュニアは声をかけず部屋を出てしまった。
そして巻き尺を手に持ち、怪しい目つきで近づいていく。
その後部屋からエスタトゥアの悲鳴が聞こえたのは言うまでもない。