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お祝い

「それではおめでとう」


 ラタジュニアとエスタトゥアは乾杯した。

 二人ともガラスのグラスだが、ラタジュニアはサングリアというカクテルで、エスタトゥアはオレンジジュースが入っている。


 今は夕方、日はどっぷり暮れている。世界は闇に覆われ、家から洩れる灯りだけがぽやぽやと浮かんでいるだけであった。

 ここはプリメロの町にあるレストランだ。少し高級で、一般労働者が腹を満たし、酒に酔うだけに通う店ではない。

 壁紙は真っ白で清潔感があり、床は掃除が行き届いているので埃ひとつない。


 客層も行儀のよい人ばかりで、家族連れの客は騒ぎそうな子供をやんわりと叱り、たしなめるくらいだ。

 店員もぴっちりと躾が行き届いており、真っ白なエプロンは見る物にすがすがしいものを感じさせた。

 もちろん出された料理はどれも絶品である。一流の腕を持つ料理人たちが素材にこだわり、腕を振るったからだ。


 エスタトゥアは目の前にあるごちそうに手を付けている。

 ヤギウシのクリームシチューに、ムラサキガイとアメリカザリガニ入りのパエリアと呼ばれる炊き込みご飯。

 インドクジャクの卵で作られたジャガイモ入りのスパニッシュオムレツ。

パンにトマトソースを塗り、こんがり焼いたパンコントマテがあった。

 野菜サラダに先ほどのオレンジジュースが置かれてある。


 今日はエスタトゥアが商業奴隷の訓練を終了した記念である。

 奴隷になったことを祝うのは正気の沙汰ではないが、商業奴隷は別であった。

 彼女と同期で人間のイサベルもフレイ商会でちょっとした歓迎パーティを開いているそうである。


 エスタトゥアはシチューを口にした。ヤギウシの独特の臭いがなく、肉もすごく柔らかかった。普通のヤギウシは乳が出なくなったら潰して食べる物らしい。

 年老いたヤギウシの肉は固い。それ故にヤギウシの乳に浸けこみ、チーズになるまで保存するというのだ。

 それでも年寄りでもかみちぎれる程度で、訓練所でよく食べる定番メニューだった。


 今食べているヤギウシの肉はとても柔らかい。口に入れると肉が溶けるような感じであった。

 一緒に煮込まれたイモやニンジン、玉ねぎも美味である。大抵は廃棄手前の野菜を利用するものだが、こちらは新鮮な野菜を使っているようだ。

 素材がまったく違う。エスタトゥアはそう思った。


「うまいな。こんなうまいヤギウシのシチューは食べたことがない。

 訓練所で作られたものと同じメニューなのに、こんなに違うものなのか。

 素材が違うだけで格段に味があがるとは思えないな」


「その通りだ。どんな料理も素材と調理で格段に違うんだ。

 それはこれからのお前にもいえることだぜ」


 ラタジュニアが言った。


 他の料理も同じだ。どれも新鮮で、餌に一工夫してある。それだけで味があがるのだから不思議だ。

 エスタトゥアが山の中でアナウサギを狩り、食べたことがあるが、それとは比べ物にならない。

 もっとも訓練所でも狩猟したオオアライグマやオオヌートリアの肉を食べたことがある。

 それをソーセージやハムにして加工するのだ。それもなかなかの美味だと思った。


 エスタトゥアは一通り食べ終わると、パンパンになったお腹を撫でる。

 そこに人間の女性のウェイトレスがデザートを持ってきた。豆乳のアイスだ。ブルーベリーソースがかけられている。

 もちろんそれもおいしくいただいた。その満足げな顔を見てラタジュニアは安堵する。


「フレイア商会からお前が暴漢に襲われたと聞かされたときは驚いたよ。

 今後は無料でお前のカウンセラーを続けるそうだから安心するといい」

「別に俺は平気だけどな」


 エスタトゥアはぶすっとした表情で答えた。

 だが暴漢に襲われたトラウマはなかなか消えない。きちんとしたカウンセラーが必要なのである。

 フレイア商会は多くの医者を抱えている。内科に外科、歯科に眼科など数多い。

 その中で精神科もある。箱舟の技術を継承したフエゴ教団一と言える。


「それに黒猫先生からこんなものをもらったよ。

 これを持っていけばオロ会長がアポなしで会ってくれるってさ」

 

 エスタトゥアは首飾りを取り出した。それは琥珀でできた代物で、かなりの高級感がある。

 表面は二匹の猫をあしらっている。フレイア商会の紋章だ。

 これはブリジンガメンの首飾りといい、黒猫先生がお詫びといってエスタトゥアに渡したのである。


「おい、それはめったに人前に出すな。オロ会長と出会えるアイテムはかなりの貴重品だぞ」

「ああ、わかってるよ」


 エスタトゥアは首飾りを仕舞う。彼女も一か月の教育である程度理解できるようになった。

 フレイア商会の会長、金色の猫の亜人である女性だ。六〇を超えているが今も元気である。

 さらに他の商会だけでなく、フエゴ教団の教皇にも顔が知れているといわれていた。


 そんな彼女にアポなしで会える。それがどれほどのものか商人なら誰でもわかる。

 諍いの最中に相手が自分より格上でも、オロが口出しすれば一気に風向きがかわるだろう。

 もちろん彼女を利用しようものなら、伝説のメデューサみたいに睨んだだけで石に変えられる。あくまで揶揄だが蚤の心臓の持ち主なら、そのまま心臓が止まってもおかしくない。


 ☆


「オホホホホ、これはこれはラタジュニア様ではありませんか」

 

 突然背後から声をかけられた。そこには人間の男が立っていた。

 すらりと背が高く、顔も細く狐面きつねづらだ。すっぽりと白いローブを身に付けている。

 所謂ずる賢そうで、意地の悪い顔つきであった。黒い髪の毛は肩まで伸びている。


「……ロキじゃないか。ひさしぶりだな」


 ラタジュニアは座ったまま、男を見上げる。険悪な雰囲気で仲が良いとは思えない。


「ふん。あなたにひさしぶりと呼ばれる筋合いはありません。

 それはそうとあなたはまた奴隷を買ったのですか? 

 ネズミの分際でハムスターの奴隷を買うなんて笑い話にもなりませんね。

 私の店は全員血の繋がった兄弟と叔父たちを使用人としています。

 無関係な亜人を奴隷にして使う心情がわかりませんな」


 ロキは大きな声で言った。周りの客はそれを見て不快感を示すが、ロキは気にも留めていない。

 それはラタジュニアも同じであった。まるではしゃぐ子供のように見ている。

 気に喰わないのかロキはこめかみをピクピクと動かしていた。


「ふん。あなたみたいに自分の名前を前面に出すネズミは大嫌いですよ。

 自覚はあるのですか? あなたの父親はそれなりに名が通っているのですよ?

 まあネズミが経営する店などすぐ潰れるでしょうがね。オッホッホ」

「……」

「私はねぇ。最初は自分の名前を隠していましたよ。だって父親も店を持っていますからね。

 親の七光りを利用しないためですよ。かっこうわるいですからね。

 まったく親の名を利用するなんて恥知らずとしか言えませんね。オホホホホ」


 ロキは言いたいことを言うとその場を去った。

 二人とも口を開かなかった。ロキの言葉に呆れていたのである。


「なんだあのバカ。何を言いたいのかさっぱりわからない」

「安心しろ。あいつの言葉に意味はない。単に自分の憂さを晴らしたかっただけだ」


 ラタジュニアは再びグラスを口にする。先ほどのやり取りなどなかったかのように扱っている。

 近くにいた客もラタジュニアの応対に感心し、ロキの事を馬鹿にしていた。


「あいつの父親って有名なのか?」

「歴史しか売りがない店だよ。しかも兄弟と親戚を利用して経費を安上がりにしている。

 その上取引相手には難癖をつけ、金を払わないことが多い。

 評判の悪さでは有名な奴らだな」


 ラタジュニアは吐き捨てるように言った。基本的に温和だがロキに対しては辛辣だ。

 エスタトゥアも同じ気分だ。人の嫌がることを平然と人前で話す行為は信用してはならないと習ったのだ。

 現に周りの客はロキの陰口をひそひそと話している。よほど嫌われていると見た。


「あいつの話はどうでもいい。それよりもお前に言いたいことがある」

「それって俺が商業奴隷になってどこに配置するかだろう?」

「その通りだ。だが俺はお前をただの奴隷として扱う気はない」


 ラタジュニアは真剣な表情で言った。エスタトゥアはその眼に引き込まれてしまう。

 

「俺のやる事業は珍しいことではない。二百年前には当たり前に存在したものだ。

 俺はそれを復活させる。それをお前にやってもらいたいのだ。

 エスタトゥア! お前はアイドルになるんだ!!」


 エスタトゥアはきょとんとした。アイドルってなんだよと思った。


「お前の名前には意味がある。俺の名前はラタジュニアだ。

 ラタはこのオルデン大陸に古く伝わる言葉でネズミという意味がある。

 親父の名前がそれだ。

 ジュニアは息子で、俺はラタの息子という意味があるのだ。


 エスタトゥアとは古代語で偶像という。アイドルも同じ意味があるのだ。

 お前がこの世に生まれてきたのはこういうことなのだ。

 アイドルとなるべき、お前は俺と出会い、今ここにいるのだ!!」


 ラタジュニアは熱弁を振るった。正直エスタトゥアはついていけなかった。

 自分の名前の意味はわかってないが、そもそもアイドルって何をするんだろう?


「まあ、それはゆっくり試行錯誤をしていくさ。なにしろ二百年前の文献では、歌って踊れるのが基本らしい。

 お前に歌と踊り、楽器を習ってもらう。そして俺の店の前でお客を前に歌ってもらおう。

 それがアイドルというものらしいな」

「らしいって、根拠はないのかよ!!」

 エスタトゥアは突っ込んだ。この男、千里眼の持ち主かと思ったが、山師の資質があるのかもしれない。

 だがもう石は坂の下へ転がったのだ。それを止めるすべは誰かが石を踏みつけるしかない。

 石が最後まで転がり落ちるかは神のみぞ知るわけだ。

次回はエスタトゥアがアイドルを目指すお話です。

行商人の話はきちんとやりますのでご安心ください。というかいきなりアイドルかよって突っ込まれてもおかしくない。

作中の設定は作中でのみ語りたいと思います。後書きやブログで語るのは反則だからです。


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