外伝その4 深夜にて
「それでどうなりましたか?」
その日の夜、エル商会の店内で話し合いが行われた。すでに閉店しており中には店員以外いない。商業奴隷エスタトゥアはモップを持って床掃除をしていた。
会長ラタジュニアと居候のライオンの亜人カンネに、彼女のメイドである黒豹のザマがテーブルに座り向かい合っている。
ふたりは昼間散々スポーツを楽しんでいた。主に動いていたのはカンネで、ザマは彼女の補佐をしていたのだ。ノースコロシアムの横にある公園ではテニスコートやバスケットなどができる施設があり、カンネはひとしきり活躍していたのである。
「おーっほっほっほ! あなたにみせてあげたかったですわ。わたくしの華麗なる活躍を目に焼き付けてほしかったですわ」
「お嬢様は放置して構いません」
話を聞かないカンネに対してザマは辛辣だ。このメイドは主に従順と思いきや毒舌を吐くことがある油断ならない女性である。
エスタトゥアは掃除をしていたが、話には参加しない。正直説明するのが苦手なので、会長に任せたのだ。そもそも自分は関わっていないから話すことがない。
「ラモンは教団に連れて行かれたよ。まあ、簡単な身体検査を受けるだけだな。正気に戻ったとき俺に対して謝っていたからたぶん大丈夫だ」
「おーっほっほっほ! 人が獣になる。わたくしの故郷である闘神王国ではよくある話ですわね!」
「これは本当です。闘神王国の外れに住む人間の部族がそれですね。こちらは変身しても元に戻れます」
カンネは軽い話題のつもりでしゃべっているが、結構重要な話である。ザマはそれを補足していた。カンネの口調はどこか芝居がかかっており信ぴょう性を感じられないのが難点であった。
その後ゲームスクエアでは大騒ぎだった。もちろんラタジュニアに責任はない。今後も出入りは可能だ。そもそも彼が事を治めてくれたのだ、忘恩の真似などできるわけがない。
ラモンの両親は父親が人間で母親は牛の亜人であることを知られていた。かといって人間の息子が亜人に変身する理由にならない。
もっともザマの話によればナトゥラレサ大陸に住む人間の部族では活殺自在に変身できるそうだ。これは現地にあるアグア教団が調べることであり、自分たちの知る必要はない。
「おーっほっほっほ! わたくしは変身できませんがベッドの上でなら従順に変身できますわよ、今夜いかが?」
「遠慮する。お前はまだ12歳だろ」
カンネはシナを作るがラタジュニアは一蹴する。彼にとってカンネは妹みたいな存在だ。性的な目で見たことはない。エスタトゥアも同様だ。女に興味がないわけではないが、商売が面白いので結婚しないだけだ。
「お嬢様は脳筋です。難しい話は一切理解できないのですよ」
「おーっほっほっほ! ザマったらほめ過ぎですわ!!」
ザマの嫌味をまったく気づいていない。それを見たエスタトゥアはいつものことだと掃除を続けた。相手にするとひどい目に遭うからだ。
「それよりもわたくしの華麗なる活躍を見てほしかったですわ! 今度わたくしのテニスラケットを振る姿を堪能してくださいまし!!」
カンネは立ち上がるとラケットを振るそぶりを見せた。本当は素手での殴り合いが好きだが、テニスなどの球技も好きだ。そもそもカンネがなぜテーブルについているのか理解できない。単純にラタジュニアと一緒にいたいだけだろう。
「そうだ、エスタトゥア。お前に紹介したい人がいるんだ。おーい!」
ラタジュニアがいきなり声をかけた。従業員用のドアが開く。おそらく待機していたのだろう。そこには筋肉ムキムキのホビアルと、料理人のエルフグリンディだった。
「こんばんはッス! 今日はエルの頼みで来たッス!」
「初めまして。オアシス商会の会長、グリンディです」
ホビアルは両腕を下げてモスト・マスキュラーのポーズを取った。グリンディは我関せずに頭を下げて挨拶する。
「今日からお前の身体を鍛える先生だ。ホビアルが筋力トレーニングを教えて、グリンディさんが筋肉を作るためのメニューを作ってくれるよう頼んだんだ」
「チョッ、何いきなり決めてるんだ!!」
ラタジュニアの言葉にエスタトゥアは憤る。あまりに突然なので混乱しているのだ。
「大丈夫ッス! 筋力トレーニングをしたら自分みたいにムキムキになることはねぇッス! 身体を引き締めるために必要なんス!!」
「わたしは一週間ほどきみにふさわしいメニューを作るの。それでここの料理人さんにもみっちり教えてあげるわ。あと季節によって食材も変わるから、その度に来るね」
「いや、あたしは筋肉に興味ないから」
エスタトゥアは慌てた。自分に関わりのない話と思っていたが、いきなり自分に話を振られたからだ。
「食生活は大事だよ。わたしの夫はオークなの。天照皇国出身で豚の亜人とは一味違う体型をしているよ。向こうでは納豆や豆腐などの調理が盛んだからきみの筋肉を育む食事を作ることができるね」
「いや、そんなことは聞いてないから!」
ちなみにコミエンソでも納豆や豆腐はある。グリンディの母国である妖精王国では菜食主義がほとんどなので、様々な調理ができる大豆の加工食品は人気があり、必需品でもあった。
「というかなんでこんな話になったんだよ。こいつらが売り込みに来たのか?」
「違うぞ。俺の意思で彼女たちを雇った。歌姫ボスケ様と舞姫オーガイ様に鍛えられたお前はかなり身体が丈夫になっている。だがまだ足りないのだ。筋肉をつけることで身体を皿に引き締める必要がある。これはブランコも承知してくれたから安心してくれ」
「そうか、それなら……いいわけあるか!!」
エスタトゥアは激高した。あまりに勝手すぎるので腹が立った。
「こいつは思い付きで決めたわけじゃないぞ」
ラタジュニアは真剣に彼女の目を見た。彼が思い付きで行動を起こすなどまれだと思い直した。
「今のお前は一部の金持ちに嫌われているんだよ。なにしろ歌姫ボスケに舞姫オーガイ、さらに装飾デザイナーのジュンコがお前をかわいがるんだ。それを妬む奴がいるんだよ」
近年のコミエンソでは芸能活動が活発になった。かといって芸能だけで食べられるわけではない。実はボスケは結婚しており、旦那は牛の亜人だ。彼はラタ商会の商業奴隷だった身で解放後は楽器店を経営している。ボスケの屋敷は数年後には音楽学校を開校する予定だ。なぜなら芸能だけでは一生涯に喰えないからである。旦那の商業奴隷に音楽の技術を身に付けさせ教師にするのだ。
その一方でボスケは多くの教え子がいる。月謝を払った商人や司祭たちの子供たちだ。出演料はたくさんもらっているが、将来のために屋敷を建てていた。ボスケは多数の教え子に歌を教える。一晩ではち切れんばかりの大金を稼ぐ彼女に習うことが重要なのだ。歌姫の弟子というだけで箔が付くのである。
オーガイも似たようなものだ。未婚だが彼女も踊りに関する店の経営を恋人に任せていた。
ところがエスタトゥアはえこひいきされていると思われていた。さらにオーガイやジュンコもいる。エスタトゥアの話はシンデレラストーリーと同じだ。ラタジュニアという売り出し中の若旦那に見初められ、偶然に目を付けられたと決めつけられていた。
実のところエスタトゥアとの出会いは仕組まれたものであり、ボスケらは過去にラタジュニアの父親に受けた恩を返すために近づいたのだ。それはイバラの道である。足の裏がボロボロになるほどのものだ。
「才能のない凡人は逆恨みをするものですわね。みっともないですわ」
「凡人は現実を見れない者でございます。もっとも才のある人でも視界が霞にかかるものですわ」
「まったくですわね、おーっほっほっほ!」
ザマの嫌味にまったく気づかない。段々カンネが哀れになってきた。
「よくわからないッスが、自分はエスタトゥアちゃんを鍛えるッスよ! そしてフエルテのように筋肉で風を生み出せるようになるッス!!」
「いや、エスタトゥアは声に力がある。しかし筋肉を鍛えればさらに声はよくなるだろう」
「そしてわたしの作るメニューでさらに綺麗な声になるよ。わたしが保証する」
ホビアルとグリンディが胸を張った。しかしラタジュニアは気づいていない。
ホビアルはコミエンソではある意味有名なのだ。さらにグリンディも料理人としても名の知れたエルフである。
そのふたりがエスタトゥアと関わるのだ。嫉妬の目はさらに強くなるのであった。




