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むき出しの悪意

 エスタトゥアは脱兎のごとく逃げた。後ろには荒々しい野犬共が鍬だの鎌だのを手にしている。

 口々に呪いの叫びをあげていた。気の弱い物なら胃が痛くなるほどだ。

 他の村人は関わりを恐れて、家の中にヤドカリのように頑なに引っ込んだのだ。


「コロスゥ、コロスゥゥゥ!!

 マジリモノナンカ、ブッツブシテヤルゾォォォ!!」


 先頭を走る男は口から泡を噴き出しながら、獲物を狩ろうとしていた。早く相手の白い喉笛を噛み切らねば気が済まぬようである。

 エスタトゥアは恐怖で背中が汗で濡れている。そのせいで衣服が鉛のように重くなっていた。

 走りすぎて息が切れそうだ。止まったら殺されてしまう。死の行進に掴まってしまったのだ。


 走りすぎて足が痛くなる。鎖を繋がれたように重くなってきた。

 汗が流れすぎて、体中の水分がすべて流れ出てきそうである。のどがカラカラだ。

 体中、熱した石炭をくべられたように、真っ赤になってきそうだ。気をゆるめば水蒸気爆発が起きてもおかしくなかった。


「ボオォォォォォォォ!!」

 

 男たちは追い続ける。途中で派手に転倒するものもいたが、顧みず、逆に踏みつけられる始末だ。

 エスタトゥアは村をうさぎのようにジグザグに逃げ回っている。建物の横をすいっと曲がったりした。

 大人には通れそうにない細い道に入ったりもしたが、追っ手はまったく止まらない。まるで巣を壊された怒れる蜂のようである。


(怖い! 怖い!! 怖い!!!

 なんで俺がこんな目に!?)


 エスタトゥアは心の中で呪いの言葉がこだまする。

 自分が住んでいた村では空気のように無視される程度だったが、ここまで殺意をむき出しにされたことなどなかった。まるで村に入り込んだ害獣を追い回すみたいだ。

 黒猫先生も亜人の風当たりの強さを教えてくれた。例えば過去に起きた事件を引き合いにしたりしたのだ。もっともその記録を読むのに苦労したが。


 ところが外に出ればこんな悪意の塊に襲われた。なぜ自分がこんな目に遭わねばならないのか。自分が何か悪いことをしたのかと自身に問う。

 怒りと理不尽さに心がどす黒くなっていく。こんな時にラタジュニアの顔が浮かんだが、すぐに消えた。思考よりも行動あるのみだ。

 とにかく走る。殺されてたまるものか。死にたくないんだ。エスタトゥアは生に渇望していた。それはラタジュニアと出会って初めて生まれた感情であった。


 やがて赤色の鎧を着た一団が前方に現れた。騎士たちだ。彼らは手に細長い冷たい輝きを放つ金属の筒を持っていた。

 それを水平に構えると、耳鳴りのする爆発音をたてた。そして鼻に刺すような痛みが走る。

 すると男たちは一斉に目をつぶり、身を猫のように丸くする。顔を抑え苦しんでいた。


 それはショットガンという代物であり、細かい骨の粒を広範囲にばらまくものだ。

 フエゴ教団が開発した秘蔵の品である。騎士たちにしか配布されない最終兵器だ。

 そのため男たちは視界を遮られ、うずくまるしかなかった。

 あれほど荒々しい男たちは一瞬で沈黙したかと思われた。そのとき!!


 男が一人手負いの猪の如く突進してきた。騎士たちの間を抜け、エスタトゥアに噛みついてきたのだ。

 男の手はエスタトゥアの首を鳥のように締めようとしていた。騎士たちは男を引きはがそうとしたが、スッポンのようにひっついて全く動じない。

 獣のように吼えながらエスタトゥアは首を絞められ、視線が暗くなり、意識が飛ぼうとしていた。


(死にたくない!!)


 エスタトゥアの脳裏にラタジュニアの顔が幻燈のように浮かんだ。

 あいつは自分を薄汚い村から連れ出してくれた男。あくまで自分のためだと言い切る行商人だ。

 商業奴隷にされたがその生活は楽園の如き、豊かなものであった。暖かい毛布に、温かい食事。熱い風呂などを経験した。もうあの村で生活などできなくなったと思う。


 恩返しがしたいわけじゃない。あの男に借りを作りたくないだけだ。

 心の中ではラタジュニアを慕っている。それを認めたくないから口では悪口しか出さない。座敷犬が自分の体格より大きいものに吠えるのと一緒だ。

 照れ隠しだ。この年齢ではありがちな心情である。もちろん本人は認めないだろう。


 死ねば終わりだ。死後の世界など有無など知らない。

 だが借りを返さずに死ぬのはもっと嫌だ。まるであの男に負けた気になるからだ。根拠はない。漠然とした考えだ。

 負けてたまるか!! エスタトゥアは無意識に足を動かした。まるで鳥のように足が跳ねたのである。


 その蹴りは男の金的に当たった。男の急所がもろに蹴り上げられたのだ。

 電撃のような激痛が走りうめき声をあげ、締る手が緩む。それを好機と見たのか、騎士が男の身体を子供が遊ぶ玉のように蹴った。

 蹴とばされた男に、騎士たちが袋叩きにする。男はカエルのように潰され大人しくなった。


「大丈夫ザマスか?」

 

 せき込むエスタトゥアの前に黒猫先生が立っていた。

 彼女はまるで道端に子供が転んだので心配しているような様子であった。

 そして右手を差し出し、彼女の手を取った。その手は暖かかった。


 ☆


 教会のベッドにエスタトゥアは寝ていた。医者に診察してもらい異常なしと判断された。

 今は清潔なベッドの上で、お粥を食べている。味気ないので不評だが。

 四方は石の壁に囲まれ、窓は鉄格子がはめられていた。外部の敵から守るためである。


「あれは異常事態だ」


 教会の応接間でオルディナリオと黒猫先生が話し合っていた。

 部屋にはソファーが二脚、その間にテーブルが挟まれている。テーブルの上には紅茶が湯気を立てていた。


 他の訓練生は信者見習いが行っている。当初は蜂の巣を突かれたように騒がしかった。特に人間のイサベルは興奮していた。

 友達ではないが、身近にいた人間の安否を真剣に気遣っていたのである。それをなだめるのに信者見習いたちは苦労したようだ。

 オルディナリオはあまりの状態に頭を痛めていたのだ。頭に漬物石を乗せられた気分になる。


「前にフエルテを非難する者がいたが、あれほどではなかった。

 捕らえた村人は現在騎士の詰め所に入牢させてある。

 一体なんであんなことが起きたのかさっぱりだ」


「確かにそうですが、現実に起きているザマス。これはどういうことザマショ?」


「そうなのだ。この村には亜人が多く住み始めている。

 今更不満を爆発するなんて思いもよらなかったことだ。

 まずはその謎を解かなければならないな」


 オルディナリオはうんうんと唸り始める。

 まるでとんちを解く気持ちだ。専門知識に強くても臨機応変な対処が苦手なようだ。

 そこに黒猫先生がヒントを与えた。


「そういえば追っている最中に村人の一人があの子を混じり物と言っていたザマス。

 これがヒントになるのではないザマスか?」

「なんだって!? あの子は混血児だったのか。それは今初めて知りましたぞ!!」


 オルディナリオが声を荒げた。

 エスタトゥアが混血児であることにどれほどの問題があるのだろうか。

 実は人間と亜人の混血は外見ではわからないのだ。フエゴ教団本山でもその記録が残っている。


 これは教団の実験である。人間と亜人が子供を生んだらどうなるかの実験だ。

 結果として見た目が変わらないことが判明している。

 二百年近く、百近い亜人の村で、記録を付けられていたのだ。亜人全書あじんぜんしょと呼ばれ、過去に誰がどの種族と結婚したのかわかるのだ。

 人間とゴリラの亜人の混血児は片方の種族しか生まれないのである。


 例外的に亜人の混血児が子供を産んだ場合、祖父母の種族が生まれる場合もあった。

 犬とウナギの亜人の子供が、人間が生まれたのである。

 もっとも子供には両親の特性を若干受け継いでいることがあるのだ。

 そちらは母親がデンキウナギの亜人で、微量ながら電気を発することができるそうだ。


「エスタトゥアが混血児であることはあなた以外知らないでしょう。

 問題は誰が漏らしたか? おそらく村人たちを操った何かでしょうな。

 そうなると犯人はあいつらだ。エビルヘッド教団に違いありません」


 オルディナリオが納得する。忌々しそうに声を荒げた。

 彼が言ったエビルヘッド教団とは何か?


 それは邪悪なビッグヘッドであり、スマイリーなど人間を襲うビッグヘッドの親玉だ。

 世間一般では有名な話である。エビルヘッドは数年ごとに人間の住む村を襲撃するのである。

 巨象のような体格に牙を生やした存在だ。吐き出す歯は大砲のような威力を持ち、舌は林を薙ぎ払うほどの長さだ。


 それを崇拝するのがエビルヘッド教団だ。人間や亜人、ビッグヘッドの配下を統べている。

 そのうちの一つがエビルヘッド偶像化計画だ。主の偉大さを村から村へ伝えるのだ。

 英雄フエルテもその犠牲となった。フエルテを英雄に仕立てて自らを倒させたのである。


 これだけ聞くとエビルヘッド教団はなんて回りくどいことをするんだろうと思うはずだ。

 いったい何のためにそんな真似をするのか、さっぱり理解できないことだろう。

 だがそれはフエゴ教団の司祭以上のものなら理解できることなのだ。それは一般人にはわかりずらい話である。


「なるほど。では本山から催眠術師を呼び出し、逆行催眠で襲った村人の記憶を呼び覚ましましょう。

 犯人が誰かはわからなくても、どんな命令を受けたかわかりますからね」


 本山でも催眠術師は存在するようである。


「ですが問題はエスタトゥアザマス。今回の事件で彼女の心に深い傷跡が残ったザマス。

 これは我がフレイア商会の責任ザマス。わたしたちは彼女にそれ相応のものを贈るザマス。

 もっとも物で片づけるつもりはないザマス。心のケアは続け、責任を持つザマス」


 黒猫先生は真剣な目をしていた。エスタトゥアは大切な預かり物だ。商業奴隷といっても決して安くない代金を支払われているのだ。

 これは主もそうだが、奴隷本人もきちんと教育する矜持があるためである。


 後日、エスタトゥアの傷は癒えた。

 彼女の見た目は変わっていなかった。心の方は大丈夫そうである。

 これはエスタトゥアが暴漢の金的を蹴り上げたからだと思われた。

 敵を自分の力で撃退した自信のためであろう。


「俺は死なねぇ!! あいつに恩を返すまで殺されたって死ぬものか!!」


 お見舞いに来たイサベルが呆れていたのは言うまでもなかった。

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