社会見学
晴れた青空、雲一つなく風が爽やかに吹いていた。
現在エスタトゥアは大型のヤギウマが四頭で牽いている幌馬車に乗っている。他には同じ商業奴隷の訓練生たちがおしゃべりしたり、トランプで遊んだりしていた。
一方でエスタトゥアは頬杖をついてぼーっと外の景色を眺めている。
ゴトゴトと街道の石畳が鳴る音だけが耳に響いた。
現在彼女らは社会見学旅行の真っ最中である。黒猫先生が街道で目にするものをひとつずつ説明してくれた。
街道はすべてフエゴ教団本山につながっているという。大型の馬車がすれ違っても余裕のある広さである。
排水路も完備されており、脇にはイチジクやカキなど実のなる木が植えてあった。旅人が腹を空かせてもすぐ食べられるようにするためだ。だが必要以上もぎ取れば警邏中の騎士に職務質問されるので注意が必要である。
大抵はヤギウマ一頭で牽かれる馬車が多い。藁の山だの、大型の木箱だのが目立った。
中には歩きの旅人がおり、背中には大きなリュックを背負っている。腰には剣を佩いている者もいた。
どれもこれも埃だらけでボロボロのマントを着ていた。顔には防塵用のマスクをかぶっており、素顔がわかりずらい。
そんな中で赤色の鎧を着た一団があった。フエゴ教団の騎士団である。
彼らの仕事は街道の脇に植えてある、木に肥料を与えているのだ。家畜の糞を回収するのは別の役職の仕事である。
他にも立小便や用を足そうとするものを注意している。
教団は生理現象にも税金を取っているのだ。もちろん大した額ではなく、一回十テンパで済む。便所の扉に十テンパ硬貨《獣の骨で作られている》を特別な箱に入れるだけでいいのだ。
それを月に一度、騎士団が回収に来るのである。排泄物の回収は別の職種だ。
「現在フエゴ教団はお金がないザマス。だから取れるところで税金を取るようにしているザマス」
黒猫先生が説明してくれた。これでも現在はまだましだという。
初期はなんでもかんでも税金を取っていた。特に労働者たちからむしり取っていたそうだ。
子供が生まれたら税金を取り、死んでも税金。難癖をつけては税金を取っていたそうだ。
何しろフエゴ教団の司祭たちは特殊技能の持ち主だ。彼らの生活を向上するためには無知で力だけが自慢の汚らわしい人種たちを利用することにしたのである。
フエゴ教団本山の人間たちは箱舟の子孫だという。かつてキノコ戦争が起きた。この世界を一度荒廃させたおぞましい事件だという。
目が潰れる強烈な光に、皮膚を焼けただれるほどの熱を発したそうだ。その後巨大な点を貫かんばかりの灰色のキノコがにょきにょき生えたという。
その後はキノコの胞子により、すべての生き物はその毒に苦しめられた。あっさり死ねたものは幸福で、長生きした者は地獄の責め苦を味わったという。
百年前に箱舟の子孫たちが姿を現した。キノコの毒は彼らの住む箱舟にはまったく影響がなかったそうである。
そして彼らはフエゴ教団と名乗り、生き残った近隣の村々を襲撃した。そして村で一番偉い人間の子供たちを本山に連れて行き、嫁と一緒に帰らせた。もしくは娘は嫁としてそのまま暮らしたという。
フエゴ教団は神の教えを説いた。同じ村に住む者同士で結婚してはならないというお告げだという。
当然村人たちは反発した。よそ者の血が混じることを異常なまでに忌み嫌っていたのである。
だがフエゴ教団の神の力には抗えなかった。子供がナイフを持っても、素手の大人には叶わないのと同じだ。
こうして教団は次々と村を支配した。後に残るのはよそ者を嫌う者たちの涙である。
「そういや亜人も忌み嫌っていたな。でもここはちょっと違うみたいだ」
エスタトゥアは馬車の中を見回した。自分はゴールデンハムスターの亜人だが、人間だけでなく、イヌやネコ、ヒツジの亜人も目立った。
まるで童話に出てきそうな一面だ。だがこれは現実である。
☆
「さあ、皆さん着いたザマス。ここは英雄フエルテが生まれた村ザマス」
幌馬車はある村にたどり着いた。そこで黒猫先生が眼鏡をかけ直しながら説明してくれる。
村はまだ開発途中であり、舗装をしているものや、石の塀を作るものなどがいた。
石材やレンガなどを山のように積んだ馬車を牽くヤギウマも目立つ。まるで積み木のおもちゃを組み立てているように見えた。
「へえ、ここがエビルヘッドを倒したフエルテの生まれ故郷か。なんか発展途上って感じだね」
「まだ布教して八年しか経ってないからね。こんなもんじゃない?」
「だけど村人の顔は暗いなぁ。まだ他所から来る人間を毛嫌いしているんだろうな」
訓練生たちは好き勝手に思いを口にした。おしゃべりは金がかからない娯楽だからだ。
英雄フエルテ。邪悪なビッグヘッド、エビルヘッドを倒したというのだ。
ビッグヘッドはよく知らない。ラタジュニアに拾われたときに見たスマイリーが初めてだった。あの不気味な怪物のボスだというから納得だ。
ビッグヘッドというのは巨大な酒樽みたいな人間の頭部に、手足がくっついた怪物である。見慣れてないと心臓が止まりそうなほどのおぞましさだ。
人間だけでなく、何でも食べる。それこそ鉄だのなんだのを食べてしまうのだ。悪食にもほどがある。
そして食べた物は目から排出するのである。それが涙鉱物となるそうだ。拳ほどの大きさで透明な膜に包まれているという。
ちなみに一般人が涙鉱石を摂取するのは禁止されている。取り扱いが難しいのだ。
逆に報告すれば金一封はもらえる。それを職業としたハンターがいるくらいだ。
フレイア商会が主に扱っている商品でもある。
エスタトゥアも話だけは聞いていた。もっとも紙芝居で知った程度である。
初めて見る紙芝居に軽く興奮したのは確かだ。
人間と亜人の混血児で、最初は村人たちに村八分にされていた。
それを司祭シンセロに救われ、同じく司祭で娘のアモルの杖となったのである。
「なんだかなぁ。家の軒下に人が集まって泣いているけどなんだろうな」
エスタトゥアは村の様子を見た。彼女の言う通り家の軒下で大の男が猿団子のように身を寄せて泣いているのである。
手には木で作られたジョッキを持っていた。おそらく昼間から酒を飲んでいるのだろう。
彼らは泣きながら己の身に起きた不幸を呪っていた。聴くものを不快にし、底なし沼に引きずり込まれそうな感じである。
「彼らは自分の子供たちがよそ者の娘と結ばれ、忌み嫌うべき鬼子が生まれたからザマス。
村八分にしたくても村一番偉い長老の息子が率先して教団から嫁をもらったのでどうにもならないザマス。
今までカメのような歩みの時間を過ごしてきたのに、いきなり背後から頭を殴られた衝撃を受けたザマス」
黒猫先生の説明にエスタトゥアは納得する。彼らの子供を見る目は憎しみの炎で燃えていた。
自分の孫でも別世界から来た精霊の取り替え子としか思えないのである。
魔物払いに子豚のように肥えた肌に焼き火箸を押し付けたいくらいだが、騎士団がそれを許さないのだ。
「ちくしょう……、フエルテの野郎、余計な真似をしやがってよぉ」
「まったくだ。そのせいでこの村によそ者が大勢押しかけてきやがった。まるで祭気分だよ」
「ああ、忌々しい。この村は呪われてしまったんだ。神の祝福は消え、悪魔たちが吹くラッパの音が鳴り響くようになっちまった」
村人たちは嘆いていた。いきなりの変化に対応できず、教団に対する呪詛を口にするしかなかった。
その内赤色の鎧を着た一団が駆け寄ってきた。手には木製の棒が握られている。
労働を放棄した者たちに刑罰を与えに来たのだ。おかげで彼らはボコボコにされ、顔を血まみれにして帰宅する羽目になる。
☆
「やあ、皆さん!! 私はこの村を管理する司祭オルディナリオと申します。
以後お見知りおきを」
エスタトゥアたちは石造りの立派な教会にやってきた。そこで一人の司祭が挨拶する。
ぼっちゃん刈りに分厚い眼鏡をかけていた。鼻が高く、出っ歯であった。
小柄で猿のような印象を受ける。だが醜いというわけではなくどこか愛嬌があった。
エスタトゥアたちは馬車から降りた。初めて見る村の様子に目を動かしていた。
プリメロの町に比べれば規模は小さいが、ラタジュニアと一緒に行った村とも違っている。
村によって文化が違うことに感動を覚えていた。
「はーい、オルディナリオ様。ここはフエルテ様の出身地なんですよね。でも村人はあんまり歓迎してないみたいですけど、どうしてですか?」
人間の少女が手を挙げた。イサベルである。オルディナリオはにっこり笑って答えた。
「それはね。彼は人と亜人のハーフだからです。人間たちは亜人を忌み嫌っており、混血を異様なまでに憎悪するのです。
彼らにとってフエルテは英雄ではなく、魔王の使い魔なのですね。もちろん嫌うどころか、存在そのものすら否定しております。
さらに現在はラタ商店やフレイヤ商会の支店があり、亜人たちが大勢雇われています。一部の村人たちは精神的に追い詰められています。そう背後にいるような……」
オルディナリオはぷるぷると震えながらエスタトゥアたちの背後を指さす。
そこには鍬や鎌を持ち、目を血走らせ、青筋を立てている村人たちがいた。
彼らは前方にいるエスタトゥアたちを手負いの獣のように睨んでいる。
「教会の中に入れ!!」
オルディナリオが叫んだ。他の信者たちも素早く訓練生たちを教会の中に避難させる。
村人の一人が黒猫先生に殴りかかるが、ひらりと蝶のように躱してしまう。
そしてバック転をしながら、村人たちを翻弄していた。
「ありゃ?」
そんな中、エスタトゥアは孤立していた。イサベルたちはすでに教会へ避難している。
彼女だけ逃げ遅れてしまったのだ。これには唖然となった。
村人はそれを見て鎌を振り上げる。蟷螂の斧もか弱いハムスターには致命的だ。
「死ねぇ!!」
村人は口から泡を吹きながら、エスタトゥアに襲い掛かる。彼女はなんとか躱し、村の中へ逃げていった。
「エスタトゥアさん! 必ずあなたを助けるザマス!!
だからうまく逃げ切るザマスよ!!」
黒猫先生の叫び声をエスタトゥアは走りながら聞いていた。