落とし前の水泳大会が承認されました
エスタトゥアは6畳半の座敷に正座させられていた。ここはガマグチ一家の屋敷である。
木造の建物だ。多少の風が吹いてもびくともしないようにできている。
彼女は反省させられていたのだ。当然である。ガマグチ一家の代理であるナガレの頭を棒で殴ったのだから。
その理由も支離滅裂であった。昔ラタジュニアの父親ラタがアオイを救ったのが気に喰わないという非人道的なものだから。
現在、表は大騒ぎである。エスタトゥアはオロチマ村のクチナワ一家の客分であった。
そいつがガマグチ一家に喧嘩を売ったと受け止められている。
そのために若い衆が武器を持って殴り込みにいこうとするのを、元締めのガマグチ親分が止めている最中であった。
「なんでこんなことになったのか?」
エスタトゥアは自問する。クチナワ親分の話を真に受けた自分が悪かったのだ。
第一自分の言ったことも忘れる痴ほう症の老人のいうことなど聞くべきではなかった。
なのにエスタトゥアは自分がいいことだと思い込んだのである。
覆水盆に返らず。もう彼女が何を言ってもおしまいなのだ。
すると襖が開いた。一人の女性、というより少女が入ってきた。
それは小柄な体で紺色の半被に白い短パンを履いていた。
青髪のおかっぱ頭で、肌は黒い。目はくりくりと大きく、鼻は低く、口は大きい。
小柄にも似合わず乳房は不釣り合いに大きかった。まるで水風船を胸にしまっているように思える。
「ワイはアマでんねん。ガマグチ一家の末っ子や。よろしゅうたのんまっせ」
アマがエスタトゥアに挨拶した。どこか勝気な口調である。
「そのしゃべりはなんだよ?」
「こいつはツナデ村の方言でんがな。うちのお母はんがツナデ村出身なんよ。
なんでも昔はカンサイジンとかゆう集まりやったみたいまんねん。
もっともつこうとるのはここじゃワイくらいなもんでんがな」
なんともおかしな喋り方だが、アマは真剣な顔でエスタトゥアを見る。
「あんさん、自分が何したかわかっとるん? ワイのあんちゃんをどついたんやで。
しかもアオイのあねさんの客分としてや。みんなジライア村とオロチマ村の代理戦争ゆうとるんやで。
もう村中、右へ左への大騒ぎや。おかげで仕事もはかどらん一方やで。
それであんさんはどない責任とってくれるんや?」
「働くよ」
エスタトゥアはきっぱりと答えた。その答えを予測してなかったのかアマは一瞬驚いた。
「働くってなんや? ワイらの損失を補償するって意味なんか?
せやけどあんさんはエル商会の商業奴隷なんやろ? 勝手なことしてええんかい?」
「仕方ないさ。旦那様ならわかってくれる。どうせなら俺がここの奴隷になってもいい」
「なにゆうてんねん。あんさんはアホやね。一人働いたくらいでワイらが失った銭は戻らんのやで?
働くにしても毎朝誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝る。
飯も便所も手短にする。娯楽なんか一切みとめんでんがな。それでもええんかい?」
「ああ」
まっすぐに見つめるエスタトゥアに、アマはやれやれと首を振った。
「どうやらあんさんは覚悟を決めとるようやね。安心したわ。
普通は責任とれいうたら土下座して謝るもんやが、さすがや。
やっぱりラタジュニアはんとこの丁稚はしつけがよう行き届いててうらやましいわ」
アマの口調が柔らかくなる。どうやらエスタトゥアを試していたようだった。
アマは彼女の正面であぐらをかいた。
「さああんさんも楽にしいや。緊張してはしゃべれるもんもしゃべれんしな」
そういってエスタトゥアは正座を崩した。たった一時間程度なのに足がしびれて動けなくなった。
アマは女中に命じてお茶を持ってこさせる。
湯呑には熱々の緑茶が淹れられており、お茶請けに最中もついていた。
アマは最中をもしゃもしゃ食べ始める。
「正直ゆうとな。ナガレのあんちゃんではジライア水運を任せられんのよ。
あんちゃんは気が弱い男なんや。身体ばかりはでかくても蚤の心臓なんよ。
うちの連中、シロアゴのアホどもはあんちゃんを利用して悪事を働く始末や。
今回の件であんちゃんの信頼は地に落ちたも同然や。あんさんみたいな子供にどつかれたんやからね。
せやかて今回の一件であんちゃんは自分で無理とわかったやろ。あんちゃんは手先が器用でツナデ村の職人顔負けの腕を持っとるんや。
コミエンソで細工職人の婿養子になり、そちらで腕を磨いてほしいんよ」
アマは兄の不甲斐なさを告白しつつ、兄の身の上を案じていた。
「そういえばうちの旦那様は昨夜どうしていたんだろうか?」
「ああ、あれはワイが止めたんよ。第一ラタジュニアはんのおとんが怒鳴るんは当然や。
商人が自分の荷物を三度も台無しにされて怒らんはずないねん。
あんたんはアホ共にけしかけられたんよ。もう情けなくてしにとうなるわ」
あとはエスタトゥアの知る通りである。
ラタジュニアとカンネはアマの誘いで知り合いの宿に泊めてもらった。
ノミの亜人が経営しており、名はサスケという。100年前にインセクト村というノミの亜人が住む村から嫁に来た血筋だそうだ。
村長ほどの力はないが、ある程度の影響力があり、ラタジュニアたちを守ってくれたという。
もっとも彼が港を散歩していたところをナガレに見つかり、今に至るという。
ちなみに昨夜エスタトゥアとザマに矢を放ったものたちはフエゴ教団の騎士団に捕らえられた。
全員ナガレの命令だから無罪だと主張したが聞き入れられなかった。
彼らはナガレの名前を利用し、悪事を働いていたのだ。
無銭飲食や、恐喝などを繰り返していたのである。それらはすべてナガレに責任を押し付けようとする腹だったが、騎士団には通用しなかった。
全員矯正奴隷としてオラクロ半島に送られるという。もう彼らがこの地に帰ってくることはないのだ。
「問題はあんさんやね。その件については今日うちのおとんにアオイさん、ツナデ村のベンテンの姐さんが話をつけることになったんや。
まあワイの予想やと十中八九、アレになるとにらんどるで」
アマの言うアレとはなんであろうか。エスタトゥアにはわからない。
☆
「というとクチナワの親分さんは知らぬ存ぜぬの一点張りでございますか?」
三角湖の真ん中にある小島。もっとも島というより大きな岩が水面に出ている程度だ。
そこには鳥居が立っている。
その近くに屋形船が浮かんでいた。
船はカワウソの亜人である船頭が動かしている。編み笠を被り、周囲を警戒していた。
その中にはアオダイショウの亜人であるアオイがいた。背後にはヘビの亜人の男が控えている。
彼はクチナワ一家の番頭であった。
正面にはヒキガエルの亜人であるガマグチ親分があぐらをかいている。
キセルを手にしており、吹かしていた。
こちらもカエルの亜人の男が控えている。
かなりの巨漢でアオイすら幼児のように見えた。
どっしりと腕を組む姿はまるで巨岩に見える。
左目は眼帯を付けており、一層強面に見えた。ちなみに年齢は40歳である。
「はい。おじい様はエスタトゥアさんにそんな話などした記憶はないとおっしゃいます。
ですが彼女と会ったことは覚えているそうです。気づいたら別の部屋にいたと驚いておりました」
「するってぇと、こいつはなにかい? クチナワの親分さんは誰かに操られとった。
嘘話をエスタトゥアという小娘に吹き込み、そいつは暴走してナガレの小僧をどついた。
そういうわけやね?」
その横にナメクジの亜人がいた。
ヤマナメクジの亜人、ベンテンである。ツナデ村の村長だ。年齢は40歳。
彼女の肌はぶよぶよしており、髪の毛はない。
額に二本の触角がついている。耳は人間と同じだが、鼻は低い。
山吹色の着物をきっちりと着こんでおり、正座していた。
その目付きは愚鈍どころか鷹の眼のように鋭い。視線だけで相手を狩ってしまうくらいだ。
こちらも背後にナメクジの亜人が控えている。彼女より身体は大きいが、迫力ではベンテンの方が勝っていた。
「そういうわけです。これはフエゴ教団の司祭様が協力してくださいました。
なんでも逆行催眠というらしく、調べてくださいましたね。
それによるとおじいさまはでか頭に操られたことがわかりました。
エスタトゥアさんに嘘の情報を教えるのが目的だったようです」
「でか頭……。エビルヘッド教団、略してエビット団か。
あいつらの悪行はフエゴ教団から教えてもらっちゃいるがね。
実害としては笑うでか頭に村の者や旅人が喰われる被害が多いが、人に催眠術を書けるなんて芸当ができるとは思わなんだ」
「そのようです。ここ近年で英雄フエルテが話題になっているでしょう?
エビット団の神、エビルヘッドが倒されたからです。かつて百年前に村を荒らした邪悪なでか頭。
そいつが倒されたためにエビット団が活性化したとの話です」
「あたいもそれは聞いているよ。あいつらの話は難しすぎてあかんわ。
まったくフエゴのガキどもも余計な知恵を授けてからに、頭がごちゃごちゃやで。
せやかてあいつらの医療で子供たちがすこやかに成長できたからどっこいどっこいやね」
アオイはこの中では一番若い。それ故に年齢と経験を積んだガマグチとベンテンの放つ気迫に負けそうになる。常人なら小便を漏らしてもおかしくなかった。
だが彼女は耐えきった。これだけでも非凡ではないのである。
さて問題はエスタトゥアの行為である。彼女はクチナワ一家の客分だ。
それをガマグチ一家のナガレを殴ったのである。これは問題だ。
三人のトップが納得しても村人たちは納得するはずがない。
ここはどう落としどころを探るかが問題である。
「やはり、あれをするしかないねぇ……」
ベンテンがつぶやいた。
「アレ、ですか」
「アレだな」
アオイとガマグチも口に出す。一体あれとはなんだろうか?
「この島、三すくみ岩において、落とし前の水泳大会を開く。
調停はこのあちき、ベンテンが務めさせていただきやす。
お二方、よござんすね?」
二人は揃って頭を縦に振るのであった。




