クチナワ親分は曖昧な状態でした
「ブランコ! なんであんたがここにいるんだ!?
それよりなんで白い身体が蒼くなっちまったんだ!!」
エスタトゥアはすごく驚いた。自分の村が盗賊、実際は人食いの獣人族に襲撃されたときよりもだ。
一方でアオダイショウの亜人は落ち着いたままであった。
しばし考え事をした後、にんまりと笑う。まるで赤ちゃんを見るような目つきだ。
「あたしはアオイ。クチナワ一家を預かるものです。ブランコというのはエル商会に勤める方でしょう?
彼女とあたしは従妹同士なんですよ」
アオイの告白にエスタトゥアはまた驚いた。確かに従妹なら似ていてもおかしくはない。
だが彼女は色違いなのだ。ペンキで青く塗ったと言っても信じるだろう。
もし隣にブランコを並べれば誰もが色違いだと答える自信がある。
「話は後だ。今はそちらの黒豹さんの手当てをしなくてはならない。あんたたち彼女を丁寧に運ぶんだよ」
アオイは若い者に指示して担架を用意させた。ザマは担架に乗せられ、エスタトゥアもついていった。
エスタトゥアが来たのは大きな木造の建物であった。クチナワ一家の本拠地である。
二階建てで部屋の数が多い。女中たちがせわしなく働いている。
外では荷の積み下ろしが行われたり、村人が獲った魚を運んで来たりしていた。
ザマは一階にある部屋に寝かされた。蛇の医者が来て刺さった矢を抜く。
ザマはうめき声をあげなかった。
大したものだとエスタトゥアは感心する。
「矢に刺さるなど日常茶飯事です。一番危険だったのは頭に矢が刺さったときですね。
三日三晩昏睡していたそうですよ」
ザマは世間話のような気軽さであった。それを聞いたエスタトゥアはナトゥラレサ大陸に恐怖を抱く。
向こうに住む人間はザマみたいな人種なのだろうかと。
カンネも高慢な態度を取っているが、どこかずれていると思いだした。
「おお、お客さんかね?」
そこに一人の老人が現れた。蝮の亜人で、背が弓のように曲がっており、杖を突いている。
半纏を羽織っており、視線は定まっておらず、なんとも頼りなさげであった。
部屋に断りもなく入り、どかっと胡坐をかいた。
「儂はクチナワ。ここの頭じゃよ。ふぉっふぉっふぉ」
「えっとお初にお目にかかります。エスタトゥアです。
コミエンソのエル商会で商業奴隷をやってます」
エスタトゥアは慌てて挨拶をする。
クチナワと名乗る老人は楽しそうに笑った。その発言にエスタトゥアは首を傾げる。
確かここはアオイという人が頭ではなかっただろうか?
「そうかそうか。エル商会か。まったく聞いたことはないが商業奴隷とはまた大変じゃのう。ふぉっふぉっふぉ!」
「はぁ……」
エル商会など知らないと言われた。これは初めてだ。
もっとも遠いところでは店の威光など届いてないのだろう。
だがもっと驚愕する発言が飛び出したのだ。
「ところでお前さんはどなたでしたかのう?」
「え? 今私はエスタトゥアと名乗りましたけど……」
「そうだったかのう? すまんが初めて耳にした名前じゃよ。ところでお前さんはどなたでしたかのう?」
「いやさっき自己紹介しましたよね。私はエスタトゥアです!!」
「ところで儂は誰だったかのう? 早く家に帰りたいのじゃが、道を教えてもらえんかのう?」
エスタトゥアは初めて老人の異常性に気が付いた。
先ほどから自分が話したことを片っ端から忘れている。
確か痴ほう症というものだと、エル商会で習ったことを思い出した。
「おじい様。こんなところにおりましたか」
そこにアオイがやってきた。なんとも渋い顔である。
おそらく客人に対して無礼をしたのだと推測したのだろう。
「おおアオイではないか。するとここは儂の家じゃったか。すまんすまん」
クチナワは頭を下げた。すると彼の眼が輝き始めた。
蝮の亜人らしく、獲物を逃がさぬ鋭い視線を向けられ、エスタトゥアは怯む。
「そちらのお嬢さんはエスタトゥアさんじゃたな。エル商会の商業奴隷とはまたすばらしい縁に恵まれたのう。
あそこの会長の父親は儂の古くからの恩人なのじゃ。そうでなければアオイは死んでおっただろうよ。
そちらの寝ているお嬢さんは見たところナトゥラレサ大陸育ちと見たな。足に矢を刺されたくらいでは心は折れんので安心なさい。ではの」
クチナワは一気にしゃべった後部屋を出て行った。
先ほどの曖昧な態度を一変し、ぺらぺらしゃべるのが不気味である。
女中の蛇の亜人がやってきて、彼の手を引っ張っていった。
「すまないね。うちのじいさんはボケているんだ。あたしに跡目を譲った二年前からああなっちまったのさ。
でも完全に曖昧じゃなくて、今みたいにあたしが話しかければ元に戻るんだよね」
アオイは首を横に振る。家族が痴ほう症になったストレスは尋常ではないだろう。
もっともフエゴ教団の司祭くらいなものらしい。大半は痴ほう症になる前に亡くなるのがほとんどだという。
教団がもたらす医療技術でも平均寿命は六十を超えにくいそうだ。
「さて改めて自己紹介させてもらうよ。
あたしはアオイ。クチナワ一家の元締めだ。基本的にはオロチマ村の村長みたいなものさ。
普段は漁業の網元でもあるんだが、十数年前にジライア水運から船を譲ってもらってね。
オロチマ水運も手掛けているんだよ。迷惑な話さ」
そういうとアオイは慌てて口を閉じた。思わず本音が出てしまったのだろう。
エスタトゥアは聞かなかったことにした。
それを見たアオイは彼女のしつけの良さに感心する。
「こちらこそ初めまして。エスタトゥアと申します。エル商会の商業奴隷です」
「エル商会……。ラタジュニア殿の経営する店だね。ジライア村の馬鹿どもが暴走して申し訳なかったよ」
「いや、頭を下げないでください。というかあまり現状が理解できないんですよ」
その通りである。突発的な出来事が畳みかけてきたため、彼女の脳はパンパンであった。
「あいつらはジライア水運のはみ出し者さ。基本的に真面目な人が多いのだが、あいつらは怠け者で、そのくせうちを泥棒呼ばわりする連中なのさ」
「泥棒ですか?」
「そうさ。先ほどのジライア水運の船が出ただろう。あれは十数年前にガマグチ一家の親分さんがよこしてくれたんだ。
水運業を一手に引き受けたから従業員の奴らが調子に乗り出してね。客に対して横柄な態度を取るようになったんだ。俺たちがいなければ荷は運べないんだぞと荷を台無しにしても謝罪もしなかったらしい。
それに危機感を抱いたガマグチ親分がうちのじいさんに十隻あるうち、三隻をうちによこしたのさ。
その署名にはツナデ村の村長ベンテンさんが立ち会ってくれたんだよ。
おかげでうちも水運業をやる羽目になったが、手抜きはしない。きちんと誠実に接客しているがね」
確かにその通りであった。オロチマ水運の従業員たちは親切で、仕事も丁寧だった。
一方でサルティエラのみだがジライア水運の態度はひどかった。
しかもラタジュニアに絡んでいたから意味が分からない。
「ガマグチ一家の一部ではそのことを今でも不服と思っているんだよ。
自分たちがいばれず、客に媚びを売ることに腹を立てているのさ。
ガマグチ親分の息子であるナガレは気が弱くてね。少数派におだてられてうちを敵視しているのさ。
これなら妹のアマのほうが跡継ぎにふさわしいね」
アオイは不満をぶちまけた。よほど彼らの嫌がらせがひどいのだろう。
まじめに働かず、相手へ嫌がらせをする時点で終わっている気がする。
さて挨拶はそこまでにしてエスタトゥアは客分として扱われた。
サルティエラの宿に出た食事を出してもらった。
米の飯に味噌汁、ブルーギルの煮物が出された。
パンに慣れた身としては米の飯は不思議な食感であった。
ちなみにザマは普通に食事をしている。ケガのうちに入らないと言い切っていた。逆に大量のウシガエルの足の肉を食べていた。野菜サラダもモリモリ食べている。
ボール一杯のキュウリにトマト、レタスなどの野菜がぺろりと消えていく様はたまげたものだ。
ラタジュニアたちの件はアオイが責任を持つという。
アオイは彼の実力を知っており、ナガレやチンピラ如きでは相手にならないと太鼓判を押していた。
それに伝令によればすでにラタジュニアたちはガマグチ一家の客分になったそうだ。
息子のナガレは反発したが、妹のアマが取り仕切ったそうである。明日にでもなればすぐに会えるとのことだ。
そして夜が更けてエスタトゥアは二階に通された。寝間着を用意され、布団が敷かれる。
サルティエラでも使った布団なので慣れていた。あとザマは一階の部屋で寝かされている。
エスタトゥアは窓の近くで夜空を眺めていた。雲一つなく、星がきらめている。
下を見下ろすと蛇の亜人たちが大勢で賑わっている。
もちろんカエルやナメクジの亜人もいるが、彼らはクチナワとガマグチ一家の喧嘩など意にも返していないようだ。
赤提灯が並び、若い娘たちが旅人相手に客引きをしている。伝法な口調で商品の売り込みをしているものもいた。
かなり活気のある風景である。
「まったく災難ばっかりだな。これもエビット団の仕業か?」
あまりに理不尽なことが多いので、彼女はエビルヘッド教団の関与を疑っていた。
相手がただ嫌がらせをするだけならともかく、彼らは神応石と呼ばれる不思議な物質を利用している。
本人や周りの人間の感情に応じる石らしい。その力は石を持つ者に不思議な力を与えるという。
ラタジュニアのトゥーススキルもそうだ。こちらは十歳の頃から修業をして身に付けたという。
普通なら歯が伸びるなどありえない。それをラタジュニアは自身がカピバラの亜人であることを利用し、歯が伸びる力を手に入れたそうだ。
どんな努力をすれば歯が伸びるようになるのかは、知らない。知りたくもなかった。
「ちょっといいかね?」
いきなりクチナワが部屋に入ってきた。十歳とはいえ女性の部屋に入るのは不躾だと思ったが何も言わなかった。
それに目付きが鋭い。曖昧な状態でないことは一目瞭然だ。
「えっと、こんばんは。何か御用ですか?」
「うむ。お前さんに話しておきたいことがあるのじゃよ。それはガマグチ一家がなぜラタジュニアを憎むのかをな。
連中は恨んでおるのじゃよ。ラタジュニアの父親ラタが昔我が孫を救ったことをな」
「どういう意味ですか?」
唐突な告白にエスタトゥアは目を丸くした。
「アオイは十数年前にがけ崩れに遭ったのじゃよ。それも儂の息子夫妻も一緒にな。
息子たちは即死じゃったが、アオイだけはラタ殿に救われたのじゃ。
そして今に至る。アオイは儂以上の器量でクチナワ一家を盛り立ててくれておる。
それをガマグチ一家のバカ息子ナガレが憎んでおるのじゃよ。ラタ殿がアオイを救わなければ自分たちの事業は守られたとな」
なんとも理不尽な話である。やり手の娘が非難され、さらに命の恩人であるラタが不条理な非難を受けているのだ。
エスタトゥアはなんとなく怒りがこみ上げてきた。
それに昼間ガマグチ一家に襲われたこともある。
彼女の心の中ではガマグチ一家の評価は最下位になっていた。
「!? はてここはどこじゃのう? 儂はなんでこんなところにおるんじゃ?」
クチナワがきょろきょろと部屋を見回していた。
いつもの曖昧状態になったのだろう。エスタトゥアは部屋を出るよう促した。
クチナワが去った後布団に潜り込んだ。
そしてガマグチ一家に対する憎しみが沸いてきたのである。
ああ、もしここにエスタトゥア以外の人間がいれば、彼女は暴走することはなかっただろう。
それにクチナワが夜中に一人で彼女に会いに来たことも疑問視知るはずだったのだ。
そして水泳大会にも参加する羽目に陥ることはなかっただろうに!!
水泳大会なのに新キャラたちは東映映画に出てくる任侠物になってますね。
当初はガマグチ親分の味方になる予定でしたが、変更にしました。
読者どころか作者すらも予測できないストーリー展開を楽しんでください。




