カンネお嬢様もアイドルを目指すようです
「わたくしと勝負しなさいな!!」
早朝、宿で食事中のラタジュニアとエスタトゥアの前にカンネがやってきた。
宿は木造の二階建てである。一階は食堂と酒場を兼ねており、二階は寝泊りできるようになっていた。
ちなみに宿屋は人間の夫妻が経営しているが、亜人に対しては普通である。
朝食のメニューは白米に、豆腐とわかめの味噌汁。ブラックバスの塩焼きに納豆というものだ。
これはイザナミの祖母がニホンから来た観光客で、そちらから伝わった食事だという。
ちなみに味噌や納豆の原料となる大豆はミカエルヘッドから与えられ、製造方法も同じく伝授されたという。
サルティエラ自身はこの地に古くから住んでいたが、複数の嫁をもらっていたという。
だが人を喰らうビッグヘッドや巨大化したエイリアン《外来種》たち。慣れない生活に亡くなっていったという話だ。
結果的に孫娘のイザナミだけが生き残り、塩の女王として今日まで君臨していたというわけである。
それはともかく、カンネの方に話を戻そう。
ラタジュニアたちは宴の後、宿に戻り一晩明かした。そして遅い朝食を取っていたのである。
そこへカンネが息を切らしながらやってきた。彼女は町の豪華な宿に泊まっており、ここから一キロほど離れていたためである。
そしてカンネはエスタトゥアを睨みつけ、右の人差し指を指したのであった。
「……勝負しろってなんだよ」
「それ以前に今は朝食を取っている最中だ。他のお客の迷惑になっているぞ」
呆れるエスタトゥアをしり目に、冷静に対処するラタジュニア。納豆かけご飯をかきこみ、熱々の味噌汁を飲んで流し込んでいる。
「もっ、申し訳ありませんエル様!! わたくし昨夜からずっと考えていたことがあったのです。
もちろんエル様を忘れたことなどありませんわ。ええ、一秒たりとも忘れたりしませんもの!! 例え魔女が幻惑の魔法を使って、わたくしの心を操り人形の如くもてあそんだところでわたくしのエル様の思いは決して上書きされることはありませんわ!!」
自己陶酔するカンネ。ラタジュニアは食事を続けながらも、カンネの話に耳を傾けている。
「つーか、あいつの話なんか聞くのかよ。どうせなら紙芝居の方が面白いだろう?」
「どんな話でもきちんと聞く。そうでないと他の人も俺の話を聞かないからだ。よその人が無視したから自分も同じことをしていいなどあってはならないのだ」
真面目だなとエスタトゥアは思った。そんな真面目を絵で描いた男がアイドルなんて冒険に出るなど到底信じられずにいた。
もっともエル商会で会計のブランコにいろいろ躾けられたからこそ、到達する答えであったが。
「お嬢様、お水でございます」
そこに黒豹メイドのザマが音もなくやってきた。そして水の入ったコップを差し出す。
カンネはそれを乱暴に取ると、一気に水を飲み干した。
「落ち着いたかい? では君が話したかったことを今一度私に話してもらえないだろうか?」
ラタジュニアは一人称を俺から私に変え、丁寧に訊いた。
カンネは満面の笑みを浮かべ、しゃべりだした。
「そうですわ、勝負ですわ! エル様はそこにいるハムスター娘を愛人になさっているのでしょう!?
そんなの許せませんわ! エル様を愛する者はわたくしひとりと決まっておりますもの。
でも、ザマなら一緒に加えてもよろしくてよ」
「恐悦至極にございます」
ザマはぺこりと頭を下げる。だが小さく舌打ちしたのをエスタトゥアは聞き逃さなかった。いい根性をしているなと思う。
ラタジュニアは右手を額に当てて、やれやれと言った。彼女らの漫才が耳障りになってきたのだろう。エスタトゥアも心の中で同情した。
「カンネ。エスタトゥアは愛人じゃない。アイドルだ。歌を歌いながら踊るこの世と剥離した妖精のようなものだ。
それに私に近寄る女性がすべて愛人になるのなら、ブランコも愛人の一人になるだろう?」
ラタジュニアに言われて、はっとなるカンネ。
「うぅぅ、そうなりますわね。ブランコさんはエル商会の会計。愛人になりうる可能性は十分に……」
「といいますか、すでに愛人になっているかもしれません」
そこにザマが爆弾発言を落とした。それを聞いたカンネはラタジュニアに詰め寄る。
「本当ですのエル様!? わたくしというものがありながらあんな年増の蛇女を愛人にするなんてひどいですわ!!
確かにあのざらざらした蛇肌は触り心地がよいかもしれませんが、わたくしのふわふわの毛並みも捨てがたいと思いますわ!!」
「もしかしたらふたりは肉体関係にあるかもしれません。さらにポニトというシマリスの女の子がいましたが、そちらと一緒に楽しんでいるかも」
「まあ! まあ!! まあぁぁ!!!」
ザマはさらに火に油を注いだ。カンネは興奮しきっている。ラタジュニアはザマを睨みつけるが、本人は涼しい顔のままだ。完全にカンネで遊んでいるのがわかる。
エスタトゥアは無視して朝食を食べている。
そこへ宿の主人、人間の禿げ頭で丸い鼻にちょび髭を生やした親父がやってきた。
揉み手をしながら愛想笑いを浮かべている。
「騒ぐなら出ていけ」
一瞬で鬼の形相になり、エスタトゥアはちびりそうになったのは内緒である。
☆
「なんということ!! わたくしだけならともかくエル様まで追い出すなんて!!
あの宿屋の主人は許せませんわ!! エル様はいずれこのオルデン大陸を支配する絶対王者!!
それを無碍もなく追い払うなど許せませんわ!! いつかあの店の権利を買い取り路頭に迷わせてやりますわ! いいえ、一切商売などできなくしてやりますわ!!
ええ、この世に生まれてきたことを死ぬほど後悔させて差し上げますわ!!」
カンネは興奮しきっていた。結局四名は食堂を追い出され、出入り禁止となった。
荷物もすべて持って追い出されてしまったのだ。
四名はイザナミの屋敷に来ていた。応接間に通され、畳の間に座布団を牽き、あぐらをかいている。
漆塗りのテーブルの上には湯呑が四つ、モナカやまんじゅうの茶菓子が置かれていた。
すべてイザナミの祖母が伝えた文化である。
「いや、全部お前のせいだろ。お前が騒ぐから俺たちまで巻き添えになっちまったじゃないか」
エスタトゥアは非難した。だがカンネは反省もせず怒鳴り散らすだけであった。
「なんですって!? 元はといえばあなたが悪いのですのよ!! あなたがハムスターの分際でエル様の愛人になるのが悪いのではありませんか!!
きっと夜にはあんなことやこんなことをして……、汚らわしい!!」
「汚らわしいじゃねぇよ!
だから愛人じゃなくて、アイドルだって言っているだろう!? お前耳の医者に行けよ!!」
「わたくしの聴覚はよい方ですわよ。百キロ先の蟻のいびきだって聞き取れますわ!!」
「蟻はいびきなんかかかねぇ!!」
「なんて屁理屈を! では蟻がいびきをかかないと証明してくださいな!!」
「証明しなくても、常識でわかるだろうが!!」
エスタトゥアとカンネの争いは続く。
ラタジュニアとザマはお茶を飲んでいた。中身は緑茶である。
肝心のラタジュニアは宿の主人に頭を下げ、迷惑料を支払った。宿の主人も原因はカンネにあるとわかっており、去り際に「あなたも大変ですね」とねぎらってくれた。
あくまで他の客に対する処置なのだ。
「ふたりは仲が良いですね」
ザマが言った。傍目で見たら喧嘩しているようにしか見えないのに、何を言っているのかと思われるだろう。
ちなみに彼女は座布団の上で正座をしていた。きちんと背筋を伸ばしている。
ラタジュニアはあぐらをかいていた。
「ああ、あんなにカンネがはきはきしているのは初めてだな。
俺と初めて会ったときはヤマアラシのように気を張り詰めていたのに」
「ナトゥラレサ大陸にお嬢様と対等に話せる人はいませんでした。
一応友達は用意されましたが、みんなお嬢様のご機嫌取りばかりでしたね。
エスタトゥア様のようにはっきりと物を言う人はおりませんでした」
「ハンニバル商会はナトゥラレサ大陸というより、闘神王国一の商会だからな。人間も亜人も関係ない、弱い奴は死に、強い奴が生き残る国だ。
例え跡継ぎでなくともハンニバルの名前は大きい。常人ならその重さに潰れて息絶えているところだな。カンネはそれに耐えきり自由にふるまっている。それ自体で非凡ではないのさ」
「その通りです。お嬢様に近づくものは大抵お嬢様の強さを傘にするものがほとんどです。
なるべく機嫌を損ねないよう、腫れもののように扱っておりましたね」
ザマはお茶を飲みながら、言い争う二人を見ていた。
「カンネ。お前はこう言いたいのではないか? お前もエスタトゥアと同じようにアイドルを目指したいと」
ラタジュニアが声をかけると、カンネはすぐに反応した。
「その通りですわ!! さすがエル様。すべてを口にしなくてもすぐに理解してくださる!!
知恵のために片眼を差し出し、首を括った神オーディンの如し!!
伝説の錬金術師、ヘルメス・トリスメギストスの如しですわ!!」
カンネはラタジュニアを褒めたたえる。神と同列されても困るが。
ラタジュニアは苦笑いを浮かべていた。
「いや、無理だろ!? アイドルなんてこの国じゃまだまだ受け入れる土壌じゃないんだろ!?
それにこいつの実家はすごいんだろ!? こいつの親父がそれを許すとは思えないぞ!!」
エスタトゥアが突っ込んだ。
「大丈夫です。旦那様は器の広いお方です。それに跡継ぎのバルカ様以外に眼中はなく、どこで野垂れ死にしようが、知ったことではないですからね」
さらっと毒を吐くザマ。だがカンネはまったく気づいていない。
「そうですわ! お父様は偉大なお人ですわ!! この世で二番目に愛しているお方ですわ!!
もちろん一番は大きく引き離してエル様でございますわ!!
その距離は空に浮かぶ月と、地を這うすっぽんの如しですわ!!」
カンネはくるくる回りながら踊っている。エスタトゥアたちはそれを無視した。
ラタジュニアはしばし思考の最中である。
「……エスタトゥアの力を抑えるには、緩和材が必要かもしれないな。
昨日みたいな出来事がまた起きるとも限らないし、試してみる価値はあるかもしれん」
ラタジュニアの独り言にエスタトゥアは首を傾げていた。
そこにヨモツがやってきた。屋敷の中なので灰桜色のマントは外し、素顔を晒している。
形の整った顔に、化粧をしていた。
髪を結い、紫鳳菫色の着物を着ていた。つる草でできた髪飾りに竹の櫛を挿している。
「皆さま、いらっしゃいませ。挨拶が遅れて申し訳ございません」
ヨモツは畳の上で正座し、丁寧に頭を下げた。その様子を見てエスタトゥアは呆気にとられる。
「あれ、ヨモツさん。その恰好は?」
「もちろん普段着ですよ。家の中ではこの格好です。私が肌を見せたいのは大衆の中だけで家族に見せるのは恥ずかしいですから」
昨日とは打って変わって恥じらいを見せるヨモツ。その差に内心驚きを隠せなかった。
むしろ大衆相手に見せる方が恥ずかしい気もするが、突っ込むのが怖いのでやめた。
「はしたないと存じますが、先ほど皆様のお話は部屋の外まで聞こえておりました。
それで先ほどイザナミ様と話し合った結果、ラタジュニア様に折り入ってお話がございます」
ヨモツは正座したまま、ラタジュニアの方を向く。愛称のエルを使わないのは私的と仕事の区別をつけるためだ。
「実は先月、この町にソルトスタジアムが完成したのでございます。建設に一年以上をかけ、五千万テンパをかけました。三万人近く収容できます。
そのこけら落としにプロ野球の試合を行います。
そこで始球式にエスタトゥア様を採用したいとのことです」
エスタトゥアは目を丸くした。
「しきゅうしきってなんだ?」
なんか今回はやたらと話が進まない回だった。ただこういう間の開いた話も必要だと思います。
確かに話を進めるのは大事だけど、遊びのない話は読んでいてつまらないからね。




