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歌姫との出会い

「うわー広いなぁ。ここがノースコロシアムか」


 エスタトゥアは感心していた。それは目の前に広がる光景を見たからだろう。


 それはノースコロシアムといった円形競技場である。北区にある娯楽施設のひとつだ。

 ここでは普段は野球やサッカーなどの試合が催しされていた。それらのチームはすでにラタ商会やフレイア商会などがスポンサーになっている。

 観客席は一万席ほどであり、客は親子連れに恋人同士など多種多様であった。


 屋根がないために雨が降ればイベントは中止になるのが難点である。

 それでも町より狭い施設に大勢の人間が集められた薪に思えてきた。

 そこから火が加わり、熱気が沸き上がってくるのである。


 エスタトゥアはラタジュニアに連れられてきたのである。ふたりとも席に座っていた。

時刻はすでに夜でコロシアムには電灯で昼並みの明るさを誇っていた。

 本日のイベントは歌姫ボスケのコンサートが開催されるのだ。

 

 ボスケはウシガエルの亜人だ。体格は牛ほどの大きさで、恰幅のいい中年女性だ。

 カエルの亜人なので目は丸くて黒く、鼻は平べったい。さらに口は大きくタラコ唇だ。

 とても姫と呼べるような人種ではない。だが彼女の歌は天上の歌声を称されていたのだ。

 チケットは最低でも二万テンパ、最前列だと五万テンパは取られる。

 だがここに来る客は金など気にしない。


「今日は歌姫の歌をよく聴くんだ。歌とはどういうものかを知るためにな」


 ラタジュニアは中央を指さした。そこはすでにステージが組み立てられている。

 その背後には楽団が控えており、今日の主役を引き立てるべき待機していた。

 もっともボスケの前に前座が三名ほど歌を歌っている。

 どれも人間の女性で二十代。見た目は美しい人形に見えた。綺麗な衣装で着飾っている。


「なかなかうまいもんだな」

「確かにな。だがボスケの歌声は前座の歌など消し飛ぶ勢いだぞ」


 前座の歌が終わるといよいよメインだ。ステージの上に巨躯の女が立っている。

 ウシガエルの亜人ボスケだ。

 髪の毛は天辺に縮れた毛が申し分程度に生えているだけである。

 着ている衣装はホルスタイン牛柄のドレスであった。ちなみに本物の牛はフエゴ教団の教皇か枢機卿しか口にできない貴重品である。


 ボスケは観客席に向かい、頭を下げる。

 そして楽団が演奏を始めた。聴いたことのない曲だが、なんとなく耳障りの良い音色である。

 その演奏に合わせてボスケが歌い始めた。


ボオォォォォォォォォ!!


 それは魂の震える歌声であった。

 遠い観客席にいるのにはっきりと耳に届いている。相当な音量だ。

 だが声が大きいだけではないのだ。まるで空気が振動しているように、エスタトゥアの体が震えていた。


 ボスケの歌は人生の歌だった。

 赤ん坊として生を受けたときは喜びを表し、すくすくと大人へ成長していく過程を唄う。

 そして結婚して子供を作り、その子供が結婚して孫が生まれる。喜びはますます強くなる。

 連れ合いと死に別れ、自分も息絶える。悲しみが続き、生への開放で終わりをつげた。

 人の一生をわずか三十分ほどの時間で歌い切ったのであった。


 エスタトゥアは本格的な歌は今日初めて聴いた。前座の女性たちの歌もなかなかよかった。

 だがボスケの歌は別格だった。心を揺さぶられる歌詞と曲であった。前座の女性たちなど月とスッポンである。

 楽団の演奏と融合し見事な音色を奏でたのである。天上の歌声といわれても納得できた。


 エスタトゥアの眼から涙がこぼれた。理由はわからない。

 おそらくこれが感動の涙だ。母親が病気で死んでも泣かなかったのに不思議だ。

 生まれて初めて泣いたと思った。


 ☆


「いい歌だったろ? 一流になるには一流を知るとね」

「ああ、すごい歌だったよ。でも俺になれるのかよ。あんたは俺の歌なんか聞いたことないだろう?」


 ここはコロシアムの休憩室だ。ベンチが何十台も置かれ、屋台が立ち並んでいる。

 しぼりたてのジュースや果実酒、甘いお菓子に酒のつまみになる干し肉や干し魚が売られていた。

 さらに簡易食堂があり、スパゲティだのパエリアだのピザだのを注文することができた。

 その中でラタジュニアとエスタトゥアはジュースを買って仲良くベンチに座っている。


「関係ないね。お前がたとえ音痴だろうが、問題はない。

 十で神童しんどう、十五で才子さいし、二十歳過ぎればただの人って言葉がある。

 子供の頃は神童と呼ばれるほど才能を持った人間も、成長するにしたがって平凡な普通の人になるってことだ。

 お前の場合最初は凡人、二十歳過ぎたらすごい人になると睨んでいる。俺の勘だがな」

「あんたの勘かよ。どうにも信用ならないなあ」


 エスタトゥアは呆れていた。ブランコ曰くラタジュニアは計算高い男だという。

 十二歳の時から市場の事情を念入りに調査していた。町にたむろする子供たちに小銭を与え情報を入手、そしてそれを利用して商店街にある店を乗っ取ることができたのだ。

 さらにその後のこともきちんと考えている。店主を説得し、自分の店に貢献させたのである。


 そんな男が海にも山にもつかぬアイドルというものを作り上げようとしていた。

 ブランコを初めとして、ラタジュニアを知るものはどうかしていると思われている。

 もっとも今のエル商会も当初は馬鹿にされていたが、父親のラタや、フレイア商会にフレイ商会の会長たちは太鼓判を押していた。

 それほど理路整然した思考の持ち主がばくち打ちみたいな真似事をしたのだから意外である。


「もしもし、ラタジュニア様でらっしゃいますか?」

 

 ラタジュニアは声をかけられた。それは人間で禿げ頭の背の高い男だった。

 異質なのはそいつらが六人もいることだ。ひょろりと背が高く、黒い背広を着て、黒いネクタイを身に付けている。

 全員同じ顔で、まるで亡霊のようであった。どれも顔は青白く、目つきは鋭かった。

 細長い身体で風が吹けば飛んでしまいそうなのに、柳に雪折れなしのようだ。


「ハンゾウ先輩じゃないですか。おひさしぶりですね」

「ラタジュニアもひさしぶりだな。今の我々はボスケ様のボディーガードです。実は我々の主からお出迎えするように命じられました。ぜひいらしてもらいましょう」

「え……?」


 男のひとりがたんたんと口上を述べた。感情はこもっていないが、有無を言わさぬ雰囲気がある。

彼らはラタジュニアとエスタトゥアを囲んでいる。相手を逃がすまいと睨んでいた。さすがのエスタトゥアもラタジュニアの背後に隠れてしまった。

 それにラタジュニアはハンゾウの顔を見て不思議そうな顔になっている。顔見知りらしいが、その人の現状に疑問を抱いている様子であった。

 二人はそのままボスケの元へ連れていかれた。


 ノースコロシアム内にある控室に二人は連れてこられた。

 廊下にはお祝いの花が置かれていた。まるで花の山だ。その中にラタジュニアの名前がある。

 ハンゾウたちはドアを開き、二人を部屋に招き入れる。


「あらあらあらら~~~、おひさしぶりです、エルちゅわ~~~ん!!」


 部屋の主が歓迎してくれた。ステージから見てもかなり大きかったが、間近で見ると牛のような迫力があった。

 それに腹部がでっぷりと膨らんでいる。だが不摂生には思えない。まるで子を宿す母親のような神々しさを感じるのだ。

 さらに声もでかい。鼓膜がぶるぶると震えていた。


「……おひさしぶりです。ボスケ様」

「あらららら~~~、様付けだなんて水臭いわ~~~。わたくしとあなたの仲じゃなくて~~~!?」


 ラタジュニアは挨拶する。どこか控えめだ。逆にボスケは馴れ馴れしい。二人は顔なじみのようだ。

 関係ないがボスケは歌うようにしゃべる。周りの黒服たちは無表情でボスケの背後に立っていた。


「ボスケ様と懇意なのは私の父親ラタです。私は子供の頃に一度会っただけです」

「あらあらあら~~~、出会った回数なんて関係ないわ~~~。

 大事なのはわたくしがあなたのお父上、ラタ様に返しきれない恩があるのよ~~~。

 若い頃、死にかけたわたくしをあの人は救ってくれましたわ~~~。

 なのにあの人は恩を着せず、そのくせ過去に救ったわたくしのことをすっかりと忘れていたことですわ~~~。

 困っている人を救うのは当たり前、まるで毎朝パンを食べるのと同じくらいですわ~~~」


 ボスケは感動の歌声をあげる。よほど彼女はラタジュニアの父親、ラタに感謝しているようだ。

 ラタの話は聞いている。行商人としてスタートし、一八年前にコミエンソで店を開いたというのだ。

 各地にある村で得た繋がりを利用して商売を成功させたというのである。


「ところでエルちゅわ~~~んが、新しいことをするとききましたわ~~~!

 そこにいるエスタトゥアという子をアイドルに育てるそうな~~~!

 そのためには歌の師匠が必要だとか~~~!

 ならばこのわたくしが一肌脱ぎましょうではありませんか~~~!」


 なんとボスケはエスタトゥアのことを知っていたのだ。

 どうやら彼女はラタジュニアの近辺を調査していたようだ。

 彼女はただの声が大きい女性ではないようである。


「本気で言っているのですか?」


 ラタジュニアは近くにいるハンゾウを見ながら難色を示した。

 なぜかボスケの提案を受けたがらないのはなぜだろうか。

 もっとも有名な歌姫を師匠にできるなんてありえないはずなのに。


「そもそもボスケ様は忙しいではありませんか。さすがに私の個人的事業に関わらせるわけには……」

「そんなことはありませんわ~~~!

 これはあなたに恩を返したいだけですわ~~~!

 でもラタ様は返させてくれませんわ~~~、だからあなたに返させてもらいますわ~~~!

 これはもう決定事項なので変えられませんわ~~~!!」


 ボスケは強引であった。有無を言わさず彼女は契約書を交わしたのである。

 週に二回、歌のレッスンを受けることになったのだ。

 月謝はもらうが一流の彼女にしては安すぎる金額にラタジュニアは顔をしかめる。

 北区にある屋敷に通うことになり、迎えの馬車が用意されるとのことだ。


「まいったな、まさかボスケ様が関わってくるとは。だからハンゾウ先輩が……」


 ラタジュニアは頭を抱えていた。どうもこの状況は彼にとってありがたいことではないようだ。

 エスタトゥアは悩む彼を見て驚いた。なぜ彼は苦い顔になるのかわからなかった。

 いつもの飄々とした態度と落差があった。

 それゆえにエスタトゥアは不安になる。ラタジュニアも自分の表情が彼女を不安にさせたと気づき、作り笑顔をした。


 その周りに人が集まっていた。先ほどの様子を早くも耳に入れたようである。

 中にはさすがラタの息子だと感心する者もいたが、大半は嫉妬の視線を向けていた。

 彼らはひそひそと話し、ラタジュニアをにらんでいた。


「あのボスケ様がたかが奴隷のガキに歌の稽古をするなんてな」

「あいつはラタの息子だ。父親の七光りで押し付けたんだろうよ」

「本当に貧乏人は馬鹿を見るよな」


 エスタトゥアは刺すような視線を見て、背筋が寒くなった。

 人間の悪意が人の心を針で突いたような感覚である。

 なんとなくだがラタジュニアが嫌がる理由がわかる気がした。

 しかしエスタトゥアは間違っていたのだ。ラタジュニアは別の件で難色を示したのだが、彼女はそこまで察することはできなかった。

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