桜散る頃
季節が移ろうごとに車窓からの景色もまた変わっていった。
冬に降る冷たい雨は晴々と上がり、桜が町並みに彩りをつける。僕は熱を孕んだ土のにおいを想った。
休日の午後、少し都会を離れるだけで車の数はぐんと減って、緑が多くなっていく。
車の通った風で、アスファルトに散ってしまった桜の花弁が再び舞う。
僕はそれをサイドミラー越しに見て美しく思う。
「もうすぐ桜も散る季節ですね。今年はお花見できなかったです」
北山さんは、残念です、と言ってため息をついた。僕は散ってしまった桜も十分に綺麗だと、サイドミラー越しにその光景を見詰めた。
「今日できるじゃないか、近くに川も流れていて綺麗らしいよ?」
「今日はお花見が目的じゃないですよ」
彼女は赤信号でスピードを落とし、交差点で止まった。
「わかってるよ。あと、ここ右折だからね」
「わ、わかってますよ」
彼女は慌ててウィンカーを出す。
絶対わかってなかったなと思った。信号が変わり、車は動き出す。
成二さんが亡くなって数ヶ月が過ぎた。
この数ヶ月間、僕と北山さんは彼の話をお互いに避けるようにしていて、それが返って不自然に思えていた。
このままではいけないことは二人ともわかっていた。だからそのきっかけを僕らは求めたのだった。
「成二さんのお墓、凄くいいところにあると思わない? 自然豊かだし」
「そうですね。ちょっと遠くて疲れちゃいますけど」
車で片道2時間。確かに遠い、でもこの遠さが僕にはよかった。車に揺られているうちに心の整理がつく。
「帰りは運転代わろうか?」
「大丈夫です。先輩が運転する方が私、疲れますから」
「そんなに下手かなぁ」
僕の運転技術はまったく成長していないらしい、下手だという自覚が全然ないのだけど。
彼女が運転して、僕が道を正すというのが、僕らの定石としていつの間にか成り立っていた。
「次の交差点右だよ」僕が言う。すると彼女はいつも不機嫌になる。
「なんで先輩が毎回言うんですか、私カーナビもちゃんと見てますし」
「北山さんはカーナビを見てても間違えるじゃないか」
「間違えませんよ!?」
いや間違えるじゃないか。
「命令されてるようで嫌なんです。だいたい、先輩より私の方が階級は……」
北山さんはそこで口ごもった。僕はニタリと笑みを浮かべて聞き返す。「階級は……?」
「……なんでも、ないです」
むう、と頬を膨らませる彼女も可愛らしい。
僕は今年の巡査部長昇進試験をみごと合格し、巡査部長となった。
つまり、
「僕と北山さんは同じ階級だよね?」
「……そうですよ、ニタニタしないでください。気持ち悪いですよ」
「まあ北山さんに、階級のことでもうこれ以上弄られることがないと思うとつい、ね」
僕はパワーウィンドウを開けて風を入れる。濃い草木のにおいがした。
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車が駐車場へと入る。同じく墓参りだろうか、数台の車がすでに停まっていた。
川の堤防沿いにある駐車場には、桜の木が並んで植えられている。
車を停めると、仏花と線香を持って車を降りる。川を吹き抜けるようにして、風が吹いた。
乱れる紙を北山さんは片手で押さえる。
桜が舞って川へと散っていった。
「ちょっと川の近くまで行ってみようよ」
「えー、お墓参りが先じゃないんですか?」
「ちょっとだけだよ。きっと綺麗だから」
「水が、ですか?」
「桜だよ、お花見したいって言ってたでしょ? 散ったあとの桜を見るってもの風情があっていいじゃないか」
「散ったあと?」
僕は駐車場から続く階段を降りる。彼女も僕についてきた。
河原にある石はどれも削れて丸くなっている。川の流れる音が耳に心地いい。少し肌寒くも感じた。
「先輩、待って下さい。散ったあとってどういう意味ですか?」
僕は川の淵でしゃがむ。「これだよ」
ちゃぷちゃぷと打ち寄せる水面には、鮮やかな桜の花弁が浮かび、花筏を作っていた。
「わあ……きれい……」
揺れる花弁はいつまでもそこに留まり続ける。寄り添い合うように固まって、流されまいと必死になっていた。
「僕はね、成二さんを恨むことができないんだ」
水面には花弁の隙間から、僕の姿が見え隠れする。そこに写る彼女は僕を見た。
「確かに成二さんは大きな罪を犯した。でも夏紀さんが死んだことで一番苦しんだのは、間違いなく成二さんだった」
「はい、それはわかります。でも新垣さんは、警察としての、人としての判断を誤ったんです」
「僕だって成二さんの判断が正しかったとは到底思えない。でも、もし自分に彼の言うささやきが聞こえていたら、僕は抗える自信がないんだ」
「……」
「成二さんは自分のことを操り人形だと称した。ささやきに従って動く操り人形だと」
川のせせらぎの中で魚が跳ねる。
「僕だって成二さんと変わらない。僕はずっと成二さんの真似をして生きてきた、成二さんに少しでも近づこうと」
僕も彼と同じ操り人形にすぎないのだと、真似して、真似して、それだけでここまできた。
「僕もつじつま合わせが随分と上手くなったと思うよ」
「……え?」どういう意味ですか? と彼女は小首を傾げる。
僕は立ち上がる。
「じゃあ、墓参りに行こうか」
──僕にも聞こえているんだよ、神様のささやきが。
その言葉を飲み下して、春の風を肌で感じた。
最後までお付きあいいただき誠にありがとうございました。
私の五作目となりました。これまでは短いものしか書いたことがなかったので、今回の執筆はいつも以上に疲れました。
途中でぐだぐだとなってしまったことが私としては残念です。しかし、ゆくゆくは長編を書きたいと思っていますので、いい機会になったのかなとおもいます。
ご感想、アドバイス等お待ちしております。