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連続殺人





 僕らが新垣夫妻と食事をご一緒してから10日後の朝、新たな事件は起こった。


 現場は繁華街から少し離れた裏路地だった。


 僕らが現場に到着すると、すでに規制線が張られ野次馬や警察関係者で雑然としていた。


「おう、お前ら、被害者の身元が割れたみたいだぞ」


「お疲れ様です、江波巡査長。被害者は女性らしいですね」


 成二さんのコンビである江波巡査長が声をかけてくる。


 現場付近には鑑識官が数多くいて今は近寄れそうにないため、僕と北山さんは彼のもとへ向かった。


「被害者の女は大森おおもり麻衣子まいこ、24歳だ。ここからすぐ近くのキャバクラで働いていたそうだ」


「キャバ嬢ってやつですか?」


「ああそうだ、その店ではNo.1だったらしいぞ、さっき見てきたがそうとう美人だった。まだ若いのにもったいないよ」


「へー、そんなに美人だったんですか」


「そんなことより現場状況を教えてください」


 北山さんが半目で僕を見ながら江波巡査長に言う。これだから男は、とでも言いたげな目だった。


「ああ。殺されたのは昨晩だな、胸を鋭いアイスピックのようなもので一突き。死因はそれによっての臓器不全ということだ」


「臓器不全ということは……先輩」


「うん、心臓、もしくは肺にまで凶器が到達してたことになるね」


「心臓だよ、まあおそらく犯人は男だろうな。いくら凶器が鋭いといっても、あそこまで深く刺すにはそれなりの力がいる」


「あと知識もな」


 そう言ってきたのは成二さんだった。今まで現場を見ていたのか、鑑識官とすれ違うようにこちらへと来た。


「心臓は左側にあるって一般的に言われているが、実際はやや左にずれてるってだけでほぼ中央に近い。その知識がないとあそこまで正確に心臓は貫けない」


「なにか手掛かりは掴めたんですか?」


「それがなぁ……まったくだ」


「えっ?」


「なにも残ってないんだよ、凶器はもちろん下足痕げそこんや指紋もな。昨晩はずっと雨が降っていたから流されたのかもな」


「……」


 成二さんがここまで「なにもない」と断言するのは珍しかった。それほどまでに周到な計画を練った犯行だったのだろうか。


 江波巡査長に、自分の目で見てこいよ、と言われ、僕と北山さんは捜査中の鑑識官を避けながら現場を見に行った。


 現場は建物の裏口の扉が一つあるくらいで、近くに別れ道などはない一本の通路だった。瓶や缶などのゴミが所々にあり薄汚れている。


 そもそも被害者の女性はなぜこんな所に来たのか、謎は深まる。


 僕と北山さんは遺体の側にしゃがみ手を合わせた。長い黒髪の綺麗な女性だった。


 彼女の首もとに巻かれた白いマフラーが雨水を吸って黒く変色していた。


「先輩、致命傷となった胸の傷以外、目立った外傷はないらしいですよ?」


「抵抗してないということか。うーん、急に襲われて即死だったのか、顔見知りの犯行だったのか……どちらにしても情報が少なすぎるね」


「聞き込みでなにか掴めるといいのですが……」


 僕らは現場をもう一度見て回る、本当になぜこんな場所に若い女性が一人でいたのか不思議だった。


 ────焦げ痕──。


 一瞬だけ視界に入ったものが気になった。


 それはセメント剥き出しの壁、目線よりも少し下の高さの場所に小さな黒い焦げ痕が残っていた。


 普段なら気にもならないようなその小さな黒点に、このときの僕は目を奪われた。


 北山さんが僕を呼ぶ、僕はハッとして彼女を見た。


「先輩どうしたんですか? ぼーっとして」


「ううん、なんでもないよ。それより僕たちは聞き込み捜査をしにいこうか」


 彼女になぜあの焦げ痕のことを言わなかったのか、自分のことのはずなのによくわからなかった。


 僕らは現場を離れ、周辺の聞き込みに回った。



        □□□□□□□□□□



 ズゾゾゾッと、麺を啜る音が聞こえる。


 焦がし醤油の芳ばしい香りと、胃に直接うったえかけるような濃厚な豚骨のにおいが、僕の食欲を掻き立てた。


 割り箸でちぢれた中太麺を掬い上げると、少しとろみのあるスープが麺に絡み、その表面を伝ってゆっくりと滴り落ちていく。


 フーフー。ズゾッ、ズゾゾゾッ。


 口をつけ一気に吸い上げると、ちゅるんと最後まで口の中に収まる。多少スープが飛び散っても気にしない、というような豪快さが彼にはあった。


「……あのぉ」


 そんな彼に、北山さんは苛立たしげに声を掛ける。


「うーん? どうした北山ァ、お前も栄福軒の豚骨醤油が喰いたいのか?」


「違います! 私たちは事件の進捗状況を聞きに来たんですよ」


「えーと、というか僕ら、江波巡査長に呼ばれて来たんですけど」


 彼は一瞬間抜けな顔をして、そうかそうかと豪快に笑った。なぜ笑う?


 事件の翌日。正午過ぎに捜査一課のオフィスの片隅、江波巡査長のデスクの近くに僕らは並んで立っていた。


 午前中に行われた、大森麻衣子さん殺害事件についての会議の報告を聞くためである。


 なのに肝心の江波巡査長は、出前注文したラーメンを啜っていた。昼食前に用件を済ませようと待っていた僕らが馬鹿みたいだ。


 とりあえず今わかっていることは、今日の昼食は栄福軒になるだろうことだけだった。


「まったく、お前らもはやく会議に出られるようになれ」


 そう言うと江波巡査長は割り箸を置いた。


 隣を見ると北山さんはぷるぷると小さく震えている。階級だけでいうと彼より彼女の方が上なんだよなぁ。


「いろいろとわかったみたいだ。まずあの女、裏でヤクザと繋がってた」


「ヤクザと? あの辺りでいうと佐原組ですか?」


「おお椎葉、知ってるじゃないか、佐原組で間違いない。どうやら女は、組がクスリを撒くための駒だったようだ。

 これからは、組内でのトラブルに巻き込まれた可能性が高いとして、そっち方面へも捜査範囲を広げるらしい」


「組内のトラブルとなると厄介ですね」


「ああ、揉み消されるだろうな。でも新垣さんが、遺体が現場に残っているってのが腑に落ちないって言ってたんだよなぁ」


 今回の事件、果たして本当にヤクザ絡みの事件なのか。真相究明に至るまでは、まだまだ時間がかかりそうだった。


「まあそんなところだ、詳しいことなんてまだ何もわかってねぇ」


「そうですか……」と、なにかを考えるように北山さんは呟いた。


 江波巡査長は、ラーメンが伸びちまうと言って、再び割り箸を握る。僕らはお礼を言い、その場を離れた。


 時計を見ると13時をまわっている。腹も減るはずだ。


「先輩、お昼付き合ってもらっていいですか?」


「え? ……うん、いいけど」


 北山さんに急に言われ僕は驚いた。彼女から昼食の誘いがあるとは初めてではないだろうか。


「でわさっそく行きましょう。お腹も空きましたし」


 僕は彼女についてオフィスを後にする。


 出る直前に、旨そうにラーメンを啜る江波巡査長を見やった。栄福軒はまた今度でいいか、と心の中で呟くと、ぐうと腹が鳴った。


 警察署を出て、迷いのない彼女の足取りを追ってゆく。彼女が少し恥ずかしそうにして僕を案内してくれたのは、栄福軒だった。


「女の子一人でラーメン屋とか……あれじゃないですか」


「あれって?」


 店を前にして僕が笑うと、彼女に肩を小突かれた。


 同じことを考えていたのかと嬉しく思う。僕は率先して店の扉に手を掛けた。



        □□□□□□□□□□



 事件の捜査は難航を極めた。新たな手掛かりも掴めず、日数だけが過ぎていく。


 そんな最中、事件発生から9日後の今日、新たな事件が起こる。


「また……若い女性ですね」


 現場で遺体を確認した北山さんは悔しそうに言う。


「手口もこの前の事件と一致、たぶん同じ犯人だろうね」


「若い女性を狙った犯行、ですか。ゆるせません」


 現場は町を流れる川の橋梁付近だった。


 被害者は吉野よしの美月みつきさん、20歳の大学生だ。


 現場には冷たい霧雨が降り、吉野さんの遺体を濡らした。彼女の側に落ちている紺の傘が、持ち主を失って途方に暮れているように見えた。


「また雨が降ってるな」


 いつの間にか隣に立っていた成二さんが言う。


「犯人はいったい何を思っているのでしょうか? 今回もろくな手掛かりが掴めない。計画的な犯行としか思えないですよ」


 成二さんは何も言わず、ポケットから煙草を取りだしくわえる。火を着けると、細く立ち上る紫煙が冷たい風に揺れた。


 警察はヤクザ関連の事件から、若い女性を狙った犯行として、捜査の方向性を変える。


 しかし、それからたった3日後に事態はまた大きく動く。


 その日も昨晩から続く雨が、町全体を濡らしていた。この不穏な冬の雨のせいで捜査一課のオフィスには瘴気しょうきが漂い、刑事たちを鬱屈とさせている。


 その空気を切り裂くように一課長のデスクの電話が鳴り響く、オフィスには一瞬で緊張が走った。


 一課長が受話器を取り、二、三言葉を交わす。


 その数秒間の静寂。

 僕の隣のデスクに座る北山さんが唾を呑み込む音でさえ、はっきりと聞き取れた。


 一課長は受話器を戻すと同時に怒鳴るように指示を出した。


「また殺人事件だ! 連続殺人との関連が高い、早急に現場へ向かえ!!」


 すぐに刑事たちはガタガタと音を立て、現場に向かう準備を始める。僕らも例外ではない。


 そこに江波巡査長が質問を飛ばす。


「被害者はまた、若い女性ですか?」


「いいや……」一課長の表情が苦渋に歪んだ。「30代と思われる、男だそうだ」


「なに、男?」「どうなってるんだ」「関連性がまるでない」「無差別殺人なのか?」


 刑事たちは口々に言う。驚きや焦燥を各々にかかえ、逼迫ひっぱくした事態に冷静さをたもてないでいた。


「とにかく現場へ行けぇ!! 何としてでも手掛かりを見つけてこい!!」


 慌ただしいオフィスにひときわ大きな一課長の怒鳴り声が轟く。刑事たちは、一人、また一人と駆け出して現場へと向かう。


 僕たちよりもずっと先輩の刑事が、一課長すらもオフィスを後にする中、僕と北山さんはその場を動けないでいた。


 成二さんが右耳を隠し、目を瞑って集中しているのだ。そのことに気付いてしまい、彼から目が離せない。


 声を掛けようとも思ったが、成二さんの周囲の空気はピリピリと張り詰めていて、僕の声なんて絶対に届かない場所に彼はいるのだと思った。


 考えている、推理している。今回の事件も、やはり彼が解決してくれるのか……しかし今回ばかりはそう上手くはいかなかった。


 今や頭を抱えるようにして両耳を押さえる成二さんの表情は、苦痛に満ちている。


「……新垣、さん?」


 北山さんが震えた声で呼び掛ける。


 すると、


「くっっそぉぉぉおおおっ!!」


 成二さんは発狂した。


 近くのイスを蹴り飛ばし、激しい音を立てる。


「ひっ」と小さく悲鳴を上げる北山さんを置いて、僕は彼に駆け寄った。


「成二さん、落ち着いてください」


 彼の肩を両手で掴む、彼は僕を見た。


「洋介っ、俺は……俺はどうすればいい!?」


「みんな同じですよ、僕だって悔しい。3人も殺されたんだ。なのに犯人の目星どころか、手掛かりさえろくに掴めていない」


「こんなの初めてだよ! わからねぇんだ、いくら考えても」


 ここまで追い詰められていた。僕の憧れた成二さんは、今までに見たことないほどに取り乱し悲嘆していた。


 彼にかかる期待は僕のみならず、他の刑事や一課長までに及んでいた。その期待を背負いながら、事件を解決できない不甲斐なさに彼は叫んだのだった。


 背負い過ぎたのだ、天才と呼ばれても、彼は神や仏じゃない。僕らと同じ普通の人間なのだ。


「一緒に考えましょうよ。役に立たないかもしれませんが、僕も全力で捜査しますから」


「そうです、新垣さん。刑事はあなた一人じゃない。私だってこの犯人を赦せない」


 北山さんも僕のすぐ後ろまで来ていた。


「ふんっ」彼はは鼻で笑う。「いつの間にお前ら、そんな生意気になったんだ?」


 成二さんはいつもの軽口を言う。無理矢理そう装っているのはわかったけど、僕も彼女もそれ以上はなにも言わなかった。


 僕たちが現場に向かおうとすると、オフィスの出入口の扉が勢いよく開いた。


「新垣さんなにしてるんですか? はやく行きますよ!」


 江波巡査長が慌てた様子で成二さんを呼ぶ。

 僕らはそれに呼応するかのように走り出した。



        □□□□□□□□□□



 3人目の被害者は明坂あけさかひろむ、36歳。会社員の男性だった。


 現場は駅近くにある駐輪場である。犯行の手口も同じことから、先の2件の殺人事件と同一犯であるとみられた。


 また、証拠はなにも残っておらず、最初の事件から捜査状況は何も変わっていなかった。


 その事件から5日後、昼頃から降り続いた雨は夜になっても上がる気配がなかった。


 僕は自宅のアパートのベッドに寝そべって、その雨音を聞きいた。電気もつけずにいると、その音はいっそううるさく感じる。


 暗がりの部屋の中でローテーブルに置いたスマートフォンの画面が明るく光る。バイブが振動し、着信音が鳴る。


 画面の表示には【夏紀さん】とあった。


 通話ボタンを押し、電話に出る。


「もしもし、夏紀さんどうしました?」


『洋介くんごめんねぇ、夜遅くに』


 彼女は申し訳なさそうに言う。リビングにいるのか、夜中のニュース番組の音が洩れて聞こえた。


「いえ、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」


『うちの人どこにいるか知らないかなぁと思って。まだ帰って来ないのよ』


「成二さんですか? 今日は署に泊まるって言ってましたよ?」


『そうなの? まったく連絡ぐらいしてくれればいいのに、電話にもでないのよ?』


「ははっ、成二さんらしいですね。僕からも言っときますよ」


『ありがとう、ごめんねぇ。じゃあまたね』


「はい、また」


 電話を切るとゆっくりと起き上がる。今まで人と話していたのが嘘みたいに深い孤独感に襲われた。


立ち上がり、テーブルの上にあった煙草とライターをポケットにねじ込んだ。


「行くか」小さく呟く。


 部屋の隅に畳んで置いてある黒いレインコートを広げる。前回使ったときのものが乾ききっていなかったのか、水滴が部屋に散った。


 僕は玄関に行き靴を履くと、レインコートをはおって外に出た。


 全身を雨が叩いてゆくのが妙に心地好かった。


 スマートフォンで時刻を確認すると、もうすぐ12時になろうとしていた。


 ふと、夏紀さんの声を思い出した。


 あのときの会話が、夏紀さんとの最後の会話になるなんてことを、このときの僕は、まだ知らなかった。

 


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