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深夜




 真夜中の薄暗い部屋の中で、僕はソファーに寝そべり熱い吐息を漏らした。

 北山さんは僕に馬乗りに跨がっている。互いの体が触れ合った場所がしっとりと汗ばんだ。


「……っあ、……き、北山っ、さんっ……」


 彼女は、つーっと僕の背中を撫でた。背中越しに伝わる彼女の体の火照りが、僕の体をよりいっそう熱くさせる。


 成二さんの言葉を鵜呑みにしてしまったばっかりに、こんなことになってしまった。


 北山さんは女の子。酔っ払ったからといって、男である僕の部屋に連れ込んだりしたら、それはもう仕方のないことである。


「ちょっ、北山さんっ……待っ……」


 僕は知らなかった、彼女がこんなにも激しいなんて。


 もし知っていたら、心の準備とか……ほら、いろいろと…………いや駄目だ、心の準備とかそんな問題じゃなかった。


「ちょっ、ほんとに……痛い、いったぁぁいっ折れるって!」


「ふふっ大丈夫ですよ先輩。折るまえに外しますから、関節を」


「いやどっちにしろだよ!?」


 僕はソファーに押し伏せられ、後ろで完全に腕をきめられていた。


 夜中に覚醒した北山さんが、ソファーで寝ていた僕に夜襲を仕掛けたのだ。


「質問に答えてください。ここはどこですか?」


「僕の住んでるアパートだよ」


「そうですか、どうりで……」


 なにがどうりでなんだ、聞き捨てならない。狭いと言いたいのか? 汚いと言いたいのか?

 でも今はそんなことを聞き返している余裕なんてなかった。


 さすがに彼女も腕を折る気まではないだろうが、ここまできまっていたら痛くてたまらない。


「北山さん、ほんとに放して、変なことなんてなにもしないから」


「その言葉を聞いて余計に不安になったんですけど」


「なんでっ!?」


「……わかりました」しぶしぶといった面持ちで言う。「ですが、もし変なことをしたら確実に折りますよ」


 折る気満々だった。変なことなんてするわけがない。僕はコクコクと首を縦に動かした。


 彼女は跳びすさるようにして僕から離れ、ベッドにそっと腰掛ける。


 やっと解放された僕は、そのままソファーに座り直し腕を回す。関節をきめられていた時間が長かったためか、回す度にミシミシという。


 そっと顔を上げ、北山さんをうかがうと、そっぽを向いて怒ったような顔をしている。


 冷静に考えれば当然だ、すべて僕が悪い。僕はこの部屋で寝るべきではなかった。


 なんと声を掛けていいのかわからず、だんまりしてしまう。まるでこの部屋には誰もいないのかと思える静けさだった。


 低く唸りながら暖かい風を吐き出すエアコンが、この空間を支配していた。


 暗く沈んだ遮光カーテンの隙間から月の光が煌々と射し込む。彼女の手元まで伸びたその光は、彼女の色気を助長し漂わせた。


 ついさっきまで腕を折られそうになっていた相手なのに、怒った表情すら可愛く見える。


 これはもう惚れているな、と僕は自分自身の気持ちを認めることにした。


 そんな彼女がこちらを見る。


 視線が合っただけで心臓が跳ねた。体ごと跳ねてしまっていたかもしれない。意識してしまうとその反応は顕著に出てしまった。


 それを見て彼女は何を思ったのか眉根を寄せる。


「なにかやましいことでも考えていましたか?」


「い、いや、なにも」


「私が寝ている隙に変なところを触ったりしてないですよね?」


「触ってないよっ、ほんとに触ってない」


「怪しいです、胸とか触ってないですか?」


 彼女は肩を抱くようにして胸を隠した。ぶっちゃけその方がエロいと僕は思った。


「さ、触ってないよ」


「本当に?」


「……ちょっ、ちょっとだけ」


「触ってるじゃないですか!」


「違う違う、運んでる時にちょっと当たっちゃっただけだよ。故意じゃない」


 お、落ち着いてっと、僕は威嚇している猫のように今にも飛び掛かってきそうな北山さんをなだめる。


 僕は必死に説明した、北山さんがどれほど起きなかったのかを、ここまで連れて来るのにどれだけ苦労したかを。


 途中で「重かった」と僕が失言したときは、フシャーとまた威嚇したけど、なんとか納得してもらった。


「私も……すいませんでした。ご迷惑お掛けました」


 彼女はばつが悪そうに言う。


「自分でお酒弱いの知ってるから、あまり呑まないようにしているのですが」


「ははっ、夏紀さんは呑ませ上手だからね。僕なんて何回記憶が無くなったのかも思い出せないよ」


 北山さんは伏せ目がちに微笑む、夏紀さんとのことでも思い出したのだろうか。


「あの、お水もらっていいですか?」


「ああ、もちろん」


 僕は立ち上がり冷蔵庫へと向かう。一瞬、電気を点けようかとも思ったが、もう部屋の暗さに目も馴れてしまっていた。僕らには月の明るさだけで十分だと思った。


 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してコップに注いだ。彼女にそれを持って行くと、タイマーをかけていた暖房がちょうど切れるところだった。



        □□□□□□□□□□



「新垣さんのこと、改めて凄いと思いました」


 北山さんは膝の上で包むようにして持ったコップの水を覗き込みながら言う。月の光を反射させるその水には魔力が秘められているようだった。


「今日の事件、私はけっきょく新垣さんの推理を聞くまで、自殺以外の答えを見つけられませんでした」


 憂いを帯びたその瞳を見て僕は思わず呟く。


「……悔しいよね」


 目を伏せて下唇を少しだけ噛んだ。

「えっ?」っと言って顔を上げる彼女をよそに僕は続けた。


「また、追いつけなかった。成二さんはいつだって、僕の遥先を歩いてる。三年間ずっと追いかけて、手を伸ばして……でもその片鱗さえも掴むことができない」


 誰からも天才と呼ばれる成二さに羨望し憧憬を抱いた。


 しかしそれ以上に、僕と成二さんとの差があまりに大きすぎて悔しく辛い。だからその背中を捉えようと何度も、何度でも足掻いた。


「彼の近くにいると、僕は成長してるのだろうかと不安になるんだ。昨日よりも今日、今日よりも明日。僕が成長している以上に、成二さんは進化を続けているんだと思うことがある」


 だからこそ彼は天才なのかもしれない。


 暖房の切れた室内は少しずつ冷えていった。僕は足元を這うように流れる冷気から逃れるように、ソファーの上で膝を抱えた。


「僕も、成二さんの見ている世界を見てみたいんだ」


 くさい台詞せりふだと自分でも思う。しかしそれ以外の表現なんて未熟者の僕には備わっていなかった。


 彼の洞察力、思考回路、そのすべてが僕には尊い。同じ映画を見て、彼がどのような観想を持つのかでさえ気になった。


 この感情をなんと呼べばいいのだろうか?


「惚れているんですね」


「えっ?」


「新垣さんの才能に触れて、惚れてしまった。人間って不思議なもので、圧倒的な才能を前にすると性別問わずに惚れてしまうんですよ。私の持論なんですけどね」


「うん……そうかもしれない」


 惚れていたのかと思うと、妙に納得がいく。僕は惚れやすいたちなのかもしれない。


 もちろん、実はバイセクシャルだったとかそういう意味じゃない。


「私は父から新垣さんの噂を耳にしていて、目標にするならこの人しかいないと思っていました」


「いいじゃないか、僕にとっての目標も彼だ」


「でも今日一日見ていて、変えることにしました。私のひとまずの目標は先輩です」


「へっ、ぼ、僕っ?」思わぬ発言に声が裏返る。


 動揺してしまった姿がおかしかったのか、彼女はくすくすと笑った。


「新垣さんは遠すぎますからね。段階を分けようかと思いまして。ほら、先輩が目標ならすぐに達成できそうです」


 僕は眉根を寄せた。なまじ的外れでもないため、思うように言い返せないことがやたら悔しい。


「あ、私の方が階級は上ですし、もう達成してますかね?」


「まだそれを言うのか、それとこれとは別の話だろう」


 僕はため息をつく。次回の巡査部長昇任試験はなんとしてでも受かりたい。


「冗談ですよ。少なくとも先輩は、今日の事件で私の見えていないところまで見えていました。新垣さんほどではないですが、先輩のことも凄いと思ったんです」


「……そ、そう?」唐突にそんなことを言われ、誉められ馴れしていない僕は、わかりやすく赤面する。電気を点けていなくてよかったと心から思った。


 その後、彼女と僕はたわいもない話をした。

 たとえば最近、推理小説にはまっていることだったりだ。


 僕が成二さんの影響で好きになったのだと話すと、惚れている人のことは何でも真似したくなるんですね、と言って彼女笑った。


 あながち間違いでもなかったために、無性に恥ずかしくなる。


 他にも彼女は料理が得意だということや、僕が猫アレルギーなんだ、といった話をする。

 どれもたいした話はしてないけれど、今までよりは親密になれた時間だったと思う。


 しばらくすると彼女はもう一度寝ると言う。変なことなんてしないので、ゆっくりと寝ていただきたい。


 冷えきった室内に暖房を入れる。エアコンが再び唸り声を上げ始めると、彼女はベッドに横になった。


 僕は溢れんばかりの優秀な妄想を必死に打ち消して、ソファーの上に体を横たえた。ぎゅっと目を瞑るが眠れるはずもない。


 同じ空間に北山さんがいた。僕は彼女のことが好きだった。ローテーブルに置かれたコップには水が少しだけ残っている。魔力はもう消えていた。


 青白い月明かりを見やる。彼女のお腹にあたるその光を、なにか特別なものに思った。



        □□□□□□□□□□



 その日の夜は雨が降っていた。


 路上にできた水溜まりが繁華街のネオンをきらびやかに写している。客引きの男は目当ての客と並走し、何度もその場を行き交った。


 白いマフラーを巻いた女は、ビニール傘を片手に夜の街を闊歩した。


 すれ違う男が皆振り返るほど彼女は美しかった。そしてそれを彼女自身も知っていた。


 とあるクラブに立ち寄る。ボーイに傘を投げ渡し、ホールには入らずいつも通りに裏通路へと進む。


 裏口から外へ出ると薄暗く狭い路地だった。


 電球が一つだけ点いていたが、この場全体を照らすには心もとない。がさつに取り付けられたトタン屋根を、大粒の雨がうるさく叩く。


 繁華街の喧騒を遠くに聴いた。


 雨に濡れて冷えきってしまった指先に、彼女は熱い吐息をかけた。


 灯りの届かない闇の向こう、煙草の小さな火が人影に合わせ揺れ動く。ひたひたと濡れた地面を踏む音が聞こえた。


「あんたが今日のお客かい?」


 美しいものには毒がある。彼女にもまた、罪深き毒があった。


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