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天才刑事


 葉の散ってしまった街路樹は真っ裸で、その貧相な姿が外の寒さを僕に想わせた。


 ウインカーの音が車内に響く。

 赤信号により小さな交差点で止まっている車の車内には、脱着式のパトライトが積まれている。


 信号が青にかわると彼女はアクセルを踏み、右へハンドルをきる。発進もスムーズで助手席に乗っている僕としても、乗り心地に不満はない。


 ただ、彼女には欠点があった。


 才色兼備である彼女にとってはそれが唯一の欠点と言えるのかもしれない。


「北山さん、だからあれほど僕が運転するって言ったんじゃないか」


「それはどういう意味ですか先輩、私が道を間違えたことを言っているのですか?」


「うん、その通りだよ。わかってるじゃないか」


「方向音痴だと運転してはいけないと言うのですか?」


「いやそこまでは言ってないよ……」


 いや、カーナビの音声案内を聞いているのに間違えるのだから、彼女は運転するべきじゃないのかもしれない。

 少なくとも事件現場に急行しないといけない時は。


 住宅街に入り、間もなく高層マンションが見えてくる。


「先輩の運転がとっても下手なのがいけないんです。乗っていると私、すぐ車酔いしてしまうんですから」


「僕、そんなに運転下手かなぁ」


「下手ですよ。あとそれと、私の方が階級は上だってこと忘れないでくださいね。椎葉しいば巡査」


「わかっていますよ。北山きたやま巡査部長……まったく、それ何回聞けばいいの?」


「そうですね。とりあえず先輩が私と同じ階級になるまで、ですかね」


「……」


 彼女とコンビを組まされてまだ5日目なのだけど、当分は言われ続けられそうだ。


 僕は大学を卒業して警察官になった。捜査一課に配属されて3年になる。


 彼女は今年から警察官になり、捜査一課へと配属された。だから当然僕の後輩になるわけだ。


 しかし彼女は、国家公務員二種試験の合格者としての採用。つまり、準キャリアと呼ばれるエリート刑事なのだ。


 世の中とは不公平なもので、準キャリアの警察官は最初から巡査部長の階級が与えられる。


 ノンキャリアの僕からしたら、出世コース確定の彼女のことがとても羨ましい。


「着きましたよ」


 彼女はマンションの駐車場にパトカーを停める。そこにはすでに数台の警察車両が停まっていた。


 車外に出るとあまりの寒さに思わず震えてしまう。白い息を吐きながらコートの襟元をぎゅっと合わせた。


 マンションを見上げると、8階の一部が青いブルーシートで覆われている。


「あそこか、僕たちも速くいこう」


「わかってますよ。あ、そうだ先輩」


「うん?」


「今年の巡査部長昇任試験はがんばってくださいね。応援してます」


「それ、今言わないといけなかったか?」


 彼女は、ふっと小さく笑い、僕を置き去りにしてマンションに向かう。


 昨年の試験に落ちたことを馬鹿にされたのはわかるけど、なぜだか憎めない。

 可愛いからだろうか……僕も男なのである。


 でも、いくら可愛くても手を出そうとは思わない。

 それは性格が悪いからとかではなく(実際に性格わるいけど)、彼女のお父さんが警視監殿であるからだ。


 僕にはとても警視監の娘さんに手を出そうなんて度胸はない。


 キャメル色のコートがよく似合うスラリとした後ろ姿を追いかけて、僕は事件現場へと向かった。



        □□□□□□□□□□



「すいません。椎葉と北山、遅れました」


「おお洋介ようすけ、来たか。ちょうど鑑識が入って現場を調べているとこだよ」


 成二せいじさんは片手を軽く上げて答える。


 色黒で髭の生えた彼は、とても警察官とは思えない風貌だ。南国で一年中サーフィンとかしている方がよく似合うと思う。


 現場は寝室らしかった。

 玄関先にいる僕らのところからはリビングが少し見えるくらいで、寝室の様子はうかがえない。


「なんだ? ドライブデートに夢中になりすぎたのか?」


「……違いますよ」


 成二さんは僕らに近づきながら、冗談交じりにからかってくる。人が一人亡くなっている現場であまりに不謹慎だと、僕は目を細めた。


 成二さんは視線を僕から北山さんにかえる。


「きみが新人の北山ちゃん?」


「はじめまして、新垣警部。北山きたやま静樹しずきと申します」


「おう、新垣あらがき成二せいじだ、これからよろしくね。あと、警部はやめてもらえるかな。ほら俺、警部って柄じゃないでしょ?」


 彼は警部と呼ばれるのを嫌う。


 ノンキャリアで警察官になって、32歳という若さで警部にまでなるのは凄いことなのだけど。


「では、どうお呼びすればよろしいでしょうか?」


「うーん、そうだな……ガッキーって呼んでくれればいいよ」


「そうですか。ではガッキー、私も捜査に加わります」


 いやむしろ二人ともガキだな、と思った。


(あれーこの子、冗談通じないタイプ?)


 成二さんは僕の肩に腕を回して、耳元でこそこそと言う。


(知りませんよ、でもその呼び名は警部って柄じゃないんで良かったんじゃないですか)


(うーん……そうだな、受け入れるか……)


(ヤバイなあんた……)


 そんな話をしていると北山さんが僕らに声をかけた。


「冗談です、新垣さんと呼ばせて頂きます」


「うん、まあそれが無難だな」そう言う成二さんの表情はどこか不満気だった。この人ほんとにおかしいと思う。


「そういえば、江波えなみさんは来ていないんですか?」


 江波さんとは、現在成二さんとコンビを組んでいる先輩刑事のことだ。


「ああ、あいつはインフルエンザで休みだとよ。気合が足りねぇんだよなぁ」


 病気を精神論で片付けるのもなんか違うと思う。


「まあ、おおまかにまとめた資料がそこにあるから、目を通したら奥に来い。俺は先に行ってるぞ」


「はい」


 僕はシューズボックスの上に置かれた紙を手に取る。通報から間もないこともあってか、たった一枚だけだった。


「先輩」


「うん?」


「先輩は新垣警部とやけに親しいそうに見えたのですが?」


「そうだな、まあ北山さんとコンビ組むまではずっと成二さんとコンビだったしね。

 あと、成二さんの前以外でも警部って呼ばない方がいいよ、なんか本気で警部って呼ばれるのが嫌いらしいから」


「……そうですか、変わった方ですね」


「天才は変わり者が多いって言うしね」


「父からも噂は聞いていました。凄い刑事がいると」


「うん、ほんとに凄いんだよ。刑事のかんが鋭いというか、小さな証拠を見逃さない。洞察力が優れているんだろうね」


 やっぱり彼女も成二さんに憧れているのだろうか。


 そうだとしても不思議じゃない。僕だってずっと憧れて続けているのだ、今だってずっと。


 3年間、彼のことを誰よりも近くで見てきて、憧れて、ああなりたくて、でもその存在はとても遠かった。


 近くにいるのに手が届かない。彼はまさしく天才だった。



        □□□□□□□□□□



 今回の事件の被害者は女性の岡元おかもとのぞみさん28歳。某化粧品会社に勤めているOLだった。


 今朝6時頃。自宅の寝室にて、ロープで首を吊っているところを、彼女の恋人である医者の平坂ひらさか敬吾けいごさんに発見された。


 平坂さんはすぐに警察に連絡。岡元さんは平坂さんにより、すぐにロープからは下ろされたものの、救急車が駆けつけた時にはすでに死亡していた。


「今回は自殺の可能性が高いということでしょうか?」


「そうだね。鑑識の結果が出ないと、まだなんとも言えないけど」


 僕と北山さんは資料にさっと目を通し、事件の状況を確認する。


 リビングへと向かうと、複数の鑑識と成二さん、それと資料にあった平坂さんと思われる男性がいた。


 平坂さんは恋人が亡くなったとあって、椅子に座り机に突っ伏している。


 リビングからは寝室も見えた。


 そこにはまだ、遺体となってしまった岡元さんが寝かされている。


 僕は遺体に近寄って両手を合わせ冥福を祈る。

 北山さんも僕にならった。


 北山さんは現場で遺体を見るのは初めてのはずなのだけど、物怖じしたり、取り乱したりする様子はまったくなかった。


 僕が初めて遺体を見たときのことを思い出すと恥ずかしくなる。


「洋介、北山ちゃん。お前らも来い、鑑識の結果だ」


「「はい」」


 僕らは成二さんとともに、鑑識さんの話を聞く。


「死亡推定時刻は深夜3時頃、死因は頸部圧迫による窒息死です。首に残っていた痕跡と、首を吊っていたと思われるロープの形状も一致しました」


「では殺されたにせよ、自殺にせよ、あのロープで首を絞められたのは間違いないんですね?」


 北山さんが改めて確認を取る。


 僕が初めて現場の捜査に加わったとき、こんな質問なんて絶対に出来なかった。やっぱり彼女は凄いと思う。


「間違いないです。それと、打撲痕などの争った形跡もとくになく、吉川線・・・も見受けられませんでした」


「うん、打撲痕、吉川線ともになしか……」


 成二さんが呟くように言った。


 どうやらこの事件、自殺の線が高まってきているみたいだ。


 僕はふと思って北山さんに話しかける。


吉川線よしかわせんってなんのことだかわかる?」


 すると彼女は睨むように僕を見上げた。


「わかりますよそのくらい、常識です。他殺のさいに、絞められた喉を自分の爪などで引っ掻いて残る傷のことです」


 じょ、常識なんだ……僕は成二さんに教えてもらうまで知らなかったのだけど。


「犯人がヒモ状のものを使わず、手や腕で被害者を絞殺こうさつした場合は、被害者の爪の隙間に犯人の皮膚や血液などが残っていることがあり、重要な証拠となります」


「う、うん。よくわかってるね……さすがだよ」


 そうとしか言いようがない。何も教えることのなかった僕は苦笑いをした。

 なぜだか彼女は少し機嫌が悪いようにも見えた。


 僕は彼女とともに、平坂さんに事情を聞くことにした。



        □□□□□□□□□□



「え!? 平坂さんは昨日ここに泊まっていたんですか?」


 僕の声に現場にいる全員が振り向いた。


「す、すいません。それにしても泊まっていたというのは本当ですか?」


「ええ、泊まっていました」


 平坂さんは昨日の夜の出来事を語りだす。


「実は私、彼女に浮気をしていることがバレてしまいまして、昨日は彼女に謝るためにここを訪れたんです」


「……」


「夜は一緒にこの部屋で食事をして、話し合いをして許してもらえたと思っていたのですが……」


「朝起きたら、岡元さんが首を吊っていた、と?」


「……はい」


「あの、恋人ということは、この部屋の合い鍵も持っていますか?」


「ええ、持っていますよ」


 平坂さんはいくつかの鍵のついたキーケースを見せて言う。


(先輩、これは自殺で間違いないのかもしれませんね)


 彼女は平坂さんに聞こえないように声を落として言う。


(もし、平坂さんが犯人なら、殺害後に部屋を出て合い鍵を捨ててしまえばいいですから。それだけで密室殺人の完成です)


(確かに、部屋に残ってみずから警察を呼ぶなんてリスクが大きすぎる。放置しているだけで発見は二、三日遅れていたかもしれない)


(現場の状況からみても、やはり自殺の可能性が一番高いと思います)


 北山さんの言うことは的を射ている。もし他殺であるとしたら犯人は平坂さんに限られる。しかし疑われるリスクを負ってまで、現場に残る理由がわからない。


(まあ、もう少し現場を洗ってみようか)


 僕がそう言うと彼女は頷き寝室へと向かう。


 被害者である岡元さんは、平坂さんの浮気がどうしても許せなかった。だから平坂さんの目の前で自殺することにより、彼に罪の意識を植え付けさせた。


 そう考えれば多少強引だが納得はいく。

 馬鹿げているようだけど、それほどまでに彼のことが好きだったのか。


 僕が考え込んでいるといつの間にか玄関の方に行っていた成二さんが、リビングに入って来た。


「平坂さん、ここまではバイクで来られたのですか?」


「ええ、そうですが……なにかありましたか?」


「いえ、シューズにバイクで使われるシフトガードがついていたものですから。俺もバイクによく乗るんですよ」


「はあ……そうですか」


 僕は成二さんの相変わらずな言動にため息をついた。そして寝室に入って行く彼を追った。


「成二さん、バイク乗らないじゃないですか」


「うん? 乗りたいなーって思ってるから、あながち嘘でもないだろ」


「いや、完全に嘘ですよ」


 どうでもいいだろ、と言って、成二さんは寝室を見回った。彼から独特な臭いがすることを考えると、外に出て煙草を吸っていたらしい。

 仕事中だというのに、本当に相変わらすだと思う。


 寝室では北山さんが化粧台の前でしゃがんでいる。


「どうしたの北山さん?」


「化粧品の数が多いなと、思いまして。化粧品会社の方だったようですし、当たり前なのかもしれないですが」


「うん、たしかリビングの机にもいくつかあったよね」


 化粧台には様々な化粧品が置かれている。


 僕には何に使う物かもわからないが、きちんと整理されてるわけでもないその化粧品を使いこなすのは、そうとう難しそうだと思う。


「それにしても化粧品会社ってかなりお給料がいいんでしょうか? この部屋のだって、一人暮らしの若い女性にしては、かなり家賃も高いはずだと思うんですけど」


「確かに言われてみればそうだよね。もしかすると平坂さんが払っていたのかも、お医者さんらしいし、確実にお給料はいいはず」


「お前ら、給料の調査でもしてんのか?」


 ずっと話を聞いていた成二さんが口を挟む。


「そ、そういうわけでは……」


 ふんっと鼻で笑うようにして、彼は次にベッドを見た。

 そしてリビングに残る平坂さんに問う。


「平坂さん、昨日はこのベッドで寝ていたんですよね?」


「は、はい」


 大きなキングサイズのベッドには、人ひとりが寝ていたくらいのシワがシーツに残っている。


 平坂さんが抜け出してそのままの状態なのだろう。


 成二さんはその場に立ち止まって、右手で右耳を隠すように覆う。

 そしてぐるりと室内を見渡してゆっくりと目を瞑った。


「先輩、新垣さんは何をしてるんですか?」


 彼の不思議な行動を見て、北山さんが僕に問う。


「考えてるんだ、集中するとああやって耳を隠す。本人に聞いてみたこともあるけど、とくに意味はないらしいよ。昔からの癖なんだって」


「そうですか、やっぱり変わった方ですね」


「うん、ほんとに……」


 成二さんがあれをすると言うことは、もうすぐ彼は真相に辿り着いてしまう。

 自殺じゃないと彼は確信しているのだろうか?


 僕は少しでも自分の力で真相に近づこうと、必死で頭を回転させる。


 化粧品会社のOL。


 医者である彼氏。


 部屋の合い鍵。


 大量の化粧品。


 少しシワのついたシーツ。


 争った形跡もない。


 吉川線もない。


 やっぱり自殺に思えてならない、せめてあと少し何か手掛かりがあれば。


 部屋を見渡していた僕は、一瞬何かに引っ掛かった。


 ──────爪────。


 被害者の手元、その指先を見る。


 被害者の爪には青と紫の模様がはいった綺麗なつけ爪がされている。


「爪が……つけ爪が、剥がれてる」


 右手の中指、その一つだけが欠けていた。


 ぼそりと呟いたその声は、隣にいた北山さんに聞こえていただろうか。


 僕の顔を見た北山さんと視線が合った。


 そこで成二さんの声が室内に静かに響いた。


「つけ爪が剥がれているな……」


 僕と同じことを言った。


 しかし同じことに気がついていても、僕にはそれがどう証拠に繋がるのかはわからない。


「鑑識さん、彼女のつけ爪はどこかに落ちてた?」


「いえ、まだ見つかっていません」


「どこにあるのかねぇ。ねえ、平坂さん」


「え? わ、私ですか? うーんわからないなぁ」


 平坂さんはバックパックを持ってゆっくりと椅子から立ち上がる。


「あの、申し訳ないですが、一度病院に戻ってもいいでしょうか。仕事も残っていますので」


「いや、もう少し待って頂きたい。せめてつけ爪が見つかるまでは」


「……」


 平坂さんは突っ立ったまま、ただ成二さんを見ていた。



        □□□□□□□□□□



「今回の事件は、俺も自殺だろうなと思っていました。しかし、引っ掛かる点がいくつかあった」


 成二さんはゆっくりと歩を進め、リビングへと行く。


 僕と北山さんは彼から目が離せず、その場で彼の語る事件の真相に耳を傾けていた。


「まず、玄関にあった、シフトガード付のシューズ。あのシューズを履いてくるということは、ここまでバイクで来たということだ。それはあなたにも確認をとりましたよね?」


「はい、バイクで来ましたよ。好きなんですよ、彼女が死んだことと関係ないでしょう?」


「関係ないとも言えないから話しているんですよ」


「……」


「もし、今の季節が春だったら、もしくは夏や秋だったら、気にも止めなかったかもしれない。

 しかし今は冬、路面凍結の恐れがあるこの時期にいくら好きだからといって、スリップで転倒しやすいバイクで来るとは思えない。バイク好きなら尚更その怖さを知っているはずだ」


「た、確かにそうですけど、乗りたくなったんだ。仕方ないでしょう?」


「うん、まあそういうことにしておきましょう。では次に二つ目」


 成二さんは二本指を立てて言う。


「化粧台の上にある大量の化粧品」


 それに北山さんが思わず口を挟む。


「それは、被害者の女性が化粧品会社に努めていたからじゃないでしょうか?」


「いやいや北山ちゃん、俺は量の話をしているんじゃないんだよ。化粧品が乱雑に置かれていることを言っているんだ」


「乱雑……」


 化粧台を見る、整理されているとはとても思えない。だから僕も、使いこなすのは難しそうなどと思ったのだ。


「室内の他のところを見ても、被害者である彼女は几帳面な性格とはとても言えない。しかし、ベッドだけが異常に綺麗なんですよ」


 僕らはベッドを見やった。


 言われて見れば、シーツにシワがあるものの、日常的に使っているにしては随分と綺麗だった。


 まるで昨晩のうちに、ベッドメイキングをし直してから寝たようにも見える。


「恐らく殺害現場はあのベッドの上。キングサイズの大きさがあれば、いくら暴れても柔らかいベッドで打撲痕はつかないですからね。

 彼女が暴れて乱れたベッドを怪しまれないように、あなたは綺麗に整え直した」


「ははっ」平坂さんは乾いた笑いを溢す。「どういうことです? まるで私が犯人だと言っているように聞こえるのですが」


「まあ、そう言っていますから」


 成二さんは平然と答えた。


「ちょっと待ってくださいよ刑事さん。私はこの部屋の合い鍵を持っているんですよ? もし私が犯人なら、なぜ逃げなかったんですか?」


「それは警察にそう思わせたかったからでしょう?」


「……」


 まるで答えを用意していたかのような成二さんの返答で、平坂さんは押し黙ってしまう。

 僕は成二さんに、疑問に思っていることを思わず聞いてしまう。


「でも、吉川線がなかったのはどう説明するんですか? それに、平坂さんが犯人だという証拠がどこにもない」


「吉川線を付けさせない方法なんて簡単だ。手袋を着けさせればいい」


「え……手袋?」


「持ってますよね、平坂さん。こんな真冬にバイクに乗るんだ。そうだな、ベルト付のしっかりした手袋でもあれば今回の事件にはもってこいだ」


「───っ!?」平坂さんはわかりやすく動揺した。


「洋介、彼のバックパックの中を調べろ」


「はい」


 僕は言われて平坂さんに近寄る。


「平坂さん、バックパックをこちらでお預かりします」


 彼は歯軋りが聞こえそうなほどの険しい顔で、バックパックを受け取る僕を睨んでいた。


 僕は中を探る。するとそれはすぐに見つかった。


「ありました、ベルトも付いています」


「うん、やっぱり」


 すでに知っていたとでもいうように彼は微笑む。


「ベルト付だと脱着も簡単にはできない。首を絞められパニックに陥っている人間ならば尚更だ。

 手袋のままいくら首を引っ掻いても爪が掛からないんだ、吉川線が残るはずもない」


 新垣さんが僕に近寄ってその手袋を受け取る。

 僕はリビングにまで来ていた北山さんの横まで戻った。


「ただ、あなたが犯人だという、これといった証拠もなかった。だから俺はずっとそれを探していたんです」


「み、見つかったんですか?」


 北山さんが恐る恐る聞く。


「いいや、今から見つけるのさ」


 成二さんは肩越しに振り向いて言う。


「被害者は綺麗なつけ爪をしていましたよね、それが右手の中指だけ剥げていた。鑑識さんも部屋中を探したそうですが見つからなかったらしいんですよ」


 成二さんは一度言葉を区切った。


「そのつけ爪……どこにあると思います?」


「し、知らない。外で落として来たんじゃないか?」


 平坂さんの顔色はどんどんと悪くなってゆく、そしてしきりにシャツで手を拭う。手汗をかいているようだった。


「わかっているはずですよ。だからさっき、急に仕事に戻るなんて言い出したんじゃないですか? この手袋の中に残ったつけ爪を処分するために」


 成二さんが手袋を軽く振ると、中から何かがこぼれ出た。

 彼の手の上に乗ったそれは青と紫の模様があしらわれた、被害者と同じつけ爪だった。


「平坂敬吾さん。あなたの手袋に、被害者である岡元さんのつけ爪が入っている理由は、いったいどうしてなんでしょうか?」


「───っくそ……」


 平坂さんは小さく呟き、机を激しく叩いた。


 机の上に置かれた彼女の化粧品の瓶が、音を立てて倒れた。





全7話となっております。

最後までお付きあい下さい。

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